青山薫
私と白嶺さんは2年生の教室がある階までやってきた。
部活や委員会といったそれぞれの用事があるのか、教室に生徒の姿はない。……いや厳密にはひとりだけ。窓際の席に突っ伏している女子生徒の姿があった。
寝ているのだろうか。机に突っ伏したまま、まんじりとも動かない。顔は窓の方を向いている上、フードがかぶさっているおかげで、彼女が今どんな表情をしているのか不明だ。
「
女子生徒の机の前までやって来た私は、おそるおそる彼女へと声をかけてみる。そこで私の存在に気づいたのか、女子生徒は気だるげに身体を起こしてこちらを振り向いた。
やはり先程まで寝ていたのだろうか。その黒い瞳がまぶしげに細められている。
顔立ちを可愛いか美人に分けるなら限りなく後者に分類されるだろう。それも同性の私から見てもとびきりの。
怜悧な顔立ちに通った鼻筋、こちらをにらむオニキスのような目。どれをとっても申し分ない。
だが残念なことに、今フードの下に浮かんでいるその表情は不機嫌だ。笑えばもっといいだろうに、寝ていたところを起こされたのがさぞ気に入らないのだろう。そしてもうひとつ残念なことに、その美貌にはパーカーのチャックを踏みつけにしていた跡がくっきりと残っていた。
女子生徒は口に手を当てて大きくあくびする。そこで嫌でも視界に入ったのが、彼女の左手親指に煌めく宝石の指輪。青みがかった小ぶりのそれはダイヤモンドだ。
高校生にダイヤモンドという一見何とも不釣り合いな組み合わせだが、不思議と嫌味な感じはしない。宝石の自己主張は慎み深く、持ち主をささやかに飾り付けるアクセントとして静かに輝きを放っている。
青山
虚ろな眼差しの青山さんだったが、ようやく意識がハッキリとしてきたのか私をにらみつけると、パーカーのフードを頭から外す。長い、綺麗な黒髪がサラリと流れて、フードに隠れていた顔があらわになる。その瞬間、背後で白嶺さんが小さく息を呑んだのがわかった。人というより、異質が現れた。彼女の人間としての何かがそう感じ取ったのかもしれない。
さて、そんな異質の第一声はというと――、
「やーっと来た。遅いよ。千鶴が来ないと私どこにも行けないんだから」
「それは……本当に申し訳ありません」
「あとここにひとりでいると超心細いんだよ。わかる? 誰もいない放課後の教室の怖さ。ここで物音とかすると、もうたまらない。あれか? 仕返しか? 昨日千鶴が作ったサラダを食べなかったことに対する仕返しか? あれは私も悪かったと思ってる。ウチの家計が万年火の車なのはわかってるし、何より食べ物を粗末にするのはよくないからね。でもしょうがないじゃん、ブロッコリーとレタスときゅうりとトマトは苦手なんだから。でもアレなら食べられる。ポテトサラダ。アレはいい。サラダと言いながらその実スナック感覚でいい感じにパクパクいけちゃうから。だから今日はポテトサラダを作――……後ろのは?」
ひとりで散々喋り倒していた青山さんは、そこでようやく目を白黒させている白嶺さんの存在に気づいたらしい。
私はそっと耳打ちする。
「1年の万端白嶺さん。青山さんに相談したいことがあるそうです」
「んー……」
自分が面識のない後輩を前にしょうもないことを言っていたことに気づいたのか、しばらく気まずそうに視線を泳がせていた青山さんだったがやがて、「2年の青山薫です。よろしく」と手を差す。
そこであ然としていた白嶺さんも我に返ったのか、慌てて青山さんの手を取った。
「い、1年の万端白嶺です……!」
「ばんたん……どう書くの? もしかして盤上の盤に奇譚の譚?」
「万能の万に極端の端です。そんな勘違いされたのは生まれて初めてですけど……」
「何だか難しい名字だね。白嶺さんでいい?」
「もちろんです!」
白嶺さんの声が上ずる。どうやら青山さんを前にすっかり緊張しているらしい。まあもっとも、この人の本性を知ればすぐに緊張なんてどこかへ吹き飛んで消えてしまうと思うが。
青山さんの視線が再び私の方へと向けられる。「人がいるならいるってさっさと言えよ」と言いたげな目だ。
なのですかさず私も「自業自得です」という目で対応してやる。一応目ではそう言ったつもりだったが、ひょっとしたら「うるさい馬鹿」とかになってしまったかもしれない。アイコンタクトとは難しいものである。
「それで、」青山さんは気を取り直すようにして咳払いすると、探るようにして私と白嶺さんを一瞥する。「ふたりはどういう関係なの?」
「実は私も先程初めて話をした仲でして……。彼女、どうも青山さんに相談したいことがあるそうなんです」
「さっきもそんな話聞いたけど、私に相談したいことだから、つまり電脳空間で起きた事件の話って考えていいんだよね?」
「はい。――白嶺さん、二度手間になってしまって大変恐縮なんですが、先程教室でしてくれた話をもう一度青山さんに話してくれますか?」
私に促された白嶺さんはうなずいて、青山さんへと向き直る。
「青山先輩はプライベートスペースをご存知ですか?」
「どっかの会社がやってるサービスだっけ? ユーザが好きなようにカスタマイズできる電脳空間を提供してるっていう。確かこの学校の生徒も使ってる人がいるって話だけど」
「私もそのプライベートスペースを利用してるんですけど、実はプライベートスペース上の私の電脳空間に、誰かが侵入しているみたいなんです」
「あなたの電脳空間に?」
青山さんが眉を寄せる。その声に胡散臭さがにじみ出ていることを敏感に感じ取ったのか、慌てたように白嶺さんが補足する。
「さっき千鶴に話した時に聞かれたので先に断っておきますが、誰かを招待していたなんてことはありません。だけど私しか入れないはずの場所に誰かが侵入しているんです」
「もし本当に侵入があったなら穏やかじゃないけど、あなたはどうして侵入に気づいたの?」
「花があったんです」
「花?」
「黄色い花が一輪、部屋の中に。でも私そんな花置いた記憶がないんです」
「それが侵入されたと思った理由? 根拠薄弱じゃない? 自分が置いていたのを忘れてるとかあるかもしれないじゃん」
「私も最初は気のせいかと思いました。でも1回だけじゃないんです。この3週間、私が電脳空間に行くたびに黄色い花が置いてあるんです。私怖くて怖くて――」
そう言って物憂げにため息をつく白嶺さんは今にも泣き出しそうだった。
ナノポートによって常にネットと繋がっている現代人にとって、リアルもアンリアルも違いはない。薄い1枚の膜で区切られたふたつはどちらも現実。
唯一異なる点があるとすれば、それは肉体の有無だけだろう。
だからこそ、自分の部屋が何者かに入られたかもしれないという白嶺さんの不安はすごくよくわかる。
人生の
もし本当に何者かが白嶺さんの電脳空間に侵入しているというのなら、それは到底許せる話ではない。
だけど青山さんの反応は相変わらず重い。
「サービスを提供してる会社には問い合わせたの?」
「プライベートスペースの運営は基本的に個別の問題について対処してくれません。専門の会社に頼めば異常が無いかどうかの診断をしてくれますが、費用は一高校生が払えるようなお金じゃありませんし――……」
「私ならタダで頼めるってこと?」
「そういうことじゃないですけど……」白嶺さんはバツが悪そうに口ごもる。
「サービスを使わないようにすればいいんじゃないの?」
「それはなんか負けた気がするじゃないですか。それにまた同じ目に遭う可能性だってあるし……。原因を見つけて、あわよくば犯人を見つけたいんです」
「犯人を見つけるなんてそんな無茶な」と青山さんは表情を引きつらせる。
「この学校で電脳空間に関する事件をいくつも解決してきた青山先輩なら、大丈夫ですよね!?」
「青山さん、見てあげましょうよ」
「えー……でも高確率で無駄骨になるような気しかしないんだけど」
私に肩を揉まれながら青山さんは難しそうな顔をする。
思ったとおり、どうも乗り気じゃないらしい。実際、これまでの事件の捜査で何度か無駄骨になった光景を見てきた私としても気持ちはわからなくもないのだが、ここであっさり断られると私の立つ瀬がなくなってしまう。
「私たちが調べて白嶺さんが言ったとおり侵入の事実があったら問題ですし、なかったとしても安心させることができるじゃないですか」
「なかったとしてもって簡単に言うけど、なかった場合はやっぱり無駄骨になるってことでしょ? 私はそれが嫌だって言ってるんだけど……」
ゴニョゴニョと口の中で何かを言い募る彼女に、やむを得ず私はとっておきの切り札を出すことにした。
「じゃあ今日の夕食は昨日青山さんが残したサラダオンリーです。それ以外一切何も出しません」
「卑怯者!」
悲壮な声で叫ぶ青山さんだったが、それからようやく観念したようにため息をつく。
「……わかったよ。私としてもサラダだけ食べて1日終わるのは忍びない。そんなに言うなら一度見に行ってあげようか」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
白嶺さんは嬉しそうな声をあげると青山さんの手を取った。
「それじゃあ早速、私の電脳空間に来てくれますか?」
「いいけど君、距離の詰め方すごいね」
青山さんは白嶺さんの手からするりと抜けると、逃れるようにして椅子から立ち上がる。
「まあでも、ここで……ってのもなんだしさ、どこか落ち着けるところに行かない?」
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