第9話 最高教主の依頼②
***
「ハァ、ハァ、ハァ……なんでこんなに急ぐ必要があったの?」
「理由は後! とりあえず、この街の教会に顔出してくる! アルフィは荷物を持って、例の宿屋に行っておいて!」
と、言うが早いか駆けだしていくシスター・アノルン。山三つ程度駆けまわっても平気な体力のアルフィリースでも相当に疲弊しているのだが、いったい彼女はどういう体の構造をしているのかと疑問に思わざるをえない。これからのこと、下手をしたら一戦やるのかと身構えたアルフィリースに決意と悩みは、疲労で吹き飛んでいた。
ちなみに、ここはミーシアの街の西門である。もう三刻ほども前のことだろうが、アルフィリースが用を足して帰ってくると、何かを叫びながら真っ青になっているアノルンが立っていた。声をかけると血走った眼をしたアノルンに引きずられるように馬に乗せられ、無茶苦茶な速度でここまで馬を駆って今に至る。途中で誰も
途中、何より可哀想なのは、あまりの飛ばしっぷりに馬が助けを求めるような視線を二人に送っていたのだが、アノルンの鬼の様な形相を前に休憩などと言い出せるような雰囲気ではなかったので、
「(ごめんね、お馬さん…あとでおいしい飼い葉をいっぱいあげるから)」
と、心の中でアルフィリースは言いわけをしながらここまで来てしまった。馬も止まればアノルンに殺されかねないと思ったのか、無茶苦茶な鞭入れにも必死で走り続けてくれた。
そのせいで馬もついに限界を超えたらしく、天下の往来にもかかわらず寝そべって動こうとしない。なぜこんな天下の往来で、通りがかる全員に注目されなければいけないのか。恥ずかしくて死にそうなアルフィリースだったが、とりあえずなんとか馬を起こし、水を飲ませてから門衛のビスに紹介してもらった宿屋を探すことにした。
「広いわね、この街……」
アルフィリースはようやく落ち着いて周囲を見渡したが、街に入るための城壁も高く、門衛の数も小隊なみの数である。
話にこそ聞くものの、ここミーシアの街は現在アルフィリースがいる大陸の中でも十指に入る大都市なのだ。北の主街道こそ直接合流しないが、東・南の主街道はこの街につながっており、人通りがとにかく多い。人口は確か八十万を超えるはずだと、アルフィリースは聞いている。東の国家群からつながる三街道の中でも一番大きく、かつ最も安全な街道の玄関口なのだから無理もない。なお、ここから西に行くほど治安が悪くなると言われており、最も文化的な東側の影響を受ける境界の都市でもある。
ミーシアが属している国家、フルグンド王国がもっと交易に精を出す国であれば、さらに栄えていてもおかしくはないのだが、ミーシアの発展も地の利に比して今一つという評判である。
それでも、ミーシアはアルフィリースが見た中では最大の都市だった。その都市の街路に並ぶ露店の品々は東西様々な文化と特産品が混ざり合っており、思わず年相応な歓声を上げるアルフィリースである。
「わぁ、きれい」
南の国家群から運ばれてくる宝石、食物、繊維製品。色とりどりの物品がアルフィリースの心を奪ってゆく。この通りの店を見て回るだけで三日はかかるだろう。こんな通りがざっと見ただけであと四本はあるのだ。
「ああ、だめね。とりあえず馬をゆっくりさせてあげないと」
アルフィリースは後ろ髪を引かれつつも、露店は後回しにしようと思い直し、宿を探してきょろきょろしながら歩いていると、突然背後から声をかけられた。
「そこの黒髪のお嬢さん、宿をお探しかい? ウチなら安くしておくよ。一晩飯付き、馬屋付きで五十ペントだ! どうだい?」
声をかけてきたのは陽気な獣人の青年だった。かつて獣人という種族は人と獣の中間のような生き物と考えられていたが、現在では完全に独立した種族だと考えられている。
容姿は人間に近しいが体毛は深めで、種族によっては尻尾を持っていたり、翼を持っている者もいる。彼らは主に軍事国家グルーザルドを中心として南方に国家を複数形成しているのだが、南からの街道が合流するこのミーシアでは、獣人がいても不思議ではない。
アルフィリースも旅の中でほとんど獣人を見たことはない。かつて魔王の尖兵として活躍した獣人もいるため、土地によっては差別が根深い場所もあるのだ。アルフィリースは特に差別意識は持っていなかったが、信頼できるかと言われれば難しい。
「あいにくだけどもう当てがあるの。それよりあなた、黒髪が嫌ではないの?」
「そんなこと言ってたらここミーシアでは商売ができないさ。周囲を見てみな、それなりに黒髪の人間はいるだろう?」
言われてアルフィリースが周囲を見渡すと、数名は目に入ってきた。
「確かにいるわね」
「東方の大陸では、魔術の素養と関係なく黒髪の人間もいるって話さ。俺っちは行ったことがねぇけど、東の方に行くほど移民も多いから増えるって聞くぜ? ミーシアくらいの大都市になると、まぁまぁ黒髪だって見かけるんだよ。歩いているだけで迫害されるなんてことはねぇだろうさ。それに、それを言うならこっちだって獣人でね。ちなみに俺っちは人間との
なるほど、言われてみれば見た目が獣人よりもさらに人間に近いなと思う。耳や尻尾がなければ、ちょっと毛深い人間くらいのものだ。以前出会った獣人はもっと人間を敵意に満ちた目で見ていた記憶があるが、この青年が人懐こいのも、大都市ゆえの気風なのだろうか。アルフィリースはこの街を気に入り始めていた。
「あなたもあまり獣人っぽくないものね。旅の途中で多少見ることはあったけど、堂々と街中で商売をしている人は初めて見るわ。私は田舎の出身だから」
「そうかい。こういった大都市はいいが、商業が発展してない地域は偏見が強くて俺達には危険だからな。俺っちも、実際にはここと南のビーティムくらいしか行ったことがないよ。ここなら獣人同士の寄り合いもあるしね。もっと少数の亜人たちは滅多に見ないけど」
「気分を悪くしたのならごめんなさい、深い意味があって言ったのではないの。この都市に来て初めて話した人が獣人だったから、少し驚いたのよ」
「そうか、そんだけきょろきょろしてれば、確かに到着したばかりに見えるもんな。でも、獣人の俺っちに素直に謝れるあんたはイイ人だよ。黒髪でも滞在する分にはいいだろうけどけさ、やっぱり仕事をするとなるとそれなりに障害は多いかもしれないね。本格的な仕事を探すなら、もっと東に行くといいさ。さて。ここで出会ったのも何かの縁だ、お探しの宿の場所を教えてあげようか?」
獣人の青年は、親切にも宿の場所を教えてくれるらしい。普通ならそんな申し出は受けないアルフィリースだが、この獣人の青年は信用してもよさそうな気がしたので、相談してみることにした。土地勘のないアルフィリースが自力で宿を探そうと思ったら、それこそ日が暮れても無理かも知れないからだ。
アルフィリースは門衛のビスから預かった地図を見せる。
「ここなんだけど、わかるかしら?」
「この街のことなら俺っちにお任せだ。どれどれ……ああ、ここなら二本先の通りを右に行って三本目の通りを左だ。静かな通りだけど、宿屋が多くてね。確か紅い看板に、スコップのマークが目印のはずだ。馬屋もある」
「わかったわ。どうもありがとう」
「ちなみに俺っちの店は、晩御飯だけでも大歓迎だ! 獣人びいきの店だけど、人間の客も沢山いるからよぅ。南部の食べ物をいっぱい揃えているから、その気があったら寄ってくれよな! 緑に泡酒の看板が目印だぜ!?」
「うん、連れと相談してみるわ」
アルフィリースは笑顔を返してその場を後にする。獣人の青年は、まだ笑顔でアルフィリースに手を振ってくれている。非常に人懐っこい獣人だ。だが、この街で最初に出会った人物があのようであるのは幸先が良いと、アルフィリースは上機嫌になった。
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