戦績

 ボクシング部の部室を離れて次に私たちが訪れたのは、空き教室だった。

 長机とパイプ椅子の置かれた部屋には、犬刃鑑識委員と七尾鑑識委員。それと矢石先輩の姿があった。机を挟んで膝を突き合わせる3人は、今まさに事件の報告書を作成している最中らしい。

 私たちの姿を見咎めた犬刃鑑識委員は、その鋭い目と犬歯を鈍く光らせる。


「テメェら、あんまり俺の前をうろつくんじゃねぇ。噛み殺すぞ」


 その狂犬ぶりたるや、あいも変わらず。本当に噛み殺しそうな勢いだ。

 だけど青山さんの反応は冷ややかだった。彼女は長机をバンと叩く。


「あなたたちに生徒の行動を制限する権利はない。なら矢石と話をしたって問題ないはず。それにあなたも冤罪を作りたくはないでしょ?」

「冤罪だと?」


 犬刃鑑識委員は聞き捨てならないというように椅子から立ち上がると、青山さんに向けて指を突きつけた。


「面白ェ。テメェは今回の事件、この矢石少年が引き起こしたわけじゃねぇって言いたいわけだ」


 だが青山さんはそんな犬刃鑑識委員を無視すると、今度は矢石先輩を振り返る。


「本当に君がやったの?」

「そう……ですけど?」

「なんかどうも引っかかるんだよね」

「……引っかかるというのは?」


 矢石先輩は怪訝と不安が入り混じったような顔で青山さんを見上げる。

 それは私も気になっていた。何の根拠があって青山さんはこの事件が矢石先輩の犯行じゃないと考えているのか。


「そろそろ私にも教えていただけませんか、青山さん。一体何が引っかかるって言うんです?」

「スパーリングプログラムの敗北回数」

「え?」

「あ?」


 その場にいた青山さん以外の全員が一斉に疑問符を浮かべる。

 今彼女は何と言った? スパーリングプログラムの敗北回数?

 はて、そんなものあっただろうか。


「あの……それは一体何ですか?」

「あのスパーリングプログラムは負けるとプログラムのメモリに負けた回数をカウントして保持するようになっているんだよ」

「負けた回数がカウントされる……?」

「正確には勝敗記録だね。部長から貰ったスパーリングプログラムの仕様書の『この辺がすごい!』の項目に書いてあった」

「それは本当に仕様書ですか……?」


 犬刃鑑識委員はターミナルに指を滑らせる。


「……確かに仕様書には、『勝敗記録が記録される』とあるな。それで? これが何だってンだ?」

「いい? まず私たちがスナップショットを使って事件が起きた直後のボクシング部電脳空間に戻った時、私たちの前に現れたスパーリングプログラムの勝敗記録にカウントされていた敗北回数は1回だった。そしてそのあとで千鶴に負けて2回になったの」

「本当なんですか、それ?」

「間違いない。私ずっとスパーリングプログラムのメモリを見てたから。あなたがスパーリングプログラムを倒す瞬間、プログラムのメモリ内に確保された敗北回数の値が確かにインクリメントカウントされていたよ」


 もしかして『気になることがある』と言って私にあのスパーリングプログラムを倒させた真の目的はそれだったのだろうか。

 犬刃鑑識委員が青山さんににらみを利かす。


「……どういうことだ?」

「単純な足し算の話だよ。要するにね、あのスパーリングプログラムは千鶴が倒す前に1回既に誰かに負けてたんだよ。だけどボクシング部には、あのプロ級ジェノサイドモードに勝てる部員はいないって話じゃない。丹下部長は部員全員でまとめてかかっても勝てないって言ってたし、他の部員たちに聞いてもそうだった。だけど実際問題として、スパーリングプログラムは1度敗北してる。ということはどういうことだと思う、犬刃鑑識委員?」

「……あの場にボクシング部の部員以外の人間がいたってことか?」

「正解」


 そんな存在、誰がどう考えても怪しすぎる。


「馬鹿な。電脳空間のアクセスログにはこの2週間、部員以外がアクセスした記録は残ってねェ」

「だけどスパーリングプログラムのメモリに残された証拠があの場に部員以外の誰かがいたことを物語っている。……私の言ってることが本当かどうか調べてみないの?」

「今やってる。七尾、メモリの解析結果はどうだ?」


 犬刃鑑識委員のとなりで縮こまりながら忙しなくターミナルを叩いていた七尾鑑識委員だったが、やがて顔をあげる。


「確かにスパーリングプログラムの変数領域には戦績が記録されているみたいで、事件発生時――つまりスナップショット取得時の戦績には敗北回数『1』が記録されています。またスパーリングプログラムはプログラムが終了する度に戦績がリセットされる仕様だったみたいです。つまり青山先輩の言うとおり、あのスパーリングプログラムは起動後からスナップショットが取得されるまでの間に一度誰かに負けていたということになるかと」

「ンだと……?」

「ほら、どう?」


 挑発するような笑みを向ける青山さんに、犬刃鑑識委員は眉間を剣呑な縦皺で刻む。だが、すぐさまその顔に笑みを浮かべた。


「なるほどなるほどなるほどなァ……。こういうのはどうだ、逆行分析者。矢石少年は、まず一度自分が勝てるモードに設定したスパーリングプログラムに勝つ。そのあとですぐに設定をプロ級ジェノサイドモードに変更したんだ。これなら現場の状況と矛盾あるまい?」


 してやったりという表情を浮かべる犬刃鑑識委員は手のひらを拳で叩く。

 彼の言うとおり、それならば確かにスパーリングプログラムの敗北回数に1カウントされていたことにも説明がつく。だがしかし――、


「何でそんなことをしたんですか?」私は当然のごとく生まれた疑問を犬刃鑑識委員へとぶつける。

「ンなもん、他人に疑いがかかるようにするためだろ? 第三者の可能性を作り出すことで、自分に嫌疑がかからねェようにしたんだ」

「だけど矢石はその事実を使って疑いを晴らそうとはしなかった。素直に自分がやったと自供している」


 サラッと言い放たれた青山さんの反論に犬刃鑑識委員の表情が先程よりもいっそう険しくなる。超怖い。


「それに残念だけど、それはありえない。当然といえば当然のことなんだけど、スパーリングプログラムは仕様上、モードを切り替えることで戦績がリセットされるようになっていたみたい」

「リセット……だと?」

「つまり、あなたの言うとおり一度スパーリングプログラムを倒したあとにモードを切り替えたならば、スナップショット取得時のスパーリングプログラムの敗北回数は0回のはずだったわけ。まだ反論があるなら聞くよ、犬刃鑑識委員」

「……………………………………………………………………………………チッ」


 大変長い沈黙のあとで犬刃鑑識委員は舌打ちする。それを降参と受け取ったのか青山さんは満足げな表情を見せた。

 その時、大きな音が空き教室中に響き渡る。今まで黙って話を聞いていた矢石先輩が机を叩いたのだ。


「いい加減にしてくださいよ! 僕は自分がやったって認めてるんですよ!?」

「ずっとそこにいたのに話を聞いていなかったのかな――? 私たちはボクシング部の人間じゃ誰もあのモードを倒せないのに、1回負けてたから怪しいって話をしてるんだよ。それとも君は、あのプロ級ジェノサイドモードに勝てるの? 何なら今から一勝負やらせようか?」

「それは……。勝負は時の運ってものが……あるでしょう……」


 間髪入れずに飛んできた反論に矢石先輩は口をもごもごとさせる。そんな彼に青山さんは疑わしげに目を細めた。


「君さ、もしかして誰かをかばってない? 実はスパーリングプログラムを倒したこの第三者が真犯人で、君は真犯人をかばっているということも考えられるんだけど」

「……誰もかばってませんよ」

「あ、そ」


 それだけ言って、青山さんは犬刃鑑識委員を振り返る。


「何にしても犬刃鑑識委員、事件当時、現場に第三者がいた可能性が示された。今急いで結論を出すとあとで恥かくかもよ」

「しつけェな。わかってらァ」


 瞳に怒りと困惑の色を宿した犬刃鑑識委員は七尾鑑識委員へと命令を飛ばす。


「おい、七尾。あの日あの時間、犯行現場にいたボクシング部以外の人間を探し出せ。俺の方でも当たってみる」

「わ、わかりました!」


 言うやいなや鑑識委員のふたりは慌てた様子で部屋を飛び出していく。

 この場に残されたのは、私と青山さんと、うなだれた矢石先輩だけだった。


「……私たちはどうしましょうか?」

「もう一個気になってる謎を解きに行こうか」

「気になっている謎……?」


 何のことだろう、そんなものあったっけ。

 首をかしげたところで、青山さんが人差し指で私のおでこを小突く。

 そして一言、


「どんかーん」


 そう言い残して空き教室を出ていってしまった。

 残された私はひとり、目を瞬く。


「……どん、かーん?」

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