03. ジャスティンの事故
いよいよ、第一回〈ナビール・カップ〉がスタートした。
ダンとともに監督のカートが運転するチームカーに乗りこんだセシリアは、胸を高鳴らせた。みんなと同じ、チームの緑色のウィンドブレーカーを着て、髪をしっかりまとめ、キャップをかぶっている。ジャスティンに言われたとおり、まるで男みたいに見えるかもしれない。いいえ、男も女も関係ない。チームの一員として、勝利のために精いっぱい働くだけだ。
〈チーム・バーリー〉の参加選手は四人。エースのジャスティン、セカンドエースのアダム、アシストのトムとマイケル。
まずは作戦どおり、トムがファーストアタックをかけた。反応したのは十人ほどで、これが先頭集団をつくった。残りの三人は、大集団のなかでよい位置につけ、ペースを保っている。
コースは、海岸沿いから、砂漠の一本道をひたすら走り、それから短いアップダウンのある山岳地帯を抜けて、また海岸沿いに戻ってくる二百十五キロのワンウェイだった。砂漠の道は風が強く、エースは後半まで体力を温存しなければならない。マイケルとアダムが風よけを務め、ジャスティンは最後尾についていた。
二月半ばとはいえ、照りつける太陽のせいでかなり暑かった。セシリアは車の窓から身を乗り出し、先導するマイケルに三人分の水のボトルを渡した。「いい調子ね、マイケル」
「ああ、任せろ」マイケルがボトルを受け取って、いったん背中のポケットに入れたあと、すばやくアダムとジャスティンに手渡した。
大集団のペースが上がり、逃げていた先頭集団を吸収した。前半百キロは、何度かそのパターンが続く展開だった。
「さて、これからが勝負だぞ」車のハンドルを握るカートが言った。レースは山岳地帯に差しかかろうとしていた。
そのとき、不意にジャスティンが速度をゆるめた。
「どうした?」カートが無線に向かって鋭く尋ねる。
「パンクだ」ジャスティンが言ってバイクを道路の左端に寄せた。アシストのふたりも止まる。
セシリアは急いで交換用のホイールを用意した。
「おまえが行け」ダンが簡潔に言った。
セシリアは、ぱっと顔を輝かせた。「はい」
ホイールを持って後部ドアから飛び出す。レースの本番で、ホイール交換をやらせてもらうのは初めてだ。
ジャスティンがバイクからおりて、にやりとした。セシリアは無言ですばやく後輪を外しにかかった。落ち着いて。新しいホイールをしっかり留め、バイクにまたがったジャスティンのお尻を思いきり押す。
「ありがとう、セス」ジャスティンが言って、走り去った。
二十秒以内にできただろうか? もちろん、ダンの手際にはとうてい及ばないけれど……。
チームカーの後部座席に戻ると、ダンが言った。「よくやった」
セシリアはほっと胸を撫で下ろした。
山岳地帯の上りに入ると、集団がばらけてきた。アダムとジャスティンが飛び出し、有力チームのエースとアシスト四人が加わって、六人の先頭集団ができた。
「ブレーキのボルトがゆるんでる」ジャスティンから連絡が入った。
「すぐに行く」カートが車の速度を上げた。先頭集団の後方につけたアダムとジャスティンの姿が見えた。今ここで、バイクを止めて修理する余裕はない。ダンが工具を手に、窓から身を乗り出そうとした。しかし、道幅が狭く、大柄なダンの体ではバイクとの隙間が狭すぎて危険だった。
「私がやります!」セシリアはダンの手からレンチを取ると、仰向けに窓から大きく身を乗り出した。ダンがあわててセシリアの足をつかんだ。ジャスティンのバイクと併走しながら、頭を下にして車の窓からぶら下がる。
だいじょうぶ。何度も練習したのだから。
セシリアはレンチを握った手を伸ばし、ブレーキのボルトをしっかり締めた。後方へ退いた先頭集団の数人が、ものめずらしそうにその姿を眺めた。キャップを脱いでいたので、女だということがわかったのだろう。
セシリアは腹筋を使ってぐいと起き上がり、窓の内側に戻った。
ダンがめずらしく、にんまりとした。「きょうは大活躍だな、セシリア」
残り十キロ。いよいよ最後の峠だ。眼下に砂漠が広がる砂の山。ここでジャスティンが勝負に出た。ぐんぐんと速度を上げ、他の選手を引き離していく。
「いいぞ、行け、ジャスティン!」カートが叫んだ。ゴール前のスプリントに強いユベーロとの差をできるだけ広げておこうという作戦だ。アダムも必死についていこうとしたが、すでにかなり遅れを取っていた。
道幅が狭くなり、チームカーはこの先の待避所に迂回するよう指示された。
「あとはジャスティンに任せよう」カートが言った。
「ええ」セシリアはうなずいた。ジャスティンが上りのカーブを曲がって姿を消した。
あとはゴール前の勝負だけ。兄さんはきっと勝つわ。セシリアは信じていた。
ゴールまで四キロの地点では、たくさんのチームカーとスタッフ、ファンが待機していた。
「ジャスティン、どうだ?」カートが無線に向かって尋ねた。
「いい調子だ。だが、風で砂が……。アダムの姿が見えない」ジャスティンが応答した。
「気にするな。そのまま行け」
「了解。うわっ。すごい風……」ガサガサという雑音が響き、無線が途絶えた。
「山の風と砂のせいで無線が通じないらしい。あとは待つだけだな」カートがハンドルをとんとんたたきながら言った。
ところが……。
猛スピードで山から下って最初に現れたのは、ジャスティンではなくアダムだった。すぐ後ろに、ロドリゴ、ユベーロらが続く。
「どうなってる?」監督が叫んだ。「アダム、ジャスティンは落車か?」無線に向かってどなる。
最後のスプリントに入ったアダムが息を切らしながらどうにか答えた。「いいや……見かけなかった……てっきり……先へ行ったのかと……」
「どういうこと?」セシリアの顔から血の気が引いていった。
「審判員に確認しろ、カート」ダンの声も緊張をはらんでいた。
カートが審判員と連絡を取ったあと、青ざめた顔で言った。「砂丘のコースから転落したらしい。砂嵐で姿が確認できないそうだ」
「なんてこと」セシリアは息をのんだ。
たいへんな事態になった。最後のスプリント勝負はアダムが制し、優勝の快挙を成し遂げたが、チームはそれどころではなかった。
警察のオートバイが砂丘のコースを調べたところ、確かに細い山道のカーブにロードバイクが転落したらしき痕跡があった。しかし風と砂のせいで視界が悪く、自転車も人も見当たらなかったという。
「すぐに崖の下を調べてください!」セシリアたちは迫ったが、警察の言うことは要領を得なかった。チームカーでジャスティンを捜しに行くと言っても、許可できない、の一点張りだった。身ぶり手ぶりを交えてようやくわかったところによると、崖は急すぎて下るのは無理で、迂回して砂漠の道を行くしかないが、そこは砂漠の民の領地であり、警察といえど無断で立ち入ることはできない。砂漠の民の首長に連絡を取る必要があるが、なにしろ電話を使わない人々なので、かなり時間がかかる。
「大怪我をしていたらどうするの! 一刻を争うかもしれないのよ」セシリアは涙を流しながら抗議したが、事態は変わりそうになかった。
「らちがあかないわ。私、行ってくる」
「どこへ行くんだ?」カートがきいた。
「宮殿よ」セシリアは車のキーをつかみ、ひとりでチームカーに飛び乗った。
バドゥルはあわただしく執務室の扉をあけ、側近のナジに命じた。「砂漠のイブラヒム首長のもとへ、急使を派遣しろ。伝言の内容はこうだ。〝ロードレースの選手が一名、崖から転落してそちらの領地にいると考えられる。私、バドゥルが先頭に立ってすぐさま捜索に当たる。了承されたし〟」
「かしこまりました」ナジが、むだのない動きで執務室からすばやく出ていった。
バドゥルは内線電話で衛兵の詰め所と
ナジが戻ってきて言った。「砂漠の首長のもとに急使を派遣いたしました。それから、門番より伝言で、女性が殿下を訪ねてきているとのことです。歓迎会にいらした、あの選手の妹さんのようで」
バドゥルははっとした。ジャスティンの妹か。確か、セシリアと言ったな。
「通せ」
「ただ……」ナジがためらいがちに言った。「身だしなみが、宮殿には……」
「かまわない」
ナジがお辞儀をして立ち去った。
数分後、執務室の扉がばたんとあいて、セシリアが飛びこんできた。〈チーム・バーリー〉のウィンドブレーカーにぴったりしたジーンズという服装で、赤みがかった金色の巻き毛が乱れるのもかまわず、緑色の目を怒りにぎらぎらと輝かせている。その美しさに、一瞬バドゥルは目を奪われた。そんな場合ではないというのに。
「この国の警察や消防は、いったいどうなっているの!」セシリアがどなった。「早くジャスティンを助けて!」
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