第4話 魔王の娘

 クマの絵を描く。


 簡単に描いたのでリアリティは無い。


「どう?」

「下手じゃ」


 厳しい評価である。


「でもやさしい絵じゃな。わしは好きじゃぞ」

「そう? ありがとう」


 やさしいのだろうか? まあなんでもいいか。


「ナナも描く」


 小枝を渡すとナナちゃんも絵を描き始める。


 なんの絵だろう?


 生き物のようだが、よくわからなかった。


「できたのじゃ」

「これは……なんの絵?」


 竜の魔物かな? なんかおどろおどろしい外見だ。


「前に住んでた家の近くにいっぱいいた生き物じゃ」

「魔物?」

「うむ」


 ティアと共にずいぶんと世界を旅したが、こんな魔物は見たことがない。まあ子供の書いた絵だし、あまり正確ではないだけかも。


「前はどこに住んでたの?」

「あっちのほうじゃ」


 北のほうを指差す。


 ここから北じゃ王都とは違うか。しかし目立った町や村があった記憶も無い。別の国から来たんだろうか。たぶんそうなのだろう。


「ここは小さな村だからなにもなくて退屈じゃない?」

「前よりはましじゃ」


 ナナちゃんは地面を掘り掘りと絵を描きながら答える。


「ここもまあ退屈じゃが、それだけじゃ。前の家みたいに母上が泣いていたりはせん。ここへ来てからはいつも笑顔で楽しそうじゃ」

「そうなんだ」

「うむ。他の母親が一番若い母上をいじめるんじゃ。父上もそれを庇ってはくれんしの。兄弟姉妹はナナをいじめるしで本当にひどい家じゃった」

「辛い思いをしてきたんだね」


 ナナちゃんはの頭をポンポンと撫でてあげる。


 こんなに小さな子がかわいそうに。この子の辛さにくらべたら、パーティを追い出された俺の辛さなど些細なものだ。

 これからは俺が側にいて、この子をしあわせにしてあげよう。


 暗い思い出など忘れるくらい、遊んで楽しい思いをさせてあげようと思った。


「お絵描き楽しい?」

「うむ。楽しい」


 とは言うが、表情が無く楽しそうには見えない。大人びた子だし、気を遣って楽しいと言っているだけなのかも。


「よしじゃあ、今度は肩車をしてあげようか?」

「肩車? うん。乗るのじゃ」

「じゃあおいで」


 屈んだ状態のまま首を前に出す。その上をナナちゃんが跨ぎ、俺は小さな足を掴んで立ち上がった。


「おお、高いのじゃ」


 嬉しそうな声を上げたナナちゃんを乗せ、俺は歩き出す。


 あんまり遠くへ行くとファニーさんが心配するだろう。

 なので畑の周りをぐるりと歩くだけにした。


 頭にがっしりと掴まるナナちゃんを連れ、俺は畑の横を歩く。

 暖かい季節だから、畑の作物がよく育っていた。


「にーには今までどこを旅していたのじゃ?」

「うん? まあ、いろんなところかな。南へ行ったり東へ行ったり、魔物の被害に遭っている国があればそこへ行っていたよ」


「魔物退治の旅をして人々を助けていたんじゃな」

「まあそうかな」


 他のみんなにくらべて俺はあまり活躍をできていなかったけれど。


「魔物退治の旅はもうしないのかの?」

「うん。もう戦士は廃業して、これからはここで畑を耕して暮らしていくことにしたよ」

「ふむ。それがいいじゃろう。そのほうがヘイカーパパも安心じゃ」


 親父はヘイカーパパと、そんな風に呼ばれているのか。


「親父はどう? やさしいかな?」

「うむ。父上よりもずっとやさしいのじゃ。いつもニコニコしていて母上にもやさしいし、ナナと遊んでくれるしの。大好きじゃ」

「そっか」


 ずいぶんと好かれているようで安心する。


「本当の父上はぜんぜん遊んでくれなかった。それどころか話をしたことも、会うことすらも滅多になかったのう」

「そうなの? 忙しいお父さんなんだね」


 とは言え、自分の子供と会うことすら滅多に無いほど忙しいなどあり得るのだろうか? うちの親父は農家なので、俺が子供時分はいつも側にいて、仕事の合間や終わったあとは遊んでくれた。親というのはそういうものだと思っていたし、村の友達の親だって俺の親父と同じだった。


 会うことも話すことも滅多に無い親など、俺には想像できない。


「でも、お父さんは忙しくて構ってあげられないだけで、本当はナナちゃんと話したり遊んだりしたかったんじゃないかな?」

「それはないの」


 ナナちゃんは冷たい声でそう断言する。


「父上にとって妻は自分の子を作る道具で、子は自分の目的を達する道具に過ぎぬのじゃ。父上の目的に貢献できぬ不出来な娘であるナナなど眼中にすらないじゃろう」

「そんなこと……」

「あるんじゃよ。ヘイカーパパのようなやさしい父に育ててもらったにーににはわからんじゃろうけどもの」

「……」


 その通り。俺にはわからない。


 わからないから、これ以上、ナナちゃんの父親を擁護することはできなかった。


 ナナちゃんの父親とは一体どんな人なのだろう?

 気になるが、父親のことをあまり良く思っていないらしいナナちゃんに聞くのは悪いかもしれない。


「わしの父がどんな男か気になるかの?」

「えっ? あ……いや」


 鋭い子だ。


 俺の心は見透かされていた。


「にーにはやさしいのう。さすがはあのヘイカーパパの子じゃ」


 ナナちゃんが俺の頭を抱く。

「ナナの心を案じて父上のことを聞くのは躊躇ったのじゃろう?」

「ま、まあ……うん」


 そこまで知られてしまうとは、俺ってそんなにわかりやすいだろうか?


 しかし小さい子を、ましてや女の子の心を傷つけないように配慮するのは当然のことだ。やさしいなどと言われたら照れてしまう。


「やさしいは褒め過ぎだよ。普通のことだから」

「そんなことはない。にーによ。やさしさとは誰もが持っているものではない。母上がそう言っておった。にーには特別なんじゃよ」

「と、特別なんて。やっぱり褒め過ぎだよ。俺は普通なんだって」

「思惑も無く、ただ相手を思ってやさしくできる。それが普通にできるにーには特別にやさしい男なのじゃ」

「まいったな……」


 べた褒めである。


 パーティにいたころは役立たずだった俺がこんなに褒められるとは。嬉しいけど、やっぱり褒め過ぎだと思う。


「父上のことを教えるのは構わん」

「いやでも……」

「別に傷ついたりせんよ。そんな柔な人生は送ってきておらん」

「人生って……」


 8歳の子にこんなことを言わせる人生とは一体どんなものだったのか? この子の無邪気さを削ぎ落としたそれは、きっと楽しいものではなかったと思う。


「しかし聞けばナナのことを恐れるようになるかもしれん」

「まさか。そんなことあるわけないよ」


 こんなにかわいい子を恐れる理由などない。断言できる。


「ならばナナを殺そうと思うか」

「馬鹿なっ。なんてことを言うんだっ」


 思いも寄らないことを言われて俺はつい声を荒げる。


「たとえ君が自分を魔王の子供だと言ったとしたって、君を殺そうだなんて絶対に思わないよっ」

「えっ?」

「えっ?」


 思いがけず驚きの声を上げたナナちゃんに、俺も驚いてしまう。


「ど、どうしたの?」

「……いや、不意をつかれて驚いたのじゃ」

「不意を?」


 どういうことだろう?

 魔王なんかを例えに出したから驚いちゃったのかな。


「ごめんね。俺なんか変なこと言っちゃったかも」

「ううん。あの……にーに」


 ナナちゃんは言葉を詰まらせて黙ってしまう。


 悪いことしちゃったな。


 勇者と旅をしていた俺からすれば、ある意味、魔王は身近なものであったが、普通の人ならば忌諱する存在だ。ましてや子供ならば魔王と聞いただけで恐れて縮こまってしまってもおかしくはない。


「ナナちゃん、本当にごめん。もう魔王なんて怖いことは言わないから」

「いや、そうではないのじゃ」

「えっ? そ、そうなの?」


 では首の上でナナちゃんになにがあったのか?


 それを考えながら俺は畑の周りを歩く。


「ちょっと言いづらくなってしまったのう」

「ごめん」

「いや、にーには悪くないんじゃ。うむ。やはり親子じゃの。ヘイカーパパも同じよ

うなことを言っておった」

「親父がなにか言ってたの?」

「うむ。母上が父上のことを話そうとしたときの、ヘイカーパパが『たとえ君が魔王の元妻だったとしても、僕は君を愛し続けるよ』と言っておった」

「あの親父なにを馬鹿なことを……ああいや、俺も似たこと言ったんだった」


 恥ずかしい。


 親父と似ているのはいいが、指摘されるとちょっと恥ずかしかった。


「ファニーさん、親父にナナちゃんのお父さんのことを話したんだ」

「うむ。結婚をするならば隠すわけにもいかんことなのでな。ヘイカーパパを信じて話したのじゃ」

「隠すわけにいかないこと?」


 前の夫のことって話さなければいけないことなのかな? むしろ話さないほうがいいことのように俺は思うけど。


 しかしわざわざ話したならばその必要があるということなのだろう。


 ナナちゃんのお父さん。一体どんな人物なのか?


 もはや気になるというレベルを超え、聞くのが少し怖くなっていた。


「にーににも、話さねばいかんじゃろう」

「う、うん」


 ゴクリと唾を飲み込む。


「で、でも、話したくなければいいよ。俺も聞かないからさ」

「そういうわけにもいかんのじゃ。これから一緒に暮らしていくのに、これはどうしても知っておいてもらわねばならない重大な事実なのじゃからの」

「そ、そう。うん。わかった」


 親父も聞いたのだ。やはり俺も聞かねばならないか。

 しかし話を聞いた親父はファニーさんと仲が良い様子だった。意外とたいしたことではないのかもしれない。


 そう考えると少しだけ気が楽になった。


「あのの……わしの父上は……」


 ナナちゃんは俺の頭を抱いて小さな声で父親が何者かを話す。

 聞いた俺は、単純に驚いた。


「ま、魔王?」

「うむ」


 ナナちゃんは自分の父親をそうだと言った。


 冗談か?

 ……いや、この子は冗談など言う感じではないし、そもそもそういう雰囲気ではない。ならば本当なのか……?


「信じられないかの?」


 首の上からナナちゃんが尋ねてくる。


「あーいや……君が冗談を言っているとは思えないんだけど、話が突拍子も無さ過ぎてね。そうなんだって、簡単に話を受け入れるのは難しいかも」


 複雑な心境だ。


 ナナちゃんの言葉を信じたいという思いと、そんな馬鹿なと信じられない思いが俺の頭で絡み合っている。


 魔王。


 俺が想像するその存在の姿は恐ろしい怪物だ。

 噂では巨大な竜に似た姿をしていると言われ、そのあまりに恐ろしい外見を見た者の目は潰れてしまうと聞く。


 そんな怪物の娘がこんなに可愛らしい女の子だなんて……。

 信じるのは難しい。


「じゃあファニーさんとナナちゃんは魔物、ってこと?」

「いや、母上は人間じゃ。つまりナナはハーフじゃな。魔物とは父上の力で作られた動物のことじゃ。人間の姿をしている者は……魔人と呼ばれておる」

「魔人……」


 筋は通った話だ。作り話とは思えない。


「親父は信じたのかい?」

「うむ。驚いてはおったがの。信じておった。ヘイカーパパが言うには『愛する人の言葉は例え嘘でも信じるのが男』だそうじゃ」


 それは信じたと言えるのだろうか?


 まあ親父らしいが。


「ヘイカーパパは父上と真逆じゃ」

「そうなの?」

「うむ。ヘイカーパパはすごく優しい。自分のことよりも他人のしあわせを考えているあったかい人じゃ」


 自分の親父をそんな風に言われるとこそばゆい。

 良い親父だとは思うけど、そうまで言われるほど立派でも無いだろう。


「人が良いだけだよ。頼まれたら断れないし、困っている人がいたら助けずにはいられないんだ。そのせいでだいぶ損をしている」


 王都で傭兵をやっていたころは無償で人助けばかりをしていて、まったく儲けがなかったらしい。死んだじいちゃんからはそう聞いた。


「良い者が損をする。嫌なことじゃ」

「そういうもんさ」


 それをそれほど嫌なことと思わないのは親父に似たせいだろうか。

 得をするために誰かを助けるわけじゃない。そういう考えが俺の根底にあった。


「ナナの父上は他者を踏みつけて自分に奉仕をさせるような男じゃ。誰かを助けることなど考えない。助けなど求めればその者を弱者と断じて処刑をするじゃろう」

「そ、そうなの? でも、自分のお父さんをそんな悪く言っちゃダメだよ」

「事実を言っただけじゃ。悪くは言っておらん。それに、こういう父上をナナは悪いと思えんのじゃ。そういう風に教育をされておるからの」


 ナナちゃんは淡々と言う。


 この子はまだ8歳だというのに、感情の表現に乏しい。子供らしい無邪気さなどはほとんど無く、まるで大人のようである。


 ナナちゃんがこうなのは、その教育のせいであろうか。他者を踏みつけろ。他者を自分に奉仕させろなどと小さな子に教育する親など、ちょっと想像できない。


「にーにはきっと、自分よりも他者のしあわせを考える人間になれとヘイカーパパに教育されて育ったのじゃろうな」

「いや、その逆だよ」

「逆?」


 意外そうな声が頭上から聞こえる。



「人助けをするな。自分のことを最優先に考えて生きろ。親父はいつも俺にそう言っているよ。自分みたいにはなるなってね」

「……本当に良い人じゃな。ヘイカーパパは」

「うん。自分が人助けで損ばかりしているのを知っているからね。俺にはそうなってほしくはないんだろう」


 畑を一周し終わり、ナナちゃんを肩車から降ろす。

 こちらを見上げる幼い顔に表情は無いが、どこか笑っているような気もした。


「ふう……疲れたな。少し休んでもいいかな?」

「長旅で疲れておるんじゃろう? 存分に休むとよい」

「ありがとう。少し眠らせてもらうよ」


 まるで王様のような言葉遣いで言うナナちゃんの手を引き、俺は家へ戻る。イチャついている親父とファニーさんにナナちゃんを預け、俺は懐かしの自室へと入った。


「俺が出て行ったときのままだな」


 親父かもしくはファニーさんが掃除をしてくれていたのだろう。蜘蛛の巣などは張っていなく、埃も無かった。


 綺麗なベッドに寝転がり、俺は目を瞑る。


「……あれからもう1週間か」


 ティアたちはどうしているだろうか? もう次の目的地についているかな?

 そういえばティアとこんなに長く会わないのは初めてかもしれない。子供のころからいつも一緒だったから。


 しかしあいつももう子供じゃない。俺がいなくても立派に魔王討伐を成し遂げて、いずれここへ帰ってくるだろう。


 ……それを考えてふと思う。


「魔王か……」


 ナナちゃんの父親。

 それが本当だとしたら、俺は義妹の父親が自分の幼馴染に殺されることを願っていることになる。


「あの子の父親が魔王だなんて、やっぱり信じられないけど……複雑だな」


 心がモヤモヤする。

 どうも眠気で頭が物事をうまく考えてくれない。


 ……眠い。


 考えるのは起きてからにしよう。


 ほどなくして俺は寝入る。

 どれくらい眠っていたのかはわからないが、次に俺が目覚めたのは部屋の外からなにやら魔物か動物らしい叫びが聞こえたときである。

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