第26話 ロクナーゼの思惑

 ――一方そのころ、ロクナーゼの住む神界では……。


「あーあの女ムカつくー!」


 雲で作られた真っ白なふわふわのイスに足を投げ出して座っている女は大きな声で毒づく。


 ふわりと柔らかい金髪に、あどけない顔の少女。白い肌の身体に白いワンピースを纏わせた彼女こそが女神ロクナーゼである。


 ここは神界と名付けられた人間世界とは別の場所。

 女神ロクナーゼが居住する、人間のいない世界である。


 天気は自在。気温も自在。食べるものも自在に作れる。

 すべてがロクナーゼの赴くままなのだ。この世界は。


 そしてここは空しかない。

 青い空に浮かぶ広大な雲の上で、ロクナーゼはくつろいでいた。


「でも人間って女神様が作ったんじゃないっすか?」


 ロクナーゼの言葉に対し、疑問を声にしたのは背中に白い翼が生えた若い男だ。

 名はダキ。顔は彫りが深く、身体は細くひょろ長い。短い金髪は毛先がくるりと反り返っており、整えていないのであちこちに寝癖が立っている。


 ダキは跪いてロクナーゼの話を聞いていた。


「最初の人間はねー。そっからの繁殖は人間任せよー」


 アークアーモンと違い、女神ロクナーゼは滅多に生物を作らない。直接、作り出しても生物の創造が苦手なロクナーゼの血からは凡庸で弱い生物しかできないからだ。


「たまーにあの女みたいな強力な個体ができるんよねー。そいつらに魔王を倒させようとすんだけど、いつも失敗。今回は血をいっぱい使って剣まで作って気合を入れたってのに、あのゴミクズ女……ああっ! むかつくーっ!」


 怒りに固めた拳を雲の上に振り下ろす。

 音は無く、衝撃は雲の柔らかさに吸い込まれていった。


「それで、どうするんすか? 剣を取り戻すんすか?」

「とーぜん。あんな痛い思いして作った剣だもん、絶対に取り返すよー」

「けどその女、むちゃんこ強いんすよね? どうやって取り返すんすか?」

「私が直接、行ければ好きにできるんだけどねー。制約がねぇ……」


 人間の世界もここと同じくロクナーゼの作った世界だ。この世界を神の力で自在に操れるように、人間の世界も神の力で自由にできる。

 しかしそれには神が直接、神の肉体で降臨する必要があり、依り代では不可能だ。

 神には制約がある。生物が自らの力で繁殖繁栄する世界には神が居住、直接の身体で行くことはならないという制約が。

 神の役割とは生物を生み出し、それを見守ること。過剰に干渉することは禁じられているのだ。特に本体を降臨させることは固く強く禁じられている。

 いくつか軽い制約を破っているロクナーゼだが、これだけはさすがに破ることを恐れている厳しい決まりなのだ。


「やっぱ裏技を使うしかないかー」

「裏技……? はっ! もしかして俺に行けって言うんじゃないっすよね? 嫌っすよ俺っ! 俺には無理っすから!」


 剣の奪取を命令されると思ったダキは、慌てて拒否する。


「馬っ鹿、お前になんか期待してないしー。お前は飛べるだけで頭も身体も人間より弱いもん。お前が無理なのは作った私が一番にわかってるしー」

「そ、そうっすか……ほっ」


 それを聞いてダキは胸を撫で下ろす。


「……てか前から思ってたんすけど、俺ってなんのために作られたんすか? 生まれてからなんの仕事も任されたことないんすけど」


 ダキは日々、こうしてロクナーゼの話を聞くだけだ。なにか仕事を言いつけられたことは一度としてないゆえ、自分の存在に疑問を持っていた。


「作ったっていうかー、そこに痰を吐いたらお前ができたの」


 ロクナーゼは懐から煙草を取り出し、指を燃やして火をつける。


「煙草吸うと痰が絡んでさー。ぷはー……がはは」

「ええ……。俺って、痰から出来てたんすか……。なんかショックってか、いやマジでショックなんすけど……。あ、ダキって名前はそういう意味で……」


 あまりにひどい自らの出生を知ったダキは俯いて落ち込む。


「でも痰から生物ができたのはお前が最初で最後なんだよねー。かーっ! ぺっ!」


 ロクナーゼは雲の上へ痰を吐く。

 しかしそれが生物になることはなく、雲に吸い込まれていった。


「がはは! お前の弟か妹だよー」

「うう……。事実でもひどいっすよ。そういう言い方……」

「うっせー。お前のことなんかどうだっていいんだよ。それよりもあの女に渡した剣を取り戻す方法だけどさー。やっぱ裏技しかないと思うんだよねー」

「は、はあ。てかその裏技ってなんなんすか?」

「ぷはー……」


 空を仰いでロクナーゼは煙を吐く。


「他の神が作った世界から強力な生物をこっちへ連れてくる」

「……それいいんすか?」

「いいわけないじゃん。むっちゃ制約違反。まあ、向こうの神と話つければ、上のうるさい連中にばれることは滅多にないし、だいじょぶだいじょぶ。ぷはー」

「てか煙草やめてくださいよー。そこらのおっさんじゃないんすから」


 臭いに顔をしかめつつ、ダキは手で煙を払う。


「うっせ。煙草はお前のパパだぞ。がはは。つーか痰のくせに私に説教すんな。ぷはー」


 自分の吐いた痰に説教されるレベルに素行の悪い神である。


「でもその強力な生物が素直にこっちへ来てくれますかね? 向こうでの生活もあるでしょうし、嫌がるんじゃないすか?」

「殺して魂だけにしたらいいじゃん。そしたら元の生活には戻れないからこっちの言うこと聞くっしょ」

「ええ……」


 悪びれる様子も無く当然のように言ってのけたロクナーゼに、ダキは戦慄して言葉を失う。


「ぶっさいくだったら都合いいんだけどなー。こっちで美形に転生させてやるって言えば喜んで私の言うこと聞くぜー。がはは」

「殺すって……肉体を失くして魂だけになったら強さも失うのでは?」

「そこよ」


 短くなった煙草をポイ捨てロクナーゼは言う。


「魂だけになると生前に持っていたものはぜんぶリセットされんの。強さもぜんぶ失ってまっさらにね。魂は上が作ったものだから、この性質を私の力で変えることはできない」

「じゃあダメじゃないすか」

「まあ聞け」


 ロクナーゼは悪辣な笑みを浮かべる。


「上に知り合いがいる。今は真面目にやってるみたいだけど、昔はかなりの悪でね。他の神が作った平和な世界を私と一緒に滅ぼしてやったりしたもんさ」

「クズっすね」

「なんか言った?」

「いーえ」


 顔を背けるダキを見下ろし、ロクナーゼはフンと鼻を鳴らす。


「本当だったら上へ行けるような奴じゃないんだけどね。昔の悪事をぜんぶ私が被って上に押し上げてやったんよ。なんでそんなことしたかわかる?」

「なんでっすか?」

「こういうときのためよ。上に知り合いがいれば都合がいいっしょ」

「ロクナーゼ様が上に行こうとは考えなかったんすか?」

「馬鹿だねー。上は忙しいし、素行に厳しいんだよ。だったら下にいたほうが自由で楽しいじゃん。酒も煙草もできるしさ。がははっ」


 なんでこんなのが神なんだろう。


 ダキは純粋にそう思った。


「まあつまりはよ、その知り合いに頼んで魂の性質を変えてもらうのさ。そんで強さを保持した魂をこっちに持ってきて『勇者よ、悪い女から剣を取り戻して魔王を倒すのです』とか言えば万事解決よー。がははっ。私って頭良いー。がははっ」


 2本目の煙草に火をつけて吸いながらロクナーゼは笑う。


 頭が良いというより、ただただ下衆い。ほとんどチンピラである。


「待ってろよクソ女ぁ。私をコケにしたことを後悔させてやるからなー。神を怒らせると怖いんだぞー。天罰じゃー! がははっ!」


 高らかに笑うロクナーゼを、ダキは冷めた目で見つめていた。







 のどかな村に住む少年マオルドと、ちょっとあぶない幼馴染ティア。

 これから起こる災難を彼らはまだ知らない。

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