18. 夢がかなうとき
「まずは君に謝らなければならない」バドゥルが言った。
「そんな」セシリアは急いで言った。「私こそ……」
「いや、聞いてくれ」バドゥルがさえぎった。「昨年私は、君を皇太子妃に迎えようとした。しかし、きちんと結婚の申し込みさえしなかった。しかも、失礼なことを言って君を侮辱した。ほんとうにすまなかった」
「そんな……気になさらないで」セシリアは小さく微笑みながら言った。「私があなたに何も言わせようとしなかったせいよ。どうか、ハミダとお幸せに……」どうしても声が震えてしまった。
「いや、ハミダとは結婚しない」バドゥルが言った。
「えっ」セシリアは驚いた。「だって、今夜にもご婚約を発表するって……ニュースでも……」
「相手はハミダではないんだ」バドゥルが言って、いきなり目の前にひざまずいた。「私が心に決めた婚約者はただひとり、君だけだ。結婚してくれ、セシリア」
セシリアは目を丸くした。「バドゥル……」
バドゥルがセシリアの手を握って唇のほうへ持ち上げたが、セシリアはびくりとしてその手を引いた。目に涙がこみ上げてきた。「だめよ……私はツールに行くと決めたのよ」
「わかっている。待つよ」バドゥルが静かな声で言った。
「今年行けると決まったわけじゃないわ。もしだめだったら、来年になるかもしれない」
「いいさ。それなら来年まで待つ」
「来年も、無理かもしれない」
「いつまででも、君の気が済むまで待つよ。なんなら、皇太子妃兼メカニックを務めたっていい」
「まさか」セシリアは思わず笑ってしまった。
「もうひとつ、言い忘れていたことがある」バドゥルが真剣な表情になって言った。「私は君を愛している」
セシリアの目から涙があふれた。
「君は私に、ナビールのほんとうのすばらしさを教えてくれた。君がいたからこそ、この国の望ましい未来をはっきりと思い描くことができるようになった。そしてなにより、君がそばにいると、私は心から幸せになれる。君のいないこの一年は、光を失ったかのようだった」
「バドゥル……私……」
「どうか、一生をともに歩む伴侶となってほしい」
「……私も、ずっとあなたに言えなかったことを後悔していたの。あなたを愛しているわ」
バドゥルがゆっくり立ち上がって言った。「それなら、私を受け入れてくれ。皇太子としてではなく、ひとりの男として」優しくセシリアのキャップを脱がせ、ストロベリーブロンドの髪をほどく。
セシリアはバドゥルの顔を見上げてうなずいた。「はい」
バドゥルが愛情をこめてセシリアの髪を撫でてから、両手を背中に回してしっかり抱き締め、唇を重ねた。
その晩、宮殿の大広間では〈ナビール・カップ〉の成功を祝い、優勝した選手とチームを称える祝賀会が催された。
セシリアとジャスティンは昨年と同じように宮殿に部屋を用意してもらったので、チームのほかのメンバーより先に会場に入った。
バドゥルだけでなく、ハミダも出席していて、ふたりに歩み寄った。
ジャスティンがハミダの手を取り、唇に押し当てた。
セシリアが驚いてふたりを見ていると、ジャスティンが言った。「バドゥル、セシリア、僕とハミダは結婚することにした」
「おめでとう、ジャスティン、ハミダ」バドゥルが、何もかもわかっているという表情で言った。
ハミダが頬を染めて言った。「ありがとうございます、皇太子殿下。殿下が相談に乗ってくださったおかげで、愛する人に自分の気持ちを伝えることができました」
「いいや、私こそ、君と話したおかげで、セシリアを必ず取り戻すと決意できたんだ」バドゥルが微笑んで言った。
「おめでとう、兄さん、ハミダ」セシリアは感激で胸をいっぱいにしながら言った。
「でも、僕たちのことは、もうしばらく伏せておいてもらいたいんだ」ジャスティンが言った。「君たちのほうが先だからね」妹に向かってウインクする。
バドゥルは今夜、セシリアとの婚約を発表するつもりだ。セシリアは先ほどから、そわそわと落ち着かなかった。ブルーグリーンのドレスとレースのスカーフで精いっぱい盛装してはいるけれど、皇太子にふさわしい女性に見えるのだろうか。
バドゥルがそっと背中に手を回して、安心させるかのようにぽんとたたき、熱いまなざしを向けた。
だいじょうぶ。もう私の心は決まっている。セシリアは愛する人に微笑みで答えた。
そのとき、〈チーム・バーリー〉の監督カートが会場に飛びこんできた。「やったぞ、ジャスティン、セシリア!」大声で叫ぶ。「〈ツール・ド・フランス〉への出場が決まった。〈チーム・バーリー〉がワイルドカード枠で選ばれたんだ!」
「ほんとうに?」
「ほんとうなの?」
ジャスティンとセシリアは同時に叫んだ。
「ああ、ほんとうだ。先ほど国際自転車競技連合から、正式に連絡があった」
「やったー!」
「やったわ!」
チームメンバーたちも監督のあとから駆けこんできて、全員が抱き合って大喜びした。
セシリアはバドゥルを振り返り、満面の笑みを浮かべて言った。「あなたも喜んでくれるでしょう?」
バドゥルが笑いながら言った。「もちろんさ。おめでとう。これで、待たされる期間は最小限で済みそうだ」
「なんだかすべてが夢みたい。こんなに幸せでいいのかしら」
「君は最高の幸せを手に入れてしかるべきだ。私の妻になるんだからな」
パーティーの締めくくりに、バドゥルはマイクの前に立って話し始めた。「ジャスティン・マクレーン選手、そして〈チーム・バーリー〉の諸君、改めて優勝おめでとう。そして、彼らが〈ツール・ド・フランス〉のワイルドカード枠を獲得したというすばらしいニュースが飛びこんできた。〈ナビール・カップ〉の主催者として、ジャスティンの友人として、こんなに誇らしいことはない。それからもうひとつ、みなさんにうれしいお知らせがある」セシリアのほうに手を差し伸べる。
セシリアはその手を取り、横に並んで立った。
バドゥルが続けた。「ジャスティンの妹であり、〈チーム・バーリー〉のマネージャー兼メカニックでもあるセシリア・マクレーン嬢が、私の求婚を受け入れてくれた」
会場がどっと沸き、メディアのフラッシュがいっせいにたかれた。
「とはいえ、彼女には〈ツール・ド・フランス〉でのチームのサポートという重要な仕事があるから、皇太子妃となってくれるのは七月以降だ」茶目っ気たっぷりに眉をひそめて続ける。「あまり待たされるのはしゃくだから、フランスへついていって、ツールが終わると同時に彼女をさらって帰ろうかと計画している」
会場の人々が笑った。セシリアとジャスティンも笑った。チームのメンバーは、あまりの驚きにぽかんとしていた。
長年の夢だった〈ツール・ド・フランス〉出場。そして愛する人との結婚。まさか両方かなう日が来るとは思っていなかった。でも、どちらも、ほんとうの意味で手に入れるにはまだまだこれから努力が必要だった。つらいことも、うまくいかないことも、たくさんあるだろう。
でも、きっと乗り越えていける。セシリアは確信していた。いとしい砂漠の皇太子の顔を見上げる。
バドゥルが見つめ返し、そっと顔をうつむけてセシリアに口づけした。
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