第6話 呪印の秘密とアルフィリースの過去①

 その後、イズの町を後にしてしばらく進んでいたが、アノルンの口数がいやに少なくなっていた。アルフィリースが話しかけても、生返事がほとんどである。アルフィリースはアノルンを訝しみ、やや心配そうに彼女の方を見た。


「どうしたの、シスター?」

「ん、いや何でもない」

「何でもなくはないでしょう、体調が悪いんじゃないの? 休憩しましょうか?」

「いいよ――いや、やっぱり休憩しよう」


 意を決したようにアノルンがアルフィリースの方を向いた。いつになく真面目な表情に、何事かとアルフィリースも構えなおす。


「そこの岩のとこに行こう」


 街道沿いは草原である。大陸の中ほどに位置するため昔から開けており、人の行き交いも盛んに見られる。前にも後ろにも隊商がいるし、馬のいななきも多い。このような状況で道端に腰を下ろすわけにもいかず、二人は少し街道をはずれ、街道から見にくい人気のない岩の上に腰かけた。

 アノルンが渋そうに話を切り出す。


「アルフィ、アンタには答えにくい話題かもしれないけどさ。質問してもいいかな?」

「私に答えられる範囲で良ければ」


 アルフィリースも話題の重要性を感じとったのだろう。表情は真剣である。


「今日朝ね、悪いとは思ったけどアンタの体の刻印を一部だけど見たのよ」

「やっぱりそうなのね。それで?」

「アンタの刻印は普通の刻印じゃない。民族の儀式や、あるいは罪人の証で刻印を入れることはある。ほかにも、魔術とか、家柄でね。王族だって、そういう刻印を王の証とする国家もある」

「……で?」

「私も専門家じゃないから詳しくはわからないけど、アンタのは呪印だった気がする。呪印と一口にいっても強化、隷属なんて色々あるけど、アンタのは魔力を封印する、封呪の類いに見えた」


 アノルンの言葉にアルフィリースは何も答えない。その態度を肯定と受け取り、アノルンは続けた。


「封呪の印ってのは、体に施す刻印としては最も強い種類だ。体を流れる魔力の循環を無理矢理阻害するから本人にもかなりの負担を強いるが、その分効果は高い。通常なら犯罪を犯した魔術士なんかに刑罰で使って、魔術を封じ込める時に使う。あるいは魔力が大きすぎて制御できない魔術士に使う場合もあるが、それでもせいぜい数文字、大きくて掌程度のはず。それをアンタ、両腕のほぼ全面に掘ってるね? それがただの封呪じゃなく、まじないを施した呪印なら、正気の沙汰じゃない。本当に呪印なのかい? 正直に答えてほしい」

「……正真正銘の呪印よ。背中と胸の一部にもあるわ」

「それだけアンタの魔力が強大ってことだね。呪印なら通常腕を一列で一周する程度でも、並の魔術士なら半永久的に魔術が使えなくなる。そんなものをそれだけ広範囲に施しながら、アンタはなおかつ魔術を用いた」

「なんでそう思うの?」

「逃げる荒くれ共に投げつけたダガーの飛距離。投げ方に対して、あんなに飛ぶはずがない。風の魔術か何かを使ったはずだ」


 そこまでわかる以上、やはり普通のシスターではないのかとアルフィリースはため息をついていた。旅先で何度も出会ったのは偶然ではない。おそらくは『そういう類』の案件を扱う、特殊な役目のシスターなのだ。目立たぬようにやっていたつもりだが、目をつけられていたということだろう。アルフィリースが問いかけた。


「そこまでわかるんだ。で、どうする? 私をアルネリア教会に連行する? それとも魔術協会に通報する?」

「まずは話を聞くけど、最終的にはアンタ次第だ。嘘偽りなく、正直に答えて欲しい」


 アノルンの目線が一層鋭くなる。


「アンタ、本当は何をしたい? それほどの力があればだいたい何でもできるだろ? 国に士官するもよし、魔術協会に属するもよし。ギルドだって本気でやればランクを上げて、相当な待遇を受けることもできる。それだけの魔力があれば、どうやっても引く手数多になるさ。なんだったら力で人を従えて、魔王みたいな君臨の仕方もあるだろう。ベグラードに行って、何をするつもりだ? そもそもベグラードに行くってのが嘘なのかい?」

「……私はね」


 アルフィリースがふと遠い目をする。


「自分が本当の意味で何をしたいのか、何をすべきなのか……まだよくわかっていないの。書物で知識としては世間のことを知っているけど、実感が伴わないことばかりだわ。本来なら結婚している年齢だとか言われても、恋人の一人すら作ったことすらないのに。世間を見るにしてもあてどなく放浪するわけにもいかないから、師匠の遺言に従って東のイーディオドの首都、ベグラードを目的地としているわ。やることが見つからなかったり、生活に困ればハウゼンって男に会うように言われたけど、とりあえずそこまで困っていないし、いつでもいいかなって思っているの。それより沢山世界を見てみたいし、色んな人に会ってみたいわ」

「故郷は?」

「故郷には帰れないわ。私は追放されたから」


アルフィリースはポツリポツリと話し始めた。


「私の生まれは普通の農家よ。貧しくはなかったけど、その日の食事に困らない程度のごくごく普通の家で育ったわ。でも私には生まれつき普通じゃない力があった。他の人には使えないみたいだったから親にも内緒にしていたけど、小さい頃は、その力を自分のために使うことが悪いとも思わなかったわ。暇な時に語り掛けてくる声があったり、不思議な物が見えたり、今ではそれが魔術の原型だとわかるけど、当時はなんだか不思議な力だとしか思っていなかった」


 アノルンは真剣な面持ちで、アルフィリースをという人物を測るかのようにじっと見ている。


「困った時にちょっと使うくらいの力だと思ってた。草刈りをしたり、火をつけたりする時に便利だなって思ってたの。でも、私達の村に落ちのびてきた戦争の敗残兵が村人に乱暴しようとしたところを見逃せなくて……私は初めて誰かを攻撃するために力を使用したわ。その時、強すぎる力を制御できないことに気付いたの。でも遅かった。相手は死んでしまったわ。私は魔術士の規律なんて知らなかった。魔術協会に属さぬ者が魔術で人を死に至らしめた場合、いかなる理由をもってしても拘束、あるいは処分されることを。やがて村にやってきた多数の魔術士に、私は囲まれた。今でも覚えてるわ、周囲の、そして両親の私を見る怯えた目。私は既に村の人達にとって、仲間ではなかったの」


 アルフィリースの生きる世界ではそれが当然だった。かつて魔術士は魔物や魔王に対抗する力として重宝されたが、過去に国を操り、世界中に戦争を仕掛けようとした魔術士がいた。その魔術士は征伐されたが、多大な犠牲を出したその事件以降、人々は魔術の危険性を認識し、魔術士は一般の人々から不当な扱いを受けることが多くなる。

 遂には弾圧、迫害にまで発展するほど一般人と魔術士の対立の溝は深まったが、魔術士達は自分達の管理を徹底することにより、人々の信頼を取り戻そうとした。そのために作られたのが魔術協会であり、強い魔力を持つ者はより厳しく自分を律し、かつ管理されなければならないというのが現在の常識である。

 そのため魔術の力を悪用しようとする者には、魔術協会が例外なく自分達で制裁を行う。魔術協会には魔術士狩りを専門に行う部署まであるのだ。

 だが一方で、力の大小はあるとはいえ、本来魔術の力は誰しもが持っているものである。普通は専門の知識を学び、然るべき修行や力の授受をすることでしか発現しないが、たまに生まれつき魔術が使用できるような素質に恵まれる者もいる。それほどの才能ある者は、大抵は占星術や予知を駆使して存在を察知され、生後間もなく然るべき場所に引きとられる。

 先天的に人を死に追いやるほどの力の持ち主が放置されるなど通常はありえないのだが、そういった意味ではアルフィリースは例外だった。異端、と言い換えてもいいだろう。田舎がゆえに気付かれなかった可能性もあるが、才能に恵まれることが常に幸せとは限らない。

 そうやってアノルンが考える間にも、アルフィリースは淡々と話し続ける。


「魔術士十人くらいだったかしら。それでも私の魔力の方が断然強くって、あっという間に倒してしまったの。ああ、殺してはいないわよ? そんな必要が無いほど、私の方が強かった。そこに通りがかったのが私の師匠」

「ちなみに師匠の名前は?」

「アルドリュース」

「アルドリュース……まさか、アルドリュース=セルク=レゼルワーク!?」

「そうよ」


 世界に名だたる魔術士は沢山いるが、アルドリュースという魔術士はその中でもさらに特殊であった。彼は若くして凄まじい才能を発現させ次期魔術協会会長とまで呼ばれたが、若干二十歳にして魔術の修行と研究を全て放棄。魔術協会を脱退した後、そのままとある国の騎士団へと入隊し、今度は武術で将軍職の一歩手前である千人長にまで上り詰めた。

 さらに文官としても力を発揮し、特に内政の分野における治水工事・都市計画などにおいて、いまだに彼の提唱した案が世界中で参考とされている。宮廷にも民衆にも人気があり、国王にも評価され伯爵号まで与えられ王女との恋仲までも取りざたされたが、なぜか三十代半ばにて全ての地位を返上して出奔しゅっぽん。そのまま野に姿を消したまでが、公式の記録である。

 何を考えていたかわからないということで変人、奇人とも言われたが、それよりも偉人として知られている。諸国の政治に関係のないアノルンの耳に入るほどの人物にアルフィリースが育てられているとは、アノルンの想像をはるかに超えていた。いや、むしろそれほどの人物が、アルフィリースを育てる必要があったのかもしれない。これを運命と呼ばずして、何と呼ぶのか。

 アルフィリースはなおも続ける。


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