ぼくの毎日は大きな川のようにゆっくりながれる

四葉ゆい

第1話

「おい、仕立て屋!いつまでこの格好をさせておくつもりだぁ?」

大きな声が頭の上で響いて、僕ははっと我に返った。いけない、忙しすぎて意識が飛んでいた。

 気が付けば目の前のガタイの良い男、キルリック伯爵は両腕を水平に広げ何かを待ち受けているかのような格好をしている。その物言いとは裏腹に、彼は白い歯を見せて笑顔を浮かべている。

「し、失礼しました」

条件反射的に謝罪の言葉を口にすると、これまた条件反射的に僕の身体は男性の上肢をくるりと囲み、手に持ったメジャーで正確に寸法をはじき出した。

「キルリック様これですべての採寸が終わりました。仮縫いが済みましたらまたご連絡を差し上げますのでその際は今一度こちらまで足をお運びください」

僕が深々と一礼をすると、キルリック伯は

「サイダよ、仕上がりを楽しみにしているぞ。お前の腕はこの国一と聞き及んでいる」

そう言い残して去っていった。

「ふぅ」

今日もどうにか仕事をこなした。

朝から働き詰めだ。

僕は部屋の壁際においてあるソファに倒れ込むように座ると大きくため息をついた。

もう、無理、ムリだよこんな生活…。

ふと、床に目を落とすと何か光るものが目に入る。

「タイピン?」

明らかに純金製たわかるそれは高級そうな石がはめられ繊細に彫金が施してある。

キルリック伯が落としていったのだろう。

届けた方がいいだろうか?次に彼が来店するのは仮縫いが終わってからだからまだ先のことになる。

次の予約が入ってはいるけど多分急いで行けば間に合うはずだ。

「仕方ない、ひとっ走りするか」

僕はタイピンを拾い上げるとそれを握り駆け出した。

その途端

「危ないっ!!」

という声、

ドンッという大きな衝撃、

一瞬にして暗くなる視界。

そのあと僕の意識はどんどん遠のいていった。


「大丈夫かなぁ…」

遠くの方で声がする。

すみません、大丈夫じゃないみたいです。と、口に出したいのだけれど声がうまく出ない。

まだ薄ぼんやりしている意識の中で僕はなんとか声を出そうと試みる。

「う…っ」

時間が経つほどに身体中の痛みが感じられて、逆に意識がはっきりしてきた。

やっとうっすら目を開けることができた僕の視界に飛び込んできたのは、ヘンテコな格好の見ず知らずの男の人と見知らぬ場所だった。

「ここ…ど…こ??」

なんとか絞り出すように言葉を発すると、その男の人は

「ここ?オレんち。オレが昨日の夜帰ってきたらお前オレんちの前で倒れてたんだよ。救急車かな、とも思ったんだけど普通に寝てるみたいだったからさ、ひとまず家ん中入れてみた」

うまく理解できないけど、ここは“オレ”って人の家だということだけは、わかった。

「お前、なかなか目ぇ醒さないからマジ救急車案件になるかなと思ってたところ」

どうやらこの“オレ”は僕のことを心配してくれていたらしい。

「…すみません」

言いながら、これは夢なんじゃないかと淡い期待を持って身体を動かそうとする。

どこもかしこもギシギシいって、痛いところだらけの僕の身体は僕が夢を見ているわけじゃないってことをはっきり教えてくれた。

落ち着かなくちゃ、こういう時ほど冷静さが必要だ。

「あの、お水を一杯いただけませんか?」


 こうしてどのくらいの間か、ひとしきり僕は僕の知ってることを話してみた。元“オレ”改めサトルはその話に静かに耳を傾けてくれたし、僕の質問にも答えてくれた。コトランドなんて国知らないよ、なんていうことなく。

結果、はっきり分かったことがいくつかある。

1.ここはコトランドではなくトーキョーという場所だということ

2.サトルの格好はトーキョーではみんな普通にしている格好だということ

3.逆に僕のような服はとても珍しく“ファンタジー”という世界?の人みたいだってこと

4.サトルはとても大雑把な性格で大抵のことは気にしないということ(僕のことをおかしいって思わないあたりがその証拠だ)

そして何より

5.現時点では僕がどうして(ここでは)2021年って年らしいトーキョーにいるのかは全くわからず、結果コトランドへ帰る方法も全くわからないということ

極力整理すると大体こんなところか。

既に家族を亡くして1人で身を立てている僕はコトランドに帰れなくなってすごく困ることはない。それより気がかりなのはこれから一体どうしたらいいんだろう、ってことの方だ。

「うーん」

サトルは僕から聞いた僕の話をサトルなりに整理しているようだったけれど、こう唸るとおもむろに口を開いた。

「よし、わかった!サイダ、お前とりあえずここに居ろ」

僕は見知らぬ土地に放り出されたけれど、途方に暮れる前に住処を提供された…らしい。

きっとこういうのを不幸中の幸いって言うんだろうな。


 そうこうしているうちに、あっという間に僕のトーキョー上陸から数日が経った。

驚くべきことに、僕にはかなりの状況適応力があったらしい。すっかりここに馴染んでしまった。

流石に外を出歩くのはコトランドとは違いすぎて怖いので外出はしてない。今の僕みたいなのは引き篭もりっていうらしいけどサトルは無理やり僕を外に出そうとしたりしない。だから、今の僕にとってはこの2部屋、キッチン、バス、トイレのサトルの家が世界の全てだ。

「コトランドの僕の家とは大分違うけど、サトルの家はかなり快適だよー」

そんな僕の言葉にも

「そりゃよかった」

とサトルはフワッと笑うばかりで、見ず知らずの他人(だった)僕を邪険にしたりしない。

本当にいい奴だ。

サトルはアルバイトということをしながらコスプレイヤー?ということもしているらしい。

どちらも僕には馴染みがないけどコスプレイヤーというのは少しその格好をしてるのを見せてくれたことがあって、コトランドでは着る物をデザインしたり仕立てたりしていた僕にはとても興味深かった。

 家に置いてもらってるので、食事を作ったり片付けをしたり、お風呂を掃除するのは僕の仕事だ。とくにお風呂掃除は僕の好きな仕事の一つで、ツルッツルになったバスタブに指を触れると幸せな気分になる。

サトルは時々

「お前、外に出たいと思わないの?」

って聞いてくれるけど僕は僕の世界の全てのこの部屋と、サトルとの時間でとても満たされた気持ちになる。

いつか、何かサトルにお礼ができたらいいんだけど。

恩返しをしたいなと思い始めて数日、僕はサトルに

コトランド風の着物を仕立てることを思い立った。

僕はサトルの家でも着なれたコトランドの衣服を自分で仕立てて着ていることが多い。

こっちに来てから作り続けてワードロープも大分増えた。サトルはその衣服を時々眺めたり触れたりしては

「やっぱ、こういうのいいよなー」

ブツブツ言っている。

始めはなんていうか、社交辞令的なあれかと思っていたけれど、それも数回目になると本心からそう思っていることが感じられる。よくわからないけどコスプレイヤー魂が疼くらしい。

僕は僕にできることでサトルを喜ばせることができそうで、ワクワクした。案の定、僕が服のことを提案するとサトルは想像以上に喜んでくれ、この話は即決した。

 デザインを2人で相談して決め、材料はサトルが買ってきてくれた。

制作に入ると製作過程が気になるらしく、サトルの帰宅時間はそれまでよりもっと早くなって、晩御飯を一緒に食べる日が増えた。

なので、今の僕の1日は朝起きてコトランド風の朝ごはんを作ることに始まり、サトルが出かけている間に服の製作、夕方お風呂を洗うと今度はトーキョー風の夕食の準備、サトルが帰ってくるのを待って1日の進捗を披露すると食事をしながら他愛のない会話をしてテレビを見る(コトランドにはテレビはなかったのでとても面白い)。

なんてことはない事しかしてないし、外にも相変わらず一歩も出ないけど、とても充実した時間と日々だ。

僕は服をデザインして仕立てることで身を立ててきたからそう日も立たずサトル用の服は仕上がった。

我ながらいい出来だし、サトルに似合ってる。

「お前、本当にすげーなー!!!これ、オレとお前しか知らないなんてもったいねぇよな」

「あはは、気に入ってもらえて嬉しいよ」

サトルはインスタなんちゃらとかいう写真を撮ってためておく何かで友達に見せるらしい。

この国では電話で写真が撮れたり、会う事なく写真を見せ合えたりするんだ、本当にびっくりする。

 写真はとても好評だったらしく、僕はすっかり気を良くしてしまった。

「お前、この才能ここでも生かした方がいんじゃね?」

というサトルの一言で、僕はほんの時々頼まれた分だけ衣服を作ることにした。

 こうしてここに居ていい理由というか居場所を僕は手に入れたのだ。

サトルという家族同然の友人と、2部屋キッチンバストイレの落ち着ける場所は僕にとってかけがえのない時間が流れる場所になった。

僕は本当にツイている。心から満足感を感じながら今日も僕は布を裁つ。
















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