3話:アロマンティック・アセクシャルというらしい

 私と一条くんが付き合っているという噂が流れ始めるまでは、時間はかからなかった。こうなることは予想はしていたが、ため息をつかずにはいられない。彼が女性なら、あるいは私が男性なら、私達が同性同士だったならただの友人としか見ないくせに。同性同士でも付き合ってると疑ってくる人種は稀に居るらしいけれど。一条くんは同い年の男性とシェアハウスをしていて、それだけで付き合っていると決めつけられたことがあるらしい。


「恋愛脳って厄介だよねぇ」


「本当にね」


 大学から駅までの道を歩きながら二人でため息を吐く。男女の友情は成立しないなんて言うけれど、理解が出来ない。恋愛をする人達だって、異性なら誰でも良いわけじゃないだろうに。同性しか、あるいは同性も恋愛対象になる人もいるだろうに。想像力が足りなさすぎる。一条くんみたいに、本当の意味で誰でも良い人がいることは私も最近知ったばかりだけど。


「一条くんには、好きなタイプみたいなものはないの?」


「んー……強いて言うなら遊び慣れてて調子乗ってる感じの人が好き。自分のテクニックに自信ありそうな人のプライドへし折るのが最高に楽しい」


「男性と女性どっちが好きなの?」


「一番相手にしてて楽しいのはノンケ男子」


「ノンケ?」


「異性愛者のこと。男慣れしてない男の人って大体、抱き慣れてても抱かれ慣れてはいないからさぁ……初々しくて可愛いんだよね」


「……なるほど」


 正直理解出来ない。だけど、未知の世界過ぎてついつい気になってしまう。


「てか愛沢さん、俺のこと興味津々だね」


「えぇ。今まで出会ったことないタイプだから気になるの」


「俺に対して恋愛的な感情は?」


「全く無いわ」


 ふと、隣を歩く彼の手に指が触れた。ひっこめようとすると彼の人差し指が引っかかる。そのままするりと指の隙間に絡んできた。なにをしているのだろうかと彼を見ると、彼はにこりと笑い、きゅっと手を握ってきた。


「……なにこれ。なんの真似?」


「ドキドキする?」


「いいえ。全く」


 容姿の整った仲のいい異性に手を握られ、見つめられる。そんな状況でも私の心臓はうんともすんとも言わずに我を貫く。

 では、これはどうだろうか。彼の手を握り返し、立ち止まって見つめ返す。異性と何秒以上見つめ合うと恋に落ちるという話を聞いたことがある気がする。何秒だっけ、5秒?10秒?

 もうかれこれ10秒以上見つめあっているけれど、私の心臓は何も言わない。

 やがて彼の方が耐えきれなくなったのか、目を逸らして笑い出した。釣られて私も笑ってしまう。


「ドキドキした?」


 再び投げかけられた同じ問いに、同じ返しをする。


「いいえ。全く。あなたは?」


 すると彼は「俺も全く」とそう笑い返した。ふと、月島さんが以前言っていたことを思い出す。


『独り占めしたいとは思わないしドキドキはしないけど、そばに居たいとは思ってるんですよ。説明がむずいんすけど、とにかく、私的には恋ではないんすよね』


 私の一条くんに対する感情は、彼女が言っていた恋人に対する感情に近いかもしれない。そばに居たいとまでは思わないけれど、彼の隣は居心地が良い。だけど性的なことをしたいとは思わないし、彼が他人と性的なことをしている事実についても何も思わない。独占したいという気持ちは一切ない。人の好意を踏みにじっているなら軽蔑するが、互いに同意の上なら、好きにすれば良いと思う。


「俺さ、恋愛感情を向けられるのが苦手なんだよね。好きって言われるのは嬉しいけど、好きになってほしいって言われると重いなって思っちゃう」


「分かるわ。私も同じ」


「もし、誰かと結婚することが義務付けられてたら、俺、君みたいな人と結婚したいな」


「遊び歩いても叱られないから?」


「そゆことー」


「最低ね」


「クズだからねー。俺は」


 私は彼のように誰かと性的な接触をしたいとは思えない。仮に結婚が義務だったのなら、私に恋愛感情を向けられることを望まないかつ、性的な接触をしないという条件を飲んでくれる人としか無理だろう。一条くんは恐らく条件を満たしているが、彼にとって結婚はメリットよりデメリットの方が多過ぎる。私も彼の妻になったら周りから哀れまれそうでめんどくさい。苗字も変えなきゃいけないし。私にとってもデメリットしかない。それ以前に、私を溺愛している父から大反対されそうだ。その反対を押しきってまで結婚したいかと問われればNOと即答する。結婚が義務にでもならない限りは彼との結婚はあり得ないだろう。


「あなたとの結婚は無いわね」


「あらー。フラれちゃったか」


「元から私と結婚なんてする気ないくせに」


「まぁね。義務化でもされない限り結婚なんてしないよ。色々めんどくさいし。デメリットしかない。俺や妹が子供作らなくても兄が居るから血は途絶えないだろうし。いっそのことパイプカットしようかな……」


 私にも姉妹がいる。姐二人と私の三姉妹だ。下の姉は結婚して、子供もいる。上の姉にも彼氏が居る。姉妹の中で恋人が居ないのは私だけだ。恋愛体質の二人には私が恋をしない人間だと話してもきっと理解出来ないだろう。今までだってそうだった。今や連絡を取り合わなくなった友人達と同じく『いつか分かる』の一点張り。そのいつかは私には来ない気がする。そんな予感は、一条くん達に出会ってから確信に変わった。そして、それでも良いと、仕方ないと開き直れるようになった。まだ少しずつだけど。

 ちなみに、私のような人間はアロマンティック・アセクシャルというらしい。一条くんに教えてもらった。アロマンティックは他者に対して恋愛感情を抱かない人のことで、アセクシャルは他者に対して性的な欲求を抱かない人のことらしい。つまり一条もアロマンティックではあるけれど、アセクシャルではないということになる。少しややこしい。しかし、カテゴライズされるということは、一定数は存在するということだ。ネットで調べると、友情結婚をした日本人夫婦のブログを見つけた。夫、妻ともにアロマンティック・アセクシャルだそうだ。二人の間には子どもはおらず、作る予定も無いらしい。そしてその夫婦のブログのコメント欄にはちらほらと「私もアセクシャルです」といったコメントが寄せられていた。人は誰もが必ず恋愛をすると思いこんでいたのは私の方だったのかもしれない。

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