第11話 最高教主の依頼④

***


「ちょ、ちょっと!」


 ミリィはずんずんとアノルンの手を引いて進んでいる。


「どこに行くのよ!」

「あそこの部屋なら誰も来ないでしょうから」

「とりあえず手を離してよ!」


 手を振りほどこうとアノルンが力を込めるが、まるで離れる気配がない。


「(この子!?)」


 大の男を吹き飛ばすアノルンの腕力である。今度はかなり力をいれて振りほどこうと試みるが、万力のような力で締め上げられた。


「ツッ!」


 あまりの力に、アノルンが思わずうめき声を出す。


「(―――なんて腕力。これは普通の人間のものではないわ)」


 アノルンの顔が青ざめる。そのまま部屋に投げ込まれるように連れ込まれると、ようやくミリィがアノルンの手を離した。そしてミリィが一瞥いちべつすると、後ろで鍵がガチャリと自動的に締まる。


「くっ、あなた何者? 騎士を連れて巡礼するようなシスターに、あなたみたいな若いシスターは就けないわ!」


 するとややうつむいているミリィから、くっくっくっ、と忍び笑いのようなものが聞こえてきた。


「ようやく会えたな、シスター・アノルン?」


 顔を上げたシスター・ミリィの顔は、先ほどまでの愛くるしい笑顔が嘘のように、口の端をニヤリと吊り上げて邪悪に笑っていた。


「だから誰なのよ、アナタ!?」

「まだわからんのか?」


 アルフィリースに微笑んでいた時の天使のような表情が嘘であるかのように、邪に口元を歪めた表情でミリィはアノルンを見ている。


「さっぱりよ!」

「ワシじゃよ、ワシ」

「何それ、新手の詐欺のつもり?」

「いや、どっちかというともう使い古されておる……って違うわー!」


 ミリィがイライラしているのか、地面をダン! と踏みしめる。


「お主、本っ当にわからんのか?」

「アタシは幼女に知り合いはいないわよ」

「くっ、貴様がここまでニブかったとは。どうやら折檻せんとわからんようじゃのう?」

「折檻って……ま、まさかマスター!?」

「ワシの印象は折檻だけか!?」


 ついにミリィが地団駄を踏み始めた。その仕草をちょっと可愛らしいと思ってしまうアノルンだが、彼女の正体を知っていると笑えなかった。


「っていうか、わかるわけありませんよ。前に会った時はオバサンくらいの外見でしたよね? 姿どころか声まで違うし。姿形を変えられるのは知っていましたけど、ちゃんと事前に教えてくださいよ。なんでまた幼女の恰好なんですか、趣味ですか?」

「趣味と違うわ! 事情は色々あるのじゃがな。ともあれどうじゃ、似合っておろう? こういう格好は久しぶりでのぅ」


 くるんと一回転して、フフン! と、得意げな顔をしているミリィ。


「この恰好で下町にお忍びで行くとな、便利なんじゃよ、色々」

「……例えば?」

「そうさな、店じまい半刻前を狙って下町の焼き菓子の店で『おじちゃーん、遊びにきたよ!』なんて言うと、余ったお菓子を高い確率でもらえるぞ?」

「な、なんてみみっちい……やっぱり趣味じゃん」


 ぐったりするアノルンをしり目に、ミリィの自慢は止まらない。


「先週なんぞは視察も兼ねて下町の孤児どもと、缶蹴りで遊んだのう……なかなかよい運動になった!」

「いやいや、自分の歳を考えて? あえて言いましょう。ババア、無理すんな」

「言うに事欠いてそれか!? 貴様だって大概な歳じゃろうが!」

「アタシ、見た目は若いままなので。使い古した×××ひっさげて何言ってんだか……」

「まだまだ全然いけるわい! 貴様こそ男の前でばかり猫撫で声しよってからに、この×××の分際で!」


 なぜそれを知っていると指摘する前に、アノルンは顔を真っ赤にして反論した。


「くっ、それを言うか? アンタの×××な××言いふらすわよ??」

「やってみろぃ! 貴様の恥ずかしい×××を教会中に勅令で伝達するぞ?」

「言ったわねぇ!? この××××―!」

「やかましゃあ、この××―!」


 この表現するに耐えない言い合いが、この後しばらく繰り広げられることになる。防音の魔術がなければ、アルネリアの権威は失墜し、地に落ちるどころか地面の下に潜っただろう。外で待たされているアルフィリースとアルベルトのことは、完全に忘れ去られていた。


***


「ハァ、ハァ……このパワハラ上司!」

「フゥ、フゥ、権力は濫用してナンボじゃ! ちっとは目上を敬わんかい」


 全力で言い争うこと四分の一刻。さすがに両者の体力が切れた。いつもの二人の再会といえば、いつも通りである。


「一端休止じゃ。さすがに疲れたわい」


 ふー、と息を吐きながら、どかっと手ごろな椅子にミリィは腰をおろしている。その態度たるや尊大そのものであるが、姿形は変わっても似合うものだとアノルンは考えていた。なぜなら彼女は巡礼のミリィなどではなく、アルネリア教会最高権力者、ミリアザール最高教主本人だからである。

 この大陸に百八十七の教会、九百七十四の関連施設、総勢三万を超える神殿騎士・周辺騎士団と、五万以上のシスター・僧侶を抱え、関連業務への従事者も加えれば数十万を数えるアルネリア教会の最高権力者、最高教主ミリアザール。教会の歴史は正式発足前から数えて八百年にも及び、各国の王、都市の首脳陣で、果ては獣人の国にまでその影響が及ぶ大組織である。

 各国の政治に直接口を出すことは禁じている一方で、魔物征伐や貧民救済には力を注いでおり、被害抑制のためには各国に協力体制、時には戦争停止までを求めることができ、アルネリア教会の協力要請を無視することは、以後どのような状況においても教会の手助けを必要としないという意志表明になってしまう。そのため、必ずしもアルネリア教会に好意を持っておらずとも、協力せざるをえないというのがこの世界の暗黙の了解である。

 その最高教主自身は滅多に人前に出ることはなく、対外的には『聖女』と呼ばれ、おおよその時間を教会奥の深緑宮と呼ばれる宮殿で暮らしている。

 その姿を直接見たことがあるのは、三人の大司教、直属の親衛隊、あとは身の回りの世話をする女官ぐらいである。他には公式の行事で王族が生涯に数回見ることができるかどうかである。アノルンはその中でも例外的に、ミリアザールに直接目通りと意見を許された人間だった。


「で、何の用ですかマスター。わざわざ出向かれるからには、相当に火急の要件なんでしょう?」


 やれやれ面倒くさいと思いながらも、少し真面目な雰囲気に戻ってアノルンが質問する。


「まあ火急半分、遊び半分じゃな。貴様が本部におらぬと退屈でしょうがない。最近の奴らは真面目すぎてのう。ワシの護衛や大司教もとんだ堅物ばかりじゃし」

「遊び半分って。護衛――ちらりとしか見ていませんが、あれが今代の最強ラザールで?」

「そうじゃ。ラザールの名は貴様にも懐かしかろ?」


 ミリアザールはいたずらっぽくアノルンに問いかける。アノルンはしかめっ面で答えた。


「懐かしすぎて反吐がでます。どうせ似非えせ爽やかイケメンでしょう? あの顔面に向けて吐いてもいいですか?」

「もちっと慎み深い言い方はできんんのか? 貴様と唯一対等に口をきいた家系の者じゃ。貴様が現在の任務に就く前じゃから、百年以上も前のことか」

「あの時は最悪でした。本当に吐きそうでした」

「ワシにとっても最悪じゃったな! もう五代も前のラザールになる。あやつめ、ワシの側仕えの侍従を片っ端から手籠めにしよってからに。まさか侍従を三年で全員入れ替える羽目になるとは思わんかったわい」


 その当事者の顔を思い出して、げんなりするアノルン。


「私も手籠めにされかけました」

「嘘つけ! あやつが貴様を口説きに行く度に、奴の悲鳴が深緑宮に響き渡ったろうが? 教会中の名物行事じゃったわい」

「こっちはとんだ大迷惑でしたけど。あれで当時の神殿騎士団最強だったんだから、驚きです」

「歴代でも有数の使い手じゃったよ。現在のラザールも同じじゃ。この前大隊長格を三人まとめてあしらいよったわ。強さだけなら歴代随一じゃろうし、純粋な剣の能力で奴より強い者は、大陸中探してもそうおるまい」


 ちょっとだけミリアザールは得意気に話す。アノルンが直接関わったラザール家の者は五代前の人間だけなので、ラザール家といえば自然とその人物が思い出された。


「(初対面でいきなりアタシの尻を鷲掴みにしながら、『やぁ、美人ちゃん!』とか言ってヘラヘラしていたあいつ。その時全力で百発ぐらい殴り飛ばしたのに、翌日にはアタシの胸を鷲掴みにしながら同じことを言ってきた。あんなくじけない阿呆は後にも先にもあいつだけだったわ。しかもあれだけ人に『生涯愛するのは君だけだ』とか言いながら、ちゃっちゃと違う女と結婚しやがって……『教会律の守護者』とかいう大層お堅い二つ名をもっていたくせに、なんて適当な奴だと当時はむかっ腹が立つだけだったけど、今ではそれすら懐かしい記憶だわ。永遠に生きていれば、いずれ全ての記憶をただ懐かしいと感じられるようになるのかしら?)」


 そのアノルンの回想は、ミリアザールの言葉によって中断される。


「ともあれ、あやつのおかげで貴様は人間らしさを取り戻した。感謝はしておけよ?」

「さて、顔くらいは思い出せますが。墓を酒瓶でぶん殴ってやりたい気持ちになります」

「気持ちはわかるが公的には尊敬された男じゃ、さすがにやめておけ。ワシにとっても奴は忘れられぬ男の一人でもある。死に様まで含めてな」

「……それで、要件とは?」

「おおいかんいかん。やはり歳かの、話がそれてしまう」


 ミリアザールは居住いを正して向き直る。今度の表情は真剣そのものだ。


「まずは、貴様の現在の任務についてじゃ」

「はい」


 もはやアノルンにも茶化す様子はない。教会内で最も過酷な巡礼の任務に就く者として、最高教主の言葉を謹んで聞いている。


「貴様が『巡礼』なる任務についてから百年余り。我が教会の版図は広がり、不正も随分正された。また魔物の活動や、国家間の戦争もかなり少なくなったと言える。これは貴様の功績に依るところが大きい。巡礼の中でも、貴様の功績は別格であり、また伝説的な存在となっておる」

「正直実感はありませんが、ありがたき御言葉として頂戴いたします」


 アノルンは素直に頭を垂れる。


「貴様が行った行動を手本として、現在同様の任務に就いている者の内訳が、シスター・僧侶が七十八人、神殿騎士が三百五十四人。もはや巡礼の業務は軌道に乗ったと思うて差し支えなかろう。現時点をもって貴様の巡礼の任務を解く。長い間大義であった」

「御意にございます。で、新しい任務とは?」

「そう急くな」


 ミリアザールは一度目を伏せる。


「まずは今回出現した魔王のことじゃ。魔王の出現自体は世に知られる常識と違いそれほど珍しくもないが、どうも出現の仕方が不自然でな。へたな者を向かわせたくなかったのじゃ。討伐だけでなく、調査も行う可能性があると考えると、魔王討伐の経験が複数あり、かつ少数で魔王を倒せる実力者を選ぶ必要があった。それで貴様が適任じゃろうと思うてな」

「魔王の出現は確実なので?」

「先日確認をとったが、間違いない。ここより北西に馬で七日ほど分け入った森の中じゃ」

「まさか!? 街に近すぎます」

「ワシもそう思う」


 ミリアザールの言葉が真実なら、相当に危険な状態である。


「(何の兆候もなく、魔王の出現? いやそれよりも、このあたりは近年大きな戦乱もなく、死霊アンデッド悪霊フィーンドが発生しないように、そして魔物が大量発生しないように教会による浄化もしっかり行われている。人間に敵意を持つ魔物にとっては非常に暮らしにくく、毒気を抜かれるような場になっているはずだわ。逆に元戦地や、闇に属する土地というのは魔物にとって成長に適した場となる。そのようなことが数百年前にわかってからは、教会に限らず、各国が協力して土地の浄化を行ってきた。このような大都市が近くにある場所は特に浄化が進んでいて……浄化が進んでいるからこそ、大都市化しているともいえるけど、魔王となる魔物が育つような余地はないはずだわ。それなのに……)」


 アノルンの思考がめまぐるしく回転する。だがどう考えても手持ちの情報では答えは出ない。


「誰かの手による、意図的な魔王発生だと?」

「わからん。そのようなことをして誰の得になるのか……そもそもこれだけ大規模で浄化を行っても、魔王の発生が消えたことは一度もない。西方オリュンパス教圏からの流入か、あるいは南の大陸から入ってきているのかと今までは思われていたが、はっきりとした原因はわからぬままじゃった。元々おかしな報告はここ十数年で少しずつ増えてきてはいたがな。そういった背景も含めて、今回は巡礼の一番手であるお主に調査・討伐を依頼したい」

「マスターの命令とあらば、いかようにでも。ではアタシ一人で?」

「いや、アルフィリースを連れていけ。アルベルトも貸してやろう」


 その言葉に、アノルンの表情が険しくなる。


「! マスター、彼女の事情を知った上でアルフィリースを利用するつもりですか!?」

「そう凄まじい剣幕をするな……そうではないよ。一つにはいざという時のために、アルフィリースにはアルネリアという庇護があることを事実にしておくため。もう一つは、お主もそろそろ乗り越えてもよいじゃろう? アルベルトもアルフィリースも、簡単に死にはせぬよ」

「ですが、しかし」


 アノルンにしては珍しく歯切れの悪い、戸惑ったような表情をした。ミリアザールはアノルンをたしなめる。


「貴様がそんな顔をするようになるとはな。むしろ、じゃからこそアルフィリースを連れていくべきじゃ。実はここ数ヶ月お主の様子をそれとなく使い魔を通して見ておったが、お主はアルフィリースをただの監視対象として既に見ておるまい? もしお主があの娘の真の友人たらんとするならば、絶対に連れていくべきじゃ。所詮我々は血塗られた身よ。いかに崇高な理想と理念を掲げようとも、血の雨が降る荒野を行くことは避けられぬ。今までもこれからも、共に戦えぬような間柄では真の友人にはなりえぬだろう」

「ですがアルフィリースは……」

「お主にとっての試練は今からじゃが、アルフィリースにとっての試練はもっと先に訪れる。あれほどの能力をもつ娘、野に放たれて放っておかれることなどあるまい。アルドリュースの関係者であるならなおさら、そしてあの娘と直接話して確信できたわ。おそらく、一人では乗り越えられぬほどの数多く、そして重い試練が訪れるはずじゃ。あの娘はお主が思うておる以上の人間じゃよ、アノルン。いや、二人の時は昔のようにミランダ、と呼ぶか?」


 アノルンは反論しようとしたが、ミリアザールの瞳に満ちる色はただ慈愛であり、その眼差しに反抗することなど不可能だった。これだから昔から苦手なのだとアノルンは小さくため息をつく。

 ミリアザールが本気でアノルンを心配していることは痛いほどわかる。本名で呼ばれるのは二度と御免被ごめんこうむりたかったが、確かにアルフィリースに嘘をつき続けるのも心苦しかった。あの子になら言える――いや、言うべきだと。アノルンはそう思い始めていた。


「アルフィリースが壁に突き当たった時、真の友の助けが必要になるじゃろう。お主はそれとも、あの娘がどうなってもよいか?」

「いえ……いいえ!」


 アノルンははっきりと答える。その表情を見て、ミリアザールは満足そうであった。


「ふむ、では今回の依頼、受けてくれるな?」

「御意にございます、マスター」


 アノルンは片膝をついて正規の礼をする。


「だからそう堅苦しくしてくれるな。ワシにとっても、お主は対等に話せる数少ない友の一人じゃと思うておる。公式の場ではともかく、二人の時は気楽にやってくれぃ」

「じゃ、遠慮なく。ヤってくるぜ、ババア!」

「それは遠慮しなさすぎじゃ!!」


 そして二人は口論の最初に戻るのであった。


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