第6話 マオ兄さんと私
――マオ兄さんは弱くない。
かつては……子供のころは強かった。私よりもずっと強く、とてもやさしい。それがマオ兄さん。
あれはマオ兄さんが8つで私が6つのころだったか。あのころの私はいつもマオ兄さんについて歩き、いろいろ困らせていたと思う。それでもマオ兄さんは決して嫌がらず、私といつも遊んでくれていた。
……
「――マオ兄ちゃんこっちっ! こっちだよ早くっ!」
村を出て、森の中を私は走る。
そのうしろをマオ兄ちゃんが慌てた様子で追って来ていた。
「ティア! ダメだよ待ってっ! この森は魔物とか住んでて危ないんだってっ! 奥へは行っちゃダメだよっ!」
「マオ兄ちゃんは怖がりだなー。大丈夫だって。魔物が出たって走って逃げればいいんだもん。それよりも早く来てっ。こっちに女神の像があるんだってっ」
村に来た旅人が話していた。
この森の奥には女神の像があるらしい。
私はそれに興味を持って、見に行きたいと親に頼んだ。
もちろんダメと言われた。森には魔物がいるからと。
それでも私は像が見たくて、マオ兄ちゃんに頼んだ。
しかしマオ兄ちゃんも危ないからダメと言う。だったらひとりで行くと言って駆けだすと、マオ兄ちゃんは慌てて追って来たのだ。
「ダメだってティアっ! あぶないからっ! 戻ろうよっ!」
「えへへ。マオ兄ちゃん足遅いなー。早く早くっ」
私は女の子でマオ兄ちゃんよりも歳は2つ下だったけど、体力はずっとあった。理由はわからない。体力が高いのは生まれつきだった。
「はあ……はあ……ま、待ってよ。もう走れないって……」
「もうすぐだよっ! 頑張ってっ!」
倒れそうになりながらも、マオ兄ちゃんはなんとかついて来ていた。
やがて目的地に着く。
あとから着いたマオ兄ちゃんが私の隣で倒れた。
「大丈夫?」
「ぜえ……はあ……もう動けない」
「男のくせにだらしないなぁ。ほら見て、あそこに像があるよっ」
森の開けた場所の中心に古ぼけた女神像が立っている。
「あははっ! きったない女神像ーっ! ぼろぼろーっ」
「女神様の像をそんな風に言っちゃダメだよ……はあ」
「だって本当に汚いんだもん。誰が作ったんだろうねー」
「ぜえ……はあ、もういいだろう。魔物が出たら大変だからもう帰ろう」
マオ兄ちゃんは立ち上がって私の肩を掴む。
「大丈夫だって走って逃げればいいもん」
「ティアは逃げれても俺は足が遅いから捕まっちゃうよ」
「そしたら私が魔物を倒してあげる。私、強いもん」
体力には自信がある。男の子と喧嘩をしたって負けたことが無い。魔物だって倒せると思っていた。
「わかったから。もう帰ろう」
「うん。もう女神像見たから帰る」
ホッとしたような表情のマオ兄ちゃんと共に来た道を引き返そうとする。……森の木が激しく揺れたのはそのときだ。
這いずるような音が背後から迫っていた。
振り返った私の目に映ったのは、巨大なナメクジのような魔物。私が住んでいる家くらいは大きいのではないか。そんな怪物がこちらを目掛けて這いずって来ていた。
「に、逃げなきゃ……」
しかし私の足は竦んでしまって動かない。
ペタンと草の上に尻をついた私の目の前に、マオ兄ちゃんが背を向けて立った。
「ティア、走れる?」
「ダメ……。足が動かないの」
怖い。怖くて足が震えて立つことすらできない。
マオ兄ちゃんも震えている。だけどしっかりと立って、私の前にいた。
怖がりのマオ兄ちゃんがどうして?
喧嘩だってしない。他の男の子からいつも弱虫と馬鹿にされている。
そんなマオ兄ちゃんが魔物に立ち向かっている姿は不思議でしかたなかった。
「マオ兄ちゃん、こ、怖くないの?」
「怖いよ。怖いけど、ティアを置いて逃げるわけにいかないだろ。俺は男だから……ティアよりも兄ちゃんだから、守ってやるしかないんだよ」
「マオ兄ちゃん……」
私よりも弱いと侮っていたマオ兄ちゃんが今は頼もしく見える。
しかし目の前の魔物は強大だ。とても子供が倒せるようなものではない。
「ティア、立つんだ。がんばって」
「う、うん」
私はマオ兄ちゃんの手を借りてなんとか立ち上がる。
「走れるか?」
「が、がんばる」
「がんばれ。行くぞっ!」
マオ兄ちゃんに手を引かれ、私は走り出す。
魔物は当然、追ってくる。気味の悪い咆哮を上げながら、ナメクジのような外見からは想像もできない速さで追って来た。
「マオ兄ちゃんっ! 追いつかれちゃうっ!」
「がんばれっ! お前は俺よりもずっと足が速いんだっ! がんばれっ!」
「うううわああああっ!」
言われて私は目を瞑り、足を動かすことだけに集中する。
気が付けばマオ兄ちゃんを追い抜かし、私が手を引く形になっていた。
「あっ!?」
目を閉じていた私は木の根っこに足を取られて転んでしまう。
手を繋いでいたマオ兄ちゃんも一緒に倒れた。
「いたた……大丈夫か? ティア?」
「う、うん……あ……」
大きな影が私たちを覆う。
見上げると、もう寸前まで魔物が迫っていた。
「あ、ああ……もうダメ……マオ兄ちゃん……」
「……」
マオ兄ちゃんが無言で立ち上がる。
涎に塗れた魔物の大きな口がこちらにせまっていた。
……ここから私の記憶は無い。
たぶんあまりの恐ろしさに気絶をしてしまったんだと思う。
気が付けば私は村の入口で眠っており、隣ではマオ兄ちゃんが倒れていた。
「マオ兄ちゃん……?」
「うっ……」
よかった生きている。
見たところ怪我も無い。
しかしあれからどうなったのだろう? なにも覚えていない。
「あれ?」
マオ兄ちゃんの手や身体が紫色に濡れている。
まるでなにかを浴びたように……。
これは魔物の血だ。魔物の血が紫色だと聞いたことがある。
「マオ兄ちゃんがあの魔物を倒したんだ」
どうやってかはわからない。
しかし私にはそうとしか考えらなかった。
……私が勇者として女神を自称するなにかに剣をもらったのはそれから5年後のことだ。
あれはなんてことのない普通の日だった。意外なことなどなにも起こらない。そう思えるほど、ごく普通の日常であった。
……
子供のころよりもずっと体力がついた私は剣士となり、村の近くに巣食っている魔物を退治して小遣いを稼いだりしていた。
戦いが好きじゃないマオ兄さんはお父さんを手伝って畑を耕したりしている。魔物退治よりも、それを手伝うほうが私はずっと楽しかった。農作業が好きなわけじゃない。マオ兄さんが好きなのだ。
畑を半分ほど耕し終えたマオ兄さんが作業の手を止める。
「ちょっと休憩しようか?」
「私はまだ疲れてないよ」
隣の畑を一面すべて耕した私は息ひとつ切らしていない声で言葉を返す。
「ティアはそうでも俺は疲れたよ。こんな広い畑をひとりで一気に耕すなんて普通は無理だから」
「そうかな」
私は鍬をぐるりと回して空高くへ放り投げ、落ちてきたそれを軽々と手に掴んだ。
「あぶないだろ、そんなことしちゃ」
「大丈夫だよ。これよりずっと重い武器とか魔物を持ち上げたり投げたりしてるしさ」
「それでも危険なことをわざわざすることもない。お前は女なんだ。顔に怪我でもしたら大変だろう」
「まあそっか……」
叱られて私はしゅんとうなだれる。
男勝りな私を女として扱ってくれるのはマオ兄さんくらいだ。
それが嬉しくて、叱られたのに笑みがこぼれてしまう。
「ティアは綺麗な顔をしてるんだからさ。もっと女らしくしたほうがいいと思うぞ」
「き、綺麗? 私が?」
「ああ。みんなお前が怒ると思って言わないけどさ、ティアはすごく美人だよ。少なくとも村では一番だな。絶対に」
「はう……」
美人だなんて、他の奴に言われたら気持ち悪くて間違いなくぶん殴ってる。
大好きなマオ兄さんに言われたから、こうして柄にもなく頬を熱くしてしまうのだ。
「私より強い人がいれば、女らしくいられるんだけどなぁ」
「お前より強い奴なんてそうそういないだろうな」
「……いるよ」
マオ兄さんをじっと見つめる。
「マオ兄さんは本気を出せば私より強いでしょ。知ってるよ」
「あははっ、そんなわけないだろう。お前は凶暴な魔物を何匹もひとりで倒せるほどに強いけど、俺は作物を狙って畑に入ったサルを1匹追い払うだけでも苦労するんだ。本気を出したってお前の強さの足元にも及ばないよ」
「嘘。だって、子供のときに大きなナメクジの魔物を倒したじゃない」
「あれは俺じゃないって。俺も気を失ったみたいで覚えてないけど、たぶん通りがかった誰かが助けてくれて、俺たちを村まで運んでくれたんだよ」
この話をするとマオ兄さんはいつもこう言って否定する。私も気を失っていてあのときの記憶は無いので自分の考えを強く肯定することができない。けれど私は信じている。あのとき私を守ってくれたのはマオ兄さんだと。
「やあ、ずいぶんと畑を耕せたようだね」
マオ兄さんの父、ヘイカーおじさんが家から出てくる。
「親父も手伝えよな。俺たちばかりに任せていないでさ」
「ははっ、ごめんごめん。ティアちゃんが来てくれるとどうもサボっちゃってね」
申し訳なさそうな表情でおじさんは畑に足を踏み入れ、マオ兄さんの手からから鍬を受け取る。
「いっそティアちゃんがマオルドと結婚して嫁にでも来てくれればもっと楽ができるんだけどなぁ」
おじさんの言葉に私の胸がドキリと高鳴る。
それから私の目は自然とマオ兄さんを見ていた。
「馬鹿言ってんなよ。ティアはすごく強い剣士なんだぞ。俺と結婚して畑を耕すだけになるなんてもったいないよ。なあティア?」
「ううん。私、畑を耕すの好きだよ。小遣い稼ぎの剣士なんてすぐにやめたって構わないし。だから安心して」
「あ、安心?」
マオ兄さんはきょとんと私を見る。
鈍感なのだ。
「はははっ、よかったじゃないかマオルド。ティアちゃんが嫁ならパパは大歓迎だぞ。さて、あとは若い2人に任せて年寄りは昼寝でも……」
「うまいこと言ってサボろうとするな」
家に戻ろうとするところをマオお兄さんに捕まったおじさんはしぶしぶといった様子で畑を耕し始めた。
「あ、マオ兄さん、明日ちょっと仕事を手伝ってほしいんだけどいいかな?」
「うん? ああ。もちろんいいよ」
皮袋に入った水を飲みながらマオ兄さんは答える。
「ふう……それで、俺はなにをすればいいんだ?」
「簡単なことだよ。荷物運び」
「荷物運びか。そうだな。難しくない」
「うん。お礼に今度、王都でなんでも奢ってあげるから」
お礼と言いつつ、私がマオ兄さんと出掛けたいだけだ。
仕事と王都での奢りで2回もマオ兄さんとお出掛けができる。
嬉しい私の顔は自然と綻んでいた。
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