第8話 最高教主の依頼①


「で、どうするの。やる? やらない?」

「え、そうね……」


 逆にアルフィリースから戦うかどうかと話を持ちかけられ、アノルンは困ってしまった。


「アタシがやるって言ったら、アルフィはどうする?」

「うーん。私も死にたくはないから抵抗はするけど、シスターを斬るなんて考えたくもないわ。まず逃げさせていただくわね」

「逃げても迷子になりそうだけどね。でもアタシも同じよ。アンタを殺すなんて考えたくもない」

「なんで? それが仕事じゃないの?」

「失礼ね。アタシの仕事は確かに通常のシスターとは違うわ。普通のシスターは決められた教区ごとに派遣されて、一つの修道院や僧院、教会で祈りを捧げたり、孤児院や施療院で奉仕活動を行うことが仕事だけど。アタシの場合は、もっと危険な仕事を請け負うだけよ」

「例えば?」


 アルフィリースの問いかけにアノルンは顎に手をやり、少し悩む仕草を見せる。


「例えばまだ教会の影響下にない地域に赴いて布教や奉仕の可能性を検討したり、荒れ果てた土地に行っての原因調査、戦地での医療活動もあるわね。必要があれば都市や国との折衝も行うわ。それに、教会の影響下にある地域で、正しく我々の活動が行われているかどうかを調査するわ。残念ながら私達のような組織ですら、私利私欲に走る連中がいるのよ。アタシの場合、さらに魔物の動向の調査や犯罪組織の摘発なんてものまでやるわ。まあ言ってしまえば、監査官ってところかしらね」

「で、それを何年くらいやってるのかしら?」

「それはそろそろ十数年――」

「それならもう三十どころじゃ――」

「な に か 言 っ た ?」

「な、なんでもない。私ちょっと用を足してくるね!」


 アノルンの額に青筋が走るのを見て、アルフィリースがすたこらと森の方に逃げるように走っていった。


「あんまり遠くに行っちゃだめよー? ってアタシは保護者か」


 はぁ、とため息をつくアノルン。なんだかアルフィリースに上手く話を逸らされたような気もしたのだが、まぁこれはこれで良しとしておくことにした。ちなみに、逃げられたとは微塵も考えていない自分に気付き、アノルンは不思議な気分になっていた。

 正直なところ個人的にはかなりアルフィリースを気に入っているため、もう少し報告を上げずに様子を見たいと考えていた。


「危険はないと個人的には思うけどねー、上はそう判断しないかしら。本当はああいう人物がいるって報告だけでもするべきだろうけど、存在が知られるだけでもあの子の行動にかなり制限かかりそうね。大司教三人とか、ハゲのくせに頭は堅いし」

「ハゲと頭の固さは関係ないじゃろうが。ま、頭が固いことは否定せんが」

「そういやそうか……って、誰?」


 きょろきょろとあたりを見回すが、誰もいない。だが、いつの間にかアノルンの隣に小鳥が止まっている。今羽を片方だけ上げたのは挨拶のつもりだろうか。


「貴様、自分の主の声を忘れたか?」

「ってだから誰よ? ってかどこよ??」

「貴様の目の前におろうが」


 小鳥が逃げるわけでもなくじっとアノルンを見ていた。小鳥のくせに、嫌に目線が鋭い。小鳥なのに、妙に貫禄がある。その目つきにもどこか見覚えがあるなと、アノルンは思うのだ。


「ま、まさか……」

「そう、そのまさかじゃ」

「アタシおかしくなったのー!?」

「いや、貴様はもともとちょっとおかしい……って違―う!」


 ついに小鳥がアノルンに飛びかかり、彼女をくちばしでつつき始めた。


「何よこの鳥! 頭から食っちゃうぞ!?」

「貴様、せめて火を通せ! いや、そうではないな。折檻せねばわからぬか??」

「その物言いは……ま、まさかマスター?」

「やっと気付きおったか、このたわけめ!」


 アノルンが気付いたことで自信を得たのか、小鳥がふんぞり返っていた。それも小鳥だとちょっと可愛いかもしれないと思うアノルンだったが、小鳥の中身は嗜虐しぎゃくを絵に描いたような最高教主だということを忘れてもいない。

 アノルンが急にかしこまって問いかける。


「で、いつから監視していたのですか?」

「一ヶ月前くらいかの。この使い魔である鳥を介してな」

「暇人ですか??」

「暇じゃないわ! というか、半年ほど貴様からの報告が全くないからじゃろが。二ヶ月おきには報告せよと申しつけておったはずじゃがなぁ。どうなっとるんじゃ!?」

「そ、それは~。てへ」

「てへ、とか言うとる場合か! 言うとくが、ごまかしはきかんぞ? ワシはかな~り頭にきておる。貴様、自分の任務の重要性を忘れたわけではあるまいな?」


 鳥の目つきが鋭くなる。手のひらサイズの小鳥に、威圧感を感じてたじろぐアノルン。


「ちなみにワシは今、ミーシアまで来ておる」

「げっ、すぐそこじゃないですか」

「日が沈むまでには街に到着せい。貴様から報告も受けねばならぬが、次に申しつける案件もある。事はそれなりに急ぐかもしれぬでな」

「報告すべきことでしたら、早急な件が」


 アノルンが、瞬間真面目な表情に切り変わる。


「わかっておる。魔王出没の可能性についてであろう? ワシの案件もそれに関与したことよ」

「! 既に御存じでしたか」

「ワシを誰じゃと思っておる、その辺中に目や口があるわい。なんなら昨日の夜、貴様が酒場でタンカ切った××の内容をここで再生してやろうか?」


 その言葉にアノルンの目が泳ぐ。


「そ、そんなことできるわけ」

「できるわい。なんなら、今日の貴様が履いておる下着の色形まで当てれるぞい?」

「セクハラですか!?」

「なーにがセクハラじゃ、シスターの分際であんな破廉恥はれんちなもん履きよってからに。貴様の携行物の内容を見たら、うちの教会の信用がた落ちじゃわい」

「やーめーてー!!」


 昔からアノルンは最高教主をどうも苦手としていた。実戦だけでなく、舌戦をしても勝てる気がまったくしないのだ。こんな口をききながらも、アノルンはこの最高教主がいなければ明日をも知れない身であり、大恩を感じていたのだから、仕方ないと言えば仕方ない。

 そして予想通りに、アルフィリースのことについて言及を始める最高教主である。


「ちなみに貴様の連れ――アルフィリースのことじゃがな」

「は、はい!」


 アノルンがさらに畏まり、岩の上に正座をする。


「(気付かれて当然か、私と一緒にいたんだから。こと異端や、平穏を乱す者に厳しいこの人だ。何事もないはずがない。でもこの人に睨まれたら、世界中どこに行っても安全ではないだろう。あの子を追いつめたら私のせいだ……)」 


 アノルンの背中をつつ、と流れる嫌な汗。だが予想外なことに、最高教主の言葉は実にあっさりとしていた。


「とりあえず保留にしておいてやろう」

「へぇ?」

「間の抜けた声をだすでない。ワシは危険が少ないと判断したのじゃ」

「なんで……?」

「不服か?」

「い、いえ」

 

慌ててアノルンは否定する。


「ちなみにアルフィリースの師匠であるアルドリュースとワシは、以前は多少交流があっての。あれの育てた者なら、意図的に間違いは起こすまい。ある時期からとんと連絡を寄越さぬようになったからどこぞで死んだかと思って調べさせたから、アルドリュースが隠遁した理由は知っておった。じゃが、まさかその時の理由となる少女が貴様と関わりを持つとはな。人の世の妙は全くもって飽きぬものよ。まぁ、アルドリュースの弟子であることそのものが、一番の問題かもしれんが」

「? それはどういう……?」

「それはまぁよい。それに我が教会の教義を忘れたか? 慈愛はその一つに入っておるぞ?」

「それはそうですが、あの子は異端認定されるのでは?」


 びくびくしながらアノルンは最高教主に尋ねる。だが最高教主の声は穏やかそのものだった。


「事件はまだ起こしておらぬし、事件を起こしそうにもない。先の町では人助けもした。貴様らの話をずっと聞いておったが、貴様に語った内容に嘘偽りは塵【ちり】ほどもなかったよ。そんな者まで処罰しておったら、世の中罪人だらけじゃわい。仮に闇魔術の使い手だとして、闇は悪とは違うからな。それよりも、慈愛の精神を持って正しき方向に導くことも我らが務め。違うか?」

「ははっ。寛大なご処置、感謝いたします」


 ふぅ、と安心して汗を拭うアノルンだが、最高教主が鋭い指摘を入れる。


「まぁ貴様も気に入っておるようじゃし、共に歩めるうちはアレの行く末は貴様が見届けよ。じゃが、貴様はあの子に嘘をつきよったな?」

「さて、何をでしょう?」

「何が十数年じゃ、数十年の間違いじゃろうが。貴様が現在の任務に就いてから、既に百年は経過しておるはずじゃ」

「それは――そのことを正直に伝えても、彼女は受け入れてくれないでしょう。それが普通ですから」


 アノルンが項垂うなだれるのを見て、最高教主は声の調子を柔らかくする。


「ワシはそうでもないと思うがな。あの子は『なぜか勝てる気がしない』と言った。本能で貴様の秘密を見抜いたのかもしれん。なんでもアリの勝負なら、お前ほど恐ろしい相手もおるまい」

「そうでしょうか?」

「まあ言う、言わんは貴様の自由じゃ。じゃが、真に友でありたいと願うなら言った方がええ。少なくとも、ワシのようにはなるな。ずっと嘘をつくのは思ったよりつらいぞ?」

「マスター……」

「っと、お喋りがすぎた。アルフィリースが戻ってくるようじゃ。ちゃんと忘れず、日が沈むまでにミーシアに到着するようにの。ちなみに間に合わなかったら、昔のように恥ずかしい折檻じゃ!」


 その言葉にアノルンが跳び上がる。


「恥ずかしい折檻って、ま、まさか??」

「ククク、例の『あれ』じゃ。昔、貴様にやった時はひんひん良い顔で泣いたのう……今から楽しみじゃわい。ワシとしては間に合わんでも一向に構わんぞ? 間に合わんでもな。ククク」


 不敵な言葉と共に、笑う筋肉のついていないはずの小鳥がニヤリとする。アノルンはとても嫌な光景を見た気がした。七日七晩は夢に出てきかねない笑みである。


「では待っておるぞ!」 


 言いたいことを散々言って、あっという間に行ってしまった最高教主。


「偉い人のくせに、なんて騒々しい……ん? そういえばマスター! 合流場所、街のどこですか?? あんな大きい街で夕方までにマスターを探せっての? 間に合うはずないじゃない!」

「ただいま~って、どうしたのシスター?」

「早くついてきなさい、アルフィ! 私の貞操がピンチだわ!!」

「いや、全くわけがわからないんだけど?」


 と言いつつも、二人してミーシアに馬を走らせんと飛び乗った。この慌てぶりまで含めて、最高教主が二人の様子を上空から観察していたのは言うまでもない。

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