第7話 呪印の秘密とアルフィリースの過去②

「私、師匠にはあっさりやられちゃってね。魔術士のくせに武術まで超一流なんだもん、反則みたいな強さだったわ。で、それから何をどうしたのか師匠預かりになって、人里離れて暮らすってことを条件に処分は免れたわ。他にも色々事情はあったみたいだけど、師匠は話してくれなかった。その時に、この封呪を師匠から施されたの」


 そう言ってアルフィリースは小手を外し、ぐいっと袖をまくってみせる。だがアノルンが見たところ、右と左で文様の形式が違うように見える。


「右と左で違うのがわかる? 左は師匠の施した呪印。右は、私が自分で施したものよ。左だけじゃ完璧じゃなくてね。魔術を学んでから新たに自分で施したわ」

「自分で? そんなことができるの?? それ以上に、正気の沙汰じゃないわよ!」


 呪印は施す者にも受ける者にも大きな代償を求める。正式な準備や触媒なく施せば何らかの機能廃絶、例えば味覚の消失や寿命の短縮などの代償を術者に求める。そして受ける側には消えることのない多大な苦痛である。ゆえに呪印は魔王や強大な魔物の封印や、罪人への最高の刑罰として用いられるのが通例だ。それを、自分で自分にかけるなんて、正気の沙汰ではない。

 アルフィリースの表情は、その重大さを微塵も感じさせないほど明るい。逆にそのことがアノルンにとっては痛々しかった。アルフィリースはアもノルンの内心を悟ったか、まくしたてるように話す。


「機能廃絶はなかったけどね。その代わり、呪印で封じられた分の魔力を使おうとするたびに呪印の侵蝕が強まるようになったわ」

「それは」

「そう、本来の魔力を使おうとするたびに苦痛が強くなるということ」


 あっさり言えるような内容ではない。アルフィリースの抱える苦痛はいかほどかと想像し、アノルンは身を震わせた。


「そんな心配そうな顔しないで、今は大した苦痛じゃないから大丈夫。小さい魔術なら問題ないし、魔力を解放しても長いこと魔術も使わなければ痛みは段々なくなっていくし、ここ数年は使ってないから痛みは全くないわ。ときたま思い出したようにズキズキするくらいよ」


 アルフィリースはかすかに微笑んでアノルンに説明した。


「でも私に呪印を施したせいで、師匠の寿命は短くなったわ。突発的な遭遇だったみたいで、触媒を準備する余裕がなかったみたいなの。師匠は私のことを本気で気にかけてくれた初めての人間。でも私が殺したのも同然よ」

「……」

「その師匠の遺言よ。『自分の心の趣くままに生きなさい』だって。恨みごとの一つでも言ってくれればよかったと、何度も思ったけど。でも師匠は私を本当の娘みたいに扱ってくれて――私にとっては実の親以上だったわ。後で知ったのだけど、私のことを魔術協会に密告したのは実の親だったみたいだしね。だから自分で施した呪印は、師匠に対する誓いのようなもの。決してあの人が私にしてくれたことを忘れないように、と。そうでなければ、実の親を恨んでしまいそうだから。それに、今更どんな顔して故郷に帰ればいいかなんでわからないわ。そういうことよ」

「アルフィ、あなた――」


 アノルンが悲しそうな瞳をアルフィリースに向けるが、アルフィリースは全く気が付かないふりをした。


「だから私は師匠がしてくれたように、この力は誰かのためにだけ使おうって決めたの。この力があれば誰か救える人がいるかもしれない。まだ自分が何をしたいのかはこれから探してみようと思っているけど、その過程で誰かの助けになれるようなら積極的に関わっていきたいわ。だけど、自分のためだけに――出世とか傭兵のランク上げとかだけじゃなくて、身を守る時ですらできる限り使うつもりはないの。あ、本当に命の危険があるとわからないけど、そもそも戦うような状況にならないように努力するし、その辺の暴漢が相手なら早々引けはとらない程度には鍛えたしね。他には――そうね、シスターが相手でも使わないかしらね。」


 アルフィリースの指摘にアノルンはどきりとする。


「な、なんでアタシが直接アルフィと戦わないといけないのさ? アタシはシスターだから最低限の戦闘能力しかないし、あくまで異常があれば報告する役目であって――」

「違うよね? 私がいくら鈍くても、さすがに気付くよ。いくら安全な街道だからって、シスターの一人旅なんてありえないよ。シスターの本業って、荒事でしょう? 本気になったら、私より強いんじゃないの? イズの町でだって、シスターの方にも何人かあの荒くれ共が行ったはずよ? 一人で片付けたでしょ?」


 アルフィリースがアノルンをまっすぐに見つめた。アノルンは返す言葉もなく、ただ黙ってアルフィリースの言葉を待っている。アノルンが想像していたよりも、アルフィリースは遥かに鋭いようである。そんなアノルンに構わず話を続けるアルフィリース。


「シスターって物腰が完全に戦士のそれだもの。そういうのって、見る人が見たらわかると思うわ。シスターは私を初めて見た時非常に気になったって言ったけど、私もそれは同じだったのよ? だって一目見てなぜか勝てる気がしない相手が、シスターの恰好をして人助けをしていたのだから。旅をしていて初めてだったわ、私が全力を出しても勝てそうにない相手って。世間知らずでも、戦士としての直感はそれなりのつもりよ?」

「そうなの――やっぱりアナタは只者じゃなかったわね。でもそれは買い被りよ、アタシはそんなに強くないわ。それより、やっぱり髪も染めているのね?」

「そうかなぁ、私の勘って結構当たるんだけどなぁ。ちなみに髪は想像の通り、黒に染めてるわ」

「ちなみに元の色は何色なの?」


 アノルンの純粋な興味本位の問いかけに、アルフィリースは少し困った顔をする。


「それは……答えてもいいけど、シスターのこともちょっとは話してよ?」

「アタシ? いいけど、答えられないことも多いわよ、仕事の都合上」

「じゃあ最初の質問。本当にシスターなの?」

「それは本当よ。れっきとした身分証もあるわ、ホラ」


 アノルンは懐から身分証タグを取り出してアルフィリースに見せた。


「本当だ。しかも司教? 司教の上って……」

「大司教補佐、大司教、最高教主マスタービショップだけよ」


 目を丸くするアルフィリースに、少しアノルンは自慢気に胸を張ってみせる。


「本当に偉い人なんだ」

「敬ってへつらいなさい」

「い、や、よ!」


 アルフィリースはアノルンに向かって、おもいっきり「イー」をした。年齢に比して幼い仕草にちょっとアノルンは面喰ったが、一番遊びたい盛りの年頃を山に籠って同世代の友達もなく暮らしたのだから、こういった掛け合いを全く経験していないのだろう。

 正直アノルンはアルフィリースと戦うつもりはあまりなかったが、必要ならばやむなし、と考えていた。必要とあればいくらでも冷徹になれる、また冷徹にならなければいけないことも彼女は充分に承知している。それはアノルンが、長らく戦う者として得た経験でもあった。

 実際、アノルンは巡礼の仕事として魔物討伐や犯罪組織の調査を請け負うこともあり、増援が間に合わない時は単独で討伐任務を行う時もあった。だがこういった自分に打ち解けたアルフィの仕草を見ていると、彼女は仮に自分がアルフィリースを殺そうとしても、彼女は本当に呪印を使うことはしないだろうと確信でき、アノルンはますます戦う気力を無くしていた。いっそ憎らしい相手か、こちらを恨んでくれれば楽なのだが。

 アノルンは一年近くの付き合いの中で、この随分と年下の、少女と言っても差し支えないほど幼い部分を残す女剣士を友人とみなすようになっていたのだ。

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