第3話 酒場の騒乱①

***


「ふ~ん。じゃあ森オオカミと別れた後、河水馬ケルビーに攫われそうになって、寝床に木のうろを選んだら、その木が今度は木人トレントだった、と。アンタ、どんだけ間抜けなのよ? それとも不幸の星の元に生まれた?」

「うるさいな~。私だって好きでやってるわけじゃないのよ?」

「この調子じゃあ、いつベグラードとやらに着くのかしら?」

「いいのよ別に。期限が決まっているわけじゃなし、そのあたりを彷徨って見識を増やすのも経験の内なんだから」

「単に迷っているだけじゃなくて?」

「うぐっ……痛いところを突くわね」


 アルフィリースがシスター・アノルンにからかい倒されているここは、イズの町の酒場である。イズの町はティドとミーシアといった大きな町の中間にあり、ティドからミーシア間は馬で駆ければ半日程度で到着する距離である。そのためイズは宿場としてはあまり用をなさないが、ここから南に少し下れば炭鉱や鉱石採取の場があり、採掘業に従事している者の拠点となっていた。

 とはいえイズにおける採掘事業が全盛期を誇ったのは既に三十年以上も前であり、稀少鉱石レアメタル一攫千金いっかくせんきんを狙うような者は既にこの土地から離れている。残っているのは土着の人間や、この町から出る気概の無い者が主であり、そういった者ばかりが集まれば自然と土地柄は悪くなる。ややはずれているとはいえ東西を結ぶ主要な街道の一つにある宿場町なのに、ここは珍しく治安が良くなかった。当然、そんな中で酒場に集まる者の柄が良いわけはなく、そんな中に二人組の女性がいるのはとても珍しいことである。

 そろそろ日が沈んでから一刻も経っただろうか。小さな町とはいえそれだけに娯楽も少なく、逆に盛り場であるこの酒場にはそれなりに人が集まってきている。そんな中に妙齢の女性が二人いれば酔っ払いに声をかけられそうなものだが、皆彼女達をちらちらと見るばかりで声をかけてこない。

 しかもなぜか彼らの目に、怯えの色が見えることにもアルフィリースは気付いていた。


「(誰か絡んできそうなものだけど、誰も来ないわ。何かやらかしたのね、このシスター)」


 このシスター・アノルンは普段はフードで顔を隠しているが、相当な美人と言って差し支えない。青い瞳に透けるような金髪であり、大都市の貴族階級に多い上品な風貌なのである。このようなシスターかつ美人ともなれば様々な危険を伴うため、巡礼するシスターには大陸最強との呼び声高い神殿騎士などの護衛がついているのが常だが、アノルンはおおよそ単独行動だった。

 いかに世間知らずなアルフィリースでも、さすがにこれは危険ではないかと考えていたが、アノルンはアルフィリースよりも頭一つ小さいくせして、剣を振う彼女と同程度の腕力があるのだった。当然、腕力に見合った実力も。以前アノルンが深酒していた時に絡んできた男の顛末てんまつなど、哀れすぎて語る気にもならない。加減がきかない武芸者に手を出すとどうなるか、高い授業料となったはずだ。うら若い女性が一人旅をするには、それなりの実力や理由があるということである。

 ともあれ、アルフィリースがまともな休息も取れない中、ほうほうの体で魔物から逃れて辿り着いたこの町で、なかば彼女の予想通りアノルンが待ち構えていた。アルフィリースが辿り着いたその日に散々からかわれ、さらに倍増した疲れから目を覚ましたのが翌昼過ぎ。それから町を出るのも面倒な気がしたため、彼女はこの町にもう一泊して休息をとることにしたのだった。幸いにも、路銀にはもう少々残っているが、装備の手入れも考慮すればそろそろギルドで依頼でもこなして一稼ぎしたいところである。

 本当はギルドもないような柄の悪い土地での連泊など避けたかったが、体調が悪い状態で旅をするよりは幾分かましだと判断したのだ。そのせいで連日アルフィリースはアノルンにからかわれているわけだが。


「それにしてもアンタと知り合って一年近くか。結構長い付き合いになってきたわね」

「シスターがいつまでも放浪しているからじゃない」

「あんたこそ、いつまで放浪しているのさ。東のベグラードに行くとかいう話はどうなったのさ?」

「別にいつまでに行くって決まっているわけじゃないしねぇ。師匠の知己がいるから、困ったら頼れってことなんだけど、今のところ生活に困ってないし。旅をしていてわかったことだけど、大陸の西側は治安が悪すぎて危ないから、師匠が東に目的地を決めたのはそのせいなのかなって。あまり無意味なことは言わない人だったしね」

「まぁ何にも決めていないと、どこに行っちゃうかわからないと思われたかもね」

「そんな手綱の切れた馬みたいに言わないでよ~」


 しくしくと泣き真似をするアルフィリースを、冷めた目で眺めるアノルン。


「まぁ見分を広めるために彷徨うのも結構だけど、ちゃんと腰を据えた生活をしないと、不審者がられるわよ? 仲間も連れずに、ギルドの依頼すら無視して森に分け入っていくなんて、狂人か脱獄囚くらいなんだから」

「そうでなきゃあ、間諜かしらね」

「間諜は道に迷わないわよ」

「方向音痴な間諜だっているかもしれないじゃない!」

「アタシが上司なら、クビだね」


 アノルンが笑って酒を追加する。確かに街道を外れて旅をしていると、親切なギルドが心配して探しに来てくれたこともある。まさか迷い人として傭兵ギルドで依頼の対象者になるとは何とも恥ずかしい出来事だが、傭兵ギルドに登録するきっかけとなり、信頼がおけることもわかった。

 書物で得た知識と実際の生活は色々な点で違うものだ。アルフィリースは旅に出てから多くのことを学んだが、目の前のアルネリア教のシスターは何者だろうかと時々不思議に思う。通常のシスターは定められた教区内で活動をするのだが、アノルンは活動範囲が広すぎる気がする。ひょっとすると立場のある偉いシスターなのかと思うのだが、目の前で酒を旨そうにあおるシスターを見ていると、とてもそうは思えなかった。


「(まさかねぇ……)」


最初こそ助けてもらったが、会えば挨拶あいさつする程度の仲から、ギルドの依頼で補助要員としてシスターが随行した時からよく話すようになり、今では落ち合って飲む仲間にまでなったシスターの顔をしげしげと眺めていると、ふとアノルンの目が真剣になる。


「そういえば、河水馬ケルビーなんて、通常もっと大きな河にしか出没しないのよね。しかも氾濫後とか、小さな川なら人里離れた場所に限るわ。木人トレントだって、出没地域は一般的にもっと南の大森林寄りだし。これは大きな街に着いたら、騎士団か教会に調査を依頼した方がいいかもしれないわね」

「どういうこと?」


 新しく給仕が持ってきた酒を受け取りながら、アノルンが答える。


「いい? 通常魔物の知能は低いし、生息範囲を自ら広げに来ることはまずないわ。元の生息範囲を取り戻しに来ることはあってもね。縄張を意図的に崩すような真似をするのは、人間くらいのものよ。魔物が縄張りを広げるような行動をとるとすれば、森オオカミやゴブリンの群れとか、そういった単一種族が増えすぎた時に起こすことよ。今回みたいに複数の魔物の生息範囲が変わる時は、強力な指導者が存在している可能性が高いわ」

「強力な指導者?」

「一般に魔王と呼ばれるような強力な魔物が出現した可能性がある、ということよ」

「魔王って言うと、昔世界を滅ぼしかけたとかいうアレ?」


 アルフィリースが半信半疑な様子で問いかける。彼女は、魔王などという存在は伝説の中だけのことと思っていた。既に魔王は人間が駆逐したとばかり思っていたが、そういえばギルドに貼り出している依頼に「魔王討伐!」と書いた紙を見たことがある。

 だが、アノルンはアルフィリースの意見を否定した。


「世界は滅びないけど、人間は滅びかけてたかもね。そもそも大陸は昔、魔物たちが占拠していたんだし。人間の勢力が大きくなってからも実際にいくつかの国は滅ぼした魔王はいるけど、現在そこまでの魔王は存在しないわ。アンタが言っているのは、魔王の中でも史実に残るような伝説級の個体よ。現在の魔王とは、種族を超えた魔物を統括できるような魔物をそう呼ぶことになっているのよ。だから魔王といってもその強さはピンキリ。ちなみにアタシが最近ギルドの依頼でで見ただけでも、最低四体は現存しているはず」

「そんなにいるんだ」

「実際はもっといるでしょ。賢いやつほど隠れ棲むしね。人間の社会で噂になるのはたいしたことがないか、よっぽどの大物よ」

「ふぅん、じゃあその四体なら私にもなんとかなるかしら? 結構な報酬額だったから、討伐すればしばらく路銀には困らなさそう」

「いやいや、アンタじゃ無理だから」

「なんでよ~」


 アルフィリースが不満を垂れるが、アノルンは表情を変えない。


「歴史上の分析から、魔王討伐を確実に行うなら最低一個師団、ざっと三千人が必要だわ。魔王はある程度以上統率された軍勢を持つから、普通は軍隊で相手をする。実際にはそれほどの軍勢を用意できない小国も多いから、国や領主がギルドで腕自慢の傭兵を雇うことが多いかしらね。魔術士なんかを大勢抱える国ならもっと楽に狩ることができるかもしれないわ。ギルドのみに依頼が出る場合は出現したての小規模勢力の魔王が多いから、数十名程度で討伐隊を組むことがほとんど。ギルドには魔王討伐の為の手引書マニュアルがあるしね。さらに、世の中には数名の仲間のみで魔王討伐をするような勇者様もいるけど、世界に何人もいないほどの実力者よ。彼らでさえ単独で魔王を狩ることはほとんどない。それをアンタがどうにかしようってのは、調子に乗りすぎよ」

「そうなんだ……」

「ちなみにアンタ、傭兵ギルドでの階級章とかもらってないの?」

「そういえば、こんなのをもらってるわ」


 アルフィリースは腰の携帯袋から階級章を出して、アノルンに見せた。紋章には小剣の絵が刻んである。


「ん~、それはEランク、一番下の階級章ね。まだまだ駆け出しじゃない、説明を聞いてなかったの? ギルドで魔王討伐の依頼を受けるなら、最低Cランクからよ。まずはせっせと傭兵として仕事をこなして、ランクを上げて信頼を得ることね」

「それはそうだけど、師匠の言いつけもあるしね。腰を据えて傭兵をするならその東の都市がいいのかしら?」

「今の行程速度だと、永久に行きつかない気がするのはアタシだけ?」

「失礼ね!」


 さすがに子供扱いされた気がしたのでアルフィリースはぐっと火酒を煽ったが、案の定むせてしまった。そんな彼女の様子を見て、またしてもアノルンがニヤニヤしている。


「ほらほら、成人したとはいってもまだ世の中の厳しさも十分知らないお子様なんだから、一気飲みはやめなさい。旅をするなら酒は情報収集の時にも必要だけど、酒は飲んでも飲まれるなってね」

「シスター、酒臭いうえに説教くさいわ」

「そりゃシスターですもの。アタシ達は説教してナンボよ。泥酔してたってそこは間違えないわ」


 そう言って快活に笑うシスター。


「まったく、酒臭い人にだけは説教して欲しくないわね。にしてもシスター、若く見えるのに物知りよね。いったいいつからこの仕事をやってるのよ?」

「以前世話になった僧院を出てからだから、十年は経ってるかしらね~」

「え、じゃあそろそろさんじゅう……」

「何か言った!?」


 酒をアルフィリースのさかずきにどくどく注ぎながら、アノルンの目が全く笑っていない。これ以上の追及は生命の危険にかかわりかねないと、アルフィリースの直感が告げている。アルフィリースは慌てて話題を逸らそうとした。


「と、ところでシスターは、次はどこに向かうのかしら?」

「特に目的なしよ。アタシの仕事って、定期的な報告さえ本部に上げていればどこをふらふらしていてもいいから。ただ魔物の件もあるから、ミーシアには最低行くわ。あれほどの大都市の教会なら人手も十分でしょうし、上手くいけば騎士団の一つや二つ、逗留しているかもね」

「私もミーシアには行く予定だし……じゃそこまでは最低一緒ね」

「そうね。アタシはかよわいシスターだから、傭兵さんにしっかり守ってもらわないとね」

 

ウィンクするアノルンに対し、「どこがかよわいんだ」と言いかけてぐっと我慢するアルフィリース。その突っ込みを入れると、一晩中酒の相手をさせられるだろう。そうなると、二日酔いでまたイズから出られなくなるから、それは避けたかった。


「でも、一介のシスターが魔王出現なんて報告をしても、騎士達は聞いてくれるの?」

「あら。アタシってこんなはかなげな風貌だけど、教会本部でもアタシより立場が上な人って数人しかいないのよ? そのくらい地位があると、アタシ達の宗派の国の騎士団をいくらかは独断で動かすことも可能なのよ。教会の外部騎士団も、国によっては駐屯地を設置しているからそっちを動かしてもいいし」

「ほ、本当に? やっぱり偉い人だったのか……」


 信じがたいという目を向けるアルフィリースだが、アノルンが何の自慢にもならないといった表情で応える。


「まあ気付けばこんな立場だったってのが正直なところね。地位には興味がなかったんだけど、一人でこうやって巡礼してるのが本部ではとても評価されているみたい。『まさに聖女のごとき苦行だ!』ってね。聖女が苦行するもんでもないでしょうに。本部のお偉いさんも変わった人が多いから」

「シスターが偉い人なんて、なんだか世の中が間違ってる気がしてきたわ……」

「なんでさ! まあアタシとしては地位があっても、本部にいるとやれ弟子を取れとか五月蠅いのが嫌でこんなことをしているんだけどね。希望者は山のようにいたんだけど、めんどくさいから本部で一回演説したら皆辞退したわ」

「……念のため聞いておくけど、何について話したの?」


 おそるおそる尋ねるアルフィリースを見て、アノルンがニヤリとする。


「旅先における、酒と男のあしらい方について」

「……信じられない」

「もう大司教の青ざめっぷりが傑作でね! まさか演説を無理矢理止めるわけにもいかず、シスター達はアタシの演説の素晴らしさに次々気絶するし、中々素敵な時間だったわ」

「私、頭が痛くなってきたよ」


 こんなことを精霊か聖女のような美しい風貌で快活に話すのである。誰が見た目でこのシスター

の本質を見抜けようか。


「ところでアタシのことばっかりじゃない。たまにはアンタのことも話しなさいよ」

「私のことなんかつまらないわよ?」

「そうでもないわ。七年間も山籠りなんて普通じゃないし、アンタ最初に出会った時は夏でも長い肌着を着てたわよね? あのクソ暑い日にそんな恰好だったから、アタシの目を引いたのよ? まあ男並みの長身で、美人で、しかも黒髪ってのもあるけどね」

「シスターが『クソ』とか言うもんじゃないわよ」

「話を逸らさないでよね。まあ冒険者が着込むのは、色々下に隠すためでもあるから不思議じゃないけど、それでもローブやマントでよくない? アンタ絶対に人に肌を見せようとしないし。病気があるなら良い施療院を紹介するし、悪いことして懺悔ざんげするならシスターの前がいいわよ? 今なら格安で聞いてあげるわ」


 そこまで言って、シスター・アノルンがグラスの酒をグビリと飲み干す。酔っ払った状態で懺悔を聞くつもりなのだろうか。


「お金とるの? まあ懺悔するようなことは何も……してないってわけじゃないわね」

「人に言えることなら言った方が楽よ。一応アタシもシスターですからね、懺悔の内容について他人に漏らすことはないわ」

「うん――ありがと。でもこれも師匠の言いつけでね、あんまり人に話すようなことじゃないんだ。でも万一それでシスターに関係がでてくるようなら、きっちり話すから」

「そう、ならアタシも深くは追求しないわ。でも暑い時期になると、その恰好は否応なしに目立つわよ。多少は事情が知れれば、知恵だけでも貸せるとは思うわ」

「それは……」


 このシスターになら少しだけ話してもいいかもしれないと、アルフィリースが思った矢先のこと。


「オヤジ、酒だ! さっさとしろ!」


 突然の粗い声と共に、いかにも柄の悪そうな連中が入ってきた。ここの酒場にたむろしている者もお世辞にも上品とは言えないが、今入ってきた連中は段違いの人相の悪さである。みかけで人を判断するのは良くないが、日ごろの行いは外見に現われる。旅をして長くはないアルフィリースだが、何度も危険な目にあったせいで、それなりに人物を見る目と危険察知については身についた。今入ってきた連中の人相は、まさに恐喝や暴行を楽しめる種類のあくどさである。

 他の客にはそそくさと酒場を離れる者や、明らかに目を合わせまいとする仕草が見てとれたことからも、かなり危険な連中として知られているのかもしれない。


「面倒くさいことにならなきゃいいけど」


 さっきまで大量に酒を飲んで、やや目がとろんとしていたアノルンの目に鋭さが戻っている。やっぱりこのシスターは侮れないと、アルフィリースは感じた。


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