第28話 自分の中に燻るもの
親父は空になった桶を井戸へ下ろし、ロープを引いてふたたび水を汲む。
「親父」
「お、マオルドか。おはよう。早いな」
親父はいつも通りのニコニコ笑顔で俺にあいさつをする。
それから汲み上げた水を頭から身体へ被った。
……相変わらず、すごい傷の数だな。
親父の身体は傷だらけだ。全身のどこを見ても深い切り傷があり、ところによっては火傷のあとがあったりもする。特に背中を右肩から斜めに斬った傷は凄まじく、受けた当時はかなりの大怪我であったろうことが窺えた。
これらはもちろん農作業で負ったものではない。若いころの傭兵時代に負ったものだと、死んだじいさんからは聞いた。
じいさんから、というのは、親父が傷について俺に語ったことは無いからだ。じいさんも親父から聞いたわけではなく、傭兵をやめて帰ってきた親父の身体を見てそう察しただけらしい。
「ああ、ごめん。顔を洗うんだよね」
「あ、うん」
汲んでもらった水で俺は顔を洗う。
……やさしい親父だ。
俺は親父が傭兵をやっていたなんて信じられなかった。
傭兵と言えば、戦場に行って魔物や人を殺すのが仕事だ。家の中で捕まえたネズミに餌をやって外へ逃がすような親父なのに、誰かやなにかを殺すことができるとはとても思えなかった。
『きっとまともに傭兵なんかできないで、無償で人助けとかやっていて金なんかほとんど稼げなかったんだろう。たまに戦場へ行っても殺しなんかできないから、傷を負うばかりで逃げ回っていたんじゃないか』
子供だった俺にじいさんはそう言った。
ならばなぜ親父は傭兵になんかなったのか? 戦場で逃げ回るためではないだろう。活躍をして、名を上げるとか大金を稼ぐとかそういうためではないのか。
親父は傭兵時代のことを自らの口では語らない。俺の母親のことも含めて、傭兵をしていた頃のことはなにも語ることがなかった。
ただ一度だけ、身体の傷について聞いたことがある。聞いたのは俺がまだナナちゃんくらいの歳のころだったか。
親父は傷について
『これはひどく格好悪い傷だよ』
とだけ言っていた。
なにがどう格好悪いかを聞いたら笑って流していた気がする。
それから親父の傷については触れようと思わなかった。子供心に聞いてはいけないような気がしたからだ。
恐らくは戦場だかで逃げるときに斬り付けられでもしたのだろう。そんな格好悪い話を語りたくないのは当然である。
自慢できる武勇伝などなにもない。だから親父は傭兵時代のことをなにも語らないのだろう。
そんな親父を格好悪いとは思わない。じいさんとばあさんが死んで、それからは男手ひとつで俺を育ててくれた親父だ。俺が生まれてから今まで、楽しいことばかりではなかったはずだ。苦労やつらいこともあったろう。だが親父は一度として、俺の前でつらい顔や苦労を口にしたことはない。いつだって笑顔で、どんなときでもやさしく、叱ったあとは必ず俺を抱きしめて慰めの言葉をかけてくれた。そんな親父に俺は感謝しているし、立派だと尊敬もしている。
「うん? どうした? ずっとこっちを見て?」
「あ……いや……」
しかし憧れを持ったことはない。親父のような男になりたいとは思ったことがなかった。
「別に……傷跡すごいなって」
やはりまだ寝惚けているようだ。
俺は目の前の光景をそのまま口にしていた。
「……なにもすごくはないさ」
親父はちょっと顔を暗くしてそう呟く。
「これはひどく格好悪いんだ。それだけだよ」
「ああうん。ごめん」
「謝ることじゃないさ」
「うん。でもその背中の大きな傷は、痛かったろうね」
「まあね」
やはり傷については多くを語らない。
親父の言う通り、傷はひどく格好悪い理由でついたものなのだろう。
親父は身体を拭き終わると、俺に新しい布を渡して家の中へ戻って行く。
受け取った布で顔を拭きつつ、俺は思う。
俺はこのままでいいのだろうか?
このまま親父みたいに村で農作業をやって一生を終えるのか?
魔王討伐のパーティを追い出され、一度は農家を継ぐと決断した俺だが、どうにも心の中で燻っているものを感じる。
なんのために俺はティアと共に村を出て魔王討伐に向かったのだ? ティアに誘われたから? それとも人類を滅亡から救うため? それらもある。だがそれだけじゃない。
「俺は……」
親父みたいに平凡な人生は送りたくなかった。
だからティアと一緒に魔王討伐の旅へと出掛けたんだ。
そして自分の弱さを思い知った。パーティーを追い出されたことで、それが強烈に理解できた俺は自分の人生を諦めて親父の農家を継ぐ決心をつけたわけだが……。
「今の俺には以前と違って力がある」
魔人の能力。
発動すれば俺はティアよりも強い力を得ることができる。記憶にないので実感は薄いが。
いろいろあったので今さら魔王討伐に行こうとは考えない。しかしこの力を使って、自分の人生に大きな花を咲かせたいとは思っていた。
……
ファニーさんが朝食を用意してくれたので、俺は親父やナナちゃんとともにテーブルへつく。
パンをかじり、ニンジンのスープを飲み、ふかしたジャガイモを食べる。
このジャガイモは魔物の死体に埋もれた畑から昨日、ナナちゃんが回収したものだ。丁度、収穫の時期だったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
普段ならば収穫した農作物の半分以上は王都の商人へ売りに行くのだが、荒れたせいで穫れたジャガイモは潰れ物や傷物がほとんどになってしまった。
家で食う分には多少の潰れや傷物は気にせず調理して食べるが、売り物となるとそれらは等級が落ちて、最悪、買い取ってもらえなくなる。
まあだからと言って喫緊の問題になるということもない。食べ物が必要になれば収穫した農作物の備蓄があるし、それが無くなったら川に魚か、山に鹿か鳥でも獲りに行けばいい。狩猟は魔物に襲われる心配があるので少し不安だが。
食べ終わった俺は水を飲んで一息つく。
「そういえばにーにの母上がナナの姉ならば、ナナはにーにの叔母になるんじゃな」
「ああうん、そうだね」
「妹なのに叔母でもあるとは変じゃのー」
「ははっ、ほんとにねー」
「マオルドは魔王の娘の子だから、魔王はおじいちゃんになるのかな。魔王の元妻のファニーさんは義母になって……あれ? でも、ファニーさんは僕と再婚したからやっぱりマオルドの義母になって……」
「なんか複雑ですねー」
そんな雑談を家族でしつつ、今日はなにをして過ごそうか俺は考えていた。
しかし1日中、遊んでいるわけにもいくまい。
ティアのように薪用の木を取ってきたり、畑を耕したり、夕飯の魚を釣りに行ったりと、思いつく仕事もいくつかある。
「あ、今日、僕は王都に出掛けて来るから」
食事を終えた親父は不意にそう言う。
なんの用で出掛けるのか。それはなんとなく察することができた。
「ああ、ジャガイモを売りに行くのか。今回は傷物が多いけど……」
「うん。潰れてるのは売れないけど、傷物なら買ってくれるからね。帰ってくるのはたぶん明後日の昼頃になるかな」
この村から王都までは馬を急がせて半日くらいだ。のんびり行って途中で野宿をすれば1日。遠くはないが、近いとも言える距離ではなかった。
「まあどんなに遅くても1週間以内には帰って来るよ。もしもそれ以上経ったら……考えたくはないけど魔物に襲われたってこともあるから」
「魔物って……ライアスおじさんがいるから大丈夫だろ」
「ああうん、そうなんだけど……」
ライアスおじさんはティアの父親だ。娘のティアほどではないが剣の腕が立ち、数十人の盗賊や魔物をひとりで倒せるくらいに強い。
親父とは子供のころからの親友で、王都へ農作物を売りに行くときはいつも護衛として付いて行っている。
普段は農作業や狩りを生業にしているが、自警団にも所属しており、魔物が村に入れば真っ先にやってくるほど活気のある人だ。そういえばおとといの件ではここに来なかったが……。
「なにかあったのか?」
「うん。君が帰って来る少し前に村が魔物に襲われてね。それが結構な数で、なんとか撃退はできたんだけど自警団のほとんどが大なり小なり怪我をして活動が出来ない状態になったんだ」
そうだったのか。
どうりでおとといは自警団の誰も来なかったはずだ。
「全員の怪我をファニーさんが治癒してくれたけど、戦えるほど動けるようになるにはまだ時間がかかるらしい」
「ライアスおじさんも怪我を?」
「うん。右足にね。太ももから先が千切れかけたくらいの大怪我だったけど、ファニーさんの治癒でなんとかくっついて、最近ようやく歩けるようになったみたい」
「そっか。怪我は大変だけど、まあ無事でよかったよ」
ティアの家に行ったときに見かけなかったのは、部屋で寝ていたからか。ともかくおじさんが無事なのはよかった。
しかしそうなると親父ひとりで王都へ行くことになる。
それはやはり心配だった。
「俺が行こうか?」
「えっ? でも……」
「親父がひとりで言ったらファニーさんが心配するだろ」
「マオルドさん……」
なにも言わなかったが、ファニーさんはすごく不安そうな顔をしていた。親父のことが心配なのはこの人も同じなのだろう。愛し合っているのだから当然だ。
「大丈夫だよ。ティアも連れて行くからさ。それに、いざとなれば俺には魔人の能力があるんだ。魔物や盗賊なんて怖くないさ」
「けど君の能力は……」
「わしも行くのじゃ」
隣でナナちゃんが俺を見上げながらそう言った。
「あ、うん……そうだね。ナナちゃんも一緒に行こうか」
しばし迷ったが、ナナちゃんは魔人に狙われている身だ。俺と一緒に行動したほうが安全だろう。
「うむ。ナナがおらんと『ガーディアン』は発動せんかもしれんしの」
「そうかな。やっぱり」
ナナちゃんを守るために発動した能力だ。
他の誰かで発動するかは……。
いや、以前にも似たような経験があったような気がする。
あれはいつだったかな……。
「じゃあ……頼めるかな」
「うん。親父は家の仕事を頼むよ」
そういうわけで、俺がする仕事は王都へジャガイモを売りに行くこととなった。
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