第9話 魔人能力『キラー』発動

 なんだ? わからない。

 ただ、なにかができそうな……そんな気がした。


「ドラゴドーラ……」

「うん? ああ、お前も殺してあげますよ。父親の凄惨な死を見せたあとで、ひひ」

「貴様……っ」


 怒りが頂点に達する。

 感情に任せてふたたび殴りかかろうとした。――そのとき、こちらへ近づいてくる馬の駆ける足音を聞き、ハッと我に返る。


「マオ兄さんっ!」

「あの声は……」


 聞き間違えるわけはない。ティアだ。


 ティアの乗った馬が俺の目に映った。


「ティアっ!」

「マオ兄さんっ! やっぱり村に……っ」


 走る馬から飛び降りたティアが、飛竜を横切ってそのまま俺に抱きつく。


「戻ってたんだっ! よかったっ!」

「ティア……どうして村に戻ってきたんだ?」

「それはこっちのセリフだよ。マオ兄さんが一緒でなければ私は勇者なんてやらない。マオ兄さんが村に戻るなら、私も戻るの」


 ただっこのようなことを言うティアの頭を撫でる。


 ……俺がいなくても、ティアは立派に魔王討伐をやり遂げるだろうという俺の考えはどうやら間違っていたようだ。


「ティア、お前とはいろいろと話さなければならないみたいだけど、今は……」

「わかってる」


 ティアが俺から離れる。


「飛竜に乗っていたのはあの男か。なら、あとはあの男を殺せばいいんだね」

「なに……?」


 あとは。その言葉に引っ掛かりを感じたのか、ドラゴドーラの眉がひそむ。

 ……と、それとほぼ同時に飛竜の長い首が中心から切れて地面に落ちた。


「これはティアが……いつの間に?」


 馬を離れて俺のところへ来るあいだにか? その瞬間しか考えられない。

 なにも見えなかった。さすがだ。


「よくも私の移動手段を始末してくれましたね。許しませんよ」

「構わないよ。これから殺す奴に許してもらおうなんて思わないし」


 勇ましく言い放つティアの肩を俺は掴む。


「あれは魔王の息子だ。今までの奴とは違うぞ。大丈夫か?」

「私たちは魔王を倒すために旅をしてたんだよ。その息子なんてちょろいよ」


 ティアはそう自信たっぷりに言うが、俺は心配だった。


「あぶなくなったら逃げろ。お前まで死ぬことはない」

「心配しないで。絶対に勝つから。それに、マオ兄さんが死ぬなら私も死ぬ。いつも一緒だからね」

「ティア……」


 友人想いな奴だ。


 俺はティアの友情に目頭を熱くする。


「ロクナーゼの作ったできそこないの生物にしては腕が立つようですねぇ。しかし所詮はできそこないの下等生物。我々のような上等には敵いませんよ」

「……?」


 俺はドラゴドーラの言葉に違和感を感じた。


 ロクナーゼは確か女神の名前だったか。

 だが女神の作ったできそこないの下等生物とはどういう意味だ? 魔人も女神ロクナーゼが作った生物じゃないのか?


「ふん。なにが上等さ。偉そうに。人型の魔物なんて他よりはちょっと強いってだけでしょ。魔物なんか1000や2000を相手にしたってたいしたことないし、お前の程度も知れるね」

「ひひ……その考えは後悔しますよ」

「しないね」


 踏み込んだティアが一瞬で間合いを詰め、薙がれた剣をドラゴドーラの剣が弾く。


「軽いですねぇ。この程度で私を殺せるとでも?」

「むう……」


 下がりつつティアは唸る。


 並外れた怪力を持つティアの一撃をああも軽く受け流すとは。

 改めて恐ろしい男だと思った。


「思ったより強い。瞬殺するつもりが、傷をつけるだけで精一杯だったよ」

「傷……ですって? はっ!?」


 ドラゴドーラが自分の頬を撫でる。そこにはわずかだが斬られた傷があった。


「……なるほど。たいした素早さです。しかし、よくも私の顔を傷つけてくれましたねぇ。下等生物の分際で……ひっひっひ」


 左手で顔面を覆い、ドラゴドーラは不気味に笑う。


「む……まずいのう」


 不意にナナちゃんがそう呟く。


「そこ女っ! 死にたくなければ逃げるんじゃっ!」

「なに? なんで? つーか誰お前?」

「誰でもよいっ! ドド兄様が能力を出す前に早く……」

「黙りなさい。ナウルナーラ」


 指の隙間からドラゴドーラがナナちゃんを睨む。


「今から逃げ出そうと手遅れです。私はもう……この下等生物を殺したい」

「な、なんだ……」


 殺気というのだろうか。

 それがドラゴドーラの全身から溢れ出しているような、そんな嫌な感じがした。


「あれはドド兄様の能力『キラー』じゃ! 相手への殺意が高まるほど素早さが無限に増すのじゃっ!」

「な、なんだってっ!? なんだ……それは……」


 無限に素早さが増す? あり得るのかそんなことが……。


「ひひひ……殺す殺す殺すっ! ぶっ殺すぞ下等生物っ!」

「はっ!? まずいっ! 逃げろティアっ!」


 先ほどまでとは明らかに様子が違うドラゴドーラを危険と悟った俺は叫んだ。


 あれはまずい。


 ナナちゃんの様子からも、あれは絶対に危険だと思った。


「逃がさねえよっ!」

「逃げる気なんて……うあっ!?」


 ――消えた。

 そこにいたドラゴドーラの姿が一瞬で移動し、右手の剣がティアの身体を斜めに切り裂く。


「ティアっ!」


 鉄の鎧が布のように断ち斬られ、その隙間から鮮血が吹き出す。


 あのティアがまったく反応できずに無防備で斬られた。


 まったく見えなかった。

 速いなんてものじゃない。もはやあれは瞬間移動であった。


「ぐ……あっ……馬鹿な……」


 仰向けに倒れたティアをドラゴドーラが見下ろす。


「ほお、真っ二つにしてやったつもりだが、寸前でうしろに跳んでそれは避けたか。しかしそれじゃあもう動けねぇ。死ぬのが少し遅くなっただけだ」

「く、くそ……」

「死ね」


 ドラゴドーラの剣が降り上がる。


「ま……っ」

「待つのじゃ兄様」


 俺の言葉を遮って幼い声が静かに言う。

 見ると、自分の首にナイフの切っ先を向けたナナちゃんがそこにいた。


「なんの……つもりですか? ナウルナーラ」


 剣を降ろしたドラゴドーラがナナちゃんを睨む。

 殺気は消え、先ほどまでの落ち着いた様子に戻っていた。


「兄様が父上から与えられた任務はナナを連れ戻すことじゃろう。これ以上、ここいる誰かを殺傷するならば、ナナはこの場で自分の命を絶つ」


 そう、8歳の女の子とは思えないほどに堂々と言ってのけるナナちゃんだが、しかしナイフを持つ手は震えていた。

 当然だ。例え振りでも、8歳の女の子ができることではない。


「ナナっ! 馬鹿なことはやめなさいっ!」

「ナナちゃんっ! そんなあぶないものは捨ててっ!」


 親父とファニーさんが制止の声を叫ぶ。

 しかしナナちゃんはやめない。震える手は少しも下がりはせず、ナイフの切っ先を喉元に当てていた。


「私を脅すつもりですか?」

「脅しではない。ナナは本気じゃ」

「ひひ、そんなに手を震わせては説得力に欠けますねぇ」

「……」


 いや、脅しではない。ナナちゃんは本気だ。しかし心は覚悟しても、身体は死を怖がっている。だから震えてしまうのだろう。


 あんな小さな女の子が決死の覚悟で俺たちを助けようとしてくれている。

 それなのに大人で男の俺はここで立って事の成り行きをただ眺めているだけだ。


 ナナちゃんの代わりに俺が死んでみんなが助かるならどんなにいいだろう。だが俺の命では誰も助けることはできない。


 無力。役立たず。それが俺。


 誰でもいい。俺に皆を救う力を俺に与えてほしい。


 俺はそれを心の底から願った。


「ならば死ねばよろしい。ナウルナーラ」

「な、なんじゃと? わしが死んで任務失敗となれば父上はお怒りに……」

「死んでいたと報告すればよいでしょう。なに、子など死んでもまた作ればよいこと。生きているならば回収せよと、これはその程度の任務なのですよ。下等生物とハーフであるお前の命がそれほど重いはずがないでしょう」

「むう……」


 ナナちゃんの手からナイフが落ちる。


「気が変わりました。ここにいる全員を殺してしまいましょう」


 そう宣言したドラゴドーラの右腕が光る。その腕を地面へと突き刺す。


「下等生物ごときの血で私が汚れる必要はありません。あなたたちを殺すならばこれで十分です」

「な、なんだ……?」


 地面が揺れる。

 やがて大地が避け、トカゲのような鱗に覆われた巨大な手がそこから伸びた。


「ぐおおぁぁぁっ!」


 大地の裂け目から這い上がって現れたのは俺の家よりも大きな竜の魔物。俺はその姿に見覚えがあった。


「ナナちゃんが地面に描いた絵の生き物に似ている……」


 ならばあれは魔界に住む魔物か。


「まずはナウルナーラから殺しなさい。兄を脅した罰です」

「あ……」


 退くナナちゃんに竜が迫る。


 助けなければ。

 俺が。どうやって……?


 鋭利な爪を生やした竜の手がナナちゃんに迫る。


 ナナちゃんが殺されてしまう。俺の義妹が殺される。

 大切な人が……殺される。


 意識が急激に遠くなっていく。


 気を失うのか? こんなときに……。


 ほどなくして俺の意識は途切れた。

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