5話:恋愛だけが愛じゃない

 夏は嫌いだ。騒がしいセミの声、突き刺さる日差し、汗で肌に張り付くシャツや髪、部屋と外の気温差——全てが煩わしい。

 姉の結婚式から一週間。あれ以来、買い出しとバイト以外で外に出ていない。今日はバイトは休みだが、残念ながら買い出しに行かなければならない。

 外に出る。生温かい空気がくすぐる。エアコンの効いた部屋が早くも恋しい。あぁ、やっぱり夏は嫌いだ。

 だけど買い物に行かないと今日の食料が無い。出前を取っても良いのだけど、流石に毎日取っていたら金銭的にキツい。

 ため息を吐きながら日傘を差して、近所のスーパーへ向かう。こういう時、一人暮らしは不便だ。大量に買い込みたくても一人で持てる分しか買えない。いつもはエコバッグ二袋にはいるだけ買い込むのだけど、今日は米を買わないといけないから、持てるのは一袋分だけ。

 なるべく長期間引きこもりたいから大量に買い込みたいのに。そう思っていると、前方に見慣れた人を見つけた。


「一条くん」


「ん。おぉ。愛沢さん」


「おはよう」


「おはよう。家この辺なの?」


「えぇ。一条くんも?」


「いや。昨日は友達の家に泊まりだったから。同居人に喘ぎ声がうるさいって怒られてさぁ……」


「……そう。大変ね。同居人」


「同情するのそっちかよ。で、愛沢さんは今からどこ行くの?」


「買い物」


「ふーん。……荷物持ちしようか?」


「あら。いいの?」


「うん。どうせ暇だし」


「ありがとう。助かるわ」


 これでしばらくは引きこもれそうだ。

 友人なんて……と思っていたけれど、一人でできることには限界がある。こういう時は助かる。


「で、何買うの?」


「とりあえず忘れちゃいけないのはお米ね」


「あー。重いから最後にしようか」


「えぇ」


 スマホのメモを見ながらカートに食材を入れていく。一条くんは私の指示に従いながら、ちゃんと賞味期限まで気にして入れてくれる。


「意外としっかりしてるのね」


「何も気にせずにカゴに入れたらせいちゃんに怒られたから。学んだ」


「セイちゃん?同居人?」


「そう。同居人。"静か"って書いてセイって読むの。可愛い名前でしょ」


「男の人なのよね」


「そうだよ。俺と同い年の男子。で、俺の実家の元使用人」


「……お金持ちなのね。あなたの家」


「あー……まぁね。金はくれたよ。ね」


「……そう」


「金さえ渡しておけば保護者の義務を果たしてるって思ってるんだろうね」


 なんでも無いような顔をして言う彼だが、声色にどこか寂しさを感じた。


「まぁでも、幸いにも俺は人に恵まれてるから。だから腐らずになんとか生きていられるんだ。やっぱ持つべきものは友人だよねー」


「……そうね」


「で、これで買うもの全部かな?」


「あとお米」


「あぁ、そうか。米ね」


 カートを押しながら米のコーナーへ。途中、走り回っている子供にぶつかりそうになる。夏休みだからなのか子供が多い。


「カート持ってて」


「はーい」


 一条くんにカートを託して米を取りに行く。十キロの米を肩に担いで合流すると苦笑いされてしまった。


「重くない?大丈夫?」


「えぇ。全然平気」


「カートに乗せないの?場所空いてるよ」


「結構入れちゃったし、さらに米乗せたら重いでしょう?」


「そうだね。ありがとう」


「いいのよ。手伝ってもらったのはこっちだから。こちらこそありがとう」


「ふふ。どういたしまして」


 支払いを済ませて、彼には米以外の荷物を持たせて私は米だけを運ぶ。


「……やっぱり、誰か居るって良いわね」


「うち住む?」


「絶対嫌」


「あらー。フラれちゃった」


 けらけらと笑う彼。チャラい人だけど、下心は一切感じないどころか、むしろ彼と居ると安心する。不思議な人だ。


「あら。こんにちは」


「こんにちは」


 アパートの大家とすれ違い、挨拶をすると、珍しいものを見るような顔で見られた。


「もしかしてかれ「「違います。友人です」」


 間一髪入れずに否定すると、彼と声が重なる。「仲良いわね」と大家は微笑ましそうな顔をする。否定したって無駄だと分かっていたが、ため息が漏れる。もうめんどうだから勝手に勘違いさせておこう。必死になって否定すると逆に怪しくなるから。


「一条くん、荷物ありがとう」


「どういたしまして。冷蔵庫に詰め込むところまでやるね」


「ありがとう」


「適当にくつろいでて」


「言われなくてもくつろぐわよ……私の部屋なのだから」


「あはは」


 エアコンをつけてワンルームの奥にあるベッドに座る。


「すげぇ。冷蔵庫スカスカじゃん」


「ギリギリまで買い出ししないタイプなの」


「適当に詰めて良い?」


「お任せするわ。ミートソース作るからひき肉と玉ねぎとトマト缶は出しておいて」


「ほーい」


 思えば、この部屋に家族以外の人間を上がらせたのは初めてだ。


「一条くんの同居人ってどんな人?」


「静ちゃん?んー……ちょっと小言が多い執事って感じ」


「……なるほど」


 なんとなく想像がついた。


「あ、そうそう。俺、バンドやってんだ。今度ライブやるから来てよ」


「へぇ。あなたはギター?」


「そう。っぽいでしょ」


「っぽいわね」


「後で曲送るね。良いなって思ったら聴きに来て」


「えぇ」


 夕方。

 忘れた頃に彼から曲が送られてきた。タイトルは"Grape hyacinth"

 再生すると、ヴァイオリンとギターで奏でられる悲しげなメロディに乗せて男性の歌声で絶望や失意に満ちた暗い歌詞が綴られる。




 生まれた時から人は平等だなんて綺麗事だ

 子は親を選んで生まれるなんて言う人がいるけれど

 選べたなら僕はあんな家に生まれなかった

 出来損ないだと蔑まれて

 家出しても心配さえしてくれない

 それでも僕がこの世を去れなかったのは

 君が居たせいだよ

 君は僕をこの世に繋ぎ止める鎖だった

 君にとっても僕がそうだったよね

 いつか世界に絶望する君の手を引いて

 この世界から二人で逃げ出そうと思っていた

 あるいは君がそうしてくれることを願っていた

 僕らは互いに一緒に死のうと言い出すのを待っていた

 だけど今すぐに死ぬ勇気も無くて

 どうせいつかは死ぬのだから

 今じゃなくていいなんて

 お互いに言い聞かせていたよね

 君が死ねば僕も死ねる

 僕が死ねば君も死ねる

 僕らは悪い意味で二人で一つだったね


 だけど


 ねぇあの頃の僕達

 今の僕達から伝えたいことがあるんだ

 生きていてくれてありがとう

 相変わらず世界は息苦しいけれど

 ようやく呼吸が出来る場所を見つけたんだ

 暗くて深い海を抜けて地上にたどり着いたんだ

 もう大丈夫

 僕らは二人ぼっちじゃないよ

 君と僕を繋いだ鎖は消えたんだ

 僕らはもう別々の道を歩んでもいい

 それでも僕は自分の意思で君の隣を選んだ

 眩しい未来朝日をこの場所で君と見たかったから——




 曲が終わってしばらく私は余韻に囚われて動けないでいた。


 余韻から抜け出せたところで、曲のタイトルである"グレープヒヤシンス"を検索にかける。するとムスカリの花が出てきた。グレープヒヤシンスはムスカリの別名らしい。花言葉は絶望や失意といった暗いものばかりだが、"明るい未来"など、正反対の意味もある。

 男性ボーカルで絶望に満ちた過去から始まり、転調して女性ボーカルが明るい未来を語ったあの曲にぴったりな曲名だ。

 彼に感想を送る。

 "すごく良かった"の一言だけ。言いたいことはもっとあるのに、言葉が出てこなかった。尊すぎて語彙力を無くすとはこのことだろうか。こんなに感情を揺さぶられたのは初めてだ。創作物に泣かされたのも人生で初めてだった。


 ちなみにこの曲の歌詞はやはり一条くんが書いたものらしい。曲の中の"君"が誰なのかは教えてくれなかったが、恐らく妹だろう。

 恋愛脳な人々が聞いたらラブソングに聞こえるのだろうか。まぁ、ある意味ラブソングかもしれないけれど。愛は恋愛だけではないから。恋をせずにふらふらと遊び歩いている彼でもこんな素敵な愛の詩を書けるのだから。

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