第19話 魔王討伐③
***
「くっ、ふっ!」
魔王の突き出す手をかいくぐりながら、必死に間合をとるアルフィリース。彼女はリサとは別々の方向に逃げながら矢を射かけている。リサは身軽とはいえやはり盲目なので、あまり切羽詰まった状況で逃がすのは危ないとアルフィリースが判断した上での行動だ。
そのためリサには目的地まで一直線に走るように指示しておいて、アルフィリースはジグザグに走りながら魔王の注意を引いていた。そしてアルフィリースが危機に陥りそうになるたびに、リサが
魔王には目が沢山あるゆえか、リサが気配を飛ばす度に反応して目を向けるため、アルフィリースへの注意が一瞬それる。それを利用して二人は距離を保ち続けていた。即席にしては良い連携といえるほど、二人の息は合っている。昨日二人で歩きながらの相談がなければ、この連携は不可能だったろう。リサの能力が優れており、足場の悪い森でさえ正確に走れることが、二人の連携を可能にしていた。
アルフィリースの脚は決して速くはないが、魔王との間に樹を常におき、遮蔽物とすることで攻撃を当たりにくくしていた。対する魔王は腕を細く、長くすることで樹の外を回り込むようにアルフィリースを掴もうとしていたが、細くなった腕ならばアルフィリースにも剣で斬り飛ばすことは可能である。
「この程度!」
単調な攻撃だ――と思っていたら、木々の細い間をぬって、枯れ木の様に擬態し細くした魔王の腕が三本同時に伸びてきていた。
「うわあっ!?」
「アルフィ、後ろにもう一本!」
アルフィリースが腕をまとめて三本落としながら、リサの叫び声に反応して身を翻し、背後から伸びる腕も剣で落とした。攻撃すると腕はまたするすると魔王に戻り、アルフィリースはふぅと安堵の息を吐きながらも、再度走り出す。
「(よし、このまま……いい調子だわ!)」
アルフィリースの目論見通り、やや開けた目的の場所が見えてきた。残り三分の一もないくらいか。リサは既にその手前まで到達している。
と、突然魔王の目が一斉にリサの方に向き直った。
「な、なんで?」
魔王もこのままでは
「リサ、逃げて!」
魔王が跳ぶようにして前方に突進してゆく。そして空中でリサに向かって酸を吐き出した。
リサの方もその動きを察知したのか、距離を一定に保つ動きをやめて広場に向かって全力で走り出しており、前に飛び込むようにして転げまわって逃げた。酸はぎりぎり回避したが、足をとられて立ち上がるのに時間がかかる。時間にして深呼吸を一度終える程度のわずかな間だったろうが、リサが立ち上がった時にはほんの二十歩程度の位置にまで魔王に追いつかれていた。
「目的地まであと少しなのに――リサッ!」
アルフィリースは矢を射ようとするが、リサが手を上げてアルフィリースを制する。自分でどうにかする気なのだろう。
確かに魔王の背後にいるアルフィリースに魔王が再度突進してきたら、彼女はそれこそ危機に陥り、誘導も台無しになる可能性がある。
「だからって!」
そんなアルフィリースの心配をよそに、リサは冷静だった。魔王と面と向かっているのに呼吸もほとんど乱れていない。大した肝の据わりっぷりである。魔王もじりじりと距離を詰めるが、一気には仕掛けない。リサも魔王の動きに合わせてじりじりと下がる。あと十五歩、十歩――五歩。
ここで魔王が動いた。手を使ってリサを捕まえにいくが、リサはひらりと飛んで避ける。だが行く手には木があり、さらに魔王もこの動きを予測したか、リサが跳んだ方向に酸を吐き出す。それでもリサは冷静だった。
「感知済みです」
と言って、自分のローブを使って酸を防ぐと同時に、一瞬魔王の視界から自分を隠す。さらにローブを脱ぎ捨て、木を上手く蹴って一気に距離を稼いだ。
目前の獲物を捕まえ損ね、苛立った魔王が奇声と共に突進してくる。そして広場にリサと魔王が入った瞬間――
「リサ! 横に跳べっ!」
アノルンの鋭い声と共に、周囲一面が光に包まれた。
「こ、これは
爆発の代わりに閃光を発生させることで、相手の視界を奪うためのものだ。主に相手を生け捕りにしたい時に用いられるが、ここまで光の強い爆弾をアルフィリースは知らなかった。アノルンが昨晩手を加えたのだろう。打ち合わせでは軽く説明を受けていたから反応が間に合ったが、危うく視界を奪われるところだった。
そして、そんな爆弾のことなど知らない魔王の動きが止まった。目が多いだけに、効果も抜群である。その隙を利用してアノルンが対魔物の光魔術を行使する。
『我、光の主に仕える従順なる僕にして、主の法の執行者なり。今まさに悪しき魂を捕えて、主の御手に委ねんとす。ここに汝が奇跡の片鱗を示さん――
光が捕縛網のように編み込まれ、魔王を絡め捕る。アルフィリースが書物で知る限り、相当な高位魔術のはずだ。アノルンが司祭に見合う実力を備えていることは、間違いなかった。
自由を失った魔王が光の網の中でもがきまわるが、さしもの怪力をもってしても魔術の鎖は簡単にはずれるものではない。
「いけぇ、アルベルト!」
「ォオオ!」
間髪いれずアルベルトが斬りかかる。最初の一振りで魔王の片側の腕を一斉に斬り払った。そしてできた空間を利用しながら回転し、バランスを失って倒れてくる魔王を渾身の一撃で斬り上げる。
「ムン!」
アルベルトが振り上げた剣は、そのまま見事に胴体を輪切りにした。流石の魔王も成すべなく、ズズン、と音を立てながら二つに割れて倒れ込んだ。魔王が倒れ込むと同時に切り口からは血が噴水のように噴き出し、そして開いていた口や目が徐々に閉じていき、手も溶けるように腐り落ちた。
その光景を見届けたアルフィリースは、リサに駆け寄った。
「リサ! 平気!?」
「大丈夫ですアルフィ。ちょっと擦りむいたくらいです。魔王の動きが止まったのは、アノルンが?」
「光爆弾ってやつみたい。目が沢山あるのも弱点だったね。それよりごめんね、引きつけきれなくて……」
「お気になさらず。後退する過程のうち、あと数歩以外を引き受けてくれたのです。状況によっては半分くらいをリサがやることを覚悟していましたが、どうやらリサの脚では数十歩も逃げ切ることは無理だったでしょうね。もう少し走る訓練もしておくべきだったのでしょうが、デカ女にしては上出来です」
「もう、口の減らない子ね」
アルフィリースはリサの頭をコツンとやろうとするが、リサはひょいっ、と避けた。もう一発やろうとしたが、また避ける。今度はフェイント込みの連続で繰り出してみたが、全部避けられた。
「……か、可愛くない!」
「感知済みです」
リサがふふっ、と微笑む。
「(ちょっとは打ち解けた、かな)」
可愛げのない態度はあるが、一連の戦いを通して、アルフィリースは少しリサとの距離が縮まったような気がしていた。
***
「やったのでしょうか?」
「どうだろう? でも再生する可能性も否定できないから、とっとと跡形もなく燃やした方がいい」
「生態調査はよろしいのですか?」
「そんな余裕をかませるほどの戦力差じゃないさ。もし復活でもしようものなら、今度は犠牲を覚悟しなきゃならない。こんな奴はとっとと燃やすに限る」
「ではその準備を」
アノルンとアルベルトが、動かなくなった魔王の体を観察していた。体を真っ二つにしたからといって死んだとは限らないが、少なくとも今は動く気配が無い。ならば今のうちに完全に燃やしたほうがいいと、アノルンがアルベルトとアルフィリースに指示をした。アルネリア教会は動く
アルベルトが斬りかかるのに邪魔であった荷物は、木陰に置いてある。アルベルトとアルフィリースがその中にある燃料をとりにいこうと、魔王に背を向けたその時、
「! まだです! ボケっとしないで、アルフィ!!」
魔王の死骸があるはずの方向から、杭のような何かがアルフィリース目がけて何本も飛んでくる。
アルフィリースは魔王の間合いの外であると考え完全に虚を突かれており、振り返る前に避けるという反応ができなかった。
アルベルトも自分の身を守ることで精一杯。リサがアルフィリースをかばおうと抱きついてきたが、軽量なリサではアルフィリースを押し倒すのが間に合わない。そして――
ドン! ドドン! ドン!!
明らかに肉と骨を貫く音が、鈍く響き渡る。だがアルフィリースに痛みはなく、おそるおそる彼女が目を開けると――
「う、嘘……」
目の前にはアノルンがアルフィリース達をかばうように、彼女達の方を向いて立っていた。その体中から何かが突き出ている。
「――アノルンって、こんな装備付けてたっけ?」
「――怪我してない? アンタ達」
「アノルン!」
リサの一言で我にかえるアルフィリース。ぐらりと倒れかかるアノルンを抱えるが、アノルンの口から血が吹き出ている。
「ド、ジったぁ……うぶっ」
さらに大量の血をアノルンは吐き出している。
「アノルン、アノルン! な、なんてこと、血が止まりません。アルフィ、何をぼやっとしてるんです! 血止めを!!」
「なんで、アノルンの胸からこんなのが突き出てるの??」
体を何本かの黒い杭のようなものが貫いているが、心臓の位置からも杭が突き出ている。一目で致命傷なのがわかる位置。これでは助からない。
まるで現実感のない光景をアルフィリースは頭のどこかで冷静に分析しているが、リサは完全に
「なんでもいいから血を止めるものを早く!」
「これってさぁ……致命傷、だよね?」
「アルフィー!!」
「なんで……あんなに強いアノルンが、なんで……」
「脈が――脈が急激に弱くなってる。こ、これでは……」
リサが懸命にアノルンに呼びかけているが、遠い世界の出来事のように声が遠ざかり、アルフィリースの目の前が真っ暗になっていった。アルベルトが剣を構えなおした姿がぼうっと見えるが、まるで夢の中の出来事のようだ。
「(アルベルト――いったい、何に剣を向けてるの??)」
そのアルベルトの剣が向いた先では――
魔王が再生を始めていた。いや、再生ではなく分裂だ。輪切りにした二つの柱から、中身である何か肉のようなモノがそれぞれ這いずり出し、人型に変形していく。
片方は顔らしき部分に大きい一つの目が。もう片方は全身に小さい目が浮き出てきている。そして共通するのは体の正中に大きな口が縦に開いていること。さらに手がそれぞれ五本と六本。手の先に指はなく、爪のようなものが不規則に生えている。今生まれたかのように彼らは身震いし、躰の動きを確認する。そしてそれらの目がアルフィリース達を認識すると、ケタケタと笑い始めた。分裂した魔王達の様子を見て、アルベルトが再び殺気を
「アルフィリース殿、一度撤退を! シスターを連れて早く! ここは私が時間を稼ぎます!」
「――どいてよ、アルベルト」
「アルフィリース殿!」
「私は、どけと言ったわ!!」
瞬間、自分を上回る凄まじい殺気をアルベルトは自分の背後から感じ、思わず身が
そのアルベルトが一歩も動くどころか、振り返ることもできずにいた。そしてその横をアルフィリースが悠然と歩いて前に出る。
「お前達が、アノルンをやったのか?」
聞いたこともないような暗く威圧的な声で発するその問いに、答えることなくケタケタと笑い続ける魔王達。
「……その
アルフィリースが叫ぶと、一帯の大気がざわりと震えた。流石の魔王達も変化を感じ取ったのか、笑いを止めて、アルフィリースの方をぎろりと睨んだ。その魔王達をさらに睨み返すアルフィリース。
「真っ二つにしても死なないのね――わかったわ、跡形もなく消し飛ばしてあげる」
アルフィリースの感情に呼応するように右腕の手甲が千切れ、邪魔な袖を燃えるようにどかして服の下の呪印が姿を表した。その呪印はまるで生き物のように
人間の体にそのような黒い
『
その一言で右腕の文字が空中に浮き出てくる。
『我と誓約を結びし古の封印よ、我が血肉と魂を代償にさらなる力を我に授けん。汝が誓約の主はアルフィリース。その因果と律により、我が敵の全てを
そして空中で組み換わり、再びアルフィリースの右腕に戻っていく。するとアルフィリースの体から、可視化できるほどの魔力が
アルフィリースの体からは蒸気の様な
放出する量が多すぎるがゆえに、まるで蒸気を彼女が全身から噴出し続けているようだった。また色も一定ではなく、光の加減で七色、あるいはさらに多くの色に輝いて見える。量も、質も、あまりに異質。
そのアルフィリースの様子を見て、さすがに魔王達も危険を感じたのか。二体とも顔を見合わせた後にじりじりと後ずさりを始めるが、
「逃げられると思ってるの?」
『
アルフィリースの一声と共に周囲の木々があっという間に伸びてきて、魔王達を絡め取った。魔王達は逃れようともがいて爪で木々を切断するが、後から後から伸びる木々がそれを許さない。アルフィリースの髪色は、見れば黒から深い緑へと一瞬で変化していた。
その驚愕の光景をアルベルトもリサもただ呆然と見守るのみだった。そして、
「再生なんてできないくらい、ズタズタにしてあげるわ」
くくっ、とアルフィリースが不敵に微笑むと、彼女からザワザワとさらに強い風が発生し始めた。アルフィリースを中心として、放射状に草が薙ぎ倒されていく。
『我、風の精霊、ティフォエウスに伏して願い奉る』
今度は一段と強い風が外から巻き戻るように、アルフィリースの周囲に集まっていく。同時に、髪色は薄い緑へと染まる。
『我が掌に集いし風の精霊に汝の加護を与え給え。其が力を用いて我が眼前の者どもを大気の獄中に掌握せしめん――
瞬間、風で構成された人間大の巨大な手が浮き上がってきた。しかも一つではなく、次々と周囲に同様の大きさの手が浮き上がり、四方八方から魔王達に襲いかかった。
「ギィアァァァァァァァァ!」
魔王達の体と悲鳴が巨大な風の塊に握り潰されるように、骨も肉も関係なく体をひしゃげさせる。メキメキと嫌な音が響き渡り、肉の塊から血のような何かが噴き出すが、圧倒的な風の奔流が魔王達の絶叫をかき消すと同時に、その血すらも風の牢獄に巻き込んでいった。
だが、圧倒的な回復力を誇る魔王達は、その中ですら体をまだ再生させようとしている。これでも致命傷にならないのか。そのようにアルベルトとリサが考えた時、
『我が血を喰らえ火の精霊』
アルフィリースが次の魔術詠唱に入っていた。彼女の周囲のオーラと髪色はいつの間に赤黒く変色していた。自分の掌を軽く斬り裂き、血を地面に滴らせている。するとその血が沸騰するようにゴボゴボと泡立ち始め、一面に広がっていき、そこから何体もの炎の獣が出てきた。鳥、狼、馬、熊――のような獣達が次々と湧き出てはアルフィリースに挨拶をするように踊り舞う。
『集いし精霊を分けて分けて虚ろなる器に収めて舞い遊ばす。我、舞いし精霊にさらなる贄を捧げん――
その一言と共に舞いでた獣達が一斉に魔王達に振り向き、襲いかかった。そして周囲にある風の魔術の影響を受けて、まるで炎の竜巻のように狂乱した。詠唱名の通り、まさに狂った宴そのもの。
必死に炎を振り払おうとする魔王達だが、振り払った火の粉までもが再び魔王達に襲いかかる。アルフィリースが詠唱したのはただの火の魔術ではなく、対象を焼き尽くすまで消えることのない暗黒魔術を用いて火の魔術を使用したのである。
さすがの魔王達も絶え間なく押し寄せる火と風に飲まれて、もはや絶叫すら聞こえてこない。その光景をアルフィリースはただ何の感情もなく、瞬きすらせずに見つめていた。
そして炎が収まると、後には文字通り塵すら残らなかった。敵を倒したことを確認したアルフィリースが、アノルンの方向をゆっくりと振り返ると、髪色が同時に元の黒に戻っていった。それを見届けたアルベルトが、息をすることを思い出したようにつぶやいた。
「あれは暗黒魔術の炎か……それも、あれほどの規模のものをろくな触媒もなく用いて代償はないとでも……? なんと凄まじい魔術士なのか」
「あ……」
振りかえったアルフィリースは、リサが感知した限り別人のようだった。いつも明るいはずの彼女の表情は無表情だったが、凄絶な殺気と冷徹さ、そして絶望を感じさせた。目の見えないリサでさえ、アルフィリースが今までと違うただならぬ表情をしていることがよくわかった。表情はなくても、目は悲しみに満ちているのがわかる。なのに体から放出される殺気は、まるで収まるところを知らないのだ。
リサが何か声を発しようとするが声にならない。あまりのアルフィリースの魔力と殺気に圧倒されて、腕にアノルンを抱きかかえていることすら忘れてしまっていた。
「(なんと凄まじい魔力。先ほどの魔術はかなり高位の魔術師でも、相当の準備や触媒を必要とするはず。それをたかが少量の血液程度で連発し、あげく最初の一つは詠唱すらしなかった。やはり私が最初にアルフィリースの袖を引いたのは、間違いではなかった!)」
「アルフィリース殿?」
アルベルトがようやく声をかけるが、アルフィリースからは反応がない。それどころか、アルフィリースの足取りがおぼつかない。ふらふらと熱に浮かされるように、揺らいでいる。
「アノルン……助けられなくて……ごめん、ね」
呟きながらアルフィリースはその場で倒れ、気を失ってしまった。
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