第4話 酒場の騒乱②
「部屋に戻ったほうがいいかしら」
「あいつらが座った席の隣を通って? 逆にここは端だし、目立たなければ気付かれないわよ」
「いや、シスターの恰好が目立つわよ」
「それもそうね……おい、そこの!」
アノルンが目の前の男達を呼びつける。すると、
「へぇ。なんでしょう、アネゴ」
「シスターと呼びな。ガタイがでかいのを何人か集めて、あの柄の悪そうな間抜け面どもをアタシ達から見えないようにするんだよ。酒がまずくなってしょうがない」
「わ、わかりやした」
大の男どもがすごすごということを聞いて動く。
「(私が到着する前に本当に何をやらかしたのか、このシスターは)」
などとアルフィリースが考えるのも無理はない。
「アネゴって何よ?」
「そこは流しといてよ。ともかくこれでいいでしょ。あの手合いは関わらないのが一番よ」
「シスターに関わったら、向こうの方が運の尽きかもしれないけどね」
「人聞きの悪い」
「事実じゃない?」
そのようなやりとりを二人が続けるうち、そのタチの悪い連中が他の連中と揉め始めるまで、そう時間はかからなかった。
「おいおいそこの若造、今何つった、あぁ!?」
「何も言ってねぇよ」
「こっちをジロジロ見てやがったろうが?」
「絡むんじゃねぇよ、
「誰が穀潰しだと!?」
さきほど無視を決め込んだばかりのアルフィリースとアノルンが、どちらともなく目を合わせる。周囲の男達がひそひそと
絡まれても相手にしなければ連中も引いたかもしれないが、正面から言い返してしまっている。その様子はアルフィリースとアノルンからは一部しか見えないが、どうにも不穏な空気が漂っているのは二人にもわかった。
アノルンがそっと呟いた。
「あの男、まずいわね。難癖をつけにきた奴らを正面から相手してる」
「相手の危険性を測れない奴は、戦場でもそうじゃなくても早死にするわ。多勢に無勢なのに、相手にしなければいいものを」
「そんな身も蓋もないことを。若い子は血気盛んなぐらいが普通でしょうよ。アタシの席からじゃよく見えないんだが、あいつらは何人いるのさ?」
「入ってきた時は六人。露骨に得物をぶら下げてるのが二人。今絡んでるネズミみたいな顔の男と、ウマのできそこないみたいな顔の奴は、懐に短刀を隠し持ってるわ。後の二人はブーツにナイフかな。そんなのに難癖つけられるような真似をする方も問題よ。戦う力がないなら、戦いを避ける方法を身につけないと。自業自得ね」
いったいいつ確認したのか、アルフィリースがさらりと答える。アルフィリースの様子をアノルンはずっと見ていたが、奴らに視線を向けたのは入店してきた時、せいぜい一呼吸程度だった。あの一瞬でそこまで確認できるものなのかと、アノルンは
「(今までの付き合いでわかってたことだけど、Eランクの判断力じゃないわね。いつもはドジ踏んだ話ばっかりだけど、アタシはこの子を過小評価しすぎかな?)」
と、彼女は自分の考えを改めた。先ほどは笑い話で済ませたが、よく考えれば森オオカミの話だって――
「かといって見過ごすのも寝覚めが悪いか……ちょっと助けてくる」
「ふぇ?」
アノルンが物思いに
「ちょっと! もう、仕方ないわね」
いざとなったら援護くらいはしてやるかと考え、アノルンは後をついていった。もっとも後をついていった方が面白そうだ、というのが本音だったが。
「あなた達、そろそろやめときなさいよ」
「なんだてめぇは?」
「誰でもいいでしょ、他の客に迷惑だわ」
「何よりアタシに迷惑だ」
またシスターが余計な合いの手を入れる、とアルフィリースは思いつつもネズミ顔の男から目は離さない。だがすぐに割って入って正解だったようだ。この男は懐の小刀をまさに抜く寸前だった。絡まれていた若い男は、全くそんなことに気が付いていないのだろう。抜かれていたら簡単には収まらない事態になっていたに違いない。
ウマ顔の男がアノルンとアルフィリースに対して凄む。
「こいつぁよ、俺達のことを『穀潰し』って言いやがったんだ。その分の落とし前をつけさせるだけだ。関係ねえ野郎はすっ込んでな。おっと、野郎じゃなくてあばずれか」
へへへ、と仲間達から下品な声が聞こえてくる。アルフィリースを挑発しようとしているのだろうが、こんなことで我を忘れるほど彼女は愚かではない。
「酒の席での出来事でしょ。どっちも酔っているのだから売り言葉に買い言葉で喧嘩なんて、大の男がみっともないわ。それより私が両方に奢ってあげるから、ここはどっちも引いて楽しく飲みましょう」
「なんだ話のわかる姉ちゃんだな。それなら別にいいぜ~? ただしアンタが酌してくれるんならよ。ケケ」
「私みたいな大女の酌じゃ酒もおいしくないでしょ。ちょっと良い酒を出すように店主に言うから、それで満足なさい」
確かにアルフィリースは背が高く、並の男くらいはある。いわゆる大女でも美人は美人なのだが、彼女は自分が美人だという自覚がないうえ、ある出来事がきっかけで身長が高いのが完全に
ウマ顔の男はネズミ顔の男と目を合わせると、にたりと嫌な笑みを浮かべた。
「じゃあ代わりにそこのシスターに酌をさせるさ。おいシスター、こっちにきな!」
「いや、そのシスターはやめた方がいいと思う。本当に、真剣に、お願いだからやめて」
「あれもダメ、これもダメってよう、さっきからお前は何様だ? こんな機嫌の悪さが、てめえみてえなデカ女の手酌なんかで直るもんかよ!」
アルフィリースは青筋を額に浮かべながら知ったことかと考えるが、酔っ払いにはまともな理屈は通用しない。それにしても事態がどんどん悪化していくようだ。
「(むしろ、なんでシスターがついてきたの? 余計に事態が悪化してるし!)」
などと考えても、既に状況はアルフィリースの描いた青写真とは違う方向に動いている。このタチの悪い連中が酌だけで済ますはずもないが、それ以上にこのシスターが大人しく酌なんてするはずがない。そう考えた矢先、どこからともなく猫撫で声が聞こえてきた。
「あ~ら、少しお待ちくださいましね。そういうことならお酒をお持ちしますから」
「シスターは話がわかるじゃねぇか」
今までアルフィリースが聞いたことのないようなシスターの愛想よい声、いや、作りすぎともいえる声だった。こんな場面でなければ間違いなく吹き出していただろう。シスターの様子を見ると満面の笑顔でニコニコしているが、目が全く笑っていなかった。
先ほど絡まれていた男もシスターの表情からなんとなく次の展開が読めたらしく、じりじりと後ずさっている。この推測の良さ、まさか自分が来る前も同じような事態があったのだろうかとアルフィリースが推察する。そして、ネズミ顔のこの男は何も気付かないのかとアルフィリースは表情を
「(これだから酔っ払いは……どうなっても知らないわよ?)」
そんなアルフィリースの心配もよそに、いかにも看板娘が常連客の相手をするかのように愛想を振りまくシスター・アノルン。
「あ、お酒が出てまいりましたわ。私の奢りということでよろしいですか?」
「いやいや、むしろ俺が奢ってやるからよ、そのかわり俺に酒をついでくれや」
このシスターの思わぬ美しさに、男はもうすっかり機嫌を良くしているのだろう。棚からぼた餅ぐらいの気持ちなのかもしれないが、とんだ爆弾が落ちてきたことに気付いていない。
「それでは注いで差し上げるので、こちらにいらしてくださいな」
「よしよし、わかったわかった」
「ジョッキをお忘れになってはだめですよ?」
「おっとっと、そりゃそうだ」
「で、少し頭を低くしていただけるとやりやすいです」
「頭を低くな……ところでシスターは足もきれいだなぁ。で、なんで頭を低くするんだ?」
「そりゃあ、こうするからに決まってんだろが!?」
ゴシャッ!
成り行きを心配そうに見守っていた周囲が思わず目を覆い息を呑む。もちろん、アルフィリースも一緒に息を呑んだ。このシスター、こともあろうに酒瓶で男の頭を割ったのだ。完全に不意打ちをくらい、ネズミ顔の男が床でビクビクと痙攣をしている。おそらく、割れた木製のジョッキで顔面は酷いことになっているであろう。当然、男達の酔いは一気に醒め、怒りに染まった表情でがたがたと席を立った。
「てめぇ! なにしやがる!!」
「あーん? 酒瓶で頭をカチ割ったんだよ、見てわかんねぇか??」
「そ、そういうことじゃねぇ。シスターがそんなことしていいのかって話だよ!」
「てめえらみたいな下衆どもに、アタシのありがたーい説法なんざもったいない。こうやって頭カチ割ってやりゃ、どんなクズにも『精霊は来ませり』ってな。てめぇらみたいな下衆どもにも、等しく天上への道を示してやろうっていうアタシのせめてもの慈悲なんだが、わかんねぇかなぁ?」
ははん、とシスターが鼻で笑う。男達はアノルンの言い草に、怒るよりも青ざめ始めていた。
「こ、こいつ。とんでもねぇシスターだ!」
「何言ってやがる! てめえらみたいな粗末な×××つけた××野郎にこのアタシの相手がつとまるかっての! そこいらの羽虫の方が、まだアタシが気にするってもんさ。さっさと帰って仲間同士でカマ掘りあって寝やがれ、この×××ども!!」
とてもシスターとは思えない暴言を吐きながら、アノルンは相手に向かって中指を突き出している。もはやアノルンの方が荒くれ者の様相を呈してきた。このシスターは完全に喧嘩慣れしているし、荒くれ者としても明らかに格上である。
「い、い、言いやがったな。人が気にしていることを!!」
そっちも気にしているのか!? などとアルフィリースが考えていると、連中の一人が掴みかかろうと襲いかかってきた。なんとか収まる感じだったのに、絶対このシスターに後で文句を言ってやるんだとアルフィリースはぶつぶつと口の中で唱えながらも、既に体は男への対応を始めていた。
掴みかかってくる相手に足払いをかけ、バランスを崩した男の首へ組んだ拳を叩き下ろす。そして振りかえるよりも速く相手に向かって机を後ろ脚に蹴りあげると、机をかわした一人がブーツからナイフを抜こうとするところだった。その男がブーツのナイフを抜きながら目線をアルフィリースに上げようとする瞬間、男から悲鳴がほとばしった。
「ぐ、ぎゃあぁぁ~!」
男が目線を上げる直前、アルフィリースが体重をかけてナイフの柄を上から踏んづけたのだ。ナイフはそのまま男の足を貫き、地面に固定してしまった。
「こ、この女!?」
かなりできるとふんだのか、男たちはそれぞれ距離をとって得物を抜いた。周囲の人間もあたふた逃げ惑い、さすがにアノルンもアルフィリースに心配そうな視線を投げるが、当の彼女は落ち着き払っていた。
「やめた方がいいわ、三人程度じゃ相手にならない。今の内に怪我人を連れて帰ることね」
「こっちは武器を抜いてんだぞ、そっちは丸腰だろうが!?」
「あら。その丸腰の女相手に大の男が武器を持って三人がかりなんて、かなり恥ずかしい状況よ? 恥かく前にやめたら?」
「うるせぇ。こんだけやられて今さらひけるか!」
ふー、と大きくため息をややわざとらしくつき、アルフィリースは言い放つ。
「なら、試してみなさい!」
瞬間、うおっ、という掛け声とともに一人目が切りかかってきた。一歩で後ろに飛びのいて剣をかわしざま、その辺にあった酒瓶を掴んで横面に叩きつける。顔を押さえて転がる男を飛び越えるようにナイフを持った男が襲ってくるが、これに近くにあったテーブルを足で蹴飛ばし、へりをどてっぱらに命中させてやった。悶える男に目もくれず、今度は剣を持った男が上段から斬りおろしてきた。
今度はこちらも体勢を崩しているが、体をひねってよけると上から下ろす腕に逆に手を添えるようにして加速をつけてやる。すると剣は止まらず、逆に男の内腿を切り上げた。
「ぐひっ?」
情けない声を上げる男にさらに追いうちをかけるように
「これでわかったかしら、さっさと帰ることをお勧めするわ。これ以上は手加減する自信がないわよ?」
「く、くそっ」
「ああ、怪我人はちゃんと連れて帰ってね?」
傍から見てもあまりにも鮮やかだったので、実は加勢の機会を狙っていた者も何もできず、ただただ呆気にとられていた。シスター・アノルンも酒瓶を振り上げて(さっきより明らかに大きい)いるものの、振りおろす場所を失い、決まりが悪そうである。援護するつもりだったのだろうか。
「おい、しっかりしろ」
「出直してくるぜ、てめえら」
「これより酷い目にあいたければどうぞ?」
すたこらと男達は仲間同士で支えながら、ほうほうの体で逃げだしていった。既に周囲は笑いが
「おい、忘れもんだぁ!」
「ぎゃっ!」
と、何が起こったのかと思えば、シスターがやり場をなくした酒瓶を店から出ていく荒くれどもに投げつけていた。しかもまたしても頭に直撃していた。男達がわめきながら、より足早に逃げていく。
「や、やりすぎよシスター」
「むしろアタシはアンタが甘いと思ったけどね。ここには傭兵ギルドもないし、全員再起不能でもよかったよ。あの手の連中は逆恨み甚【はなは】だしいし、何よりしつこいわよ?」
「私は無駄な殺生、暴力は嫌いよ。だいたいあんなことになったのは誰のせいだと――」
という言葉を言い終わらないうちに、わっと駆けよってくる酒場の男達に囲まれる。
「姉ちゃんすげえぜ」
「久しぶりにスカッとしたよ!」
「俺のせいでごめんな」
「俺の酒を受けちゃくれねぇか?」
「ワシもスカッとしたからな。酒代も宿代もタダでいいよ!」
余程普段から迷惑だったのか、客たちの感謝や賛辞が雨のように降ってきた。てんやわんやに騒ぎ立てられ、もみくちゃにされるアルフィリース。
「ち、ちょっと皆、落ち着いてよ。シスター! なんとかして!?」
「アタシしーらない」
無関係を決め込んだ薄情なシスターはすたすたと二階に上がっていく。一階ではアルフィリースが大勢の男に囲まれ、乾杯攻めに困っていた。
「逆恨みを考えると、明日の朝一番でこの町を離れるべきね……まぁ少し経ったら助けにいきますか。それにしても」
アノルンがアルフィリースと知り合って一年になるが、彼女が戦っている姿を初めて見た。最初に見た時から強いだろうとは思っていたが、一瞬であの人数をあしらう程とは。しかも剣を抜くことすらせず、素手で武器を持った男達をまとめて叩きのめした。
「でも話を聞く限り当然かもね。あの子、自分がどのくらい強いのかわかっているのかな? 傭兵として、Eランクなんかじゃありえないわね、実力だけなら少なくともBランク、素材だけならAランクのはず」
そう、アルフィリースは何の気なしに馬の倍はある森オオカミを倒したと言ったが、森オオカミは通常、大きめの個体でも成人男性程度である。また群れのボスだとしてもせいぜい一回り大きい程度で、馬を超えるような大型の森オオカミはいない。おそらくはその一帯の主か亜種だったのだろうが、長じれば魔王となりうる個体だろう。それを殺さずほぼ無傷で叩き伏せ、しかも交渉して枕代わりにしたとまで彼女は言った。
「魔物は交渉するにも、自分と釣り合う何かを持っている相手にしか応じない。ギルドに申請していれば間違いなくBランク以上の成果ね、もったいない。それに加えて黒髪、か。魔術も使えるってことなのよね、きっと」
アルフィリースは以前、特定のパートナーはおろか固定の旅仲間ができないとアノルンにぼやいたことがあるが、黒髪の人間は傭兵ギルドですら避けられる傾向にあった。都心部から離れるほどのその傾向は強いため、アルフィリースはかなりの疎外感を抱いていたかもしれない。
「あの剣技に加え、魔術が使えるとすれば要注意人物ね。闇魔術士ではないと思うけども、師匠とかいう人の名前は念のため聞きだしておいた方がいいかしら。それにしても、仲間ができないとかぼやいていたけど、当然じゃない。黒髪ってだけで避けられるのに、加えて実力も伴うんじゃね。多くの傭兵は気おくれするだろうし、あの子、これからも苦労するわ。寄ってくるのは訳アリか、あるいは彼女と対等以上の力量を持つ者……かつてのアタシと同じね」
ちらりとアルフィリースの様子を二階から窺いながら、思索と憧憬に浸るアノルンであった。彼女を世間知らずで妹のように愛らしいと思う一方で、彼女の『本当の仕事』の性質上、どうしてもアルフィリースの事情を詳しく聞きだしておかねばならないと考え始めていた。
「全く嫌な女になったわ、アタシ。アタシだって沢山隠し事をしてるのにね」
今のアノルンを見たらアルフィリースは驚いただろう。この口の悪い暴力シスターとは思えないような悲しそうな表情を浮かべて、彼女はアルフィリースを見つめているのだから。
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