第16話 討伐前夜②

***


「で、誰に聞いたの?」


 敵を見るような眼で、アノルンがアルベルトを睨む。


「五代前の、私の先祖の手記から」

「あのセクハラ野郎か! 手だけじゃなく、口まで軽かったとはね!! とんだ神殿騎士もいたものだわ」

「お怒りもごもっともですが、その前に私の話を聞いていただけますか?」


 努めて冷静な声でアルベルトが対応する。


「いいとも! それ次第じゃ、あんたの首を引っこ抜いてやるわよ?」

「どうぞ随意に……一つ確認しますが、私達ラザール家の存在理由をご存じでしょうか?」

「当然よ、最高教主の護衛でしょ? その命に懸けてもね」

「確かにそうですが、ミランダ様がお考えの意味とは少し違います」


 瞬間、ミランダがアルベルトの襟を掴んで壁に叩きつける。


「誰がその名前で呼んでいいっつった! その名前でアタシのことを呼んでいいのは、最高教主だけだ!」

「……申し訳ありません……話の続きをよろしいでしょうか?」

「ちっ! 続けな!」


 乱暴にアルベルトを突き飛ばし、きまり悪そうに離れるアノルン。


「我々の存在意義はミリアザール様を守ること。ただしお守りするのは命だけではなく、ラザールは全ての世代において、あの方の『全て』を守るように言い含められています」

「全て? どういうことさ?」

「なんと言えばよいのか……これは私達の祖先が初代神殿騎士団長となった時の言いつけらしく、できぬものはラザールを名乗る資格がなくなります。同時にそれは、ラザールを名乗る実力のない者はアルネリア教会に所属しなくても良いということにもなりますが。正確な理由について今は申せませんが、ただミリアザール様を決して一人にしないこと、という意味にお受け取りください」

「? ますますわからない」


 アノルンは小首を傾げた。


「……実はミリアザール様は八百年以上、生きておいでです」

「長生きなのは知って――待て、八百年だと? それは」

「アルネリア教を作ったのは聖女アルネリアではなく、ほかならぬミリアザール様です。ご自身の正確な年齢は自分でも不明だとおっしゃっていました。千年はゆうに生きているはずだが、八百年そこそこかもしれない。昔の記録は正確でないうえ散逸しているし、記憶は八百年前ともなると曖昧だとおっしゃっていました」

「そうだったのね。なんとなく想像はついていたけど……」


 アノルンはミリアザールから、アルネリアの創設に関わる話を聞かされたことがある。長命なのは知っていたから、かつてのことに詳しいだけかと思っていたが、伝記にもない創成期のこともまるで見てきたように語ることがあった。アノルンは自分の過去にも触れて欲しくはないから、ミリアザールが自分で語る部分以外のことについて、聞きだすようなことはしたことがない。

 八百年。実に気が遠くなる年月である。アノルンは実に三百年は生きているのだが、その彼女でさえ三百年は嫌になるほど長かった。三百年でもうんざりするほどなのに、八百年とはいかほどの絶望がもたらされるのだろうかと、ぞくりとした。


「あの方は寂しい方です」


 アルベルトは続ける。


「あなたもおわかりでしょうが、自分が不老だということも誰にも告げることはできず、公式行事のために十数年周期で姿形を変えて別人として振る舞います。最高教主の姿がずっと変わらなくては不審を招きますからね。以前の自分は死んだことにするか、それとも単にアルネリアを離れたことにするか。ですが、どちらにしろその度に知り合いを全てなくしていることになります」

「それは――アタシもわかるよ」

「そのために初代が残した口伝です。せめて我々だけはあの方が寂しくないよう、側にいるようにと。そのように我々は理解しております」

「それはわかるけど、なんでアンタ達でないといけないのさ?」


 アノルンのその言葉に、アルベルトが少し憂いを帯びた緑の瞳をアノルンに向ける。


「我々を見て、何か気付きませんか?」

「……まさか!?」

「そういうことです」


 アルベルトが珍しく悲しそうな表情をした。


「もちろんその使命に納得できなかった者もいましたが、大抵はあのお方の事情を知れば、何らかの形でアルネリア教に残っています。ですが五代前のリヒャルド様が、ラザール家の使命にさらに付け加えをなさいました」

「……なんて?」

「『我々の第一に成すべきことは、ミリアザール様がその命尽きるまで側にお仕えすること。そのためには何より、血の存続が優先される』。そして『我々の第二にすべきことは、ミランダ様をお守りすること。これは個々人の考え方によるが、騎士としてお仕えするに二度と得られることなき稀有けうな方、また決して失ってはならない方。あの方の存在は、我々の命よりはるかに重い』と」


 アノルンは完全に面喰った。


「え――リヒャルドの奴、アタシにはそんなこと一言も――」


 アノルンの記憶に、リヒャルドの軽薄な態度が思い出される。


「(人の胸やら尻やら散々好き勝手触ってくれたけど、眼差しだけはいつも優しかった。最初にアタシがマスターに拾われた時、全ての生きる気力を失くしていたアタシは廃人同然だった。死人同然のくせして殺気を放って周囲を威嚇いかくするアタシには、誰も声をかけられなかった。そんな中、最初に声をかけてきたのはリヒャルドで――アタシが一人で落ち込んでいる時には、アイツがいつも声をかけてきた――そうか、アイツはアタシを心配してくれていたのか。だったらもっとわかりやすい態度をしてくれれば――)」


 アノルンは長年の疑問が解けると同時に、リヒャルドの心遣いに感謝した。散々胸や尻を触られたことだけは、どうしてもむかっ腹が立ったが。


「でもそれならそうと、なぜ素直に私に言わなかったのさ? アイツがアタシを気遣ってくれたことは嬉しいけど、同時に散々な目にも遭わされてるんだけどね。どうも行動が矛盾しているよ」

「五代目の手記がここにあります。その答えはこの中にあるかと。自分の死後、自分の妻と愛妾あいしょう達が全員死んだ時に開封するようにとの遺言でした。お読みになりますか?」

「貸してくれ」


 アノルンはアルベルトから借りた手記をパラパラとめくっていた。最初は何の気なしにその手記を読んでいたアノルンだったが、次第にその顔が驚きの表情へと変わり、蒼白になっていったかと思うと、やがてカタカタと震えだし、遂に大粒の涙をこぼし始めた。


「そ、そんな……そんな! アタシは、アタシはなんてひどいことをしてたんだろう。アイツのこと、リヒャルドのこと、何にもわかってなかったんだ。アイツはいつもアタシを見て、心配して……傍にいようとしてくれてたのに!!」


 アノルンの目からこぼれおちる涙が一向に止まる気配を見せない。泣き濡れてぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせずに、アノルンはアルベルトに掴みかかった。


「アタシは――アタシはどうしたらいい!? アイツにどうしたら報いてやれる??」

「私にはわかりません。ですが私も同じ手記を読んで思ったことは、おそらく彼は貴女にただ普通に生きて欲しかったのだと思います」

「普通に……生きる……」

「はい。おそらくは普通に生きて、友人を作り、ふざけあい、笑いあい、恋人を作って――」

「そんなの……今さら無理だよ……」


 アノルンはうつむいてしまった。沈黙が二人を包む。


「――これは私個人の意見ですが、生きている限り遅すぎることはないのかと」

「生きて……いる限り?」

「はい。貴女には無限にも等しい時間があります。いつかはまた考え方が変わるかもしれませんが、今から取り戻そうとして、時間が足らないことはないかと」

「そうかな……そうなのかな?」

「私にはおそらく、としか言えませんが」


 アルベルトは騎士が主人にひざまずくようにして続ける。


「その答えを知るためにも貴女は明日の戦い、生き残ってください。何としてもアルフィリース、リサと共に無事に帰還するのです。あの二人を決して失ってはなりません。そのためなら私の命をご自由にお使いください」


おもむろにアルベルトは剣を抜いて自らの指先を斬り、血を剣につけて剣の柄をアノルンに捧げた。


「我が名誉と誇りと剣にかけて、この約定果たさんことをここに誓う。我が約定違えしと剣の主が思召す時は、いついかなる時においても我が命、我が魂をこの剣にて天に還したまえ」


 正式な騎士の誓約でああるこの言葉は、普通は忠誠を捧げる主人にしか行わない。神殿騎士団であるアルベルトにしてみれば、ミリアザール以外に騎士の誓いを行うことは本来なら許されないことである。

 アノルン、いやミランダはどうすべきかしばし目を閉じて考え込んでいたが、


「アルベルト=ファイディリティ=ラザール、なんじが剣を受けよう。我が名はミランダ=レイベンワース。汝の剣の主にして汝の命と魂を預かるものなり。誓おう、汝が剣を捧げるに値する人間であるよう、我は全身全霊をもってあらゆる困難に臨まんことを!」


 アノルンは同じように剣の血の付いた部分で自分の指を斬ると、剣の柄に口づけをし、アルベル

トの頭上に掲げ維持する。しばしの後剣を引き、アルベルトに剣を返した。


「……こんなことで、アタシはリヒャルドに報いられるのかな?」

「貴女次第だと」

「そこは肯定するところだろ? ずけずけ言うところは、奴と変わらないわね」

「面目次第もありません」


 真面目腐ったアルベルトの返答に、アノルンは力なく笑った。それは彼女の抱える寂しさを象徴するかのようだった。だが同時にアルベルトは、自分が彼女に出会えたことが非常に嬉しかった。

 正直幼少時に自分の使命、ラザール家の使命を教えられた時、アルベルトはそれがどういうことなのかわかっていなかった。幼少より、剣を振うためだけに鍛えられた自分の全人生。どうして全ての楽しみを捨ててまで、自分がそこまでせねばならないのか。また訓練で得た力を捧げる相手が、自分が生まれる前より決められていることも、彼は納得がいかなかった。ただ、剣を通じて感じられる強さの実感だけが彼の喜びだった。

 十四の時、最高教主の親衛隊の任を受けた。当時は隊長ではなかったが、ミリアザールに仕えるうち、自分が仕えるべき人物というものを実感できた。そしてミリアザールの人となりを知るうち、彼女は自分の剣を捧げるに値する人物なのだと納得した。騎士として、自分の人生を賭けるに値する相手に出会えるのは幸運である。それからは一層剣の修練に励んだが、それでもどこか心に空洞があるような寂寥感せきりょうかんは消えないままだった。

 迷いある剣のままだったが、アルベルトは幸か不幸か才能に恵まれていた。十六となる頃には前神殿騎士団長である父を既に上回るほどの剣の冴えを見せ、一人前として自分の父よりリヒャルドの手記を託された時、自分が剣を振う意味はさらに重くなった。守るべき相手は二人いたのだ。

 先祖の手記には似顔絵が描いてあった。当時のミリアザールと、若い女性が微笑み合っている様子。それを見た時「ああ、私はこの光景を守るために生まれ、剣を鍛えているのだ」と理解した。

 それからのアルベルトの鍛錬は、さらに苛烈を極めた。それは、ラザール家の者をしてアルベルトは気が触れたのではないかと心配するくらいの激しさだった。だがアルベルトは満足していた。あの光景を守るためなら、自分の苦痛など惜しくもなんともなかった。自分が何をすべきなのかを生涯理解せず、漫然とその生を終える者が多いことを考えれば、自分はなんと幸せなのかと思ってすらいた。

 そして今現在彼女を目の当たりにし、命を賭けるに値するものが二人いることがより強く実感できる。さらに彼女は自分の祖先のために真剣に涙を流してくれた。


「(きっと私は手記がなくても、この女性を守ることを躊躇ためらうまい。任務であったとはいえ、ミリアザール様に魔王征伐を申し出てよかった)」


 それがアルベルトの偽らざる本心だった。さらに手記を見た時思ったことはもう一つあったのだが、それも含め今はそっと自分の心の奥底にしまっておくことにした。


「まさかアタシが、騎士の誓いを受ける日が来るとはね」

「人生とは、流れる水の如しと言いますから」

「アルネリアで不動の大黒柱たる、神殿騎士団長のアンタが言うか?」

「面目ない」

「アンタはリヒャルドと違って、謝ってばっかりね」


アノルンはふっと笑う。その笑顔を見てアルベルトは自分のしたことが間違いではないと確信できた。


「じゃあお前の主として最初の命令よ」

「何なりと」

「帰還は全員で、一人も欠けることも許しません。アンタも死ぬな!」

「御意」

「あと、二人の時はミランダって呼んでいいわ。本名を呼んでくれる人間がいないのは、やっぱり寂しいからね」

「御意」

「じゃあ最後にもう一個! 三回まわってワン! って言ってみなさい!」

「御意」


 アルベルトは剣を置いて回る準備を始める。


「ちょ、ちょっと待ちなさい! 最後のは冗談だから!」

「一度声に出した言葉は決して取り消せないと言います。騎士としては主の言葉を実行するのみ」

「なんでそういうとこまで頑固なの!」

「騎士は忠誠を誓った相手に死ねと言われれば、その場で何の疑問も抱かず死ぬものです。特に、私は不器用ですから」

「ア、アンタ、わかっててやってるでしょう!? 騎士ボケとか面倒くさいから、やめて、お願いだからやめてください!」


 二人でぎゃあぎゃあと騒ぐこの感じ、リヒャルドとふざけ合った日々みたいだとアノルン、いや今はミランダとして、彼女はそう思った。

 だが防音の魔術はいつのまにか切れており、リサはしっかりこのふざけ合いを聞いていた。

そして翌日、


昨夜ゆうべはお楽しみでしたね」


 とリサに散々からかわれることになる。センサー能力のないアルフィリースには詳細はわからないわけだが、何を勘違いしたのか顔を赤くしてアノルンとアルベルトを交互に見ていた。

 そうする間にも陽が昇り、彼らを無邪気に照らし始めていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る