第23話 孤独な獣②
***
そして三十と数えぬ間に、首領らしき忍者の首を締め上げるミリアザールがいた。月に照らされた彼女の姿は、人とは思えぬ輝きと美しさを放っていた。
いや、実際にその姿は人間から程遠かった。彼女の髪や目の色こそ元のままだが、口は耳近くまで裂け、耳は天を衝かんばかりの大きさに尖っていた。手足には黄金の毛並みが逆立ち、彼女の後ろには豊かな毛並みの五本の尾が生えていた。そのうち一本だけは、なぜだか短かった。
そしてもはや男は抵抗しようにも、その術を持たなかった。なぜなら、彼の両手両足はミリアザールが引きちぎってしまっていたのだ。彼女の周囲は赤い海となり、彼女自身も深紅に染まっていた。回復魔術をかけながら締め上げることで、尋問のために男の絶命を防いでいたのだ。
そんな中でも表情は普段と変わらず、むしろ穏やかにさえ見える顔で頭領格の男に話しかけた。
「なぜワシがこんなにも長い間生きていられたと思う? 強すぎるワシを誰も殺せなかったからじゃ。大魔王のバカたれどもはワシと良い勝負ができたが、それ以外でまともにワシと戦えた相手なぞほとんどおらん。まぁワシも最初からここまで強かったわけではないし、運もあることは否定せんがな。それにワシは何度も暗殺されかかっとる分、基本的に慎重な性格でな。戦う場所と条件は吟味を重ねておるのよ。主ら、ここが襲撃に適しておると思ったか? 甘いな、ここで戦うことも想定して動いておるのよ。主らはワシの手の内を出ておらぬ。現に、貴様達の援軍は来なかったろうが? もっとも、そこまでするほどの相手でもなかったようじゃがな」
男の口からひゅー、ひゅー、と音が漏れる。何かを喋ろうとしているようだ。
「ん、なんじゃ? 遺言があるなら聞いてやろう」
「……ば、ばけ……もの」
「なんじゃ、そんなことも知らなんだのか? 今さらじゃわい。実際、人間ではないからの」
全く落ち込む様子もなく、答え返すミリアザール。
「さて、お主が死ぬ前にもう少し付き合ってもらおう。お主の雇い主を調べんといかん。きちんと手順をふまぬと相手の脳を壊しかねん危険な魔術じゃが、死にゆくお主には関係あるまい。詫びといってはなんじゃが、お主の名前もついでに調べて覚えておこうぞ」
「!?」
ミリアザールが相手の頭に手をかざすと、男の体がガクガクと痙攣し始め、口から泡を吹き始めた。そのまま五つ数えるほどで痙攣が一層激しいものへと変わり、眼球がぐるりと上転すると、今度は完全に動かなくなってしまった。
ミリアザールはしばし自らの額に指を当てて考え込んでいたが、やがてぐったりと項垂れた。
「……ふむぅ、有益な情報はなしか。ワシの正体も教えられておらなんだし、使い捨てなのか、主人も大したことがないか。釣れるには釣れたが、まさに雑魚じゃったな。どうも昔から釣りは苦手じゃ」
ミリアザールは盛大なため息とともに、自分に襲いかかってきた刺客に全ての興味を失ったようだった。そのまま男の亡骸をぽいっと放り捨て、自分の思索に耽る。
「まあでも今回の敵はしぶとそうじゃ。ワシにここまでさせておいて、大した情報も得られんからの。慎重さでは今までで一番かもしれんな。それに、ワシの魔術を封じる罠を設置型の魔術で仕掛けるとは、それなりに準備が必要となろう。どこかからワシの行動予定が漏れておるのか?
さて誰が黒幕なのか……また次の手を考えねばなるまいな。今回は長丁場となろう。全く人間はワシを飽きさせんわい、そんなに最高教主の権力が魅力的に見えるのかのぅ。あるいはワシに対する挑戦か? まあどっちにしても無謀な戦いじゃが」
ミリアザールが自分の命を狙われたのは何度目か、もはや覚えていない。三十回目くらいまでは数えていたが、面倒臭くなって数えるのを止めたのは五百年前か、四百年前かすら定かでない。
相手が敵対する勢力の時もあったし、魔物の時もあった。自分の部下の時もあった。その全てを叩き潰して、彼女は今ここに立っている。アルネリア教会を動かすにあたり極力犠牲が少ない方法をとってきたつもりではあったが、どれほど上手くやったつもりでも、どうしても犠牲や反対が出てしまう。そのたびに自問自答を繰り返してきた。
「(アルネリア、あやつならどうするか。いや、まずあやつならば戦うという選択肢をとらぬのであろうな)」
答えはいつも明白である。アルネリアならば敵と戦わない、そもそも敵という識別すらしないであろう。もはやアルネリアの真似ごともできなくなっている自分を取り巻く状況がミリアザールには腹立たしいが、今さら自分の演じる役を降りるわけにもいかない。
自分がいなくなれば、空いた権力の座を巡りさらなる混乱が起こるのは明白なのだ。自分ではいかほどに考えても良い答えは出ないが、考えるのを止めればそれこそ自分はただの化け物になってしまうとも思っていた。敵は叩き潰すのが一番楽なのだが、それではただの虐殺になってしまうからだ。
そんな考えに耽っていると、ふと後ろでぱしゃりと水音、いや血音とでも言うべき足音がした。
「
「申し訳ありません、考え事をなさっているのはわかっておりましたが、そろそろ防音の魔術が切れる頃かと思いまして。差し出がましくも、お声をかけねばと」
「いや、よい」
返事をしたのは黒装束に身を包んだ女である。顔を覆面で隠しているため表情はわからないが、この血だまりにおいても平静で凛とした声、仕草にまで一切無駄がなく、その背後には彼女が仕留めた敵の複数の死体が転がっていた。
彼女は「口無し」と呼ばれる、教主ミリアザールが個人的に抱える暗殺部隊の長である『梔子』である。神殿騎士団が表の精鋭なら、口無しは裏の精鋭。その存在はアルネリア教会内でも秘匿とされ、教会本部からほとんど出ることのない教主の目となり耳となり、各地で諜報活動を行うのが主な任務である。また何割かは女官に紛れて、最高教主の身の回りの世話をする給仕として仕えている。
使い魔を同時に複数扱うことをミリアザールは不得手としているため、このような者をもう何百年も傍に置いていた。今回も刺客の上忍にすら気付かれず、いつの間にか防音の魔術を張っていた。相手の援軍を始末しながら、もしミリアザールが不利になるようなことがあれば、いつでも飛び出す準備はできていたのである。
ミリアザールは思索を止めると、元の姿に
「すまぬが後始末は任せる。ミーシアの民衆にばれぬようにな」
「は」
「ところで、今この都市に何人口無しがおる?」
「私を含めて即座に動かせる者が七人、予備に四人。ミーシアに元々潜伏している者が十四人おります」
「予定通りなら明日の夕刻にはアルベルト達が帰ってくるだろう。ワシは一度奴らの顔を見てから、アルベルトを連れてアルネリアに戻る。一つやっておきたいこともあるしの。念のため、ワシの手元に三人残せ。後の連中には探ってもらいたいことがある。潜伏中の連中は現状維持でよい」
「御意に」
てきぱきと指示をするミリアザールに、梔子が一礼する。
「ワシは宿に帰る。何か新しい報告があれば今聞いておこう」
「は、では。まず七日ほど前に、西方オリュンパス教会の中で何らかの動きがあった模様です。具体的には一両日中には報告ができるかと」
「オリュンパスが? 大人しくしておったと思ったが、またこちらにちょっかいをかけてくるつもりかの。奴らに動かれると何かと面倒じゃ。報告が上がり次第、夜中でもよいから伝えよ。先手を打っておきたいからの。他には?」
「この大陸各地で新たに確認された魔王ですが、この一ヶ月で既に七体を超えました。内五体までは今回アノルン殿が狩った個体も含め、消滅が確認されています。後の二体は未確認ですが、片方は大魔王級の可能性があるとの報告が先ほどありました。その出現地点、西方連合の諸国から、オリュンパスではなく我々に支援を求める動きが見られます」
「情報の信頼性は?」
「西方ですから何とも。ですが、内容の真偽を確認するには時間がかかります」
「対応が後手になると最悪の可能性もあるということか……またぞろ戦争になるか?」
「高い確率で」
梔子の
「西側もここのところ、落ち着いてきておったのじゃがな。ここで遠征軍などを組織して、オリュンパスに揉める口実を与えるのも癪じゃが、オリュンパスが戦準備をしておるとなれば何の対策をせぬのも迂闊よの。
なればここに潜伏中の連中を使い、各地区の教会に遠征軍の可能性を伝達。詳細は追って伝えると言え。同時に傭兵ギルドを使って、高名な傭兵団を先んじて動かすがいい。『黒い鷹』に情報が行き届くほど、盛大に知らせてよかろう。上手くいけば遠征軍を出す前に、傭兵共が魔王を片付けるじゃろう。あと、東方の大陸にも使いを出す。状況によってはワシが直接出向こう」
「御意」
「念のため魔術協会にも連絡しておくかな。オリュンパスに対する牽制にもなるじゃろうし……まあ、『あやつ』なら既に知っておろうが」
「他に御用は」
「もうよい、行け……あ、そうじゃ。先ほど菓子を食い損ねてな、小腹が減っておる。その辺の露店で適当なものを買って、ワシの寝室まで届けておいてくれ」
「……夜のお菓子は太りますし、虫歯にもなります。ちゃんと歯を磨いてから寝てくださいませ、ミリアザール様」
「ほっとけ! ってもうおらんわ!!」
足音もなく梔子は消えた。入れ替わりに他の口無しがやってきて後始末を始めていた。その手際は極めてよく、義務的に死体を処理していく。
「なんでワシの周りはミランダといい、代々のラザール家といい、世話焼きが多いかのぅ。ワシはお子ちゃまか?」
ミリアザールの嗜好と今の容姿はお子様なのだと、代々の責任者がここにいれば口をそろえたであろう。ともあれ、彼女がややむくれながらも部屋に戻ると既に駄菓子が置いてある。流石に仕事が早い女だ。
「適当とは言ったが、よりによって綿菓子か! 太るだのどうだの言った割には、重い物を準備しよってからに。飴玉一個くらいでよかったのじゃが。以前から綿菓子はやめいと言うておるのに、付き合いが長いくせにもう忘れよったのか梔子め……」
事情を知る初代の梔子であれば、決してこのようなことはしなかったであろう。瞬間ミリアザールの顔が
「ミランダ、そなたのことを覚えておる者がまだいるというだけで、ワシはそなたが羨ましい」
傍仕えも含め誰もいない部屋で大粒の涙が一筋、ミリアザールの頬を伝っていた。
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