現世浦梨家

 昼休み。

 家に弁当を忘れてきたことに気づいて、うんざりしながら購買に向かって渡り廊下を歩いていると、校門の方に見慣れた車が止まっているのが見えた。


「あっ……」


 黒のハイエース。

 威圧感があって怪しさ満点の車種だけど、別に女子高生をさらいにきたわけじゃないことは知っていた。


「母さんだ……」


 生前、祖母ちゃんが乗り回してたやつだ。

 浦梨家にとっては思い出深くとも、そんな怪しい車種が校門脇に横付けされたら警戒されるに決まってる。


 僕は上履きを履き替えることもせず一直線に校門に向かったが、遅かった。

 通りがかった先生に事情を説明している母さんを見て、何人かの生徒が既に指を指していた。


「あっ! 烈人ー! あんたお弁当忘れてったでしょー」


 母さんは僕を見つけると高らかに掲げてそう叫んだ。

 ああ、弁当を忘れたのは僕だ。

 作ってくれたのも、届けてくれたのも感謝している。

 でもせめて普通の格好で届けて欲しかった。

 なんでよりによってゴスロリで学校に来るんだ!

 

「前にも言ったよね! もっと普通の格好してって!」

「えっ? だいぶ地味な方だと思ったんだけど……」

「もういい加減アイドル衣装基準で服を選ぶのやめて! このアイドル脳が!」

「甘いわね烈人、アイドル脳は母さんに対して褒め言葉でしかないわ……」


 そんな様子を見ていた何人かの生徒から笑いが起きたのがせめてもの救い……なわけあるかい!

 死ぬほど恥ずかしいわ!


「まあ、届けてくれてありがとう……」


 ゴスロリマザーはくるくると回転しながら去っていった。


「さすが元アイドルだな、とても二児の母には見えない」

「いいなー、母ちゃんが美人で」


 そんな声を「ははは……」と苦笑いで躱すのもいい加減慣れてしまった。


 母さんの弁当は美味い。間違いない。

 わざわざレンジで少し温めてきてくれた母の優しさと弁当の味に、先刻の毒気を抜かれつつあった。

 元アイドル。

 歌はそこそこ、踊りはけっこう、見た目は抜群。

 それで料理も上手で家事全般もこなすなんてチートだな、なんて思っていると、聞き慣れた声がしてきた。

 発生源は前の席のクラスメートが持っているスマホだ。

 まさかと思って覗き見ると、そこには有名動画配信者「エツニール」が映っていた。

 僕は咀嚼中の白飯を喉につまらせて咳き込んでしまった。


「おい浦梨、大丈夫か? あ、お前も見る? エツにいの動画」

「い、いや……ありがとう、でも遠慮しとくよ……」

「そうか、そりゃそうだよな」


「エツ兄」とはエツニール氏のこと。

 この「エツニール」とは「悦に入る」をもじってつけた名前だ。なぜそんなことを知っているかと言えば、本人からそう聞いたからだ。

 そう、有名動画配信者エツニールこと、浦梨悦人えつとは僕の父さんだ。


 母さんと同じく四十歳。

 元々はプログラマーだったけど、趣味で投稿していた非対称型対戦ゲーム実況動画が伸びて、突如有名人になってしまった。

 どちらかと言えば本人よりゲームの人気が先に出て、それに引っ張られる形で父さんの再生数がアホほど伸びたらしい。

 曰く「働くのがバカらしくなるくらいの広告収入があった」そうだ。

 

 仕事を辞め、配信者として食っていくことにしてからは、再生数のために顔出ししたり生放送したりと苦労しているようだった。


 そこまではいい。

 別に父さんは父さんで楽しそうではあったし、どうやらプログラマーとしてはかなり優秀な人材だったらしく、動画配信で食えなくなったとしても、きっとなんとかするんだろうと思っていた。

 けれど、問題はそこじゃなかった。


 生放送の最中に配信者の親が見切れることを「親フラ」と呼ぶらしいが、浦梨家では、「妻フラ」と「娘フラ」が発生した。

 もうおわかりだと思うが、父さんの生放送中に母さんが見切れたことが二回、妹が見切れたことが一回あった。

 母さんは元アイドルと言ってもそこまで有名ではなかったようだが、当時現役でアイドルやってた妹が見切れたおかげで、僕の家族構成が一気にバレた。

 妹が見切れたときはさすがに家族全員からガン詰めされ、父さんも平謝りだった。


 この事件で父さんの動画チャンネルは爆伸びした。家族関係は多少ギクシャクしたが、祖母ちゃんの「なにやってんだい」の苦笑いで、大事にならずに済んだのだった。

 けど、このすぐ後に祖母ちゃんが死んでしまった。

 急性心筋梗塞だった。

 まだ70代で、祖父ちゃんが先立ってからも元気にハイエースを乗り回していたのに。

 それが、ある朝、今日は起きるのが遅いなと思って母さんが部屋に行ってみると、もう冷たくなっていたそうだ。

 祖父ちゃんの葬式のとき、なぜ一番辛い身内がこんなに忙しくしなければいけないのだろうかと思ったけど、そうではないことが祖母ちゃんのときにわかった。

 一番辛いから忙しくしていた方がいいのだ。

 そうでないと、まだ癒えぬ悲しみから真正面と向き合わなければならないから。


 「何かを失って、その大切さに気がつく」なんて話はよく聞くけど、浦梨家の場合は致命的だった。

 一家の中心だった祖母ちゃんがいなくなって、家族間の交流が減った。

 父さんは家族見切れ事件のせいか、あまり妹と会話していない。

「ご飯食べたのか?」「うん」程度だ。

 妹は母さんからダンスを習っていた。僕も小学生の頃は一緒に習っていたが、指導方針はけっこう厳し目で、妹が中学にあがるころから母さんとよく衝突していた。

 祖母ちゃんがいなくなって、その頻度が増した。


 僕はといえば、高校受験に失敗。

 第一志望だった有名私大の付属校に落ちて、徒歩でも行ける距離にある公立校に滑り止めで合格した。

 

 そんな感じで、家族間交流の文字通り要だった祖母ちゃんがいなくなり、また、一人一人に自室があることも手伝って、物理的にも精神的にも浦梨一家の心は離れていった。

 僕と母さんだけは「男子にありがちな思春期特有のトラブル(例の本の件とかね)」があった程度で、基本的に仲が良かった。


 ただ、妹も、父さんも、同じ建物で生活しているのに、なんか母さんと二人家族みたいで、僕は悲しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る