第225話 蟷螂の斧

 何だ一体! 

 そう思った次の瞬間には気付いていた。この感覚には憶えがあると。

 この世界に来る前、あの雨宿りした神社から神様の元へ移動した時と同じだと。


 そしてあの神像がある聖堂、神器らしい鏡。となると答えは一つだろう。私は周囲の空間の乱れが落ち着くのを待つ。


 やはりそうだ。見覚えがある白い、どこまでも白い空間。天井も壁も床もよくわからない、それでいて、立っていようと思えば立っている事が出来る状態。


 そして神様がいた。あの時と同じ神様が。

 前回は対人恐怖症でしっかり見る事が出来なかった。それでも同じ存在であることがわかる。気配とか魔力とか、そういったものに近い何かで。


「お久しぶりです」


 神様は軽く頷く。


『ああ。今の世界は楽しいかい?』


「ええ」


 私は頷く。日本にいた頃とは全然違って楽しい。リディナやセレスもいてくれるし。


『ところで今回は世界から外れた感じじゃないけれど、どうしたのかな?』


 どうした、か。何故此処へ来たのか、理由という意味の質問だろう。


「どうしたらいいのか、考え事をしていて」


『此処に繋がる場所で、此処に繋がる道具があったからここに来てしまった、という事だね』


 なるほど、やはり聖堂もあの鏡もこの神様に関連する物だった訳か。

 しかしそれではあの神社は関係ないのだろうか。それともあの神社の神様もこの神様なのだろうか。


『どちらも私、いや、私だったものと言うべきだろう。君達の世界と同じで、此処も私も常に変化しているから』


 どうやら神様、私の考えている事が読めるようだ。まあそれくらいは出来ても不思議では無い。何せリディナすら読めてしまう私の思考だから。


『神様という呼び名が正しいかは微妙なところだ。私も元々は人間と同じような存在だったから。君が思う人間と全く同じかはわからないけれどね。もうそれすらわからない位遠い世界の話だ』


 遠い、か。空間的なものだろうか、何百光年という感じの。それとも年月的なものなのだろうか。


『今の私にとっては距離も時間も同じものだ。いつも生きている世界でx軸、y軸、z軸なんて意識しないだろう。それと同じで。


 だからこの場合の遠い、というのはまた少し違う概念になる。ただ君の概念で言うと時間的な遠さに近い感覚だ。変わっていって後には戻れない。そういう意味では同じだね、きっと』


 ううむ、わかりにくいというか、わからない。でもきっと、私が認識出来る時間や空間とは次元が違うのだろう。その事はわかる。


『確かに次元は違うのかもしれないね。私は遠い過去からはるかな未来まで、君達の感覚で言うところの見る事が出来る。


 その私から見える世界も君達が見ている世界と同様、変化し続けているんだ。時間軸とは違う軸でだけれどね。『100年後』と『10年後の90年後』が同じとは限らない、むしろ少し違っているのが普通、そんな感じさ。


 ただその違いについて、私は認識出来ない。確認してはじめて、以前見たものと違っている、変わったのだなと認識する。

 君に神様と呼ばれた私も限界があるという事さ』


 うーむ。何となくわかったようなわからないような。言葉には出来ないがイメージ的には何となくわかったというか。


 そしてふと思った。神様は何をしているのだろうと。私達と同じような生活をしているのだろうか。それとも全く別の生態というか何かなのだろうか。 

 

『全く別の生態というのに近いかな。私の全体を君の使える言葉で表現するのは難しい。


 とりあえず此処にいる私がしているのは世界の改変。世界を変化させ、ここから見える世界の時間的最奥にある滅びが見えなくなるようにする。そんな作業だ。


 私から見える世界の未来側の端はどこも滅びで終わる。全てが混ざり合い均質化した変化のない世界という滅びで。もちろん君達の時間軸から見ると遙か未来での話だ』


 SF小説か何かで読んだ気がするな。宇宙の熱的死とか。途方もない話だ。

 しかしそれを防ぐとは、どんな事をやるのだろう。新たにビッグバンを起こすとかいった感じだろうか。光あれ、とか言って。


『残念ながらそういった物理的・具体的な事は出来ないんだ。私という存在は、この世界に内在する存在では無くなってしまったから。


 物理的・具体的な形での介入は出来ない。そうなると出来る事は限られる。例えば人間的存在に対して意思を伝達したり、神託という形で情報を与えたりとか。


 行き場がなくなって世界から外れかけている人なら別の場所に移動させる事くらいは出来る。これは世界の内在から外れかかった存在だから特例的に出来るだけ。

 その程度さ』


 つまり私は世界から外れかかったから助けられ、この世界に移動してきた訳か。


 しかし……私は思う。

 世界の滅びを防ぐのに直接的な介入が出来ない。それはあまりに不利というか、出来る事が少なすぎないだろうか。


 何というか、手足を縛られてクロスワードパズルを完成させろと命じられている感じだ。大分違うかもしれないけれど。

 自分ならいらいらして、怒って、そして諦めるだろう。そう思う。


『そうかもしれない。だから今は少しばかり違う方法論も試している。


 私の代行となる存在を世界の中に作ってみた。人間的存在に対する意思の方向付けを重ねてひとつの集団的意識体を作った後、これを独立した存在にさせるという方法で。


 この存在なら世界に内在する分だけ私より世界に対して動ける筈だ。そう思って。


 ただ残念な事にこれらの意識体はまだ人間的な論理や思考、判断を理解できない。自我というか目的の方向性はあるのだけれど。


 元は人間の思考から生まれたものなのに意外だった。物理的な生体を持たないからだろうか。


 あと向こう、私が作った代行存在は私を明確には認識できないようだ。私は向こうの存在を認識できるし、ある程度思考や指向の方向付けをする事が出来るのだけれども。

 これはやはり世界に内在する存在とそうでない存在の違いなのだろう。


 いずれにせよこれらの存在が目的を認識して活動出来るようになるのはまだまだ先の話。人との対話も当分先になる。時間ではなく世界の変化的な軸で。


 そしてそうなるまで、私が出来る事は今までと同じ事だけ。世界に内在する人やこれらの存在に対して、神託に近い方法で意思を伝える事。


 実はそれすら自由自在には出来ない。意思もまた情報で、物理的存在には違いないから。

 一度世界から外れかかった君のような存在にすら、場所や道具、状況を組み合わせないとこうした機会を持てない。そのくらいには不自由な訳さ』


 やっぱり私なら諦めるというか絶望したくなると思う。そんな状況では。


『確かにそうかもしれない。猛獣がこっちに向かってきたのに武器がそこらの石くらいしか無いような状態。そんなものなのかもしれない。


 でも諦めればそこで終わりなのだろう。ならば私は出来る事をやるしかない。

 だから私は石を投げる、投げ続ける。少しでもこの行動で変化が生じる、そう信じて』


 状況的に絶望的すぎるだろう。神様には申し訳ないけれど、石を投げたくらいではどうにもならない気がする。少なくとも私はそう感じる。

 

『もしかしたら投げた石が猛獣の急所に当たるかもしれない。私が石を投げ続ける事によって、猛獣が去らないまでも何処か怪我をするかもしれない。その結果、私以外の存在が助かるかもしれない。


 だから石を投げ続ける。滅びに対して抗い続ける。


 具体的にはさっき話した通り。私の代わりに世界に働きかける存在を作る。様々な人的存在と話をする。世界から外れた者をより適切と思われる世界へと送ったりする。

 そう、今、君と話しているように』


 なるほど。そうやってこの神様は抗い続けている訳か。そして今、私と話しているのも世界改変行動のひとつであると。


 しかし私と話す事でそこまで何かが変わるとは思わない。私はそれほどの存在ではない。


『君の存在は、今いる新しい世界を充分動かしている。少なくともあの国に対してはかなり大きな変化を与えただろう。違うかな』


 確かにそうかもしれない。しかし所詮、ある時代の小さな国での出来事だ。それが世界の滅亡とかと関連するとは思えない。


『そうでもない。君がした事は間違いなくあの世界の系の一部を動かした。君自身にはそんな自覚はないかもしれない。しかし、君が今いる時代より後の世界を間違いなく変化させた。


 ところでバタフライ効果という言葉を知っているだろうか? 君が前にいた世界の言葉だけれど。


 本来は『力学系の状態にわずかな変化を与えた場合、変化が無かった場合と比較してその後の系の状態が大きく異なってしまうという現象』の事。小さい変化に見える事でも他と影響し合って大きな変化を生み出す事がある、という事。


 同じ事は世界という系にもあてはまる。最初は小さな変化であっても、様々な事と影響し合って大きな変化になる事がある。


 だから私は抗い続ける。変化が起きることを信じて。


 そして私と違い、君には仲間がいる。少なくとも2人はね。他にも協力してくれる人がいるだろう。


 この世界でも最初、君は1人だった。誰も近くにいない森からはじめた。しかし今までの僅かな期間で仲間も出来た。協力してくれそうな有力者とも知り合えた。


 これも大きな変化だ。少なくとも君にとっては。違うだろうか?』


 確かにそうかもしれない。今の私にはリディナがいるしセレスもいる。カレンさんだってミメイさんだって話をすれば協力してくれるかもしれない。


 確かにこれは大きな変化だ。そう思って、そして不意に私は理解した。神様が何を言おうとしているのか。いや、何を言っているのかを。


 私は確認する。


「それは私がやりたい、やろうとしている事に対するアドバイスというか後押しですか?」


『君の仲間の1人は何とかしたいと思っている。もう1人の仲間は一見止めようとしているように見える。しかし望んでいる事はきっと違う。


 そしてフミノ、君は何とか出来ないかと思った。でも出来る自信がなかった。出来るという確証が無かった。だから悩んでここまで来てしまった。違うだろうか?』


「違いません」


 私は理解した。自分が考えている事を。やろうと思った事を。もちろん問題点はあるだろう。それこそ山ほど。

 それでもきっと、始めなければどうにもならない。石を投げなければ何も起こらない。


『本当はもう少しこうして話したい。しかし君の存在は今の世界で安定しつつある。私の力も届きにくくなってきている。

 ただ、それはそれできっと正しい事なのだろう。

 そんな訳でそろそろだ』


 世界が薄れていく。またあの浮遊感が私を襲う……

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