4話:ブーケトスのジンクス

 夏休みに入ったある日のこと。五つ年上の姉から結婚するとの知らせを受けた。めでたい話だが、複雑な気持ちで式場へ向かう。


「蒼、久しぶり」


「久しぶり。はるねえ


 私は三人姉妹の末っ子。今回結婚するゆきねえは長女で、次女のはるねえは既婚者だ。今年で23歳。去年結婚したばかりで、お腹の中に子供が一人。


「雪姉もついに結婚かぁ……」


「そうね」


「蒼は?良い人居ないの?」


「居ない」


「学生のうちに恋愛しとかないとー。社会人になると出会いなくなるよ?」


 姉達のことは好きだ。これさえなければ、だけど。

 今日結婚する上の姉も、下の姉も、私と違って恋愛体質だ。私はそんな姉達の気持ちを理解出来ないし、恋愛をしない私の気持ちもまた、きっと姉達には理解出来ないだろう。

 両親も、当たり前のように結婚を勧めてくる。決して悪い人達ではないが、実家は私にとっては窮屈だ。

 いつかは諦めてほしいが、いきなり自分はアロマンティック・アセクシャルだと話しても家族はきっと、聞き入れてくれない。理解を求めるなら難しい言葉を使わない方が良いだろう。


「私は恋愛をしない生き方をするつもり」


「えー……なにそれ、寂しくない?」


「大丈夫よ。心配しないで。私は一人でも生きていけるから」


「……まぁ、確かに蒼なら心配なさそうだけど」


「そうでしょう」


「いや、でもやっぱり——「あれ?愛沢さん?」


 晴姉のありがたいお説教を遮ってくれた聞き馴染みのある声に振り返ると、そこに居たのは月島さんだった。


「月島さん」


「知り合い?」


「友達」


「友達!?蒼に!?」


「ええ。共通の友人を通じて知り合ったの」


「共通の友人って……蒼、いつの間にそんなに人と関わるように……」


 口元を両手で覆って目を潤ませる晴姉。


「この人は私の姉よ。今日の新婦も私の姉なの」


「へー……似てないな」


「よく言われるわ」


 姉二人は表情豊かだ。愛想笑いが上手く、人当たりが良い。そして恋愛体質。私とは何もかもが真逆だ。本当に血が繋がっているのかと疑ってしまうほど。


「月島さんは何故ここに?」


「新郎が私の従兄弟なんだ」


「そうなの」


「てことは私ら、今日から遠い親戚になるのか」


「そうね」


 気を使ってくれたのか、いつの間にか姉は居なくなっていた。ため息が漏れる。


「お疲れだな」


「……悪い人ではないの。ただ、恋愛脳だから」


「アセクシャルだってことは言わないの?」


「言ってるわよ。アロマンティックやアセクシャルって言葉は使ってないけど、私は恋愛に興味無いって話はしてる。けど、本気で受け取ってもらえない。……月島さんは、親御さんにはどう話してる?自分のこと」


「私は幸い、親に恵まれてるから普通に話せた。けど、彼女の家族は理解しようともしない。家族というか、両親だな。まぁでも、母親は勝手にしろとは言ってくれてるし、父親は元々彼女に興味無いし、彼女自身も柚樹さん以外の家族との仲は良くなかったからどうでもいいって言ってたけどね。愛沢さんとこは仲良いんだろ?」


「……えぇ。家族のことは好きよ」


「……だったら余計辛いだろうな」


「えぇ。でも、前よりは平気よ。私のような人は普通に居るんだって、恋愛をしない生き方もありなんだって知れたから。一条くんと月島さんのおかげでね」


「私は恋愛してるけどな」


「恋愛感情が無いのに恋愛するってどんな感じ?」


「どうって言われてもなぁ……私が嫉妬とかしないだけで、彼女の方はめちゃくちゃ嫉妬するから……まぁ、よっぽど好きじゃなかったら続かんな」


「嫉妬されてめんどくさいとは思わないの?」


「思うよ。理解できないもん。けどそれはお互い様。お互いにお互いのことは理解出来ないって割り切って信頼しあってるからこそ成立してる関係だと思う」


「……なるほど。そういう恋愛の形もあるのね」


「私の知り合いには恋人が一人じゃない人も居るよ」


「一条くんのことかしら」


「いや、違う。付き合ってんの。ちゃんと恋人全員合意の上でね。そういう複数人との恋愛をポリアモリーっていうらしい」


「ハーレムみたいね」


「全員女だけどな」


「全員女性の場合は……百合ハーレムかしら」


「百合って言葉知ってんだ。意外」


「私はもしかしたら異性じゃなくて同性が好きなのかもしれないと思って、GL作品を集めてた時期があるの。けれど、どれも共感できなかったわ」


 恋愛物は嫌いではない。共感が出来ないだけで、物語として楽しむことは出来る。ただ、他人と感想を共有することができない。昔姉達と恋愛映画を見に行ったことがあったが、姉達が感動して泣いている理由が一切理解できなかった。私には映画は一人の方が向いているとその時気づいた。一人なら、どんな感想を抱いても否定されないから。泣けなくても、心が冷たい人だと言われないから。

 それから、ミステリーやサスペンスなどで、事件の犯人の動機が恋愛感情によるものだったというパターンが苦手だ。病気の恋人のためにお金が必要で罪を犯したとかならまだ理解できるが、痴情のもつれで恋人を殺害したとか、恋人でもない片想いの相手に対するストーカー行為とか、その辺は理解に苦しむ。そこまで人に執着した経験は私には無いし、これからも無いと思う。


「蒼、ちょっと! こんなところで何やってんの! ブーケトス始まるよ!」


「……それ、どうしても参加しなきゃダメ?」


「未婚女性は全員参加」


 結婚願望はないと何度言ったら分かるのだろうか。全く。

 ため息を吐きながら、晴姉に連れられて渋々ブーケトスに参加する。お節介な雪姉のことだ。きっと、私の方に投げてくる。ならば私は出来る限り後ろに下がろう。


「私、全力で取りに行くから」


「あら。やる気ね」


 月島さんの恋人は同性だ。ブーケを取ったところで、現状、この国では結婚は出来ない。ジンクスなんて何の意味もないはずだが。


「信じてるの? ジンクス」


「別に。ただ、そのジンクスを無邪気に信じる権利すら無いのはムカつくからさ、無邪気に信じてる奴らの邪魔してやろうかなって」


「八つ当たりね」


「そういうこと。それにさ、ジンクスが本当なら、必然的に法律が変わるだろ?私が結婚するとしたらきっと、相手は今の恋人以外居ないだろうから。……私の周りには同性と付き合ってる人多いんだ。中には異性と付き合っていた過去がある人も居るし、カップルの片割れが戸籍の性別変えて同性同士になったカップルもいる。知ってる? 戸籍さえ異性同士なら普通に結婚出来るんだよ」


「そうなの? それは初めて知った」


「恋人と家族になれる権利を捨てる代わりに自身の望む性別で生きるか、恋人と家族になれる代わりに望む性別で生きる権利を諦めるか。私の友人の恋人は前者を選んだ。『戸籍を変えなかったら私はただの異性愛者にされてしまう。男として生まれてしまったけど、心は女で、女が好き。そんな人間も居るんだって、世間に気づいて欲しいから』って。……だから私は……結婚式に出るたびに、積極的にブーケ奪いに行くようにしてるんだ。今のところ全勝してる」


 そう言って月島さんは人混みに入っていった。花嫁が私の方を見た。「そっちに投げるからね」と目で訴え、後ろを向いた。仕方なく私も人混みに紛れて月島さんを探す。


「参加すんの? 言っておくけど、譲らないよ。誰にも」


「形だけよ。……どうせ私に向かって投げるだろうから、最後尾に行きましょう」


「そこまで届く?」


「大丈夫よ。元ソフト部だもの」


 月島さんを連れて人混みの最後尾へ行く。花嫁が「投げるよー!」と叫んだ。ブーケが高く宙を舞う。狙い通り、高く上がって人混みの最後尾まで飛んできた。一応手を伸ばして取るふりをする。すると月島さんが後ろに下がり、助走をつけて飛び上がって私の目の前でブーケを掻っ攫っていった。


「言ったろ。誰にも譲らないって」


拍手が起きる中、月島さんがブーケを肩に乗せて笑う。眩しいくらいのいい笑顔だった。


 その後、二次会には参加せずに月島さんと共に会場を後にした。親族はほとんど結婚し、姉二人も結婚した。これでしばらくは結婚式に参加することもないだろう。結婚自体はめでたいことだとは思うが、周りから次はあなたの番だという圧が鬱陶しくて仕方ない。あれさえなければ素直に祝えるのに。


「……いつになるかわからんけどさ、私が結婚する時、招待してもいい?」


「ええ。ぜひ。……私も、出来ること探してみるわね」


「うん。ありがとう」


 以前の私は同性婚に対して全くの無関心だった。しかし、今はそうもいかない。大切な友人に関わることだから。私に出来る限りのことはしたい。

 なんて。昔はもっと冷めていたはずなのだけど。

 一条くんと月島さんに出会ってから少し人情深くなったかもしれない。


 果たして、月島さんが受け取ったブーケのジンクスが効果を発揮するのは一体何年後になるのだろうか。その頃には一体何束のブーケが彼女の手に渡っているのだろう。

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