11. 砂漠の部族からの招待状
「余計な口出しはするな!」
バドゥルの激しい口調に、セシリアは目を丸くした。
「……失礼しました」抑えた声で言って、こちらをそっとうかがっている女官たちのほうへ向かう。
セシリアはそのまま振り返らずに、翼棟の扉のなかへ入った。
翌朝セシリアは憂鬱な気持ちを抱えながら、女官に案内されて朝食室へ向かった。昨夜はバドゥルとジャスティンと三人だけで、何人もの給仕に世話されながら晩餐をとった。バドゥルとジャスティンは、トライアスロンの選手だったころの話やロードレースの話を楽しそうにしていたが、セシリアは相づちを打つ以外ほとんど会話に加わらなかった。
バドゥルが怒るのも当然だ。皇太子に向かってあんな生意気なことを言ったのだから。でも、やっぱり砂漠のオアシスに巨大なリゾート施設は似合わない。その気持ちは変わらなかった。皇太子の気持ちをどうにか変えさせる方法はないのだろうか。
私ったら、ばかみたい。セシリアは首を振った。やっぱり、私はきょうにでもイギリスへ戻ろう。ジャスティンには、もう少しゆっくりしてもらってかまわないだろう。次に出場が予定されているのは、三月下旬にベルギーで開催されるワンデーレースだ。
案内された朝食室は、窓から中庭が見渡せる明るくこぢんまりした部屋で、すでにジャスティンが席に着いていた。
「おはよう、セス」ジャスティンがさわやかな表情で声をかけた。
「おはよう、兄さん」セシリアは言った。「あのね、私、きょうイギリスへ――」
「おはよう、遅くなってすまないな」バドゥルがナジを伴って扉から入ってきた。「給仕に急いで朝食を運ばせてくれ」側近に指示する。
「あの、皇太子殿下、私――」セシリアは言いかけた。
「君たちに招待状だ、ジャスティン、セシリア」バドゥルが言って、月と剣の紋章が描かれた封筒を差し出した。
「えっ」
「招待状?」ジャスティンが不思議そうな顔できき返した。便箋を広げると、流麗なアラビア文字が並んでいた。
「砂漠のアル=イブラヒム首長からだ。三日後に始まる部族の祭りに、君たちと私を招待したい、とある」
「それはすばらしい!」ジャスティンが勢いこんで言った。「ぜひうかがいたいな。砂漠の部族のお祭りなんてめったに見られるものじゃない。なあ、セス」
「あの、でも、じつは私、きょうイギリスへ帰ろうかと……」
「帰る? どうして?」バドゥルが鋭い目を向けてきいた。
「次のレースの準備が……」
「まだいいじゃないか、セス。そんなに急ぐ必要はない」ジャスティンが言った。
「そうとも。国王もゆっくりしていってほしいとおっしゃっていただろう。それに」バドゥルが、からかうように口もとをゆるめて続けた。「君は砂漠の部族に特別な興味を寄せていたんじゃなかったかな。これは、彼らのことをもっとよく知るいい機会だよ」
セシリアはぐっと言葉に詰まった。確かに、いい機会かもしれない。あのすばらしいオアシスをもう一度訪れて、砂漠の人たちの姿を見れば、もっといろいろなことがわかるだろう。皇太子と村人の考えがどんなふうに食い違っているのか、私なりに理解できるかもしれない。
「わかりました。招待をお受けします」セシリアは言った。
ちょうどそのとき、湯気を立てる朝食の盆が運ばれてきた。
三日後、バドゥルとセシリアとジャスティンは、馬でアタウッラ村に向かった。バドゥルは護衛として側近のナジだけを連れていった。
砂漠の村が近づくにつれ、セシリアはわくわくしてきた。丘の上から、水辺に並ぶ白いテントと、周囲で忙しそうに祭りの準備を進める人々が見えた。子どもたちも楽しそうに駆け回っている。今夜はあの水辺でひと晩じゅう踊り明かすのだ。
村に到着すると、アル=イブラヒム首長がにこやかに出迎えた。「ようこそおいでくださいました。きょうは、どうぞごゆっくり祭りを楽しんでいってくだされ」
「お招きありがとうございます」バドゥルが丁重に挨拶を返した。
三人は首長の家に招き入れられ、まずはカルダモンで香りをつけたアラビアンコーヒーでもてなされた。たっぷりのドライフルーツやナッツのパイ、蜂蜜のケーキも出された。
ジャスティンは、ハミダと再会してとてもうれしそうだった。自分がすっかり元気になったことをアピールするために、勧められるお菓子を次から次へとほおばっている。
「これからごちそう、つくります」ハミダがたどたどしい英語で言った。外を指さして、砂を掘るようなしぐさをし、アラビア語で何か言う。
バドゥルが説明した。「ザルブという、砂漠の民の特別な料理があるんだ。砂を掘ってつくった
「ええ、ぜひ見たいわ!」セシリアは、好奇心ではち切れそうになりながら立ち上がった。
三人とハミダは、首長の家を出て、水辺のテントわきまで歩いていった。そこには砂地に十個ほどの大きな穴が掘られ、ドラム缶のような金属製の窯が埋められていた。男たちがなかに石炭を入れ、火をつけていった。バドゥルとジャスティンも作業を手伝った。
そこへ、女たちが大量の食材を運んできた。下ごしらえした肉、じゃがいもやにんじんなどの野菜、豆類、米。これらをアルミホイルに包んで、窯に入れていく。セシリアはハミダに教わりながら、食材を大きな皿に並べた。
ようやくすべての食材を包んで窯に収めると、男たちが上から砂をかぶせた。これから四時間、じっくり蒸し焼きにするのだ。
「絶対おいしいに決まっているわね」セシリアが無邪気に言うと、バドゥルが輝くような笑みを向けてうなずいた。
「さて、料理が完成して祭りが始まるまでには、まだ時間がある。どこか行きたいところはあるか?」
「きのう、ラクダの赤ちゃん、生まれたのよ。見たい?」ハミダがきいた。
「もちろん見たいわ」セシリアは大喜びで答えた。
四人は、村の北側に位置するラクダの放牧地へ向かった。柵に囲まれた広い草地では、三十頭余りのヒトコブラクダがのんびり歩き回っていた。
「こっち、こっち」ハミダが小屋の隅のほうへ三人を導いた。
建物の陰に、母ラクダとその乳を飲む赤ちゃんラクダがいた。ふわふわの白っぽい産毛に包まれたとても小さな子だった。細い脚と首を懸命に伸ばして、母の乳を吸っている。
「まあ、かわいい!」セシリアは叫んだ。「背中のこぶはまだないのね」
「こぶは、成長するにつれて徐々に大きくなるんだ」バドゥルが言った。
「砂漠を長時間歩けるように、水をためるわけだな」ジャスティンが言った。
「ジャスティン、水、違う」ハミダが腰に両手を当て、小学校の先生のような口調で言った。「こぶのなか、脂肪ね」
「わかってるさ、冗談だよ」ジャスティンが困ったように答え、三人は笑った。
小屋のなかでは、数人の男性が干し草を集めたり、掃除をしたり、ラクダの乳を搾ったりしていた。乳搾りの男性が四人に向かってにっこり微笑みかけ、ハミダに何か言った。
「ラクダのミルク、飲んだことある?」ハミダがきいた。
セシリアとジャスティンが顔を見合わせて、ないと答えると、男性がグラスにふたり分、ミルクを注いでくれた。
セシリアはおそるおそる味見をしてから言った。「うーん、不思議な味。牛乳と違って、塩気と酸味を感じるわ」
「ラクダは塩水も飲むからな」バドゥルが言った。
「なかなかいけるよ」ジャスティンは気に入ったようだった。
七、八歳の子どもがふたり、親に言いつかったらしく、大きな缶を持ってやってきた。四人に向かってていねいにお辞儀してから、男性にラクダのミルクを注いでもらう。それから缶の持ち手をふたりで片方ずつ持ち、楽しそうにおしゃべりしながら運んでいった。
四人は放牧地を出て、ゆっくり水辺へ戻った。帰り道にも羊や山羊の小さな放牧地があり、働く人々がいたが、祭りの時間が迫っているせいか、みんなどこか浮き浮きした様子だった。
村に着くと、ハミダがセシリアの手を取って言った。「おしたく、しましょう。セシリア、あなたの衣装ある。ジャスティンのも」
「したく?」セシリアが不思議に思ってきき返すと、バドゥルが説明した。「夜の祭りのために、君たちの民族衣装を用意してくれたそうだ。着替えてくるといい」
「うわあ、ありがとうございます」セシリアは喜んだ。砂漠の民の衣装を着せてもらえるなんて。
バドゥルとジャスティンは男性のテントに引き上げ、セシリアはハミダに導かれて女性のテントへ向かった。
テントのなかは、色鮮やかな敷物とクッションで心地よく整えられていた。女性が三人いて、にこにこしながらセシリアを迎え、ひとそろいの衣装を差し出した。上等な黒い毛織物に、赤を基調としたクロスステッチのみごとな刺繍を施したドレスと、赤と黒のごく薄手の長いスカーフ、皮のサンダル、色とりどりの腕輪。
「なんてすてきなの」セシリアは目を丸くした。女性たちに手伝ってもらい、さっそく身に着けた。
ハミダと女性たちが口々に、「ビューティフル」と絶賛し、セシリアはうれしくなった。
それから女性たちは、ヘナという茶色い天然染料を用意した。アラブの女性たちは、これで手足にタトゥーのような繊細な模様を描いておしゃれをする。セシリアもやってもらうことになり、まずは足の甲、次に手の甲から腕にかけて、美しく細かいレース模様を施された。
ようやく染料が乾くころには、日も暮れかけていた。セシリアは、大きな鏡の前に立って、自分の姿を眺めた。不自然でない程度にアラブ風のお化粧もしてもらい、すっかり砂漠の女性に変身したかのような気分だった。
少し離れた場所から、太鼓を叩く音と、弦楽器をつま弾く音が聞こえてきた。
「もうすぐ、お祭り、始まるわ」ハミダが言って、セシリアの手を取った。ふたりはテントを出て、水辺へ向かってゆっくり歩いた。オアシスの向こうに太陽が沈み、あたりはオレンジ色に包まれていた。
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