第15話 討伐前夜①

 結局、あれから再度宿に戻り着替えと水浴びをする羽目になったアルフィリースだったが、ともあれ飛竜を飛ばすことになった。飛竜を連れて街の外に出ると、平坦な草原まで街道から離れた。


「リサはお姉さまと乗りたいです。そっちのデッカイ痴女と一緒に乗ると、臭いと変態が感染うつりそうなので」

「誰が変態よ!?」

「まぁいきなりアルフィに運転させたりはしないけどさ。アルベルト、アルフィを頼めるかい?」

「承知しました」


 アノルンに慰められるように肩をたたかれ、渋々納得するアルフィリース。本当はアノルンと乗りたかった彼女であったが、やむをえずアルベルトの竜に向かう。

 別にアルベルトを差別するわけではないのだが、アルフィリースはどうも男性は得意ではない。別に戦闘の時にはよいのだが、日常で接するのは慣れていないせいである。アルベルトが端正な顔立ちをしているから、なおさら緊張してしまう。何を話していいのかわからなくなるのだ。


「あ、あの。不束者ですが、よろしくお願いします」

「東方の大陸なら、それで三つ指ついたら完璧だけどね」

「何それ?」 

「結婚する時の作法さ」


 急激に赤くなるアルフィリースを見て、くっくっくとアノルンが笑う。照れ隠しをするようにアルフィリースが鞍に足をかけて飛竜に飛び乗ると、一気に目線が高くなった。小型の飛竜でも馬三頭分くらいの体長はあり、目線の高さは座っていても馬の倍ほどにもなる。さながら走る家のようなものである。


「しっかりつかまってください。落ちたら助けられないし、乗り手が不安定だと飛竜は速度を出せません」

「は、はい」


 アルベルトの背中をギュッと掴むアルフィリース。


「それではだめです。最初に飛ぶ時は特に揺れるので、慣れるまでは腰の前にしっかり手を回すようにしてください」

「ご、ごめんなさい」

「アルフィリース殿、舌を噛まないように。アノルン殿、先行します」

「あいよ」


 こんなに男の人にくっつくの、初めてかもしれないなどと心臓が跳ねまわる程内心で動揺しているアルフィリースの気も知らず、アルベルトはさっさと飛竜を発進させた。

 飛竜が立ち上がるとぐらりとアルフィリースの体が揺れ、確かに乗り手に掴まっていないと振り落とされそうになる。

 ドシッ、ドシッ、と飛竜が地響きにも近い足音を鳴らしながら助走をつけていく。体の小さい飛竜ならば助走なしにその場の羽ばたきで上昇できるらしいが、大きな飛竜に関してはそうはいかないらしい。ドン、ドン、ドン、と段々揺れが早く小さくなっていき、最後にドン! と一つ大きく踏み切ると、胃が持ち上がるような浮遊感が伝わるのだった。

 そして目を閉じたアルフィリースが眼下に見た光景は、既に建物がみるみる小さくなっていく光景だった。


「うわぁ! す、すごーい!」

「このまま雲と大地の中間くらいまでは上がります!」

「た、高すぎない?」

「ですから、落ちたら死にますよ!」

「わ、わかりました!」


 アルフィリースはアルベルトにぎゅっとしがみつく。鍛えこんである逞しい背中は、師匠アルドリュースのそれとは違う。

 アルフィリースは少し師匠アルドリュースのことを思い出していた。彼に連れられて生活するようになって半年くらいの間、彼女はよく悪夢にうなされていた。中には夢遊病のようになって暴れることもあった。そんな時には師匠アルドリュースが抱きしめて寝てくれた。

 当時は師匠のことを強く逞しく感じたものだが、実際には今の自分とほとんど体格は変わらなかったと今ではわかる。病魔にむしばまれ、死の間際には棒切れのように細くなっていたのを思い出す。

 それに彼は徹底して彼女に保護者代わりとして接しており、男女として意識させることは一切なかった。そのせいか師匠アルドリュースの前ではアルフィリースも遠慮のない態度をとっていたため、よく「もう少し女性として慎みを持ちなさい」と度々言われていたが。


「(でも師匠には本当に感謝してる。今考えれば、私は彼に何をされても文句は言えない立場だったんだから……師匠は安らかに眠っているかしら? 私は今から魔王討伐とか大変なことをしようとしているけど、きっと無事で帰るから心配しないで!)」


 決意と共に、思わずギュッと手に力がこもるアルフィリース。


「アルフィリース殿、もうそんなに力を入れなくても大丈夫です」

「え……あ、ごめんなさい。それよりも――うわー、すごい景色!!」


 はるか眼下に、人の行き交いが見える。まるで動くありの様にも見える人々を眼下に、気付けば既に次の町を飛び越えるところだった。

 地上を歩いているとわからないが、こんなに街道は曲がりくねっているものなのかとアルフィリースは感心する。そもそも飛竜の存在を知っていれば、ベグラードまで一瞬だったのではないかと可笑しくなってしまう一方で、それはそれで旅が味気ないだろうから、これでよかったのだと考えるアルフィリース。

 さらに周囲を見回すと、はるか彼方まで見渡せた。左に見えるのは自分が暮らしていた山脈なのだろうか、などとアルフィリースは感慨に耽る。さらに北には、大陸一高い山々であるピレボス山脈が微かに見えた。南東には海が見えるはずだが、この高度では無理なようだ。


「どうだい、すごいだろう、アルフィ!」


 飛竜を操り、隣に並走するアノルンが語りかけてくる。


「うん! とても素敵ね!」

「だろう? アタシは空っていうのは好きだね。人間がどれほど強くても、所詮ちっぽけだっていうのを教えてくれるからさ! こうして見れば、王様も奴隷も、その差なんて微々たるもんさ」

「私は人間よりも世界を強く感じるわ! なんていうか、世界が私に語りかけてくるみたい!」

「世界を感じるか……アンタらしいのな」

「その意見にはリサも賛成です」


 今まで静かにしていたリサが反応する。ローブに収めていた長い髪を外に出し、風に任せてたなびかせている。


「おそらくアルフィの感じ方とは違うでしょうが。この空ではリサの場合、人間の存在を私達しか感じませんので、とても静かです。センサーをどこまで広げても、小うるさくないので。そうですね、リサの場合は体というか、心が軽くなると言えば良いのですか。これが世界なのかと思います。上手く口にはできない感情ですね」


 リサにしては饒舌じょうぜつだったが、それだけ気持ち良いのだろう。目をつむって風に体を預けている。そしてふと眼をあけると二コリと微笑んだ。毒舌にまぎれているが、こんな素敵な笑顔ができるなら、こっちが彼女の本当の顔なのかもしれないとアルフィリースは思う。

 アノルンも気持ちがいいのか、上機嫌でリサと会話している。


「やっぱセンサー能力がそれだけ強いと、都会は大変でしょ? 特に盲目とか難聴みたいな五感障害があると、センサー系は能力が強くなるって言うしね。ちなみに戦闘の参考にもなるから聞いておきたいんだけど、どのぐらいの範囲で気配を探知できるわけ?」

「おっしゃる通りですが、都会の方がセンサーは依頼が多いですから、そこは割り切っていますよ。飼い猫探しや、浮気調査なんてくだらないものも多いですけどね。鉱物や植物などに特化したセンサーなら苦労も少なかったでしょうけど、そちらの才能はいまいちですし、危険も伴いますから。あとセンサーの範囲ですが、通常であれば半径四百歩。気合を入れれば半径千歩というところですか。なお千歩の探知を半日も維持すると、疲労で私は倒れます。そして一方向に絞るなら、最長で四千歩はいけるかと」



 その能力にアノルンが素直に感心する。


「十分すぎるね。それほど探知範囲が広いセンサーは他の都市でも滅多に見かけない。探知できるのは気配だけかい?」

「生物であれば、もれなく。小さすぎる者や、悪霊・鉱物生命体の類いは難しいですが、『こちらにいくと嫌な感じがする』という危険に対しても勘が働くので、おおまかな判断はできます。そのおかげで致命的な場面に遭遇したことはまだありません。また半径四十歩前後に入れば、生物でなくとも感知できます。都会暮らしが長かったせいか、私は対生物感知が最も得意でしょうか」


「そっか。鍛え方次第では霊体や精霊感知もいけるんだろうね。センサーランクを上げるために、どこか田舎や辺境に拠点を構えようと思ったことはないのかい?」

「確かにおっしゃる通りですが、私はあの都市を離れられませんので」

「なんでさ?」

「そこまで話す義務はないと考えますが?」


 リサが態度を硬化させた。その態度になんだか引っかかるものがあるのはアルフィリースもアノルンも同じだが、こうなったらリサは意地でも口を開かないだろう。昨日今日の付き合いでも、それくらいは察することができた。

 アルベルトだけは何も聞いてないかのように、普段通りの飄々ひょうひょうとした無表情を崩さず、飛竜の操縦に集中していた。


***


 一度地上に降りて昼休憩を挟み、アルフィリースは試しに飛竜を操らせてもらった。最初はおっかなびっくり地面を走らせるところから初めた彼女だが、ものの数回であっという間に飛竜を飛ばせるまでに至る。


「私よりかなり上手いですね」


 と、アルベルトが素直に称賛の言葉をアルフィリースに向けていた。何か言われたことに気付いたわけではないだろうが、彼女の方はアノルン達に手を振りながら竜を操っている。


「このまま世界のどこにでも飛んでいけそうね。空が合ってるみたいだし、竜騎手になろうかな、私」


 アルフィリースはこの上ないほど上機嫌だが、その様子をアノルンがじっと見つめている。


「竜ってあんなに早く扱えるものだっけ?」

「竜の調教程度、性格にもよりますが、あの竜は実はそれほど扱いやすくないと思います。ちなみに私も竜の騎乗訓練をしましたが、きっちり調教された大人しい竜ですら走らせるのに七日。空を飛ぶとなると一ヶ月かかりましたね。とても片手を放してあんな乗り方はできません」

「だよねえ……アタシなんかその三倍はかかってるよ。それでも早いって言われたし、いまだに飛竜が数多く普及しない理由だよね。ってゆーかあの子、宙返りとかしてるんだけど!?」

「北方の大国ローマンズランドがかかえる正規の竜騎兵ドラゴンライダー、いや、竜騎士ドラゴンナイト級の腕前かもしれませんね」

「ちょっと修行したら、最高位竜騎士ドラゴンマスターとかいう身分にもなれるかもね。傭兵じゃなくても十分食っていけそうだ」


 ちなみに竜騎兵は、ピレボス山脈のふもとにあるローマンズランドという北の大国が大軍団を抱えている。その戦力は三万を超えるとも言われており、一般兵を竜騎兵、親衛隊や部隊長クラスを竜騎士、師団長クラスを最高位竜騎士と呼ぶことになっている。

 なお女性の身で最高位竜騎士にまで到達できた者はほとんどいない。ローマンズランドの第二皇女が、開国以来何人目かになる女性のドラゴンマスターになることに成功したとアノルンはちらりと耳にしたくらいだ。だがどのみち彼女が知る範囲での竜騎兵に、あそこまで竜を自在に乗りこなす者はいなかった。

 そんなことは露知らず、間断なくアルフィリースの楽しそうな笑い声が空から聞こえてくる。出発時間まで、その笑い声が止むことはなかった。


***


 アルフィリースが竜を扱ってからは驚くほどの速度で竜は進み、しかも竜に疲れた様子が見られない。アノルンの操縦ではそのペースに全くついていけなかったので、アノルンの操る竜が自らアルフィリースの竜の後ろにつき、風よけにして進んでいた。あまりの速度のため、全員が会話する余裕すらない。下手にしゃべると、風圧で下を噛みそうになるのだ。

 アルフィリースの竜もそれに気付いて「この速度でいいのか?」という意味の目線をアルフィリースに送ってきたので、アルフィリースはそれに気付いて手綱を緩める始末である。


「(竜は乗り手次第で疲れ方や、出す速度が変わるとは聞くがこれほどとは。しかも竜と意思疎通コミュニケーションをとっている。飼い飛竜といえど気位は高く、それゆえに乗り手の技量を察知して自ら様々な調節をするはずだが。竜が自分から人間に意見を求めて、しかも素直に従うとは)」


 アルフィリースの後ろで様々な思索に耽って感心するアルベルトだったが、なにせもともと仏頂面なので、普段と同じにしか見えなかった。アルフィリースに至っては、腰に掴まられるとくすぐったいくらいにしか考えていない。

 そのまま予定よりやや早く、日がまだ高いうちにカラム地方まで来ることができた。ここよりさらに西北西に向かうことになるが、一泊してから向かうのが妥当なので、アルネリア教会を通して休む場所を手配してある。

 ロートの村。人口二千人程度の小さな村だがアルネリア教会関連の修道院があり、ここに先遣隊が来ているはずである。村の目と鼻の先には深い森があり、依頼はこの森が対象となる。彼らから報告を受け、そのまま修道院に一泊し討伐に向かう予定とした。


***


 その晩御飯の席でのこと。アルベルトは修道院の院長に呼ばれて席を外していたが、残りの三人は夕餉を先に食べていた。アノルンは人目も気にしないでよいのに酒は一滴も呑まず、静かに食事を進めている。どことなく普段と違うアノルンに、アルフィリースもまた緊張感を伴って食事を進める。むしろ小柄なリサが一番遠慮なく肉をほおばり、果汁を飲み干していた。

 リサが用意された台車からおかわりととりながら、二人に話しかける。


「ギルドを通さないということは、査定者レベルチェッカーもいないということですね。大口の依頼なのに、センサーランクに影響がないことは少々惜しまれますね」

「ランクって、そんなに大切になるの?」

「デカ女、あなた本当に傭兵ですか? ランクが一つ変わるだけで、受け取る成功報酬が二、三割変わることくらい常識ですよね?」


 リサが呆れたように口をあんぐりと開けていた。アルフィリースが傭兵としてギルドの依頼を受けた時は数日の稼ぎが得られればいいと考えていたので、相場など真剣に考えたことがなかったのである。何せ、山でも森でも何を食べればいいかはほとんど頭に入っているし、師匠と山にいた時は水浴びも自然で済ませてきたのである。歩いて旅をしていれば、武器の手入れと道に迷った時の目印程度にしか人里に寄ることはなかった。

 リサは呆れながらもアルフィリースに説明する。


「職種にもよりますが、前衛職は体を張る分稼ぎがいいです。逆にセンサーなどは安全地帯にいることが多いので、稼ぎは少ないです。そして一定以上のランクにならないと受けられない依頼があり、当然制限がかかるものほど報酬がよくなるのが通例です。センサーですと、Eランクは主に失せ物探し、Dランクだと人探し、Cランクから戦場に出る許可が出ます。Dランクのセンサーですと、その辺の商店に務めるのと稼ぎがどっこいどっこいですよ」

「そ、そうなのね。で、その査定者ってのは何?」

「傭兵のランクは、実績の合計が一定に達するとランクアップします。前衛職なら討伐実績で。後衛なら人命救助といった具合です。そこで当然ですが、ズルをする人間がでます。旅の商人から買い取った魔物の一部を討伐実績として報告する。あるいは味方を傷つけておいて、それを治して実績にする。ひどくなると、集団討伐で仲間を殺して報酬の増額を狙う、とか。それらをごまかさないために、ギルドからは集団での依頼や大きな依頼には査定者をつけます。魔王討伐などの依頼では集団で誰が貢献したかを正確に報告するためですね。ちなみにセンサーランクはCから非常に上がりにくく、戦場での実績がいくつか必要になります。魔王討伐なら一つ同行できれば、貢献度によらずBランクへの道が開けます。今までそんなことも知らずに、どうやって活動してきたのですかデカ女? 不思議でしょうがありません」


リサが追加の肉を切り分けながら説明し、アルフィリースは笑って誤魔化していた。だがリサにはアルフィリースのことよりも、今は他のことが気になるようだった。


「ところで一つ確認ですが、普通の魔王じゃないのですよね? どの程度の相手かわかっているのですか?」

「それをアルベルトが今説明を受けているところさ。だけど聞くまでもなく、リサなら大方の想像はついてるんじゃない?」

「まあアルベルトを見ていれば、だいたいは。あれほどの気配を纏う騎士が出てくる段階で、ヤバそうな依頼だということは想像がつきます。そもそもこんな人里近くに魔王が出現すること自体がおかしいのですが、ギルドにいると冒険者達が情報を沢山持ち寄るので、こういうこともいずれあるかもしれないとは考えていました。近年急に増えた強力な魔物、生活範囲の変遷。まだギルドも疑う程度の段階ですが、こういったことは既に各地で起こっているようです。現に、センサーにのみ出る依頼として、魔物の生態調査の確認は明らかに増えましたしね」

「……それ本当?」


 リサの言葉にアノルンがぎょっとする。そしてアノルンの言葉遣いに、思わずリサもつられる。


本当マジです。既に南方のレーライやベレンスでもそういうことがあったようですね。どちらもたまたま、大事になる前に討伐したようですが。まだアルネリア教会は把握していないのですか?」

「わかっていたらこっちもフルグンドに依頼して、軍に依頼をかけていたさ。でも軍隊を動かすと世間が騒然とするし、まだ世間に発表する時じゃないか。でも誰が魔王討伐をやったの?」


 それほど腕が立つ人間がそうそういるとは、アノルンには思えなかった。リサは自分が聞いたまま、義務的に答える。


「レーライでは勇者認定を受けているゼムスと、その仲間がたまたま近くにいたみたいです。ベレンスでは通りすがりの名も知らない魔術士だったとか。噂では女だったと」

「ゼムスか……大陸有数の傭兵だけど、勇者のくせにあまり良い噂を聞かないわよね。驚きなのは魔術士だけど、単独で魔王を狩るとかとんでもないわ。そんな実力の女魔術士なんて限られると思うのだけど、誰だろ? 魔術協会の所属じゃなくて、魔女かな?」

「魔女ですか。人里離れた場所に隠れ住んでいるとは聞きますが、ギルドの依頼なんて受けるものでしょうか? 魔女は世俗が嫌いで関わらないと聞いていますし、噂では相当イイ女だったようです。まあ所詮噂ですが、魔女は高齢なのでは?」

「そうとも限らないわよ。魔女も何人か見たことあるけど、とんでもないババアのくせして、見た目だけはターラムの高級娼婦顔負けの美人と若作りってのもいるよ? あいつら、歳をとるのが常人よりだいぶ遅いからね。良い女にゃ、影があるっていうのかね。そういう意味では、私も過酷な巡礼にも負けない、純朴な美人シスターって、教会内では有名だしね!」


 調子に乗るアノルンに、アルフィリースが無機質な視線を投げた。


「……ソウデスネ」

「棒読みじゃん!」


どうして酒乱暴力シスターの通り名が轟かないのか不思議でしょうがない、などとアルフィリースが考えていると、アルベルトが修道長室からでてきた。


「どうだった? 先行させた調査隊はなんて?」

「いえ、それが……誰も帰ってきていないようです」

「なんだって? 何人派遣してたのさ??」


 思わずアノルンが席をがたりと立った。


「十人ですが、五日前には一度全員無事に帰還しています。それで日数に余裕がありそうだからと、もう一度調査に行ったまま誰も帰ってこないそうです」

「アタシ達が早く着きすぎたか?」

「それもなさそうです。ここのシスターによれば、一昨日には帰還予定にしていたそうですから。また早ければ我々が今日到着予定なのは、彼らにも伝わっていたようです」

「じゃあまさか――」

「そこまで深くもない森、迷うことは考えにくいです。おそらくは魔王に遭遇し、全滅した可能性が高いかと」


 悲痛な情報に、沈黙が部屋を包んだ。調査隊の目的から考えると、たとえ全滅しそうでも一人でも帰還できれば目的は達せられるため、最低でも一人は残す行動をとるはずである。それすらもできなかったということだ。


「実は、さっきからあの森をセンサーで探っていますが……」


 食器を置いたリサが口を開いた。


「探知が一定以上向こうに届きません。飛竜で森の入口付近を通った時にも方向限定で探ろうとしたのですが、千五百歩くらいで止まってしまいました」

「それはどういうこと?」

「気配を探ることを阻害する何かがあるのでしょう。私は並みの結界程度なら、ある程度通過して探ることができます。それができないとなると――」

「まさか、『城』を既に築いているとでも言うの!?」

「『城』って何? アノルン?」

「城っていうのはね――」


 高度な結界を意味していて、物理的な城のことではない。防御魔術を高度にすれば結界となり、さらに高度になると『城』と呼称する。平たく言えば、魔王や高位の魔術士など作る自分に都合のいい空間である。

 『城』の大半がなんらかの属性への力場変化フィールドチェンジ程度だが、現実の存在や法則に影響を与えるほどになるものもある。


「……と、いうことよ」

「それって、凄くまずいんじゃない? 対抗手段はあるの?」

「まあ城もまずいけど、おそらくまだ強力な結界のレベルだわ。もし城だったら森に近いこの村にも何らかの影響が出ているはずだし、アルネリア教会だけでなく他の組織も動いているはずよ。それに城の構築には熟練の魔術士が複数でも最低でも数ヶ月はかかるわ。でも魔王が確認されたのは一ヶ月前って言ったわよね、アルベルト?」

「それは間違いありません。その時にはまだ、結界の予兆すらもなかったと報告されています」

「じゃあ城ではなく、まずもって結界だわ。歴史上確認された自然発生による魔王の城構築は最短一年。もし魔術を使用するわけでもなく、一ヵ月で城を組み上げるような化け物が相手なら、世界破滅の危機よ」


 アノルンが厳しい面持ちで答える。


「ま、世界滅亡を可能にするほどの魔王の、最初の相手になるって可能性もあるけどね」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ!」

「だーいじょーうぶだって、そんなことまずないから! こう見えてもくじ運には自信あるのよ」


 アハハとアノルンが軽く笑い飛ばすと、彼女はもういつもの明るい顔に戻っていた。


「じゃあ今日は寝ましょ、明日早朝に出発するわ。はいはい、寝る準備に行った行った」


 アノルンに急かされるようにその場で解散になり、全員がそれぞれ散っていく。そしてアノルンがぼそりと呟いた。


「ふん、もっと絶望的な戦いなんて何度も経験してきたわ。こんなことでアタシがびびりますかっての」

「アノルン様、よろしいですか?」

「なーによ、アルベルト。まだ寝ないの? それに様付けはやめなさいって言ったでしょ?」

「そういうわけにはいきません。私は既に妥協しているのですから」

「どこが妥協してんのよ」

「本来なら、ミランダ様とお呼びしたいところです」


 瞬間アノルンの顔が険しくなる。


「アンタ……どこでその名前を?」

「ここではアルフィリース殿に聞かれます。一角の部屋を借りてますので、そこで。リサ殿にも聞かれないように防音の結界を張っています」

「わかった、いいだろう」


 アノルンが滅多に見せない険しい顔をした。下手なことを言えば、アルベルトを殺しかねないほどの表情である。二人は足早に部屋に入り、鍵をかけて向かい合った。

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