神明学園
私と万端さんはふたり、リノリウムの廊下を歩く。
授業が終わってまだそう時間は経っていないのだが、廊下にいる生徒の数はまばらだった。
きっともうみんな部活に行ってしまったのだろう。
窓の外を見れば、部活のユニフォームを着た運動部の面々が談笑しながら歩く姿が見える。
千葉県にある某テーマパークと同じ敷地面積を誇る我が
中等部と高等部から成るこの学校は、少子化極まれりのこのご時世にも関わらず生徒の数はそこそこに多い。
『最高の設備をもってして前途有望な若者を育成する』という経営方針の名の下、多種多様な生徒たちの希望に応えるべく、敷地内にはプールやテニスコート、格技場などの他、映画館やプラネタリウム、劇場などといった普通の学校にはない施設が設けられている。まるでこの神明学園自体がひとつの小さな街のようだが、それらの施設は娯楽のためというよりは、授業や生徒が自分たちの作った作品を発表する場として使われていることが多い。
おかげで広すぎる敷地を「無駄だ」と持て余すなんてことにはなっていない。
「この学校って嫌に広いよね。教室移動だけでへとへと」
少し遅れて私の後ろをついて歩く万端さんが愚痴るようにつぶやく。確かに敷地を持て余してはいないが、それと生徒が移動に苦労しているのはまた別問題である。
「『この学校に入学するなら体力をつけておけ』っていう前評判は本当だったんだね。まあ、おかげでいいダイエットにはなりそうだけどさ」
「私も最初は苦労しましたけど、去年1年でなんとか慣れました」
「そうか、白鞘さんって中等部からこの学校にいるんだものね。私は今年の春からだからさ――」
中等部と高等部を抱える神明学園では、高等部の生徒は中等部からそのまま進学した私のような内部組と、高校入試を受けて入学してきた外部組に分けることができる。万端さんは外部組ということだろう。
「万端さんもすぐ慣れますよ。毎日この学校に通っていれば体力なんて自然とつくものですから」
そこまで言って視線を感じた私はとなりを振り向く。目の前には、こちらを覗き込むようにして見つめる万端さんの顔があった。
「……何か?」
「いやずっと気になったんだけど、白鞘さんって同学年だよね? 同じ高校1年生同士であってる?」
「そうですけど?」
「それじゃ何でずっと敬語なの? タメ口でいいのに」
なるほど。さっきからそれを気にしていたのか。どう説明したらいいものか。思考を巡らせながら、私は慎重に言葉を紡ぐ。
「……癖というのも少し語弊があるかもしれませんが、何と言うかこの方が楽なんです」
「自分より年下相手にもそうだったりする?」
「そうですね。あまり意識したことはありませんが、年下の方相手にも基本敬語だと思います」
「ふーん、そうなんだ」
納得したのかしていないのか。何やらしばらく考え込んでいた万端さんだったが、やがて「うん、よし!」とうなずくと、突然私の手を取った。
柔らかな白い手が私の両手を包み込む。
「じゃあ、今から私のことは白嶺って呼んでよ」
「白嶺……さんですか?」
「そうそう。だって同学年同士なのに敬語で名字呼びじゃ、壁があるようで何だか寂しいじゃない? せめて下の名前で呼んでくれたらなって。それに『万端』って名字、堅苦しくてあまり好きじゃないんだよね。あ、私も白鞘さんのこと千鶴って呼ぶから」
なんとも距離を詰めるのが早い。一瞬にして下の名前で呼び合う仲にされてしまった。
他人を下の名前で呼ぶことなどあまりないのだが、ここで気を遣わせてしまうのは気が引ける。それに何より、他人に対して壁を作っているということを看破されてしまったのは、少しだけ後ろめたい気持ちもあった。ならばここはお言葉に甘えて、下の名前で呼ばせてもらうべきか。
「わかりました。それでは改めて――白嶺さん、よろしくお願いします」
「うん、よろしく千鶴」
白嶺さんは可愛らしげにニコリと微笑む。
何だか少しこそばゆいものを感じるが、嫌な気にはならなかった。
ふいに視界の右端にポップアップウインドウが現れるのが見えた。脳内のナノポートによる通知だ。
どうやら誰かからナノポートのチャットアプリにメッセージが送られてきたらしい。内容を確認すべく小さく手を振ると、目の前に半透明のコンソール『ターミナル』が目の前に現れる。
ターミナルは体内のナノポートを外部から操作するためのARディスプレイだ。これによって私たちは、画面を持たず身体の外から制御できないナノポートを操作することができる。
チャットアプリには1件の新着メッセージが届いていた。
送り主はこれから私と白嶺さんが会いに行く先輩。内容はただ一言、『遅い』とだけ書かれている。
顔文字も絵文字もない飾り気ゼロの実に簡素なメッセージだったけれど、送り主の性質を詳細に知っている私からすれば、もうこれだけでこのメッセージを送ってきた人物の不機嫌な顔がありありと目に浮かぶようだ。
私は急いで『すいません。あと少しで着きます』とだけ返事を返すと、廊下を歩く速度を上げる。
白嶺さんと話をしていたおかげで普段よりも少し遅れてしまっている。急がねばならない。
「ちょっと待って~」
背後から聞こえてくるすがるような声にギョッとして振り返る。やや遠くの方から白嶺さんが小走りで向かってくるのが見えた。
しまった。どうやら彼女を置き去りにしていたらしい。
私は足を止めて白嶺さんを待つ。
「すみません白嶺さん。大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。それより、もしかしてお急ぎ?」
「ええ、これから会いに行く先輩が待ってるみたいで、その……早く来いと」
「……もしかして怖い先輩なの?」
白嶺さんが不安げに目を細める。いけない。依頼人を不安にさせてしまってどうするのだ。
私は慌てて訂正する。
「怖くはないです。ただ少し気難しいところがあるのでそこだけ厄介ですね」
「頑固一徹みたいな?」
「そんなんじゃないですよ。いっそのことそんなんだったら扱いやすくて最高なんですけどね」
「何か不安になるな」
「私がいれば大丈夫です。絶対に首を縦に振らせてみせますよ」
絶対の自信を胸に私はうなずいてみせた。
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