第17話 魔王討伐①
ザクッ、ザクッ――
森の中を歩く四人の足音が静かな森に響く。彼らは既にロートの村の目と鼻の先にあるルキアの森に分け入っていた。森としては若い森でさほど深くもないはずだが、人が立ち入ることも少なく、雑草まみれの獣道がかろうじてある程度である。人の手が入らないのは、資源に乏しいと判断されたからだった。
人跡未踏、とまではいかないが、整地された道はなく、背丈が膝くらいの草が生い茂っている森である。
「日差しはそこそこに入ってくるね、木が密生してなくてよかった。視界はまあまあ良好だけど、リサ、どのくらい感知できる?」
「集中した状態でも半径二百歩に届きません、やはり結界の様なものがありますね。現在まで敵らしき気配はありませんが、慎重に進むことをお勧めします」
「うん、やっぱり城じゃないね。一つ安心したけど、足元は思ったよりも見えない。アルフィ、リサに背後は任せたから」
「わかってるわ」
ルキアの森に入ってから既に一刻近く。森は徐々に深くなるが、敵の気配は全くない。早朝に村を出たから徐々に日は高くなってくるはずなのだが、薄暗い印象は拭えなかった。魔王の存在がそうさせているのか、アルフィリースは今までにない緊張感を感じていた。山賊や盗賊を討伐するために山や森に分け入った時とは、明らかに違う空気である。
「良い感じはしないわね。空気も粘つているみたいに重い」
「おそらく、闇属性の魔物による結界ではないかと。森も大して深くないのに、光が十分に射し込んできません」
「わかってるわよ、アルベルト。いっそ歌でも口ずさんだら、向こうから出てきてくれないかな?」
「やってみたら? 止めないわよ、アノルン」
アノルンの軽口に、調子を合わせるアルフィリース。アノルンも負けじと切り返す。
「アタシが歌うと、敵が皆聞き惚れて戦闘が起こりゃしない。アルフィが歌った方がいいね」
「なんでよ?」
「だってさあ、アンタ覚えてないの? アタシ達が二回目に会った時、アンタをアタシがしこたま飲ませて潰したでしょう? 良く寝てるなって寝顔を肴に飲んでいたのに、いきなりむくっと起きてさ。でかい声で酒場中に聞こえるように『森のオオカミさん』歌ってたんだよ? 覚えてないんでしょ」
「ウソ?」
「本当さ。しかも替え歌もご丁寧に」
「替え歌っていうと……」
「そう、下ネタ満載の、×××が歌詞にいっぱいのアレさ。子供の時には歌うけど、妙齢の女性が歌っていいものじゃないわね」
「も、もう私お嫁にいけない……知らなきゃよかった」
アルフィリースが半べそになる。替え歌は実はウソだが、あまりにも大きい声だったのに加えて音痴だったので周りが止めようとしたのだが、こともあろうにアルフィリースが片っ端からぶん投げたのである。沁みついた体術が災いする場合もあるという典型だった。
結局アルフィリースが再び眠りにつくまで歌は収まらず、客はあらかた逃げ出し、店主と給仕が悲壮な顔をしながら働いていた。アノルンもたまらず耳栓をしたうえで、アルフィリースが酔い潰れて眠るまで陰鬱な顔でちびちびやる羽目になった。
アルフィリースにも苦手なことがあったのを知ることができたのは今となれば良い経験だったが、次の日に頭痛がひどかったのは酒のせいではあるまい。不老不死の自分に頭痛を起こさせるとは、とんだ攻撃手段があったのものだとアノルンは感心するほどだった。
アルフィリースにしてみればとても恥ずかしい話を出したのは、経験不足なアルフィリースを案じてのことだったが、その心配は必要なかったようだ。アルフィリースは鈍いのか肝が据わっているのか、普段と変わらず周囲を警戒していた。アノルンとしては頼もしい限りだったが、アルフィリースが普通に振舞えるだけの根拠と自信を持っているのかと気にはなる。そんな風に世間話をしながら歩くうち、空気がふと重くなったことにリサが気付いた。
「皆さん、警戒を。空気が変わりました。急に狭い空間に放り込まれたような感じを受けます」
リサが
「……ああ、静かすぎるね。どうやら本格的な結界の中に入ったか。それに一段階暗くなった気がする」
「先ほどから小動物や、鳥の気配すらなくなりました。結界内に入る時に妨害がないのは幸いでしたが、逆に結界内に魔王は自信を持っているのかもしれません。何が起きるかわかりませんね」
「来る、か?」
「どこからでも来いってね」
全員の顔から遊びの表情が消えた。それぞれ武器を構えながらアルベルトは右に、アノルンは左に展開し、アルフィリースとリサはやや下がる。アノルンは何かを咥えていた。
「アノルン、なにそれ?」
「
何か言おうとしたアルフィリースだが、その余裕はもはやない。
「リサ、敵の気配は?」
「まだありません。全方位警戒で感じ取れる範囲は百歩程度に短くなっていますけど、視線は無数に感じます」
「ん、私もびんびん感じてるよ。ここまでくると直に目で見た方が視界は広いかもね」
「ここからは一方向警戒を時計回りに回転させる探知に切り替えます。時間差で隙ができるので、目視での警戒もお願いします。気を付けなさい、アルフィ。背面以外の全方位から来ると思います」
アルフィリースは矢をいつでも放てるように構えている。対応を早くするように、呼吸がやや早く、浅くなる。心臓の音が一段階早くなったのが、アルフィリースにもわかっていた。
「アルフィ! 下です!!」
リサが叫んだ。が、それとどちらが早いか。アルフィリースは弓を投げ捨てざま剣を抜き、地面から出てこようとしていた巨大ミミズのような魔物に突き立てる。アルフィリースを捕食しようと開いた口に、剣が深々と突き刺さっていた。
「
言うが早いか四方八方から敵が襲いかかってきた。アルベルトの頭上からは
多種多様な魔物の一斉襲撃である。これだけで魔王となりうる別格の魔物がいることは確定的だった。アルフィリースは左右から襲い掛かってくるアースワームの頭を切り飛ばしながら、リサを背中にかばいつつ叫ぶ。
「これが魔王の軍勢! リサ、打ち合わせ通り私の後ろに!」
「もちろんです、しっかり守ってくださいよデカ女!」
「ふんっ、雑魚どもがっ!」
アノルンがメイスを一振りすると周囲の土虫が一瞬で薙《な。ぎ払われる。そのままオークに向き直り、
「せー、の!!!」
アルフィリースの耳にまで、バリバリとアノルンが歯を食いしばる音が聞こえる踏ん張りで、ハンマー状のメイスをオークのどてっぱら目がけて振り回すアノルン。オークも手持ちの棍棒で受けようとするが、ボンッ、という破裂音と共に、先頭のオークの上半身が完全に吹き飛び消えた。
それどころか、そのオークが持っていたハンマーまでもが吹っ飛び、後方のオーク達を薙ぎ倒した。やや遅れて、吹き飛んだオークの残骸と血が雨のように空から降ってきた。そこまでしてからやっとのことでオーク達は我に返り恐慌状態になったが、時既に遅し。
「遅ぇ!」
アノルンが叫びながらメイスを振うたび、オークの頭が、腕が、防ごうとした武器をお構いなくへしゃげさせながら吹き飛ばしていく。その姿はまさに狂戦士。
オークという生物は人間より体格が大柄で、力が強い代わり知能がかなり低い。頭の中には戦いか、睡眠か、生殖行為しかないと言われており、一度戦闘に入れば興奮状態のあまり我を忘れて死ぬまで敵に突進すると言われているが、そのオークが逃げ出し始めていた。知能が低いだけに本能は発達しているらしく、自分達の目の前にいる女戦士が半端な相手でないことがわかったのだろう。
オーク達の返り血を浴びながら突進していくアノルンの方が、よっぽど魔物らしい。その時、突進するアノルンが突然何かに
「危ない!」
「こりゃ厄介、だ・け・ど! アルフィからお前が出没してるって聞いてるからね、対策はしてるよ?」
アノルンが腰につけていた小瓶を投げつける。その瞬間トレントが急に悶えてアノルンを手放し
た。
「除草剤さ。ただし、大木も枯らすほど強力だけどね!」
そのままメイスを持ち直してトレントに一撃。メリメリという音が聞こえ、縦にひびがはいる。
「もう、いっぱぁぁぁつ!」
大地に着地してさらに勢いをつけて渾身の一撃をお見舞いすると、トレントは中ほどから裂けて粉々になってしまった。アルフィリースが前衛を断られた理由がよくわかる。軍勢を相手にする場合、技量よりも恐怖と迫力で相手を追いやることが不可欠なのだ。人間離れした一撃の凄まじさに、アルフィリースが歓声を上げた。
「アノルンすっごぉぉい! は、アルベルトは!?」
向き直ったアルフィリースが見たのは、さらに驚愕の光景だった。
ヒュン、とアルベルトが大剣の血糊を振り払う。その足元には、数えるのが
さらにゴブリンが数十はいるかと思われるが、どれもアルベルトに飛びかかるのを躊躇していた。ゴブリンは数に任せて襲い掛かるが、劣勢となると急に逃げ腰になる。それを素早く見てとると、間髪いれずアルベルトがゴブリンの臓物を踏みしだきながら自分から攻め込んだ。そこからは戦いではなく、虐殺にも等しい光景となった。
アルベルトの一振りでゴブリンが三~四体ずつ消し飛んでいく。ゴブリンは人間よりもやや小柄だが、人間より俊敏で力も強い。それを雑草でも刈り取るように、血だまりに変えていく騎士。
なかでも驚愕だったのは、木の陰に隠れようとしたゴブリンを木ごと輪切りにした時だった。アルフィリースが抱きついても半分にまで手が回らないくらいは太い木だったが、全く問題なく切断したのだ。
アルベルトが想像よりもとんでもない剣士であることをアルフィリースは認識し、ごくりと唾を飲んでいた。
もはや大勢は決しており、ゴブリンもオークとともに逃げ出し始めた。その時、一体のゴブリンが何かに頭を掴まれ握りつぶされた。
「あれは
「いや、それの上位種のギガンテスだね。サイクロプスは馬鹿すぎて武器が使えないが、あれはちゃんと武器になる丸太を持ってるだろう?」
既に左側を片づけたアノルンが戻ってきていた。
「加勢しなきゃ」
「いらないと思うよ? ラザール家は伊達じゃない」
「で、でもあんなに体格が違うよ?」
ギガンテスの体格は人間の倍近い。手に持つ丸太が既にアルベルトより大きいのだ。
「まあ見てなって。ラザールの奴らはどれも普通じゃない。なんせ初代は単独で魔王の軍勢を全滅させたっていう剣士だからね」
「本当?」
「まあ多少は誇張かもしんないけど、奴隷上がりの剣士が神殿騎士団の近衛隊長になったんだよ? しかもほとんど満場一致の採決でね。当時貴族の概念は今ほどじゃないけど、有力者は多かった。彼らにも反対させなかったんだから、そのぐらいは本当にやってても驚かないね。しかも、アルベルトはその歴代の中で最強の呼び声が高いそうだ。今回私達が近くにいなかったら、単独でこの任務をこなしたかもしれない。アルネリア教会の誇る最強の剣士の一人。だから、心配無用だよ」
そのアノルンの話が切れた瞬間、二体が動く。どちらも上段から獲物を振り下ろし、互いの得物が交差する。が、アルベルトが振り下ろした剣はギガンテスの丸太を一撃で砕き、そのままギガンテスの腰のあたりを切り裂いていた。たまらずギガンテスが膝をついたその一瞬に懐に飛び込み、下から上に切り返す剣でギガンテスの首と胴を切り離した。
返り血がアルベルトに飛び散り、ギガンテスは絶命した。どちらが魔物がわからないほどの、人間離れした戦い方だった。
「体重を乗せてない剣であんなことができるなんて、どんな腕力なの。最初の一撃も、わざと始動を一瞬遅らせた剣で相手の武器を叩き落としたわね。一つ間違えれば自分の頭が砕けるわ」
「鍛え方も尋常じゃないが、技術がすごい。お見事だね!」
だが、まだアルベルトは気を抜いていない。その様子を見てふと他の仲間も警戒心を引き戻す。瞬間、アルフィリース達は同時に飛びのいた。
派手な爆発音と爆風と共に、アルフィリース達がいた場所に火の手が上がった。火系の魔術だろうが、考えるより早く、アルフィリースが矢を
「そこぉ!」
アルフィリースが魔術で強化した矢を放つ。目標は百歩ほど先にいる、頭に角を生やした悪魔のような格好の魔物。遠くて種族は不明だが、魔術を使うほど知性があるとなると指揮官の役割をしている可能性がある。魔物は木の陰に隠れてアルフィリースの矢をやり過ごそうとする。
この時代の平均的な弓矢の殺傷能力は四十歩程度だし、直線的にしか飛ばないので普通はこんな遠距離からは当たらないが、アルフィリースの矢は特別である。
風の魔術で強化された矢がクン、とありえない方向に空中で曲がり、魔物に襲いかかる。魔物は驚きつつも鋭い反応を見せ、腕を盾代わりに致命傷を避けた。
「くっ、致命傷にならない!」
だがアルフィリースがそう言う間にも、アノルン、アルベルトが既に魔物に向かって距離を詰めていた。魔物も二人を迎撃しようとしたその瞬間、ズンッ、という肉を裂くような音と共に、魔物の頭に新しい角が生えていた。よく見れば木の陰から出た刃物が、魔物の頭を貫いたのだ。
「誰が――え、リサ??」
「おいしいところ、イタダキです」
魔物の背後にはいつの間にかリサが立っていた。アルフィリースがその事実に気付くのと、ドサリと魔物が倒れるのは同時だった。
どうやらリサの盲目を示す白い杖に刃物が仕込んであったようだ。だが彼女はいつの間に背後に回り込んだのか。
リサが血糊を葉で拭きながらアルフィリース達の元に帰ってくる。
「やるね、やっぱりただの後方支援なんてことはなかったか。センサーでもCランクとなれば、魔物討伐の実績が必要だもんね」
「盲目かつこんな美少女が一人でいれば、それだけで危険ですから。自衛の手段の一つや二つ、そしてある程度の武芸も備えていて当然です。おっしゃる通り、センサーでもCランクで昇級するためには、魔物の討伐も何度か必要になりますし、何度かは魔物の討伐経験もありますよ。それよりアルフィリース、私を見失っては困ります」
「え、でも、さっきまで私の後ろに――」
「センサー能力の応用だね?」
アノルンが感心したような顔でリサを見る。リサは小さく頷くと、
「はい。気配察知ができるなら逆もまたしかり。感覚を飛ばすのと逆に感覚を抑えこみ、極端に見つかりにくくしました。ある程度のセンサーなら誰でもできることです」
と答える。アルベルトも納得したような顔だったが、アルフィリースは目を丸くしていた。
「そんなこともできるの?」
「最初から指揮官がいると読んでいたんだね?」
「はい。魔王がいないくせに魔物の襲い方があまりに統一されていたので、土虫が出てきた段階で最初に探って、こっそり後ろに回り込みました。幸いにして人型だったので、そのまま仕留めることができました。デカい奴ならお任せするところでしたが」
「大したもんだ」
「お褒めに与り光栄です、お姉さま。大物討伐につき、追加報酬をご検討ください」
リサはアノルンにぺこりとお辞儀をして見せるが、アルフィリースには、あかんべーとしてきた。
「か、可愛くない」
「この絶世の美少女であるリサを掴まえてなんですか、その言い草は」
「なんで私にはそんな態度なのよぅ」
「さっき火球が飛んできた時、アナタ、リサの位置を確認せずに
「そ、それはそのう……」
その通りなので、アルフィリースは決まりが悪かった。だがそんなアルフィリースの様子を見て、さらにリサが追い打ちをかける。
「リサが本当にただのか弱い女の子で、アナタにしがみついていたら二人まとめて今頃黒コゲです。打ち合わせまでしておいたのに、なんたるざまですか。ヤレヤレです」
「ぐぅっ」
「とはいえその時私は既に気配を消していましたし、矢を放つのは早かった。狙いもよかったおかげで私の奇襲も成功しましたし、今回は貸し借り無しということにしておきましょう。あの矢で隙ができないと、さすがに後ろから一撃で仕留められませんでしたから。寛大なリサに感謝なさい」
「なんで私が感謝しなきゃいけないのかなぁ……」
はぁ~、とアルフィリースがため息をついていると、
「気を抜かないように。この程度は前哨戦です」
「そういうこと。この程度の相手だったら調査隊は帰ってくるだろうし、魔王は結構な大物かもよ? 配下に魔術を使うような高等な魔物がいたくらいだからね」
と、アルベルトとアノルンの二人が険しい顔をしている。リサもまたすぐに反応した。
「――そのようです。大きいのが、来ます。方位一時、距離百四十歩」
「大将のおでましかい! 腕が鳴るね」
「アルフィリース殿は下がって。足音から察するに、かなり大きい」
「わかった。リサ、距離をとろう」
アルベルトとアノルンを前衛に残し、アルフィリースとリサは少し後ろに下がる。いくらもしないうちに、バキバキ、という木を薙ぎ倒す音が聞こえ始めた。何かが、大木を薙ぎ倒すほどの巨大な何かが、アルフィリース達に向かって前進してきていた。
嫌が応になく全員の緊張感が高まるが、アルフィリースの直感は、今までで最大級の危険が迫っていることを警告していた。全身の毛が逆立ったまま収まらない。武者震いも多少は入っているのだろうか。
そして、『それ』はアルフィリース達の前に姿を現した。
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