第10話 最高教主の依頼③

***


 そうして目的地に無事着いたアルフィリース。ビスの息子は事情を話すと彼は厚くアルフィリースにお礼を言い、確かに無料で止めるように手配してくれた。食事も昼以外は配膳してくれるらしいし、滞在期間も特に指定されなかった。至れり尽くせりの待遇である。

 シスター・アノルンには宿屋で待っているように言われたアルフィリースだが、このような大都市の繁栄ぶりを初めて目の前にした彼女に待っていろというのは酷なものであり、宿屋の受け付けにアノルンが万一入れ違いになった時のため、言付けを残してアルフィリースは出かけることにした。ビスの息子も、安全に見て回れる店を教えてくれたのである。そして――


「へー、この剣滑らないようにわざと握りを荒くしてあるのね。刀身も耐久性重視? 斬るよりは叩き砕くのが目的かしら?」

「へぇ、あんた傭兵かい? その剣を手に取るたぁ、わかってるじゃないの。長旅ならそいつは逸品だぜ。長持ちで手入れもそんなに細かくねぇしな」


 思春期の女子であれば服飾店、宝石店、香料店などを見て回るだろうが、傭兵であるアルフィリースは旅の準備も兼ねて武器防具の店に真っ先に行った。アノルンが見れば色気がない、などとからかいそうだが、アルフィリースにとっては興味や実用性の方が優先である。また万一に備えて髪を染める染料も大きな街で補充しておく必要もあった。結局、武器防具、生活必需品の店で時間が消費されていくことになったのである。

 かつてアルフィリースの女性としての成長を想定して、アルドリュースの指導の中に魅力的に見える身だしなみや、貴族と知り合った場合に失敗がないように所作の指導もあったのだが、いかんせん妙齢の女性を目の当たりにせずに育ったゆえか、アルフィリースにとっては実感の伴わない指導であり、単なる知識として頭の中にしまわれたままとなっている。市井の者、あるいは戦いに身を置く女傭兵仲間ですら、身だしなみに日常的に気を遣っていることをアルフィリースが知るのは、もっと後のことだった。


***


 一通り必要な店を回るとさすがに剣だけを見ているのももったいない気がしてきたので、先ほどの宝石店でも見に行ってみようと歩き始めるアルフィリース。懐がやや寂しいので、目の保養か、あるいは毒にしかならないことも覚悟の上である。


「(あら……?)」


 その途中で、通りを歩く二人組に目がとまった。小さなシスターと青年の組み合わせである。通りには大勢の人通りがあるのに、不思議なことにその二人に視線が吸い寄せられたのだ。

 小さなシスターは服装がシスター・アノルンと同じであり、同じアルネリア教会の所属であろうことは予測がついた。アノルンと同じく肩くらいまでの金色の髪に、くりっとして大きい瞳の色は緑だ。年は十歳程だろうか。

 アルフィリースも魔術の心得がある以上、相手の魔力の大きさは察することができる。施療院などにいるアルネリアのシスターは常人の数倍、アノルンはさらに強かったが、この少女は今まで見た中でも別格である。加えて、アルフィリースには上手く表現できなかったが、まとう空気もまた常人と違う。高貴、あるいは燦然というのか。幼いはずなのに、見た目と雰囲気に齟齬そごがある子だとアルフィリースは思った。

 一方の青年も同じく、金色の髪に緑の瞳だった。背は男子としても高めになるだろう。鎧はつけておらず旅の衣装をしているが、背中には少女の背丈ほどもある大剣を背負い、明らかに並々ならぬ強者の雰囲気をかもし出している。余程鍛えていなければ、大剣を背負うだけでも歩き方がずれるはずであるが、姿勢よくまっすぐ伸びた背筋が彼の鍛錬を物語った。


「(すごい使い手ね……今まで見た中では一番かも。あの大剣、本当に振れるのかしら?)」


 端正で気品があり優男にも見える顔と、戦士として纏う鋭い雰囲気に大きな差がある青年である。こちらも前を歩く幼いシスターほどではないが、アルフィリースは言葉にできない違和感を感じていた。


「(まっすぐこっちに来る?)」


 その二人組が、まるで人混みがないかのごとくまっすぐアルフィリースに向かって歩いてきた。人垣の間を縫うというよりは、まるで人が彼らに対して道を譲るかのようだった。

 そしてあっという間にアルフィリースの目の前に来ると、小さなシスターはとても愛くるしい笑顔を彼女に向けたのである。


「初めまして。アルフィリース様で間違いないでしょうか?」


 小さなシスターは、とても丁寧かつ優雅な仕草でアルフィリースに挨拶をした。アルフィリースは旅の中で聞きなれないほど丁寧な挨拶に、あたふたと返事をする。


「え、ええ。そうだけど、貴女は?」

「これは申し遅れました。私はアルネリア教会本部所属、シスター・ミリィと申します。背後に控えますは、神殿騎士アルベルト=ファイデリティ=ラザールと申します。以後お見知りおきを」


 背後の騎士も簡素ではあるが、胸に手をあて礼儀正しく一礼をする。


「なぜ私を知っているの?」

「シスター・アノルンから、同道している黒髪の女性がいると連絡をいただいております。失礼ではありますが、西門にいらした時からこのアルベルトに見張らせておりました。シスター・アノルンは声をかける暇もなく行ってしまいましたので、こうしてアルフィリース様だけに声をかけさせていただきました。シスター・アノルンとは火急の要件にて、ここミーシアで落ち合う手筈となっておりましたが、詳しい合流場所を伝えていなかったもので。やはり彼女は教会に向ったのでしょうか?」

「ええ、そのはずだけども」

「そうですか、では行き違いでしたね。そういうことであれば私はこれから教会に向かいますが、アルフィリース様はどうなされますか?」


 アルフィリースは知らぬ都市で放置される危険性を考えた。


「用事は終わったから私も教会に行こうかな。行き違いは嫌だし、迷ってもなんだし。ああ、それで『様』付けはくすぐったいから、どうぞ呼び捨てにしてくださいな」

「ではアルフィリース、と。私のことはミリィとお呼びくださいませ」

「わかったわ」


 笑顔でアルフィリースに微笑んだシスター・ミリィは、アルフィリースを誘導するように先に歩きだした。神殿騎士のアルベルトは、彼女に目で先に行くように促している。仕方がないのでアルフィリースはミリィに並んで歩きだした。


「(に、しても隙がないわ、この騎士)」


 後ろについて歩き出した騎士が周囲に警戒心を振りまいているのがわかる。おそらく半径十歩以内に害意をもって近づいた者は、瞬きする暇もなく斬り捨てられるだろう。アルフィリースがこのシスターに何かしようとしても、きっと同様だ。


「(それでいてさほど不快ではない……こういう周囲警戒の仕方があるなんてね。後ろからばっさりやられる瞬間まで気付けないかもしれない)」


 機会があれば後ろを歩く騎士に一度手合わせを願いたいものだ、もし手合わせするとしたらどうなるだろうか、などとアルフィリースがあれこれ考えながら歩いていると、ミリィがいつの間にかアルフィリースのことを下から見上げていた。


「ふふ、アルベルトのことが気になりますか?」

「あ、ごめんなさい。すごい腕前の騎士だなと思ったから」

「アルフィリースも剣をお使いになるようですね。確かに、アルベルトほど腕の立つ騎士は神殿騎士団内にもあまりおりませんわ」

「そうなんだ。少なくとも私が今まで見た剣士の中では、一番かもしれない」

「まぁ、そうなのですか」


 ミリィは楽しそうに笑っている。それほどの騎士が守るからには、彼女は教会にとって余程重要なのだろう。それからも他愛のない会話を交わしているうちに、この少女の知性に驚かされるアルフィリース。言葉遣いが大人びているのは育ちにもよるからわかるとしても、都市情勢、国家情勢、商業の流通から流行りの芝居、露店に並ぶ宝石やら、挙句にはどうでもよさそうな変な格好の道化人形にまで詳しい。

 アルネリアのシスターとは皆このような者かと思いつつも、自分が知っているシスターとは随分違うなとアルフィリースは思った。


「ミリィは随分と色んなことに詳しいのね」

「私もシスター・アノルンと同じく、巡礼の任務を負う者ですから。一定以上の教養と実力が求められますゆえ」

「アノルンはお酒やら俗語やら、そういうことにばかり詳しかったような……人間の差かしら?」

「いえいえ、シスター・アノルンも立派な方ですよ? そうは見えませんでしたか?」

「どうかしらね? そういえば、シスターとは何の用事で落ち合うの?」


 アルフィリースの疑問にミリィが答えてくれるのかと思ったが、


「着きました」


 と質問に答えることなく、ミリィが穏やかに告げた。気が付けば、ちょうどミーシアにあるアルネリア分教会の目の前に到達していたのだ。


「立ち話もなんですから、まずは中に入るとしましょう」


 すたすたとミリィが中に入っていき、アルフィリースもそれに続く。


「祈りを捧げているシスターがいますね。この教区のシスターでしょうか?」


 扉を開けて中をそっと覗いてみると、夕日が天窓から差し込む中、扉を開けたアルフィリース達に振り向くこともなく一心に祈りを捧げるシスターがいる。教会創設者と言われる聖女アルネリアの像を前に、両膝をついて両手を組み、祈りの言葉を呟きながら微動だにせず祈りを捧げている。純白のシスターローブに夕日がキラキラと反射して、まるで高名な一枚絵を見ているようだった。

 アルネリア教会では偶像崇拝は禁止ではなかっただろうかとアルフィリースが考えていたが、そうしてアルフィリース達が時間を忘れたように立ちつくしていると、祈りが終わったらしく、シスターが立ち上がりその姿が確認できた。祈りのことなどアルフィリースにはさっぱりだが、素人目にもこれだけ敬虔けいけんな祈りを捧げるシスターには興味があった。が、振り返ったシスターの正体は――


「シ、シスター・アノルン!?」


 普段の彼女の印象とかけ離れすぎていたため、すっかり当人である可能性を失念しており、アルフィリースは素っ頓狂な声を出してしまった。場末のチンピラを従える酒浸りの酔いどれシスターだとばかり思っていたのに、まさに精霊と見まがうほどの気品をたたえていたせいだ。

 アルフィリースの声に反応したのか、アノルンが丸い目をして驚いていた。その時にはもはや普段のアノルンに戻っていたのだが。


「あらアルフィ。宿で待っててくれればよかったのに」

「いや、そのつもりだったんだけど――」

「お姉さま!」


 アノルンが反応しきる前に、ミリィがアノルンに抱きついた。


「お姉さま! もうずっと連絡をいただけないから、ミリィはとても寂しかったんですのよ?」

「え、あ……ミ、ミリィ?」

「もう! 私の顔を忘れたんですか!? 私、お姉さまとずっとお話したかったんですのよ? 教会からも火急の要件を承っておりますし、まずはこの教会の一室を借り受けましょう! それではアルフィリース、一端失礼してシスター・アノルンをお借りします。アルベルト、アルフィリースに失礼なきように! では後ほど」


 言うが早いかミリィはアノルンの手をぐいぐいと引いて、扉の向こうに消えてしまった。後にはぽつんとアルフィリースとアルベルトのみが残されている。結局要件を聞きそびれたとアルベルトの方を見たアルフィリースだが、アルベルトは目を瞑ったまま黙して動こうともしない。話かけづらい雰囲気が二人の間に流れている。


「……」

「……」

「……」

「(……間が持たない、どうしよう)」


 沈黙が続く。用事がない時以外男性と話す機会などほとんどないアルフィリースには、酷な状況だった。

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