第21話 アノルンの告白②
***
「アタシね、山間の
アノルンがふと遠い目をする。
「族長の孫でね。村じゃ『お嬢様』なんて呼ばれてた。アタシがだよ?」
はは、と自嘲的に乾いた笑いを漏らすアノルン。
「アタシの村では色んな薬を開発してた。治療に使う薬が中心だったけど、他にも爆弾みたいなものを作る奴もいたし、毒薬なんてのもいた。一番有名なのが
「エリクサーってあの、腐った死人も甦らせるってやつ?」
アルフィリースの言葉に、アノルンがくすりと笑う。
「流石に腐った死人は無理だけど。でも、どんな重態、不治の病でもほぼ一発で回復できたね。あれを一瓶飲ませて治らない病、怪我なんて見たことがなかった。しかも効果は種族によらないしね」
「確かすごい希少価値の高い薬よね? 今エリクサーを求めようと思ったら、小さな国が一つ買えるって、本で見たことがあるわ」
「今はそのぐらいするらしいね。けど出回っているほとんどは劣化品で効果は不十分だし、真性のエリクサーの作り方を知ってるのは、もう世界でアタシだけでしょうよ」
「アノルン、作れるの!?」
「ちっとはアタシの凄さがわかったかい?」
そんなものを作れなくてもアノルンを色々な意味ですごいと思っているアルフィリースだったが、それは口にしないでおいた。
「ただ材料がもう揃わないさ。アレは材料をとってくる奴らがいての話だからね。と、話がそれたか」
アノルンが頭をぽりぽりとかいて話を続ける。
「で、アタシの村では薬を開発してナンボだからね。一人前の証もどのくらいの薬を作れるかで判断されるのさ。逆に言うと、薬すら作れない奴は何歳になっても一人前として認めてもらえない。
アタシも七歳で自分の工房を与えられて、色々と研究してた。血筋なのか才能はあったし、色んな新薬の開発にも成功していたんだ。んで十三の時かな? ばあちゃんが倒れてね。悪いところがわからなくてばあちゃん自身はは寿命だって言ってたんだけど、アタシは納得できなくて。エリクサーは自分達に使うことは禁止されていたし、馬鹿なことに、寿命を延ばす研究なんてのを始めたんだ。まさに子供の発想だろう?」
「そんなことは――」
何かを言いかけるアルフィリースをアノルンは手で制する。
「いいのよ。それでアタシは工房に何カ月も引き籠ってた。自給自足できる工房だったから、外に出る必要なんてなかったんだ。それで不思議なもんでね、寿命がちょっと伸びる薬が本当にできちまったんだよ。アタシは嬉しくって、すぐばあちゃんに飲ませようと薬を持って外に出た。そしたらね」
アノルンがふと暗い目をした。
「みんな――殺されてたんだ」
「な、なんで!? 誰に?」
「わかんない」
アノルンが首を振った。
「アタシ達の薬は金の成る木だった。戦争でも大量に使われたし、そりゃ敵も味方も多いのは知ってたけど、多すぎてわかんなかった。アタシはまだ子供扱いされてて詳しい話は知らなかったし。お笑い草さ。寿命を延ばす薬を研究してる工房の上で、皆殺されてたんだから。皆が殺されて怒りもしたけど、それ以上にアタシは怖くなっちまってね。素材を集める連中には相当強い仲間もいたのに、そいつらまで全滅していた。助けを求めようにも世界中が敵に思えて――村の外に知り合いもいなかったし、恥ずかしいことに工房に引き籠っちまったんだ」
「工房に?」
「うん。工房は一人で困らないほど広かったし、光る植物の性質を使って昼夜も作れた。食料にも年中困らなかったし、水も十分。アタシの工房は地中深くて見つからなかったし、唯一安全なように思えたのさ。それでそのうち、『みんな生き返らせればいいんだ』って思い始めてた。どこかおかしくなってたんだろうね」
淡々とアノルンは語り続ける。
「それからどのくらい時間が経ったかもわかんなかった。色んな薬を作っては、自分で試してね。時に毒薬みたいなのも作っちゃって死にかけた時もあったな。そのまま死ねればって思ったけど、アタシは案外しぶとくてね。ある時、材料の植物をとりに別の部屋に行ったらさ、植物が枯れてたんだ。確か寿命が三十年くらいのやつ。それで『そんなに時間が経ったんだ。アタシいつの間にかおばちゃんだぁ』って思って鏡を覗いてみたんだ。そういや工房に籠って誰とも会わないし、一回も自分の顔をまともに見てないと気付いてね。さぞかしひどい顔になっただろうから爆笑できるかと思ったんだけど、アタシの顔はどうみても二十そこそこのものだった」
アルフィリースには言葉もない。
「最初はわけがわかんなくてね。アタシって四十を超えてもこんな顔してんだって思ったけど、
「……」
「ああ、死んだ。これで家族や皆のところに逝けるって。アタシの人生つまんなかったな、でもどこか安心できたってくらいだった。ところが、しばらくするとアタシは傷一つ無い状態で目が覚めた。服はぼろきれ状態で、工房の中も滅茶苦茶なのに。それで気が付いたんだ。アタシは不老不死になってたんだって、だから皺ひとつないんだってね」
「どうして……そんなことに」
「アタシもわかんない。色んな薬を片っ端から試したからどれか一つがそうだったのか、順番が大事だったのか。なんせ爆発のせいで研究成果も燃えちゃったから検証もできなくて。細かい製法が思い出せない薬もたくさんあるのよね。あ、でも不老不死って言っても魔術で無理に動かすアンデッドじゃないから、首が切れたら機能的に動けなくなるし、飢餓状態でも駄目。凍っても動けないから同じかな。不老不死っていっても一口に沢山あるけど、アタシの不老不死は、『人生で一番良い時の状態に戻る』っていうのが正しいのかもしれない。それにお腹も人並みに空くし、睡眠もとらないと力が出ない。意外と不便な不老不死なのね。でも不老不死なんてまっぴらごめんだと思ってとりあえず色々やって死のうとしたけど、燃焼性の爆弾飲み込んでの自殺が無理だった時点で死ぬのは諦めた。酸の壺に飛びこむ手もあったけど、再生と融解を永遠に繰り返すことになったら、苦が痛終わらないだけになるしね。そんな被虐趣味はないのさ」
「そんなことまで」
アルフィリースは悲しそうな顔をした。明るいアノルン――少なくともアルフィリースはそう思っているのだが――がそこまでやるとは、余程人生に絶望していたのだろうことは容易に想像がついた。
「他にも色々やろうと思えばできたけど、もうこれは『生きろ』って言われているのと同じなんだって思うことにしたわ。研究のための施設も大部分が破損してもうまともな研究もできなかったし、素材も寿命で半分くらい枯れてたし。ちょっと外の世界にも興味が湧いてきて、村に残っていた使えそうなものを引っ掻き集めて旅に出たのさ。もう何十年も経っていたから、さすがにアタシがあの村の生き残りだなんてばれないと思ってね」
「……」
「で、生活のために傭兵を始めたのさ。傭兵は身分や出自を細かく問われないし、護身術くらいは身につけてたからなんとかなるかってくらいの軽い気持ちでね。不死身になって気も大きくなってたし、実力の伴わない不老不死の恐ろしさは、その時はわからなかった。まあ完全に人生を舐めてたけど、最初の頃のアンタと同じさ、アルフィ」
「同じ?」
首を傾げるアルフィリースに、アノルンがちょっと小馬鹿にしたように話す。
「カモがネギしょって歩いてるってやつさ」
「ひどい!」
「ま、でも実際そのとおりさね。女一人の冒険者のくせして、町に入っていきなり『一晩泊れるところはどこですか?』なんて通りすがりの男に聞いちまうんだから。その後、アタシがどんな目に遭ったか、わかるだろ?」
「……それは」
アノルンはあえて語らなかったが、どういう意味かはアルフィリースには容易に想像がついた。アルフィリースも旅先で話かけた男に親切なふりをして酒をしこたま飲まされ、危険な目に遭った記憶がある。
その際にたまたまアノルンに助けられ、それがきっかけでアノルンと知り合ったわけだが、その時誰の助けもなければどうなったのか。きっとアノルンの時は誰の助けも来なかったのだろうし、それが当然なのだとアルフィリースは知っている。
「だから最初にアンタを見た時他人の気がしなかったのさ。最初の頃のアタシそのまんまだと思ってね。アタシは痛い目をいっぱい見て、いっぱい色んなことを知ったけど、良い経験とはお世辞にも言えなかった。年頃の女として、アンタには同じ経験をして欲しくなかったんだ」
「アノルン……」
「そんな辛気臭い顔しないでよ。おかげでアタシは強くなった。鍛錬も限界までしたし、する気になった。汚いことも沢山やった。人を騙しても平気になった。人間は利用し利用されるもんだって、利用される奴は馬鹿なんだって本気で思ってた。もちろん気のいい奴らもいっぱいいたよ? アタシに良くしてくれて、すごく平穏に過ごせた場所もあったけど、それでも一か所には長く留まれなかった。アタシは老いもしないし、怪我も病気もしない。何年も姿形が変わらないと、段々周りに不気味がられる。化け物呼ばわりされたこともあったな……そんな時ある人達に会ったのさ」
アノルンの目が急に優しくなった。
「もう百五十年近く前かな? 当時は大戦期で征伐された強力な魔王の生き残りがまだいる時期でね。人間達の争いも始まっていて色々手も回らないことも多かったから、その間を縫うように勢力を広げてきた魔王が丁度台頭した時期だった。歴史的には小物なのかもしれないけど、人間の戦争も相まって世の中が荒んでた。そんな中で、魔物討伐を割安で引き受けてる連中がいたのさ。俗に言う勇者様御一行ってやつだ。勇者、格闘家、シスター、魔術士の組み合わせでね、ベッタベタだろ? 最初は『バッカじゃないの?』って思ってつっかかってた。本来なら勇者に喧嘩を売るなんて自殺行為だけど、いざこざがあって結局戦う羽目になった」
「……それで?」
「見事にコテンパンにされたよ。仲間も強かったけど、特に勇者の強さは別格だった。ギルドで勇者に認定されるための条件なんて気にしたこともなかったし。勇者って人種がいかに別格か、わかっていなかったのさ。アタシなんか片手でひねられちゃったよ。」
「ウソ?」
オークの群れを無傷で追い返すアノルンを片手でひねるとは、いったいどれほどの戦士なのか。アルフィリースには想像もできなかったが、アノルンもまた自分でも信じられなかったことを表すように、肩を竦めておどけてみせた。
「嘘みたいな本当の話さ。さすがに各国の推薦を受けて、勇者認定されるだけのことはあったようだね。アタシ自身が一番信じられなかったけど、もっと信じられなかったのはその後さ。勇者の奴、なんてアタシに言ったと思う?」
「なんて言ったの?」
「『私の仲間になってください、私には貴女の力が必要です。一緒に世界を救いましょう!』ってね。なんて阿呆で暑苦しくて鬱陶しい奴だって思ったさ。小悪党の親玉みたいなアタシのどこを見てるんだ、ってね。それだけ強かったら別にアタシの力もいらないはずなのにさ、より多くを救うのに薬が使える私の力が必要なんだってさ。でも他にやることもなかったし、どこで化けの皮が剥がれるか見てみたくて、ついていくことにした」
アルフィリースがふふっ、と笑う。
「なによぉ?」
「だってアノルン、ひねくれてるなって」
「しょうがないでしょ、本当のことなんだから。でね、色んなところに行って色んな冒険をしたの」
アノルンは楽しそうに語りだす。今までの様子とはうって変わった。
「あの頃は本当に楽しかった。最初は馬鹿にしてたアタシだけど、その勇者は本当に聖人みたいな奴だった。誰にも見返りを求めずに戦い続け、そしてどんな苦境でも常に乗り越えてみせた。なのに全然威張らなくてね。子どもの喧嘩を止めにいって、自分が殴られて帰ってくるような男だった。でも本当に強い男はこういうやつなんだって思ったわ。仲間も気のいい奴らだった。シスターとしての振る舞いも、あの時の仲間が参考だわ。元アルネリアのシスターだったはずなんだけど、勇者の思想に同意して仲間になったとか。魔術士も、格闘家も同じ理由だった。そのうち、アタシは知らないうちに勇者のことを好きになってた」
「……」
「どんなにアプローチしても全く気付く素振りもないから、ある日ね、寝室に夜這いをかけに行ったわ」
「――どうなったか、聞いてもいいのかしら」
「ええ。ベッドで寝てる彼の目の前に、布切れ一枚纏わず立って誘惑してやったわ。そしたら彼、なんて言ったと思う? 『い、いけません! 私と貴女は恋人同士ではありませんから、そういうことはいけないと思います! は、早く服を着てくださいっ!』ってね。アタシ我慢できなくて爆笑しちゃった!」
「それはいくらなんでもひどくない? 自分から仕掛けといて」
良い話を期待していたアルフィリースは少し呆れかえる。
「だっていい年した大人のくせに、あんまりにも顔を真っ赤にして、女の子の裸を初めて見た少年みたいな反応なんだもん! 思わず『じゃあ、アタシが恋人だったらいいの?』って聞いちゃった。そしたらしばらく固まった後、『私みたいな取るに足らない人間が、貴女のような美しい魂の方の傍にいてもよいのであれば』って言ったのよ! 容姿を褒められたことは何度もあったけど、心の内を見てくれたのは彼が初めてだったかもしれない。こんな小悪党にしか見えない女の、どこが綺麗なのかもわからないけどね。でもその時、一生ついていこうって思ったわ。不思議なことに、褒められるとそのつもりになっちゃうのね。私も自然と清く正しい行いってやつ? を馬鹿にせず、素直に人に手を差し伸べられるようになっていったの」
アノルンが少女のように顔を赤くしながら話す。本当に彼のことを好きだったことが、痛いくら
いアルフィリースに伝わってきた。
「それからちゃんと恋人になって――色々あったけど、しばらくして彼が『私と結婚してくれませんか?』ってプロポーズしてきたわ。でもアタシは断ってしまった。なんていったって不老不死だしね。旅の最中では誤魔化していたけど、結婚すればいずれそれがわかってしまう。不老不死がばれると、今の関係が壊れてしまいそうで怖くて真実を言えなかった。アタシは今の幸せを壊したくなかったんだろうけど、そもそもの間違いだったんだろうな。でも、彼は非常に我慢強かったわ。アタシはてっきり捨てられると思ったんだけど、『結婚が嫌なら無理にとは言いません。でも私は貴女とずっと一緒にいたい』なんて言うの。『じゃあ勇者の仕事を辞められる!?』なんて駄々こねたのに、即答で『貴女がそう望むのなら』って言われたわ……」
「……」
「そこまで言われたらアタシも断れなくて。っていうより純粋に嬉しかったな。それから半年くらい二人っきりで暮らしてみた。辺境の、彼を勇者だと知らないような場所で。当然諸国やギルドは大騒ぎになったけど、最終的には仲間のおかげでしばらくは平和だったわ。彼は近くの村で教師や護衛の真似事を始めて、私は田畑を耕しながら彼の帰りを毎日待った。七日に一回は休みをとって二人で色んなところに出かけて、毎日沢山愛してもらった。アタシの人生で最高のひと時。でも同時に深い絶望もあった。アタシは、自分が子供を産めない体であることに気付いてしまった」
アノルンの瞳が曇っていく。
「本当は結婚を受け入れるつもりだったわ。でも結婚するより先にそのことに気が付いてしまって……不老不死の代償のようなものでしょうね。アタシは半年経っても真実を告げることができなかった。それでも彼はいつでも微笑んでいて、それが逆に段々つらくなっていった。そんな時よ、久しぶりに魔王討伐の依頼が来たのは。最初は難色を示したけど、仲間達も押し寄せてきてね。どうやら相当強力な魔王だったらしく、既にいくつかの王国が滅ぼされ、近隣一帯で最強と言われた騎士団が敗北していたわ。それで残党を集めて反攻作戦を行うから、それに参加して欲しいって言われたの」
「行ったの?」
「ええ、彼は断りきれなかった。だって彼の生まれ故郷も巻き込まれていたからね。でもそれが既に魔王の罠だった。結果的にアタシ達は、自分達の仲間だけで魔王の本拠地に突っ込むことになったわ」
「そんな無茶な!」
アルフィリースは思わず叫んだが、アノルンは目を閉じて動じない。当時の彼女は、アルフィリースと同じセリフを叫んだことを思い出す。
「そうね、普通に考えれば無茶だけど、アタシ達は負けるつもりなんて微塵もなかったわ。中では数えるのも億劫なくらいの魔物が待ち構えていたけど、アタシ達は次々と撃破していった。魔王にとってもアタシ達の強さは誤算だったでしょうね。でもアタシ達も魔王を舐めていた。まさか魔王が複数いるなんて考えてもいなかったから」
「魔王が、複数?」
「ええ、全部で六体。どれもさっき戦った気色悪い奴前後の強さ。その時は勇者のあまりの強さに、一部の魔王達が危険を感じて一時的に手を結んでいたみたい。それでも魔王達を次々倒したけども、仲間達も次々と倒れていったわ。そして最後はアタシと彼と、魔王二体との戦いになった」
「……」
「アタシは完全に足手まといになるくらい、高次元の戦いだったわ。当時は光属性の魔術も使えなかったし、手持ちの道具が尽きてからは眺めているしかなかった。だから一対二のはずなのに、それでも彼は優勢に戦いを進めていた。その時、魔王が卑怯な手を使ってきてアタシ達は不意をつかれたわ。アタシは彼をかばおうとしたけど、一瞬、自分の不死を知られたくないという気持ちがアタシの動きを邪魔したの」
アノルンの瞳が一層暗く、深く沈んでいく。
「でも彼は――彼はなんの躊躇もなくアタシをかばって死んだわ。しかも、今際の言葉が『貴女を最後まで守れなくてすみません』よ!? アタシは守られなくても死ぬことはないし、アタシの方が彼を守るべきだったのに!」
目に涙を浮かべるアノルンに、アルフィリースにはかける言葉を持っていなかった。
「その魔王はきっちりアタシが仕留めたわ。跡形もなく、ね。原型も残らないほど、生きたまま粉々にしてやった。不老不死って便利でね、痛みさえ無視できれば大抵のことはできるの。結局不老不死を仲間にも告げられなかったアタシの弱さが、最後まで仇になったのよ。その後私は
「アルベルトの先祖ね?」
「ええ。お堅い職業のくせに、勇者とはうってかわって軽薄な奴でね。会うなり尻を触られたのを覚えているわ。手加減なくひっぱたいて、いえ、顔の形が変わるくらいボコボコにしてやったけど、翌日何もなかったように、今度は胸を揉みしだいてきたわ。あなたのことを愛しています、一目惚れですなんて言うくせに、平気で他の女にもちょっかいだすし。鬱陶しいばっかりで、顔を見るたび腹が立ったわ。でも、不思議なのよ。いなけりゃいないで、なんだか物足りなかった。アタシのことを本当に好きなのかしらと思い始めた頃、ある日突然他の女と結婚したわ。その時アイツ、なんてアタシに行ったと思う? 『いやー、ゴメン! 君に飽きちゃった!!』って言ったのよ? 全力で殴り飛ばして、前から話が来ていた巡礼の任務にそのまま就いたわ。旅の中でもアイツのことを思い出すたび腹が立って、苛々したわ。でもなぜか巡礼の任務を行う百十八年もの間、一度たりともその顔を忘れることはなかった。どこかでその態度が引っ掛かっていたのだと思うけど、理由はさっきはっきりとわかったけどね」
アルフィリースはアノルンをみつめながら話を聞いている。ふと、アノルンがカタカタと震え始めた。
「さっきアルベルトに彼の手記を見せてもらったわ――彼の手記には『我が人生でただ一人、心から愛する女性に捧ぐ』と書かれていた。一目見た時からアタシに心奪われたこと。アタシの姿が助けを求めているように見えたこと。どれほど戦場で死にかけても、アタシの顔を思い出すたびに生きる気力が湧いたこと。アタシが寂しそうな顔をするたびに、何もできない自分に腹が立ったこと。アタシが寂しい顔をしないように、自分は嫌われてでも、いつもアタシの気を紛らわそうとしていたこと。自分ではアタシの悲しみを紛らわせることができず、力不足を嘆いていたこと。自分は子孫を残す義務があったため、アタシが子供ができない体だと知った時に別の女性を選ぶしかなかったこと。そして自分の妻や愛妾達に、心から愛していると言えなかったことを詫びていた――アタシは、アタシは――」
ついに、アノルンの瞳から大粒の涙がこぼれ始めた。
「アタシは何もわかってなかった! 彼の心遣いも、彼の苦しみも、アタシが本当は彼を愛しく思っていたことすら!! 彼の顔を思い出すと、いつも、いつも、笑顔なの! アタシの前ではどんなに自分が苦しくても、どんな傷を負っていても、常に一番にアタシを案じて、苦しい素振りすら見せなかった! なのに、なのにアタシは、二年近くも顔を突き合わせていて、彼に優しい言葉一つもかけずに、挙句の果てに『お前の顔なんか二度と見たくない!』って言ったのよ!? な、なんて、なんてひど、い――ひどいことを――」
アノルンの頬を伝う涙が止まらない。さぞかし自分は見れたものではない顔をしていることだろうとアノルンは思うが、涙が止まらない。止める気にもならなかった。
「(今彼が死んだことが、初めて心から悲しい。ずっとアタシは周りにも自分にも嘘をついて……そしてこんなひどい人間のアタシを、アルフィは軽蔑するだろうな。でも、しょうがないよね)」
と、ふわりとアルフィリースがアノルンを抱きしめてきた。
「アル、フィ……?」
アルフィリースがアノルンを抱きしめる手に力を込めてくる。
「もう、我慢しなくていいんだよ……ね、アノルン?」
「アタシ、我慢しなくて――いいの?」
「人間はこういう時くらい泣いてもいいんじゃないかな?」
「アタシ人間じゃ――」
「人間だし、私の友達だよ?」
「……う……うわああああぁぁん!」
もう自分の顔がどうなっているかとか、何を叫んでいるのかもアノルンにはわからなかったが――でも気が済むまで彼女は泣きたかった。今はただ、こうやって傍にいてくれる友達の前で。こんな風に泣いたのは、一体いつ以来だったのか、アノルンには思い出すことはできなかった。
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