14. 皇太子の新たな計画

「きょうお集まりいただいたのは、アタウッラ村近くに建設予定のリゾート施設の計画変更についてお知らせするためだ」

 バドゥルが言うと、砂漠の首長アル=イブラヒムが問いかけるような視線を向けた。

 バドゥルは視線を返して続けた。「先日、アル=イブラヒム首長から、中止を含めて計画を今一度考え直してほしいという申し入れがあった。私は、聞き入れるつもりはなかった」

 会議室が静まり返り、皇太子の次の言葉を待った。

「しかし、先日アタウッラ村の祭りに招待されたとき、考えが変わった。ターリク、子どものころあそこでおまえと楽しく過ごした日々を思い出したんだ」バドゥルは弟を見て言った。

 ターリクが目を丸くした。

「そしてもうひとつ、イギリスから来た大切な友人から、貴重な助言を受けた」私の妻となる人から、と言いたかったが、それは我慢した。まだ早すぎる。

「砂漠の村を、山の村を、そしてナビールを発展させたいという気持ちは変わっていない。けれど、もっとこの国らしいやりかたがあるように思えてきたんだ。豪華で巨大なリゾート施設をつくるよりも」

 アル=イブラヒム首長がゆっくりとうなずいて言った。「すばらしいご判断です」

 バドゥルは、ラフな設計図が描かれた紙を取り出して言った。「そこで、観光客をもてなす新たな宿泊施設を考えてみた。村の反対側の水辺に素朴なバンガローを建てる。経営は大手ホテルチェーンではなく、国の観光省と民間の観光業者が共同で関わる形にするつもりだ。村の削られたぶんの農地は、南側にあるもうひとつのオアシスの周辺で補えるよう、開拓を進めよう。もちろん、インターネット環境や、道路や下水道の整備も進めていく。これはまだ簡単な見取り図にすぎないが、どうだろう、アル=イブラヒム首長?」

 首長と長老たちが、設計図をじっくり眺めた。首長が言った。「ショッピングセンターはないのですな?」

「ああ。代わりに村のみやげもの屋の二号店を出せるようにする。ラクダや羊の放牧地見学などの、少人数のツアーを組みこむことも考えている。どうだろう?」

 首長がにっこりして答えた。「私たちの村の背丈に合った、とてもありがたいご提案です。詳細につきましては、村の者たちとも相談したいと存じます」

「もちろんだ」バドゥルは言った。「あなたがたの意見を採り入れながら、建築家に新しい設計図を早急につくらせよう」

「よろしくお願いいたします」砂漠の首長と長老たちが頭を下げた。

「驚いたよ、皇太子殿下」ターリクが笑顔で言った。「すばらしい決断だと思う」

 補佐官のジャファルもうなずいた。

「このような施設でしたら、わが村にもぜひ建設してもらいたいものですな」山の部族の首長アル=ムフタールが、黒く濃いあごひげを撫でながら言った。

 バドゥルは言った。「私も考えていた。だがまずは、道路の整備から始めたい。来年の〈ナビール・カップ〉では、山側の安全な道路をコースに組みこみたいと思っているんだ。これまであなたがたからも反対されていた山奥の道とは別のルートを、柔軟に検討したい。そのうえで、観光施設についても考えてみよう」

「ありがとうございます。こちらでも前向きに検討いたします」山の首長が言った。

「しかし、投資家のみなさんにはどう説明しますか?」経済担当大臣がおずおずと尋ねた。「このあいだのパーティーで、みなさますっかり巨大リゾート施設への投資に前向きになっていらっしゃいましたが」

「私がきちんと説明するよ」バドゥルは言った。「誠実に話せばわかってもらえるはずだ。そして引き続きバンガローへの出資もお願いする。私は人を説得するのが得意だ。みなも知っているだろう」にやりとすると、会議室がどっと沸いた。

 会議は和やかな雰囲気のうちに終わった。会議室を出たところで、ターリクがバドゥルの背中をぽんとたたいた。「よく決断してくれたな。見直したよ、兄さん」

「ああ。国の発展を思うあまり、少し焦っていたようだ。これまでおまえの言うことに耳を傾けず、すまなかったな」

「僕のほうこそ、意固地になりすぎていた。これからはもっと頻繁に話をしよう」

「ああ。先日の砂漠の祭りにおまえが参加できなかったのは残念だった。またいっしょに砂漠の村を訪ねよう」

「いいな。バンガローの完成が楽しみだ」ターリクがにっこりした。「しかし、巨大リゾート施設とバンガローでは、観光客の数も変わってくる。それでもいいと兄さんが考えるとは思わなかった」

「観光客の数より大切なものがあると気づいたんだ。この国のすばらしさを世界に伝えたい。その先にこそ、ほんとうの発展がある」

「さすがだな、皇太子。父上も喜ばれるだろう」ターリクが手を差し出し、ふたりはしっかり握手をした。

 そう、国王陛下に会議の報告をしたら、会いにいこう。大切なことに気づかせてくれたすばらしい女性に。


 ノックの音に、セシリアは部屋の扉をあけた。すがすがしい表情をしたバドゥルが立っていた。これまでにないほど愛情に満ちた穏やかなまなざしに、心臓がどきどきと高鳴る。セシリアは部屋にバドゥルを通した。

「聞いてくれ、いとしい人」バドゥルが言った。「砂漠のオアシスに建てる新しい施設の計画だ」そしてバンガローの建設と村の整備、観光ツアーなどの計画について語り、砂漠の首長だけでなく国の要人たちすべての賛同を得たことを伝えた。

「すばらしいわ!」セシリアは目を輝かせた。「なんてすてきな計画でしょう。ああ、完成が楽しみね」

「すべては、君のおかげだ」

「私の……?」セシリアはきょとんとした。

「西洋世界に追いつこうとするより、もっと大切なことがあると気づかせてくれた。イギリスから来た私の美しいプリンセスが」バドゥルが愛情に満ちた声で言って、セシリアを腕に抱き締め、熱いくちづけをした。

「バドゥル……」優しく激しく唇を奪われると、セシリアの頭がくらくらした。

 ようやくバドゥルが唇を離し、燃えるような瞳を向けて言った。「婚礼の準備を進めよう」

「えっ」

 バドゥルがソファーから立ち上がった。「まずは、君のご両親を呼び寄せなければならないな。国王の承認を得れば、すぐにでも式は挙げられる。急なことだから、一度帰国してもかまわない。ただ、私としてはすぐに戻ってきてほしいが……」

「ちょ、ちょっと待って、バドゥル。婚礼だなんて、そんな……」あまりの展開に、セシリアの頭は混乱した。

「何か問題があるのか? あの男は婚約者ではないのだろう?」バドゥルが眉をひそめて言った。

「スタンリーのことじゃないわ。私は〈チーム・バーリー〉のマネージャー兼メカニック助手なのよ。まだまだ戦いは続くわ。ツールに出場するという目標も、まだ果たせていない」

「ロードレースチームのマネージャーなら、ほかの人間にもできる。ナビール国皇太子妃になれるのは君だけなんだ」バドゥルが力強い手でセシリアの手を握って言った。

 皇太子妃……私が? セシリアの心がぐらりと揺らいだ。

「いくらなんでも急すぎるわ。今年のがんばりしだいで、来年はほんとうにツールに行けるかもしれないの。こんなチャンスはもうないかもしれない」

「私と結婚して皇太子妃になることより、ジャスティンとともにツールへ行くことを選ぶのか?」バドゥルがぎらぎらした目でにらんだ。「あいかわらず兄思いだな」あざけるように言う。

「何度も言うけれど、ツール出場は私自身の六歳のころからの夢なのよ。簡単に捨てられるはずないでしょう」セシリアは叫んだ。

「祭りの夜……君は私のものになったのではないのか?」バドゥルが少しだけ戸惑ったような表情で言った。「あのときうなずいたのは嘘だったのか?」

 セシリアは声を震わせて言った。「確かにうなずいたけど、あの言いかたは気になっていたのよ」ひとつ息を吸ってから続ける。「私は〝もの〟じゃない」

 バドゥルが目を見開いてから、怒りの表情を浮かべた。「西洋の女はみんなそんなにふしだらなのか? 男に身を預けておきながら、結婚を考えもしないほどに? 少なくともアラブにはそんな女はいないぞ」

 バドゥルの言葉に、セシリアの顔から血の気が引いていった。

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