04. 砂漠でひとりに

「この国の警察や消防は、いったいどうなっているの!」セシリアがどなった。「早くジャスティンを助けて!」

 あわててナジが駆けこんできたが、バドゥルは目で外へ出るように命じた。扉が閉まった。

「捜索隊を出すところだ。私も行く」バドゥルは冷静な声を保って言った。

「それなら、私も行くわ」セシリアが言った。

「だめだ。舗装道路などない砂漠のまんなかだぞ。車は使えない。私たちが馬で行く」バドゥルは、穏やかだがきっぱりした口調で言った。「それに、砂漠の民の土地は、国王の支配下にあるとはいえ、特別な自治のもとに成り立っている。外国の女性がみだりに入りこむことは許されない」

「警察にも何度も言われたわ。でも、緊急事態よ。砂漠のまんなかに放り出されたのは私の兄なのよ」

「そして私の大切な友人だ。私に任せてくれ」バドゥルはセシリアの両肩をそっと両手で包んだ。

 セシリアが身をくねらせて、バドゥルの手を振りほどいた。「馬を貸してくだされば、ちゃんとついていけるわ。乗馬は得意なの。体力にも自信があるし」

「だめだ」バドゥルは声をきびしくして言った。「女は足手まといだ。ジャスティンを見つけるのが遅れてもいいのか?」

 セシリアは怒りに頬を赤く染めたが、何も言わなかった。

 バドゥルは少し態度を和らげて、なだめるように言った。「お兄さんは、私が必ず見つける。だいじょうぶ、あの崖の下は砂地で、障害物はほとんどない。怪我をしたとしても、軽く済むはずだ。ただ、夜になると砂漠は冷えるので、それが心配なだけだ。私に任せて、宮殿で待っていてくれ。応接室に案内させる」

 ナジを呼んでセシリアを託すと、バドゥルは急いで厩へと向かった。


 足手まといですって。冗談じゃないわ。

 側近に案内されて応接室のソファーに座ったセシリアは、どうすべきか考えた。「お茶を用意してまいります」側近が扉から出ていった。

 チームカーは砂漠を走るようにはできていない。しかし、コースマップでだいたいの位置はわかるから、ある程度まで近づくことはできるだろう。そこからは歩けばいい。とりあえず、行ってみよう。

 セシリアはそう決めて、立ち上がった。

「ホテルに戻って連絡を待ちます」玄関の衛兵にそう言うと、あっさり外に出してもらえた。それはそうだ。引き留める理由などないのだから。

 セシリアは宮殿から海岸沿いの広い道路に出たあと、左側に広がる広大な砂漠のほうへ車を向けた。一本道をかなりの速度で進んだが、バドゥルや捜索隊の姿は見えなかった。すでに馬で、道なき道を行ってしまったのだろうか。

 一瞬、もしかするとバドゥルに任せたほうがいいのかもしれない、と考えた。ここはあの人たちの国で、私はよそ者。しかも、ここではみだりに外出してはならないとされている女だ。

 しかし、ジャスティンの姿を思い浮かべ、首を振った。だめ。じっと待ってなんかいられない。怪我をして、動けずにいたら? 脱水症状を起こしていたら? この天候では、ほんの数時間でも危ないかもしれない。

 二十キロほど車を走らせた。ジャスティンが転落した場所までは、まだ十キロほどはありそうだった。歩くには遠すぎる。わき道はなく、なだらかな曲線を描く砂漠が広がるばかりだ。遠くに見覚えのある険しい山々がぼんやりと見えている。

 車で行けるところまで行ってみよう。オフロード車ではないけれど、四輪駆動だし、どうにか進めるはずだ。セシリアは砂漠に車を乗り入れた。何度も砂地にハンドルを取られながら、慎重に運転する。

 しかしいくらも進まないうちに、後輪が砂にはまってしまい、どうにも動けなくなった。ここからは歩くしかない。セシリアは車に積んであった毛布を頭からかぶり、体に巻きつけて、口もとまで覆った。余っていた水と補給食を持ち、車の外へ出る。かなり強い風が吹いていて、砂でできた美しい曲線が何本も、波のように寄せたり引いたりしていた。

 待っていて、兄さん。

 セシリアは山の方向へと足を踏み出した。


 バドゥルは衛兵ふたりとともに、すばやく馬を走らせた。目当ての山がだいぶ近づいてきた。いったん部隊を止め、地図を確認する。あと三キロほどか。

 くそっ、こんなことになるとは……。

 バドゥルは唇を噛んだ。コースの安全性にもっと気を配るべきだったのかもしれない。現に、砂漠の首長はあの山をコースに組みこむことに反対していた。砂漠に近いあの地域は、春が近づくと突然の突風や砂嵐が起こることがある。しかし、別のコースは山岳地帯の奥深くへ入ることになり、こちらは山の部族の強い反対にあったのだ。

 バドゥルは小さくため息をついた。とにかく今は、ジャスティンを無事に連れ帰るだけだ。

 崖のふもとにたどり着いた。ジャスティンの姿はどこもない。風はだいぶ収まってきたが、先ほどまでの嵐で砂に埋まっている可能性もある。バドゥルは衛兵たちをそれぞれ崖の西側と東側に送り出し、自分も馬を降りて周囲を丹念に捜した。

 山のふもとには、乾いた茶色っぽい草がところどころに生えていた。バドゥルは山を見上げた。茶色い山肌に、低木と草の緑がぽつぽつと色を添えている。はるか上方に、選手たちが走り抜けた道が張り出して見えた。

 太陽がかなり傾いてきた。早く見つけなくては、ジャスティンの命が危うくなる。バドゥルはふもと近くの砂が盛り上がった部分を一カ所ずつ調べていった。そのとき、一メートルほど離れた場所に、きらりと光る銀色のものが見えた。急いで駆け寄り、周囲の砂を両手で掘る。緑色のフレームのロードバイクが出てきた。ジャスティンのバイクだ。間違いない。

「おーい、ジャスティン、どこだ?」バドゥルは大声で呼びかけた。返事はない。周囲を捜したが、ジャスティンはどこにもいなかった。指笛で衛兵たちを呼び戻し、さらに捜索する。

 自力で脱出したのだろうか? しかし、ここからではどちらの方向へ進めばいいのかすらわからないだろう。ジャスティンは昔から、いざというときには大胆になれるが、いつも冷静で、どちらかといえば慎重すぎるくらいの男だった。ひとりで砂漠をうろつくようなまねをするとは思えない。もしや、砂漠の民に救助されたのだろうか。砂漠の民の村までは三十キロほど離れているが、ここを通りかかる村人がいないわけではない。村まで行ってみるか……。

 ちょうどそのとき、南の地平線に馬の姿が現れた。乗り手は前屈みになって猛烈な速度で馬を走らせ、みるみる近づいてきた。宮殿の使者だ。

 使者はひらりと馬から飛び降り、バドゥルに向かって一礼すると、国王からの伝言を読み上げた。「砂漠の首長より、領地にて外国人の若い男性をひとり保護した、とご連絡があったそうです」

 バドゥルはほっと息をついた。よかった。「そうか。それなら安心だ」

 衛兵をひとり伴って、砂漠の村へ向かうことにする。もうひとりの衛兵には、バイクを積んだ馬を連れて宮殿へ戻るよう指示した。しかし、五分ほど進んだところで、宮殿のほうへ向かった衛兵の、緊急を知らせる指笛が聞こえた。バドゥルと衛兵は急いで道を引き返した。もうひとりの衛兵が双眼鏡を手に、バイクを積んだ馬とともにその場で待っていた。

「どうした?」バドゥルは鋭い声で尋ねた。

「国道のそばに、車が乗り捨ててあります」衛兵がそちらを指さしながら言った。「行方不明の選手のチームカーらしいです。自転車と同じマークがついてますから」

 バドゥルははっとした。セシリアだ。なんてことだ。ひとりで兄を捜しにきたのか?

「砂漠の村には、あす行くことにする」バドゥルは衛兵たちに告げ、周囲に目を配りながら、車が置かれたところまで行った。人影はどこにもない。エンジンは冷えていて、乗り捨てられてからかなり時間がたっていることがわかった。足跡が残っていたとしても、とうに砂に隠されてしまっている。

「チームで捜しにきたんですかね?」衛兵が不思議そうに尋ねた。

「いや、どうかな」バドゥルはあいまいに答えた。おそらくセシリアはひとりだろう。宮殿からそのままここへ来たのだ。

 太陽は西の空に沈みかけていた。まずい。もし砂漠で迷っているとしたら……。しかし、衛兵たちには外国人の女がひとりで砂漠をうろついていることを知られたくなかった。宮殿内にあっという間にうわさが広がり、セシリアの立場がますます悪くなる。それに、夜までかかることを想定していなかったので、セシリアを入れて四人分の装備がない。

「おまえたちは宮殿に戻って、このことを国王に報告しろ。私はジャスティンのチームメイトを捜して、そのまま砂漠の首長のところへ行く」衛兵たちから備品と食糧を預かり、バドゥルは山の方角へと戻っていった。


 セシリアは戸惑っていた。山をめざして砂漠を二時間近く歩いたが、すぐ近くに見える山はなかなか近づいてこなかった。砂丘をひとつ越えると、その先にはまだいくつもの砂丘が連なっている。

 日が傾きかけていた。ボトルの水は残り少なかった。引き返したほうがいいかもしれない。おそらく皇太子の捜索隊は、すでにジャスティンを見つけて保護しているだろう。どこかで合流できることを期待していたが、考えが甘かった。砂漠はあまりにも広い。

 セシリアは車のところへ戻ろうとした。ところが、いくら進んでも車が見えてこなかった。方向を間違えているのだろうか? 砂漠の地形はどこも同じように見える。一瞬の風で、起伏が変わっていく。先ほど左側にあったはずの砂丘が、今はもう見えない。

 私は何をやっているのだろう。セシリアは体に巻きつけた毛布をつかみ、唇を噛みしめた。ジャスティンを助けるどころか、自分が迷子になってしまうなんて。

 セシリアは立ち止まり、呆然とあたりを見回した。

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