乳房大論争
一日が経った。
部屋からは外が見えないのでわからないけど、どうやらこの世界にもちゃんと朝と夜があるらしい。
昨日ヒヨリを探し回ったおかげで、少なくとも神殿の中は安全だということがわかった。
自分の部屋の窓の向こうは石壁だが、部屋を出て神殿の窓のあるところまで行ってみると今が朝なのか夜なのかはわかる。
だが、部屋を出ずともだいたいの時間を把握できるイベントがあった。
僕の腹時計と、ヒヨリが食事を持ってくるタイミングである。
今朝、食事は相変わらずパンとスープだけだったが、そこにはヒヨリがかけていたのとは少し違う、縁なしのメガネが置いてあった。
何だろうと手に取って見ると、ヒヨリの声が頭の中で響いて驚いた。
〈食事が済んだらそのメガネをかけて『迎撃の間』の椅子に座ってください。服装は昨日のままで〉
「ひ、ヒヨリ……?」
周囲を見回しても姿は見当たらない。
耳から鼓膜を通して聞こえたのではないことは理解できたので、きっと魔法か何かの不思議通信機能だろう。
とりあえずヒヨリと仲直りをしないことには何も始まらないので、僕は食事を済ませると、言われた通りメガネをかけ「迎撃の間」に向かうことにした。
「って、迎撃の間ってどこだよ……」
部屋の前で途方にくれていると、メガネのレンズに矢印が表示された。
「おおっ!? チュートリアルっぽい!」
どうでもいいことに感動してしまった。
少しわくわくしながらメガネナビに従って進んでいる途中、僕の部屋がある石畳のフロアは何か意味深な形をしていることに気が付いた。
昨日は気が動転していて余裕がなかったせいか全く気付かなかった。
バスケットコートが一面おさまりそうな円形で、このフロアへの入口を時計の六時とした場合、僕の部屋は、二時の位置。
そして、四時、八時、十時の位置にも扉があった。
どれも一見すると木でできた質素な扉だったけど、鍵穴は存在せずドアレバーはびくともしなかった。物理的に動かないのとは違う、何か条件を満たさないと絶対に開かないであろうことが直感的にわかるような、そんな閉ざされ方だった。
試しに叩いたり蹴ったりしてみたけど、僕の方がダメージを受けただけだった。ヒヨリもメガネビームで破壊できなかったって言ってたし、今の僕にはきっとどうすることもできないのだろう。
〈何やってるんですか。そんなところに烈人が欲しがりそうな書物はありませんよ?〉
「べっ、別にエロ本探してるわけじゃねーし!」
〈早くしてください〉
「……ねえヒヨリ?」
〈早くしろ〉
「…………はい」
怖いのでナビに従って「迎撃の間」に向かうことにした。
◆
「迎撃の間」はなんとなく既視感を覚える造りだった。
なんというか、神社……とも違うんだけど、「ゲームでラスボスが待ち構える場所」っぽいのだ。
ただ、この迎撃の間がそれほど大規模なものではないので、雰囲気のある石像(僕には狛犬にしか見えない)や燭台がそれっぽく配置されていても、どこか物足りなさを感じてしまう。
で、僕が座ることを指示されている椅子は、ラストダンジョンならラスボスが座っているような、周囲から一段高い位置にあった。
いわゆる玉座のようなもので、装飾だけならこの部屋で一番豪華かもしれない。
うん、座り心地も悪くない。
「で、何をすればいいの?」
〈間もなく侵入者が来ますから、魔王を演じてください〉
「は!? もう!?」
〈ほら、来ますよ〉
確かに玉座の正面の扉からドドドド……という足音が聞こえてくる。
同時に「フハハハハハハ!」という頭の悪そうな笑い声も聞こえて来た。
そして、まるで望まぬ結婚をさせられる花嫁を奪いに来たかのように、観音開きの扉が勢いよく開け放たれ、一人の若い男が迎撃の間に飛び込んできた。
「はあッ、勇者オズリク、見ッッッッッッッッッッッッッッッッッ参ッ!」
えらい溜めるなあ。
「瞳の魔王よ! 今日こそ我が剣の錆びにしてくれる!」
その青年は自分で名乗った通り見た目こそいわゆる勇者然とした服装だった。
だが、なんつーか、勇者は勇者でも、初期装備だった。
・E 勇者風、初期装備の額あて
・E 勇者風、初期装備の服
・E 勇者風、初期装備の盾
・E 勇者風、初期装備のブーツ
RPG風に表現するならこんな感じだろうか。
そして、極め付けが武器だ。
さっき剣の錆びって言ってたが、手に持っているのはこん棒……というか、釘バットだ。
釘の部分なら錆びることもあるだろうが、少なくとも勇者が装備する武器ではない。
ゲームによってはは勇者が装備できない武器があったりするが、目の前の勇者オズリクを見ていると、とても納得がいった。
あれは勇者が持ってちゃいけないやつだ。
とりあえずでいいから僕の部屋にあった木刀(折れている)でも持たせてやりたい。そんな残念さが漂う勇者オズリクだった。
〈とりあえず、自分が魔王であると主張してください。烈人は私が守ります〉
「ほ、本当に大丈夫なんだな……?」
〈はい。今は私を信じてください〉
「……わかった。ヒヨリを信じる」
まあ、美人なヒヨリが信じろというのなら信じるさ。
僕は目を閉じて深呼吸したあと、魔王を演じることに集中した。
「ほう……貴様が勇者か……よもや一人でやって来るとは、瞳の魔王と恐れられた余も舐められたものだな……」
〈烈人、どうしたんですか? 本当に魔王みたいなんですけど〉
「ヒヨリが演じろっていうから、一生懸命やってるんだろうに!」
〈す、すみません……私以上に魔王らしかったものですから。そのまま続けてください〉
こう見えて僕は中学に上がるまで児童劇団に所属していた。全然モノにはならなかったから当時夢中になってたバスケの方を選んだけど、それでも「それっぽく」見える雰囲気の芝居ならお手の物だ。
「お前が瞳の魔王……だと? いつもここに居る胸の小さいメガネをかけたちんちくりんの小娘が瞳の魔王ではなかったのか?」
「ククククク……ハッハッハッハッハ!」
「むっ、何がおかしい!」
〈何がおかしいんですか!〉
何故かヒヨリまで怒っている。
「あの娘など、この神殿の使用人よ……」
「なん……だと……!? そんな、ワタシには使用人すら倒せぬというのか……!?」
〈私は使用人じゃありません! この神殿を守護する者です!〉
魔王扱いを嫌がってたからアドリブを効かせたのに、裏目に出てしまった。
「勇者オズリク、少しは楽しませてくれると思ったが、興ざめだな。使用人の相手すら勤まらぬうえ、女を乳房の大小でしか判断できぬようではな……」
「なんだと!? おっぱいは大きい方がいいに決まっている!」
「それが愚かだと言っている。乳房とは総合力。色、つや、形、乳輪、感度……多様な要素の調和でもって語られるべき崇高なる存在。大小でしか語ることのできぬ貴様に、余を倒すことなどできぬ……」
「い、い、い、一体なんの話をしているんですか!」
脳内に響いていたヒヨリの声が、やけにクリアに聞こえると思ったら、玉座の後ろにある扉が開いて、ヒヨリが大股でやってきた。
「むっ!? 貴様は、胸の小さい使用人!」
「黙りなさい!」
ヒヨリが一喝すると迎撃の間が一瞬白く染まったのかと思うくらい、とんでもない勢いでメガネが光った。
「ああああああああああああああああっ!?」
同時に勇者オズリクが弾けて、天井を突き破って飛んで行った。
「す、すまんヒヨリ……オズリクがヒヨリのことバカにするから、つい……」
「べっ、別に、むむむ、胸のことなんか気にしていませんし!?」
「大丈夫だヒヨリ。僕は小さい方が――」
「嘘です! 昨日、烈人の部屋にあった『あの書物』の女性は、あんなに豊かな乳房を……はっ!? なにを言わせるのですか!」
「そうだ、その『あの書物』のことだけどさ、全部処分したから。だからもう怒らないで。許してくれないかな?」
嘘をついた。
エロの類はとりあえず、昨夜ヒヨリを探しながら神殿の中の目立たない場所へ隠した。まさか異世界まで来てエロの類を隠す羽目になるとは……。
「それは………………………………本当ですか?」
ジト目である。
一切信用されていない目である。だが、ビームが出ないだけマシだ。
「ほ、本当…………だよ?」
僕は捨てられた小型犬のように必死にアピールした。
「はぁ……わかりました。それでは勇者オズリクが空けた穴を修理するので、手伝ってください」
「う、うん……わかったぜ」
オズリクってよりはヒヨリが空けた穴なんじゃない? と思ったけど、黙っていた。
僕が玉座から立ち上がろうとした、そのときだった。
目を疑いたくなる……というよりは、目を覆いたくなるような人物が、迎撃の間に飛び込んできた。
「そんな……他にも侵入者!? 私が全く気が付かなかったなんて!?」
「えいっ! 魔法美少女フレキシブルじゅりりん! 加齢に登場! 瞳の魔王を倒しに来たにゃん!」
僕も、ヒヨリも、一瞬固まって何もできなかった。
迎撃の間にやって来たのは、ネコ耳をつけ、もふもふした尻尾を生やし、ピンク色のヒラッヒラでキラッキラな、バレエのチュチュのようなコスチュームを纏っている女――というか、
僕の母だ。
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