12. オアシスの水辺で踊り明かそう

 バドゥルは、水辺の椰子の木陰に用意された特等席に、ジャスティンとともに座ってくつろいでいた。ジャスティンは白いカンドゥーラと鮮やかな緑色の刺繍入りのビシュト、揃いのグトラをまとっていた。照れくさそうな様子だが、なかなか似合っている。

 オアシスの向こうの砂丘に太陽が隠れ、あたりが夕闇に沈んで、涼しい風が吹いてきた。楽隊が音合わせを始めると、小さな子どもたちがはしゃいであたりを走り回った。

 ふと、幼いころ弟とともに砂漠の村の祭りに遊びにきたことを思い出した。砂漠に住む親戚たちを訪ねるようなつもりで、首長の子どもたちとあんなふうに水辺で遊んだものだ。皇太子として成長するにつれ、彼らとは会議の場でむずかしい顔を突き合わせる以外、あまり会うこともなくなってしまった。この水辺でくつろぐのも、ずいぶん久しぶりだった。

 バドゥルは、はっと目を上げた。黒と赤の鮮やかな民族衣装に着替えた女性がふたり、こちらに歩いてくる。ひとりはハミダ、もうひとりは……。

 風になびく薄いスカーフからのぞく金褐色の髪。透き通るように白い肌と、ほんのり紅を差した唇。アラブ風の化粧で、エメラルド色の目がますます際立っている。

 バドゥルはまるで雷に打たれたかのようにその場に座ったまま、セシリアの姿を見つめていた。それからはっとして、ふたりを出迎えるために立ち上がった。少し遅れてジャスティンも立ち上がった。

「なんと……美しい」ほかに言葉が見つからなかった。セシリアの手を取り、みごとな模様が描かれた手の甲に唇を押し当てる。

 セシリアが頬を赤らめた。「ありがとう。似合っているかしら?」

「ああ。まるで……満月の夜に咲くオアシスの花のようだ」セシリアの美しさを表すには物足りない言葉に思えたが、うれしそうな輝く笑顔が返ってきた。

「ジャスティン、すてき」ハミダが言った。

「君こそ、きれいだよ、ハミダ」ジャスティンが応じた。

「あら、私は? 兄さん」セシリアが、からかうように横目でジャスティンを見ながら言った。

「よく似合ってるよ、セス。ふたり並ぶとまるで姉妹みたいだ」ジャスティンは言ってから、なぜか顔を赤らめた。

 セシリアとハミダが顔を見合わせて笑った。

 四人が水辺に設けられた席に座ると、砂の窯で焼き上がった料理が次々と運ばれてきた。スパイスをきかせてこんがり焼いた羊肉と鶏肉、サフランライス、つけ合わせの野菜、豆料理、ホブスという薄焼きのパン。香草のサラダやヨーグルト、ココナッツのケーキもあった。どれもすばらしくおいしかった。

 音楽が本格的に始まった。楽隊は、ダルブッカという太鼓と、リュートに似たはつ弦楽器ウード、台形の撥弦楽器カーヌーン、そしてあしの笛ナーイの奏者たちで成っていた。陽気なアラブ音楽が鳴り響き、テントを照らすランプの明かりが水辺に瞬いた。

 食事のあいだ、村人が次から次へ、バドゥルとイギリスからの客人ふたりに挨拶しにきた。先日バドゥルに剣での戦いを迫ったガッサンと若者たちもいた。「このあいだは、たいへん失礼しました。お詫びにきょうは精いっぱいおもてなしします。どうぞ楽しんでいってください」

「ありがとう」バドゥルは笑顔で答えた。

 子どもたちもやってきて、興味津々といった様子でセシリアとジャスティンを眺め、少し恥ずかしそうに「ハロー」と話しかけた。兄妹は気さくに、覚えたばかりの片言のアラビア語やゆっくりした英語で彼らの相手をした。

 力強いダルブッカの音に合わせて男たちが剣を使ったみごとな舞いを披露したあと、ふたたび陽気な音楽が始まり、女たちが踊り始めた。

 村の女たちが、セシリアを踊りに誘いにきた。

 セシリアは少しためらっているようだった。「私に踊れるのかしら」

「だいじょうぶ、行きましょ」ハミダがセシリアの手を取った。

 セシリアがちらりと視線を向けたので、バドゥルは微笑んでうなずいた。

 ハミダとセシリアが、女たちの踊りの輪に加わった。始めはまわりに合わせようとぎこちない動きをしていたセシリアだったが、だんだんリラックスして自由に踊り出した。

 しなやかな細い体を反らすと、豊かな胸が強調された。これまで気づかなかったなまめかしさが感じられ、バドゥルの心臓がどきりと音を立てた。長いスカーフが、動きに合わせてすべらかな曲線を描く。音楽と手拍子、はじけるような明るい笑顔。

 じっと見つめているあいだに、いつの間にかジャスティンが立ち上がって、踊りの輪のそばで燃えているたき火のほうへ行ってしまった。

 バドゥルはそのままひとり、少し離れた場所でセシリアの姿を追っていた。とても穏やかで満ち足りた気分がした。長いあいだ忘れていたような、この気持ちの正体はなんだろう。じっと考えているところへ、アル=イブラヒム首長がやってきた。

「楽しんでいらっしゃいますかな」首長がゆっくりと、バドゥルのとなりにあぐらをかいて座った。

「ええ、とても。幼いころを思い出しました」

「殿下とターリク王子は、毎年のようにわれわれの祭りにいらしてくださいましたな」

「宮殿の祭りは華やかですが、それとは違う開放感を感じていたんでしょうね」

「今はどうです?」

「今も同じものを感じます。砂漠の部族の祭りは、あのころから何ひとつ変わっていない」

「変わったこともありますぞ」首長が、村の女たちと手をつないで踊るセシリアに目を向けて言った。「外国の女性が祭りに加わることなど、あのころは考えられませんでした。若者たちの意識は変わってきた。わしはそれをよいことだと考えております」

 バドゥルは首長をまっすぐ見つめて言った。「首長、私は砂漠の村をすべて現代化したいと思っているわけではありません。ただ、ナビールの発展のためにできるだけのことをしたいのです」

「殿下のお心は、よくわかっておるつもりです。ですが、このオアシスが私たち砂漠の民にとって心のよりどころであることをわかっていただきたい」

「もちろんわかっています。オアシスを奪う気などありません。ホテルを建てるのは村の反対側、オアシスからはかなり距離がある場所です」

 首長は穏やかな表情を浮かべ、しばらく口を閉じていた。

「お力を貸してはくださいませんか」バドゥルは言った。

 アル=イブラヒム首長が、しわだらけの顔に笑みを浮かべて言った。「そのためには、皇太子殿下のほうからも譲歩していただかねばなりません」

 どんな譲歩が必要なのか尋ねようとしたところで、首長が立ち上がった。「まだまだ音楽と踊りは続きます。どうぞごゆるりと。お疲れになったら、わが家の離れに三つお部屋を用意しておりますので、従僕にお申しつけください」そう言って立ち去った。


 セシリアはたき火のまわりで女性たちと踊り、子どもたちと踊った。夜が更けるにつれ、音楽と踊りはますます盛り上がって、いつの間にか男女関係なく、誰もが水辺で体を揺らし始めた。

 バドゥルとジャスティンも輪に加わった。バドゥルがセシリアの手を取ってリードし、くるくると体を回した。セシリアは声をあげて笑いながら踊った。

 となりでは、ジャスティンとハミダがステップを踏んでいた。

 真夜中を過ぎると、とうとう踊り疲れて眠くなってきた。ダンスはまだまだ続いていたが、セシリアは部屋に案内してもらうことにした。

 ジャスティンは、もう少し祭りを楽しむつもりらしかった。

「私も休むことにしよう」バドゥルが言ったので、ふたりは従僕に導かれて首長の家まで歩いた。

「こんなに楽しいお祭りを経験したのは、生まれて初めてよ」セシリアはため息とともに言った。

「私もだ」バドゥルが優しいまなざしを向けて言った。

 首長の屋敷は、離れの建物もとても大きかった。女性の召使いが入口でセシリアを待っていた。

「おやすみなさい、バドゥル」

「おやすみ、セシリア」バドゥルは従僕の案内で王族用の特別室へ向かった。

 セシリアは部屋に入り、ほっとひと息ついた。オリーヴ色のじゅうたんと臙脂えんじ色のカーテンで飾られ、中央に天井からシンプルな白いカーテンをつるした寝床がしつらえてあった。色鮮やかな刺繍入りのクッションがたくさん置かれている。

 セシリアはスカーフを脱ぎ、クッションの海のなかに身を沈めた。なんてすてきなお祭り。エキゾチックな音楽、たき火の明かりにちらちらと照らされる美しい民族衣装と踊る人々の笑顔、水辺から吹く涼しい風、そして満天の星。何もかもが完璧で、まるで夢のようだった。まだ頬が火照っている。

 セシリアは寝床に用意されていた薄手のナイトドレスに着替え、寝じたくを整えた。寝具にくるまってからも、興奮のせいか、なかなか寝つけなかった。耳にはまだウードの音が響き、体にはダルブッカのリズムが感じられた。そして目には、バドゥルの笑顔が焼きついていた。

 私の手を優しく握った手の温かさと、砂漠の舞を巧みにリードしてくれた両腕のたくましさも……。

 少し風に当たったほうがいいかもしれない。セシリアは起き上がってローブをはおり、そっと部屋を出た。離れと母屋をつなぐ廊下までやってきた。召使いたちも休んだのか、屋敷は静まり返っていた。しかし、庭の向こうに広がる砂地の先から、まだかすかに太鼓と撥弦楽器の音が聞こえた。頬に感じる風はひんやりするほどで、夜空の星はさらに輝きを増しているかのようだった。

「眠れないのか?」背後から不意に、低く穏やかな声がした。

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