据膳食男恥

「どことなく地球っていうか、日本なのよね。懐かしさすら感じるもの」


 母さんはこの世界「ミナギス」の印象をそう語った。

 今は夜。

 母さんが所持していた食材を駆使して白飯と野菜炒めを作ってくれた。

 それを僕の部屋まで運んで二人でつついている。

 母さんとは別に長期間離れていたわけでもないのに、料理の味がとても懐かしく感じられて、味以上の感動が体を駆け巡ったけど、下手に褒めて母さんが調子に乗せるのも面倒くさそうだなと思って、僕は「ん、うまい」とだけ言っておいた。

 それでも母さんは満足そうだった。

 一人にして放っておくわけにもいかないので、ヒヨリは僕のベッドに寝かせてある。

 母さんの魔法が効いたのか、今はすやすやと寝息をたてていた。


「へえ、まだこの神殿から一歩も外に出てないから、外がそんなことになってるとは思わなかったよ」

「居心地が良すぎて逆に気持ち悪いくらいよ。ほら、今烈人が食べてる食材だって、お米にニンジン、キャベツにピーマン、玉ねぎでしょ? 全部ミナギスで調達したものよ」

「あ……ほんとだ……」


 母さんが作る料理なので、なんのためらいもなく当然のように食していたから、食材まで気にしていなかった。


「一応、ひととおり生で食べてみたけど、どれも見た目の通りの味がしたわ。毒があるなんてこともなかったし」

「自分で食べて試したのかよ……」

「試したのはお店で売ってたものばかりよ? さすがにその辺に生えてるのは少ししか試してないわ」


 少しは試したのか……。


「そんなことして、もし猛毒があって死んだりしたらどうするんだよ……」

「その時はその時よ。ここで死んだらどうなるのかもわからないし」

「そういや、ミナギスには人間しかいないの? みんなヒヨリみたいに魔法が使えるとか?」


 そう問うと、母さんは目を輝かせ、咀嚼していたごはんをごくりと飲み込んだ。


「それがね、聞いてよ! いるのよ、獣人っていうの? 動物と人間を足して二で割ったような人が! その辺はしっかりファンタジーなの! おもしろいわね。ごちそうさま。はい、お粗末さまでした」


 自分一人でやるな。


「ふあああああ……今日は幼女になってはりきっちゃったから、少し疲れたわね。さて、どうしましょ。ベッドにはヒヨリちゃんが寝てるし、洗い物もしなきゃよねえ」

「部屋の主を差し置いてベッドで寝る気かよ……そういえば母さん、耳と尻尾が消えてるけど、変身が解けたから?」

「え……あらほんと! 戦ってるときはあったわよねえ? なにがきっかけで消えたのかしら?」

「まあ、消えたんならいいんじゃない? で、どうすんの? この部屋で雑魚寝する?」

「うーん、こんなむさくるしい部屋の床で寝るっていうのもねえ……」

「むさくるしくて悪かったな!」

「そうだわ。他に使える部屋がないか探せばいいんじゃない」


 母さんがまるで家にいるような気軽さで部屋から出て行ったので、僕もそれを追うことにした。


「無駄だって。ここのフロアは僕の部屋以外開かずの扉だってヒヨリが言ってたし。僕も確かめたから」

「なに言ってるの、開くじゃない。ほら」


 僕の部屋を出て左隣にある扉――時計の二時の場所に位置する扉が、すんなりと開いた。


「えっ!? なんで!? ビームでも壊せないってヒヨリが言ってたのに、どうやってぶっ壊したの?」

「失礼な子ね。まだなにもしてないわよ」


 やっぱりぶっ壊す気だったんじゃねえか。


「あら…………この部屋って…………」

「なにかあった?」


 母さんが靴を脱いで中に入ったので、僕もそれに倣ってシューズを脱いで続いた。

 自分の部屋ではないが、見覚えのある部屋だった。

 ちょっとした作業をするデスク。

 化粧品の瓶が並んだ化粧台。

 棚の上にはポーズを決めたアイドルが笑顔で写っている写真が立ててある。


「……あたしの部屋じゃないの」

「ほんとだ……この部屋、ミナギスに来る直前のままじゃない? 僕の部屋はそうだったんだけど」

「言われてみればそうね。化粧品の配置なんかいつも通りだわ。これって、もしかして……」

「なに? なにかわかった!?」

「……あたしはここで寝ればいいのよ!」

「そりゃそうだろうよ!」


 勘が鋭く、ミナギスにも難なく適応している母さんがなにかに気付いたのかと思ったら、とんだ見当違いだった。


「じゃあ母さんもう寝るけど、いい? ヒヨリちゃんに変なことしたらダメよ? 絶対にダメよ?」

「し、しねえよ! そんなこと! じゃあ僕は自分の部屋に戻るからな」


 部屋から出るとき、少し思うところがあって室内をぐるりと見回してみた。


「どうしたの、キョロキョロして」

「いや……母さんの部屋なんて久しぶりに入ったなと思って」

「そうね。プライベートは大事だけど、家族一人一人の個室があるっていうのも、それはそれで問題なのかもしれないわね……」

「個室があるのは別いいんだ。でも、気持ちまでずっとバラバラなのは……良くない」


 母さんが少し複雑そうな顔をしたあと、母親の顔になった。


「烈人はいつも家族のことを考えてくれてたもんね」

「そんなんじゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「今の浦梨家を祖母ちゃんが見たら、悲しむだろうなって」

「……そうよね」


 沈黙。

 死んだ祖母ちゃんのことを思い出してみる。

 きっと母さんも思い出しているはずだ。


「さ、もう寝ましょう」


 室内を重苦しい空気が支配しかけたのを母さんが断ち切った。


「そうだな、お休み」


 祖母ちゃんのことを思い出して少し感傷的になりながら母さんの部屋を出て自室に向かおうとすると、見慣れない少女が向こうから歩いて来る。

 え? 誰?


「ほわぁ! み、見つかってしまいました……」

「なんだ? この目つきの悪いガキは……」

「きーっ! 失礼な!」

「でででっ!」


 見慣れない少女にローキックをお見舞いされた。


「なにすんだよ! いったいどこから入って来たんだ、もう……ヒヨリの奴、侵入者侵入者って騒ぐわりに神殿のセキュリティーはてんでザルじゃないか」

「違います! この神殿は鉄壁です!」


 よくわからないけど、さっき母さんが幼女化したのよりは少し年上に見える、目つきの悪い銀髪少女が地団太を踏みながらぷんすか怒っている。


「わかったわかった。わかったからちょっと待ってろ」


 僕はそーっと自室のドアを開け、まだヒヨリが寝ているか確認した。


「あれ……いない……?」


 もう気が付いて出て行ったのだろうか? だったら好都合だ。


「よし、子供。こっちだ」


 僕は見慣れない子供を抱え上げた。


「ひゃわわわああああ!」

「しーっ! ちょっと! お姫様抱っこくらいで大声出さないで!」

「おひめさま……お姫様!? 私、お姫様なんですかあ!?」


 もう、なんなのこの子。暴れだすのかと思いきや、なんかテンション上がってるんですけど。


「お願いだから静かにして! ヒヨリに見つかったらビームで消し炭にされちゃうんだぞ!」

「んにゃっ!? 私、そんなことしません!」

「…………へ?」


 今、「わたし」って言った? そういえば、髪も銀髪だし、メガネもしてるし、服装もどこかで見たような……。


「え? ヒヨリ……なの?」

「あ……しまった……。そうですよ! わたしは瞳力を著しく消耗すると、強制的にこの姿になってしまうんです!」

「そ、そうなの!?」


 一日に二人も幼女化する人と出合うなんて、さすが異世界ミナギスである。


「あっ……ご、ごめん。どこかにいこうとしてたんだよね?」


 僕は慌ててヒヨリを床に降ろした。


「ち、違いますけど……」

「違うの?」

「そ、そのぉ……」

「トイレ?」

「違います……」

「大きい方?」

「だから違うって言ってんでしょうが!」

「ぐべぇ!」


 あまりふざけすぎると打撃が飛んでくるのは、小さくなっても変わっていなかった。

 ヒヨリが急にもじもじし始めた。大人のヒヨリでは絶対にお目にかかれない仕草だろう。

 大人ヒヨリは美人だけど、小さくなったヒヨリはとても可愛らしい。


「さっきは危ないところを助けてもらったのでお礼を言いたかったんです!」

「そ、そうだったの……ごめんごめん」

「その……ありがとうございました。えっと、お礼に……」

「お礼に?」

「……わ、私は子供に見えるかもしれませんが! この神殿を守護するものとして、多くの知識を与えられているんですけど!?」


 どうしたんだろう、お礼を言われるのかと思ったら、急にキレ出した。

 これがミナギス流なのだろうか。


「だからその……男の人がどうすれば喜ぶかとか、知ってるんですよ! 私は! こ、このやろう!」


 このやろうって言われた。


「特に烈人は……『ああいう書物』がお好きみたいですし!?」


 まだエロ本のことを怒っているらしい。当然か。


「い……一緒に寝てあげてもいいですよ……」

「オ………………OH、YEAH……」


 年下(推定)の少女が、真っ赤にした顔を両手で覆って同衾を許可するという僥倖に、僕はつい洋モノになってしまった。


「据え膳食わぬは男の恥」なんて言葉は知っている。

 けれど、なんかその、今目の前にいる少女を「遠慮なくいっただきま~す」してしまうのは、なんか違う気がした。


 健気すぎて。


 僕はいつもより少し低い位置にある、お団子がほどけた銀髪の上に右手を置いた。

 すると、ヒヨリがびくっと体をこわばらせるのがわかった。


「どういたしまして。感謝の気持ちだけで十分だよ」

「ほえ……?」

「ヒヨリに傷つくのが見ていられなかっただけで、別に見返りがほしかったわけじゃないしね。お礼はいいから、エロほ――じゃなくて『例の書物』のことをもう許してくれないかな?」


 ヒヨリは翠色の目をぱちくりさせながらきょとんとしてから、気を取り直して腕を組んだ。


「し、仕方ないですね! 許してあげます! ………………この根性なし(小声)」

「なんか言った?」

「別に……知りません!」


 直後、ヒヨリの体がメンチビームのような赤黒い光に包まれた。


「ひぃ! なんだ!?」


 恥をかかせたことで焼き殺されるのかと思ったが違った。

 そこには大人の姿になったヒヨリが立っていた。


「あっ、やっと瞳力が戻ってきたみたいです」


 メガネを外し、髪をおろした大人のヒヨリは、それはもう……。


「なあヒヨリ……」

「なんですか烈人」

「一緒に寝よう」

「ほんと畜生ですね、烈人は」


 少女のときのように打撃が飛んでこない代わりに、にっこり微笑んだヒヨリの目は、赤黒い光の尾を引くほど輝いていた。


「あーっ! ごめんなさい、ごめんなさい! 嘘です! 冗談!」

「もう、烈人なんて知りません!」


 ヒヨリは部屋を出て行ってしまった。

 一難去ってまた一難。

 だって仕方ないじゃないか。

 同衾を許可してくれていた美少女が、目の前で急に成長するというウルトラCに、僕の精神は耐えられなかったんだ。

 そりゃ脊髄反射で前言を撤回するというもの。

 まあ……でも、あとでちゃんと謝ろう。

 と思っていたら再び扉が開いた。


「ひぃ! ごめんなさい!」

「嘘です。烈人のこと、もっと知りたくなりました……」

「えっ?」


 消し炭にされる! と思ったら、前髪を持ち上げられたような気がしたのと同時に、額に不思議な柔らかい感触。

 目を開けると眼前にヒヨリの顔があった。


「おやすみなさい烈人。また明日……」


 今度こそヒヨリは去っていった。

 どうやら額に「ちゅー」されたらしい。


「………………」


 なにが起こったのかすぐには理解できず、一歩、二歩と後ろに下がると、そこにベッドがあって、そのまま倒れ込んだ。


 おやすみなさい、だって?

 眠れねぇよ、こんなの。

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