聞き込み

 丹下部長さんからスパーリングプログラムの仕様書とおよそ2週間分のログ一式をもらった私たちは、早速事件の聞き込みをすることにした。

 電脳空間で起きた事件の捜査をするのに何が聞き込みだと思う人もいるかもしれないが、事件現場のことを一番良く知っているのは日頃から事件現場にいる人間である。それは現実の事件だろうとサイバースペースの事件だろうと変わりはない。故に聞き込みは欠かせないのだ。それに会話の中で、うっかり大切なことを漏らしてしまう人間もいる。


『時にはデータからではなく、人から攻める方がずっと楽なこともありますよ』


 昔、私たちに電脳空間での捜査のやり方を教えてくれた人が口癖のようにそう言っていたのを思い出す。

 青山さんはあまりその人のことが好きではなかったみたいだけど、それでも認めているところは認めていたようで、彼女も捜査する時はそのやり方に則ることが多い。


 というわけで私たちがやって来たのはボクシング部の電脳空間――ではなく、現実のボクシング部部室だった。

 どうやらボクシング部は、現実と電脳空間の利用は時間を分けているらしく、前半の今は現実での練習時間らしい。

 部室の入り口から数名の部員たちが固まって何やら話をしているのが見える。といっても彼らがしているのは練習に関する話ではないようだ。

 部員たちの話し声が聞こえてきた。


「おーい、カレンダーに書いてある部長の誕生日パーティの予定古いままだぞ。昨日予定変わったって話あっただろ?」

「そうだっけ?」

「昨日、練習終わりのミーティングで来週の月曜日になったって言ってたよ。しっかりしてくれよ」


 どうやら彼らが話をしているのは、丹下部長さんの誕生日パーティについてらしい。


「誕生日パーティがあるんだって。随分アットホームな部活だね」

「青山さんもそろそろ自分の部活の部長さんの誕生日近いんじゃないんですか?」

「そうだっけ? まあお金ないし、プレゼントは10円チョコとかでいいかな」

「あの方ならそれでも大喜びしてくれそうですけど」

「……それ考えたら何か胸が苦しくなってきたな。もう少し真面目に考えることにするよ」


 そんな何気ない会話をしていると部員のひとりがこちらの存在に気づいたようで、他の部員たちに向かって何やらひそひそと声をかける。

 こちら――主に私を見る彼らの目には、わずかながら恐れの色が見えた。

 どうにもあのスパーリングプログラムとの戦いを見ていた部員たちからは、すっかり畏怖の目で見られるようになってしまったらしい。

 同い年の生徒もいるだろうになんだか少し寂しい。

 そんな感情を抱くと同時に果たしてこんな状況で聞き込みなんてできるのだろうかと、そう不安に思っていたが――、


あねさん! お疲れさまです!」「姐さん肩を!」「姐さんお茶を!」「姐さん!」「姐さん!」


 一斉に野太い歓迎の声が私を取り囲む。

 いきなりのことにたじろいでいると、私の肩を青山さんがニヤニヤしながら小さく叩いた。


「呼ばれてるよ、姐さん」

「お願いですから姐さんは止めてください……」


 顔から火の出る思いとはこのことか。あまりの恥ずかしさに私は両手で顔を覆った。



 * * *



 部員たちへの聞き込みは私がすることになった。

(不本意ながら)部員たちから羨望と畏怖の目で見られている私なら、彼らも色々話をしてくれるだろうと青山さんは踏んだらしい。

 こうなると、彼らの前で私にスパーリングプログラムを倒させたのはこういう目的もあったのかもしれないとさえ邪推してしまう。

 まああまり余計なことを深く考えている暇もない。

 私は出されたお茶を一口いただくと、事前に青山さんから吹き込まれていた質問を部員たちに投げかける。


「あのスパーリングプログラムについてお聞きしたいんですけど、あれはどういう経緯で導入されたものなんですか?」

「アレは去年の11月にプログラミング部に依頼して、今年の4月に納入されたものですよ。部員以外の選手とも練習できるようにって」

「丹下部長さんの話だと、あのスパーリングプログラムのプロ級ジェノサイドモードを倒せる人は誰もいないって話ですけど本当ですか?」

「本当ですよ。1番下から男爵モード、子爵モード、伯爵モード、侯爵モード、公爵モード、大公モード、そしてプロ級ジェノサイドモードとなってます」

「何でだよ?」あまりの関連性の無さに静観している予定だった青山さんが思わずツッコミを入れる。

「どうしてそんな誰も勝てないようなモードがあるんですか?」

「どうしてって……」


 部員たちは互いに顔を見合わせて、


「事情があって」


 誰もが異口同音にそう答える。

 先程の丹下部長さんと同じ反応だ。何か言いたくない理由や言えない事情でもあるのだろうか。


「いやそれにしても矢石も何であんなコトしたかな」


 突然、部員のひとりが話を逸らすように話題を変える。


「何も今あんなことしなくてもな。部長の誕生日パーティの準備もあるのに面倒事増やさないでほしいよ」

「てか本当に矢石がやったのかよ?」

「本当にやってたとして理由は何よ? いたずら?」

「ああいう悪質ないたずらをする性格には思えねえけどなぁ」


 部員たちは口々に言い合う。ここでひとつ興味の湧いた私は、自分の中で沸いた疑問を彼らにぶつけてみることにした。


「あの、矢石さんっていうのは、どういう方なんですか?」

「真面目を絵に描いたような奴ですよ。部活の練習だって毎日ちゃんと顔を出すし」

「昨日昼飯に購買でコロッケパン買ってました!」

「外部組……要するに中学からの進学じゃなくて高校受験してウチの学校に入ったんで入部したのは去年ですかね」

「入部するまでボクシングの経験は一切なかったみたいですけど、8月くらいから一気に伸びて、昨年末の大会じゃベスト4に入ってましたよ」

「一昨日はジャムパン!」

「ここ最近調子がいいのか、以前よりさらに強くなった気がしますよ」

「3日前はフランスパン!」


 一部どうでもいい情報も混じっていたような気がするが、部員たちは口々に矢石さんの話をしてくれる。

 さっきのスパーリングプログラムとの戦いがなかったら、皆の口もここまで軽くなかったかもしれない。

 そんなことを考えていると、今度は部員たちが興味ありげに尋ねてくる。


「実際のところどうなんです? 犯人は矢石なんですか?」

「捜査を続けているということは何か疑わしい点でも見つかったんですか?」

「それはまだちょっとハッキリとは……」


 さすがに『私も詳しいことは聞かされてないけど聞き込みをやらされてます』とは言えず、私は曖昧あいまいに言葉を濁す。

 ただそれが良くなかったのか、彼らは再び議論を始めてしまった。


「矢石がやったんじゃないんだとしたら、他に犯人がいるって?」

「例えば学校外の人間の犯行とかじゃないのか?」

「学校外?」

「まさか玲瓏れいろう学園の連中とかか?」

「ウチと浅からぬ因縁があるからな」

「だとしたら許せねえ」


 にわかに部員たちの血気が盛んになってくる。

 どうしよう、一気に話が聞けるような雰囲気でなくなってしまった。

 目の前で繰り広げられる諸説紛々しょせつふんぷんの議論に戸惑っていたところで、そんな彼らを鎮めるように青山さんが静かに言い放った。


「残念だけど部外者による犯行という可能性は極めて低いの」

「どういうことだよ?」

「ボクシング部を始めとした神明学園の部活や委員会の電脳空間はすべて生徒クラウド上にあるんだけど、この生徒クラウドにアクセスするにはその前に『神明学園ポータル』で認証をしなければいけないの」

「それいまだに納得いかねえんだけど、電脳空間にアクセスするのに、わざわざ神明学園ポータルと電脳空間で2回も認証しなきゃいけないんだよな」部員のひとりが口を尖らせて言う。

「生徒クラウド自体が世界のどこからでもアクセスできるインターネット上にあるからね。かといって誰でもアクセスできるとまずいから、アクセスしてもいい人間だけがアクセスできるようになっているの」

「……まだ納得いかねえ」

「生徒クラウドってのは部室棟みたいなものって考えたらわかりやすいかも。それぞれの部室には鍵がかかっていて、部員の生徒だけが入ることができる。だけどそれだと万が一不審者が鍵を手に入れたり力技を使ってきたりしたら、部室に入られてしまうかもしれない。だからその手前に守衛がいて、部室棟に向かう人間ひとりひとりの身分をチェックしているってわけ」

「その守衛が神明学園ポータルってことか」


 やっと合点がいったという顔の部員に青山さんは小さくうなずく。


「で、その神明学園ポータル守衛に自分の身分を証明するのに必要なものがふたつあって、ひとつは生徒クラウドに繋ぐための『デバイス証明書』ファイル。神明学園の生徒のナノポートであることを証明するこのファイルは非エクスポート性をもってナノポートのセキュリティチップに格納されていて、ナノポートの持ち主であっても基本的に取り出すことはできない。セキュリティチップはその性質上、ナノポートのOSからも直接アクセスすることはできないから、ウイルスによってセキュリティチップ内の証明書が奪われる心配はほぼない。そしてもうひとつがこれ――」


 青山さんはパーカーのポケットから紺色の生徒手帳を取り出す。


「みんな生徒手帳持ってるでしょ? 生徒手帳は電子化されてて、60秒ごとにワンタイムパスワード6桁の数字を生成している。生徒クラウドにつなぐ時には、証明書ファイルとは別にこのワンタイムパスワードの入力が必要になるの」

「2段階認証か……」


 その場にいた部員のひとりが訳知りにつぶやく。

 2段階認証とは、その名のとおり認証を2回行う認証方式だ。

 今回のケースで言えば、生徒クラウドに繋ぐための証明書ファイルによる認証と生徒手帳によって毎分生成されたワンタイムパスワードによる認証。このふたつによる2段階の認証を経て生徒クラウドにアクセスすることができる。

 青山さんが言ったように、セキュリティチップに格納された非エクスポート属性を持つ証明書ファイルが外部に漏えいするということはほぼ起こり得ないが、万が一漏えいしてしまったとしても、直ちに不正にアクセスされることはない。証明書ファイルとは別に、生徒手帳が毎分生成する有効なワンタイムパスワードも必要になるからだ。


「つまり証明書ファイルと生徒手帳を持っていない人間は神明学園ポータルでの認証をクリアできない。ポータルでの認証をクリアできなければ、生徒クラウドにアクセスもできないから学校関係者以外が生徒クラウド上の電脳空間で何かやらかすのは極めて難しいってこと」


 神明学園ポータルの認証は接続する際には必須なのだが、一般の生徒があまり意識していないのも致し方ない。

 証明書の提示はナノポートのセキュリティチップが勝手にやってくれるので、神明学園ポータルで認証をする時に私たちがしなければならないことは生徒手帳に表示されたワンタイムパスワードを入力するだけとなる。

 普段あまり意識せずに生徒クラウド上の電脳空間にアクセスしている人間にとってややこしいのは確かだ。


「青山さんの説明で学校外の人間による犯行が難しいってのはなんとなく分かったけどよ、電脳鑑識委員会はボクシング部の電脳空間の証拠だけじゃなくて、生徒クラウド全体のネットワークログを見るとかできねえのかよ? もっとフカン的? に見てほしいぜ」


 部員が不服そうに言うが、「それは無理ね」と青山さんはバッサリと切り捨てて窓の外へと目を向ける。

 窓の向こう、私たちのいるこの部屋から数百メートルほど離れたその場所には、地上20階建ての学園の校舎と同じ高さのビルがそびえ立っていた。

 建物の名前は『ネットワークセンター』。学校の敷地の端に存在するそれは、生徒クラウドや神明学園ポータルを含めた神明学園の全インフラを司るとされる施設だ。

 扉はおろか窓すら無いその異様な様は墓標を思わせ、中の様子をうかがい知ることはできない。


「ネットワークのログが開示されるのは警察とかの公的機関から要請があった時だけ。一生徒組織の電脳鑑識委員会が学校のネットワークセンターに要求しても開示はされないでしょうね」


 青山さんの言うとおり、公的な組織からの要請ならまだしも学内の一組織――ましてや生徒からの要請では生徒クラウドのネットワークログが開示されることはない。

 そもそも私たちが事件事件と騒いでいるこのスパーリングプログラム暴走事件をネットワークセンターは事件として認識していない。

 彼らの認識としては、精々が生徒同士のトラブル。悪く言えば些事さじ。ゴタゴタ。その程度のものだろう。

 だから彼らは問題が起きた電脳空間内の情報以外は決して明かさないし、事件に首を突っ込んでくることもない。

 スナップショット取得時点のデータだけを電脳鑑識委員会に渡して『あとは勝手によろしく』と、我関せずを決め込んでしまうのだ。

 事件に向き合う私たちとは温度差を感じてしまう対応だが、彼らとしては事件と捉えていない問題に対して重要な情報を含む恐れのあるデータを生徒に渡すことを嫌ったのだろう。



 * * *



 部員たちから話を聞き終えた私と青山さんは、部室をあとにした。

 最初はどうなるかと思ったが、ちゃんと聞き込みをすることができたのは本当によかった。

 が、そう思うと同時に、ひとつ気になることもある。


「青山さん、さっきのはわざとですか?」

「わざとって?」

「確かに学校外部の人間に犯行は難しいです。でも学校内部、それもボクシング部の人間なら可能性はあります」


 この学校の生徒ならば、自分の証明書ファイルと生徒手帳を使って神明学園ポータルの認証を済ませて生徒クラウドにアクセスすることができる。

 ボクシング部の部員ならば、ボクシング部でどんな認証方式が使われているか知っている。

 ボクシング部の部員ならば、スパーリングプログラムのある場所や実行・設定の方法を知っている。

 あとは何らかの手法を使って矢石先輩になりすませば、矢石先輩としてスパーリングプログラムを実行することが可能だ。

 あんな気のいい人たちを疑うのはいささか心苦しいが、彼らの中に犯人がいる可能性だってあるのだ。

 だけど青山さんはその可能性を指摘しなかった。


「あの中に犯人がいる可能性はある。だけど確証はないし、それに矢石は自分の犯行であることを認めているからね。下手にあの場を引っ掻き回すのは得策じゃないって、そう考えたんだ」

「そういうことでしたか」

「そういうこと。それじゃ今度は、おっちょこちょい共の様子を見に行こうか」

「おっちょこちょい?」

「そろそろ行ってやらないと間に合わなくなっちゃうかもしれない」


 そう言って青山さんは困ったように笑うのだった。

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