母と病院

愛岡植記

#1/1

 入院していた母がボケて、そして亡くなった時の話。

 とある臓器に疾患のあった母は入退院を繰り返していたのだが、それはもっぱら療法を行うための準備手術のための入院であった。だから「母がボケた」との知らせなんてものは、当時の俺には正に寝耳に水といった具合だった。


 それもそのはずで母が罹ったのはであり‟ボケ”、いわゆる認知症とは異なるものだという事が後で調べてわかったのだが、その大きな特徴としては症状が急に現れる事、そして罹るきっかけとなるものが明確に存在するという点が挙げられる。

 つまり母の場合、入院か手術が原因だと考えられた。


 避け得られないものだったと頭の中では納得したつもり。

 しかし「うちの患者にはよくある症状なんです」と口にしていた看護師の口調はいささか軽すぎやしないかと、少しだけ引っ掛かった事を記憶している。


 ………え、何? この話とお題の『おうち時間』がどう関係するのかって?


 まぁ要するにだ。

 せん妄によって母は、自分の置かれてる状況がわからなくなってしまった。そして「帰らせて~おうちに帰らせて~」って起きている時間ずっっと、喚くようになってしまったと。

 つまり今回はそういう話。


 帰らせて~とか言う、その場所が、俺が生まれる前にうちの家族が住んでいた方の住所だったという、その俺=バカ息子が語る話だ。



 自嘲するからにはワケがあって、母と俺の仲は芳しくなかった。

 見舞いのし易さだけでいうと、このせん妄の時期や後の寝たきり状態の時期の方が気が楽で良かったのでは? とちょっと思ってしまうぐらいにな。

 でもオムツ姿を目の当たりにするのは流石に堪えたとだけ言っておく。

 毛とか、はみ出てたしな。


 そして母が死ぬ前日のことだ。


 今夜が峠との医者の宣告により病院の一室を借りた所に俺はいた。

 ICU――母の傍には姉と叔母夫婦が付いていた。

 俺と、同室の兄と父はただ時が過ぎるのを待っている状態だった。

 そんな中での一駒を、この話の締めとさせてもらう。


 時期的に肌寒さを感じていた俺はボアジャケットを頭から被っていたんだが、その耳にはっきりと届くくらい大きく響かせて「連れてかないで~」と言う声が廊下から聞こえた。

 高齢女性のものだった。


 それを聞いた俺と兄は目を合わせて、そして笑ってしまったんだ。

 それが、母の声と似ていたから。

 言い忘れていたけど、せん妄状態の母の記憶で印象に残ったものがもうひとつ――――声のしゃがれ具合、があったのだ。


 元々医者から水分を制限されていたせいで喉の渇きを訴える事が多々あった母だが、自分でケアができなくなったせいかあるいは何かと喚いていたせいか、声質の劣化をはっきりと感じさせてくれた。

 同様のものが、廊下のしゃがれ声から想起させられた。

 つまりは「あぁ何か、『おうち時間』があの女性にも来てしまったんだな」的な共通認識を兄とふたり持てたことで、そのひと時、ぴんと張り詰めた空気がちょっとだけ緩んだ。その結果として笑いを溢してしまったと。


 まぁ認識自体が誤りだったわけだが。


 翌朝早くに母が亡くなり、葬儀屋に連絡して院内が慌ただしくなった中で、「昨晩はうるさかったでしょう」などと看護師が兄に話していた。

 会話に横槍を入れるように俺が笑って肯定するのもおかしいなとその時は押し黙ったのだが、後日、詳しい事情を兄から聞かされあの時の俺の判断は正しかったのだと認識した。

 あの日、亡くなった人は母の他にもうひとりいた、と。


「連れてかないで~」というあの声は、葬儀屋に夫が運ばれていかれるという状況で出て来た悲痛な叫びだったのだろう。



 ……というわけで、たった一晩病院にいただけでこんな話が書けてしまう、そんなリアルが病院という場所にはあるのだと。

 そんなオチでどうかよろしくお願いします。

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