第13話

 ルイーザ。それが女の名だった。


 だが、その名で呼ばれることはほとんどない。事あるごとに名前を変え、姿を変え。裏の世界で生きてきた女にとって、名前など意味をなさない。


 幼い頃から暗殺者としての教育を受け、同じ年の子供達と訓練を積む。


 彼女が十四歳になった時、二十人はいたはずの子供はルイーザ以外、誰一人いなくなっていた。


 大人たちは大いに喜ぶ。彼女の才能に、組織の中でも類を見ない天才だと。


 ルイーザの初仕事は十五歳の時。対象を殺せと言う指示。それが誰なのか、何のために殺すのか、そんなことは一切教えてもらえない。


 特に聞くこともなかったし、知りたいとも思わなかった。


 ルイーザにとって重要なのは、確実に任務を遂行すること。


 それ以外は、どうでもよかった。


 ルイーザは言われた通りに対象の人間を殺してゆく。そこには何の感情も無い。その後も、何人も何人も殺してきた。


 ルイーザが二十歳になるころには、今まで何人殺したのか分からなくなっていた。言われるがままに淡々と仕事をこなしてきただけ。


 この頃になると、仲間内からも恐れられ、陰口を叩かれるようになる。


 〝死神″〝血みどろの女″〝皆殺しの快楽殺人者″


 だが彼女にとって、気にするほどのことでもなかった。


 殺すことが生きること、殺すことが存在する意味。人を殺す度に笑みが漏れ、殺すこと自体を楽しみ始める。


 気づけば組織でも最高ランクの暗殺者になっていた。各国の要人も暗殺対象となり、その全ての仕事を成功させる。


 世界最強と言われるAランク冒険者ですら、何人も殺してきた。


 彼女は強すぎた。誰も相手にならず、苦戦することもない。


 ある日、裏社会に身を落とした元司祭に【鑑定】してもらう機会があった。その司祭が言うには、ルイーザのレベルは29に達しているらしい。


 レベルにどんな意味があるのか、ルイーザには分からなかった。


 だが司祭いわく、「こんなに高いレベルの女は、見たことがない」とのこと。


 さして興味も無かったが、要するに自分の相手になる奴はいないのだ。それはそれでつまらないとも思うが、やはりどうでもよかった。


 ルイーザにとって問題なのは、最高ランクにまで昇りつめたせいで、それに見合う仕事がそうそう無いということだ。


 彼女は仕事がしたかった。より多くの人間を殺すために。


 ルイーザは、ランクの低い仕事でも積極的にこなした。内容より数。たくさんの人間を殺せる依頼を優先してきた。


 今回の依頼もそうだ。


 大した仕事ではなかったが、十人以上の人間を殺せる。ただそれだけの理由で受けた単純な仕事。それだけだった。


 ――なのに、



 何だ、この化物は?



 拳が空を切る。ルイーザの顔のすぐ横を、身の毛もよだつ音を上げて大気を引き裂く。何とか攻撃を避け、身を低くして相手を見る。


 その男は異様だった。


 大型のオーガのような怪力で辺りを破壊し、恐ろしい威圧感を放つ。


 剣で何度切りつけようと、皮一枚を裂くのがやっと。途轍もなく頑丈で、なんとかつけた傷も、すぐに回復してしまう。


 魔法で治しているのかとも思ったが、詠唱している様子もない。


 何より目を引いたのが、両腕にはめられた防具だ。


 ルイーザは、かつて五千人を斬り殺したと言われる『妖刀』を見たことがあった。数多の血をすすった『妖刀』は、魔力とは違う、異質で邪悪な空気を纏う。


 彼女に暗殺を教えた師は、それを〝妖気″と呼んでいた。


 目の前にいる男の手甲から放たれているのは、まさに〝妖気″そのもの。


 だが『妖刀』の比ではない。


 吐き気をもよおすほどの、おぞましい気配。


 ルイーザは後ずさる。頬に汗がつたい緊張で顔が引きつる。


 今まで一度も感じたことのない感覚。ルイーザは気づく。


 これが恐怖なのかと。


 ありえない。如何いかなる者でも殺してきた自分が、恐怖するなど。


 ――なぜ、こうなった?


 ルイーザは逡巡する。仕事は簡単なものだったはずだ。荷を運ぶ商人と、その護衛を殺すだけ。荷の回収は、別の人間が行う。


 護衛も大した強さではない。せいぜいC~Dランクだろうと推測する。


 だが、この男だけが違う。


 頭上から振り下ろされる拳を避け、距離を取る。轟音を上げて床が吹き飛ぶ。


 想像を絶する力。速さだけでは勝っているが、それ以外では勝てる気がしない。逃げるべきか?


 そんな考えが脳裏をよぎる。男より速く動ける以上、逃走は難しくないはずだ。だが、すぐさま自分自身で否定する。


 今まで一度も失敗したことのない自分が、この程度の仕事でしくじったなど、生き恥を晒すようなものだ。


 男を殺すしかない。


 そう思い直すが、容易ではないことは分かっていた。方法は一つしかない。


 ――目を狙う。眼球まで頑丈などありえないだろう。目を突き刺し脳にまで達すれば、即死させることもできる。


 殺し方は決まった。後は実行するだけ。


 ルイーザは剣を構え、体制を低くする。地面を蹴り、男との距離を一気に詰めた。



 ◇◇◇



 女が飛び込んで来た。ガルムは自分の腕についた小さな傷に目をやる。治っていない。魔力が切れたのだ。


 ――もう回復はできないか……。


 次に致命的なダメージを受ければ動けなくなるだろう。ガルムは覚悟を決めて、女を迎え撃つ。



 「うらぁあっ!!」



 右の拳で殴り掛かった。だが女は視界から消え、拳は虚しく空を切る。


 気づくと、女はガルムの真横にいた。


 目の前には剣の切っ先。容赦なく右目に向かって突き立てられる。



 「なっ!?」



 女は驚きの声を上げた。剣が止まって動かない。


 ガルムが左手で剣を握っていた。



 「どうして……?」


 「狙ってくると思ってたぜ! 致命傷を負わせようとしたら、目くらいしかないからな!」



 ――攻撃してくる場所が分かってるなら、どんなに速くても対応できる。待ってた甲斐があったぜ!


 ガルムは握った剣を力いっぱい引き上げる。とっさのことにルイーザは体勢が崩れ、体が宙に浮き上がった。


 ガルムは右腕を引き、女に狙いを定める。



 「これで、かわせないだろう!」



 ルイーザは絶望的な表情を浮かべる。どんなに速かろうと、空中では身動きが取れない。



 「くっ!」



 体の前で腕をクロスさせ、ガルムの攻撃を防ごうとする。ガルムが殴りつけた瞬間、ルイーザは稲妻が落ちたような衝撃を受けた。


 骨は砕け、肉が裂け、内臓は悲鳴を上げる。


 今まで何十回も斬りつけた攻撃が、全て帳消しになるような理不尽な一撃。


 あまりの衝撃にルイーザの体は吹き飛び、宿屋の壁に激しくぶつかる。それでも止まることなく壁を突き抜け、外にある木の幹に衝突してやっと止まった。


 ルイーザは血を吐き出し、地面へと落ちてゆく。

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