星渡しの船
時々、川へ行く。
日本の川は外国のそれよりも流れが速いと聞くが、私はこの川のゆったりとした流れ方が好きだ。
自分で言うのは少しおかしいかもしれないが、私はかなり優等生で、勉強もそこそこできて、生徒会にも入り事業などの手伝いをして、不満を持つのは妬みを持った人くらいだろう。
だからこそ私は最近よく疲れてしまう。そんな時に、ここに来る。
「あぁ、またここにいた。そりゃ今日もお疲れだったもんね。」
その声に私は。
「うん、ほんとに君は、いつも私のことばかり見てくれるね。」
彼は幼馴染、腐れ縁ともいうけれど実は好きな人。
「そりゃぁ、あれだけ目立つ位置にいて、なおかついろんな人に愛想を振りまいてれば、人目に付くわな。」
「そうじゃないけど、まぁいいや。」
「これ飲む?どっちがいい?」
そう言って出されたのはミカンソーダとオレンジジュース。両方柑橘類じゃん。しかも選ばせる気ないじゃん。私炭酸飲めないの知ってるじゃん。そう思って軽くにらむと。
「悪かったよ。でもオレンジジュースすきだろ?」
「どうだけど・・・。あれ?君、柑橘系苦手じゃなかったっけ?」
知ってる限り、彼は柑橘系を好んで飲食しようとしないはずだ。
「ん?あぁ、ちょっと飲んでみようかなって。」
彼は私の隣に座り、プシュッと子気味いい音を鳴らして開ける。私もそれに次ぐ。
オレンジジュースはいつ飲んでもおいしい。飲み物は運動した後や泣いた後、何もしていないときに味が変わったりするけれど、私はオレンジジュースでそれを感じたことが無い。
「やっぱ炭酸はいいわぁー。」
少しかっこつけている彼だが、そんなところもかわいい。
疲れが癒えたのか、飲み物を飲んで落ち着いたからなのか、体の力が少し抜けて何かに寄りかかりたくなった。・・・いやだめだよ。そんなことしたらいろいろ知られちゃうかもしれないじゃん。
と強い意志を持って耐える。
「んじゃ、飲み切ったしそろそろ帰ろ?」
「うん、そうだね。」
互いに家は近いので途中まで道は一緒だ。
今日はもう暗くなっていたことを理由に、彼は私を家まで送ってくれた。
「ありがとう。また明日。」
「おう、また明日な。」
そう言って進んでいく彼の背中を見えなくなるまで見ていたりもした。
翌朝、いつも通りに学校に行く。
違和感がある。そうだ、いつも登校途中に彼が割り込んできて一緒に学校に行くのだ。まぁ、何かやることでもあるのかもしれない、全力でやりたいことを全力でできるのが彼のいいところだ。先に学校にいなくても、昨晩何かをしていて寝坊とかもありそうだ。
なんて思いながら心の中で笑っていた。
授業の類が終わり、放課後。
いつも通り生徒会などの仕事に参加しようとすると、教師に呼び止められた。
「なぁ、君の幼馴染だったよな、彼。」
名前こそ呼ばないものの誰かは容易にわかる。おおよそ、今日のプリントなどを持って行けということだろう。
「授業プリントですよね?持っていきますよ。」
といつも通りに対応するのだが、どこか言いづらそうな顔をしながら、
「まぁそんなところだ。これ、頼んでもいいか?」
「もちろんです。」
何かをごまかされた。そんな気はしたものの、あまり気にはならなかった。
「あぁすまない。」
生徒会室に行こうとしたら、言い忘れたことでもあったのだろうか?
「そのプリントは急用なんだ。生徒会にももう言ってあるから、彼の家にそのプリントを今から頼む。」
「なるほど、分かりました。では。」
そう言ってから帰る支度をして、プリントを持って帰宅方向に歩いて行った。
彼の家に着くと黒い、少し大きめの車が止まっていた。
嫌な予感がした。いや、予感ではない。知っているのだ。私の姉が死んだときも見た車だ。棺桶に入れた人を運ぶ車だ。
つまり、誰かが死んでいるのだ。彼の家で。
いやだ、彼が悲しんでいるのは嫌だ。でも、彼が死んでいるのが一番いやだ。
考えがまとまらないまま立っていると彼の母親が声をかけてくれた。
「あぁ、学校からのプリントを届けてくれたのね。ありがとう。」
そういう彼女の声は枯れ、顔には涙の後。にもかかわらず再び涙が伝っている。
「あの、これはどういう・・・。」
「学校では話してないのね。」
「えぇ、休みだと聞いていたのですが・・・。」
彼女は少し考えるそぶりを見せてから。
「そうね、長い長いお休みだわ。」
信じたくなかった。わかっていた。そんなことあってほしくなかった。そういう事だと、心のどこかで理解していた。そんなの嘘だと思いたかった。
「入って、いいですか?」
信じない、自分の目で見るまでは信じない。
「えぇ、挨拶してくれると彼も喜ぶ。」
家の中に進む。足が鉛のように重い。足が真実に向けて私の意図とは関係なく進むように思える。
一番奥の障子の部屋。障子は空いていて、何人かの人が回りで泣いたり話したりしている。
そこに彼の姿はない。
一歩。
白い布のかかった体が見える。顔は障子で隠れて見えない。これは直感だ、彼の体だ。今まで川のそばで何度も隣にいてくれたあの体だ。
一歩。
顔が見える。布はかぶってない。彼の、顔だ。
思っていたよりも、冷静だったのかもしれない。【彼が死んでいる。】それを前にしても、叫ぶことも涙を流すこともなかった。ただただ、この場にいたくなかった。
心の隅で彼に謝ってから、家を出た。走って、ただただ全力で、その事実から逃げるように走った。
親族は私を異端と見たかもしれない。礼儀知らずで、どうしようもないやつだと思ったかもしれない。でも、そんなことに興味はなかった。
家に帰ると、母親が夕飯を食べるかと聞いてきた。「いらない」と一言言って部屋に入り、布団に伏す。
何を考えればいいのかわからない。何をするべきなのかわからない。できることさえ見当たらない。彼に何もできない。何もできなかった。助けてくれた彼を助けられなかった。危機に気付くことさえできなかった。彼が死んでしまったなんて・・・そんなこと・・・
信じたくなかった。
やっと、涙が流れてきた。訳が分からない。どうして今頃、なんで彼の前で泣けなかった・・・。
「私は、君と・・・。」
希望は、切望は、声にならず現実にもならなかった。
気が付いたら朝だった。制服のまま、布団に伏して寝ていた。
今日が土曜日だったことが幸いなのかそうじゃないのか、まったくもってわからないが。何かをする気が起きないから、しばらく布団の上であおむけに倒れていた。
12時を回りしばらくすると、おなかが鳴った。そういえば、昨日の夕飯も食べていない。でも動くのも面倒だ。
「あ~。」
声はかすれていた。泣きながら寝た上に何も飲んでいないのだ。
いつもなら土曜日でも学校に行って生徒会の仕事やらなにやらしているのだが。生憎このざまだ、なぜか来ていた彼がまだいたら。「体調でも崩したのか~?珍しいな、看病でもしてやろうか~?」とか言ってからかってくれただろう。
彼のことを考えると、また涙が出てくる。
喪失感と無力感、後は何だろう。わからないけど、大事なものをなくしたのは、初めてだったのだろうか・・・。
夕方になって、ひとまずは落ち着いた。まだ整理がついたわけではない。でも、彼ならきっと、今の私に「俺なんか気にしないで楽しんで生きろよ。」とか言いそうだからだ。それに、あまり気にしてる姿をさらしたら、死んだ後に「お前、俺のこと大好きだったんだな。」ってからかわれそうだからだ。
一階に降りると、父親はテレビゲームをしていて、母親は夕食の準備をしていた。
「あら、おはよう。よく眠れた?おなか減ったでしょう、もう少しでできるから待っててね~。」
その優しさが少し心にしみるが、父親は少し不機嫌そうだった。
しばらくして、夕食の準備が整ったのでみんなで食べる。
私も父親も、特に何かを話すことはなかった。
日曜日、普段なら宿題も含めて勉強をしているのだが。今日は課題を終わらせたらそのまま例の川辺に行くことにした。何かあってほしいと。そう考えたのだ。
もちろんわかっていた、この世界には不思議な力も冥界も、不死の天上の薬もないのだ。死人が生き返ることなどありえなくて。私は二度と会えない。
一度だけ、たった一度だけ、死んだら会えるかもしれないと考えた。だけど、そんなことをしたらまたからかわれてしまう。
川辺に着いたら、男の人がいた。誰だろうとみていると、こっちを見た。あぁ、彼の兄だ。私の姉と長く仲良くしてくれていた人だ。
「こんにちは、君もここに来ていたのか。」
「えぇ、お久しぶりです。兄さんはどうして?」
彼と仲が良かったから、昔からこの人は兄のようだった。
「あいつが死んだからな。さすがに一度は帰ってくるさ。」
兄さんは都心の大学に行っていて、ここからはかなり遠い。
「これで二人目、かぁ・・・。」
そういう兄さんは感傷的なのか、はたまた何かほかにあるのか、よくわからなかった。
「君はどう思った?あいつが死んで。」
唐突にそう聞かれた。
「どうって、悲しい以外に何が・・・。」
そう答えつつ、泣きそうになるのをこらえる。
「まぁ、君にとってはただの友人ではなかったからな、【会いたい】と思わなかったか?」
「思わないわけないじゃないですか。」
自分でも驚くほどの速さと乱暴さを重ねた言葉だった。
「たとえ話をしよう。
君は三途の川の片岸にいる。対岸にはあいつがいる。
そこには船があって、オールもついてる。望めば漕いでくれる人も出てくるかもしれない。
そうなったら、君はどうする?」
訳が分からない、そんなことあるわけない。そういえばいいのに。そんな風にでも会うことができればいいなと、そう思ってしまう私もいて・・・。
「まぁ、迷うよな。俺も迷った。」
「迷うも何も、現実味がなさ過ぎて・・・。」
「『現実は小説よりも奇なり。』という言葉があってな、思ってるほどこの世界は合理的にできてないんだ。」
正直、兄さんは昔からよくわからないことを言う人だった。あっちに行って、それがより加速したらしい。
「兄さんの言ってることはあまりわかりませんけど。少しだけ元気はもらえました。ついでに現金もらえますか?」
「嫌です。」
と、久々の軽口をたたきながら、近くまで一緒に帰った。もう少しだけ、元気をもらえた。(自販機でオレンジジュース買ってくれた。)
帰ってからはいつも通りだった。明日の予習と支度、夕食の手伝いなどだった。
月曜日、彼のいない初めての平日。金曜日をカウントしたら違うかもしれないが、今は居ないと知ってしまった後だから、初めてだ。
登校中にやってくる彼は居なくて、授業中に時々手紙を送ってくれる彼は居なくて、放課後に待ち伏せする彼は居ない。
居ない、居ないと繰り返すたびにさみしさが加速する。
こうした日々が延々に続くと思うと、かなり怖かった。
ある日の放課後、いつも通りに生徒会の仕事をしていると、一人の生徒会メンバーが話しかけてきた。
「ねぇねぇ、知ってる?なんかさぁ、川辺が三途の川になったとか噂になってるんだよ。なんか聞いたことある?」
その話を聞いてすぐに、兄さんの言葉がよみがえってきた。
「詳しく聞いてもいい?」
「興味あったんだ!それじゃぁねー、内容としては、ここからちょっと離れた上に新幹線と高速道路の通ってる川があるんだけど、その川で起きてるらしいんだよねー。まぁ詳しい内容とかは噂になってないし。誰かの流したデマなんだろうけどね。」
その川は私がいつも休んでいた場所で、時間が遅かったからほかの生徒と会わなかっただけなのかもしれない。
「ありがとう。そんな話もたまには面白いわよね。」
そう皮をかぶって返事をして。この場では楽に返す。
「またこんなのあったら教えるね~。」
と、上機嫌に帰って行ったので少し自分もうれしかった。
いつもの川辺、人は居ないし、この後に来てくれるかもしれなかった彼は居ない。
でも、彼に会えるかもしれない。
川辺でしばらく待っていたが、何もない。誰かが通ることもなければ、彼が来てくれることも・・・。これ以上待っても無駄だろうと、立って、気まぐれに水きりでもして帰ろうかと川に近づく。
空気が変わった、いや、ここはどこだろうか。いつもの川辺のように見えるが自分のすぐ回り以外は暗闇で包まれていて、分かりやすく言えば、教室の前面に暗幕を張ったみたいな孤独感を加速させる景色。
川辺に木の船がある。今まで一度としてみたことが無い。なんとなくわかるのが、その船が対岸に行くための船であるという事。
対岸を見ると、いくつかの人間がいる。その中に、【彼】がいた。
もはや無意識だった、彼が『待って。』と声をかけなかったら、浅いこの川を歩いて渡り切っていたと思う。気が付いたら、足は川の水でぬれていた。
「どうして、待って何て言うの。私は君とまだ・・・。」
『どうしても、だよ。君に死んでほしくないから。』
「でも、私は、君じゃないと・・・。」
うまく声が出ない。何をしゃべればいいのかもわからない。涙が伝う。こんなもの今は邪魔でしかない。
『彼と居たいなら、その船を使ってここまでくればいい。そうすれば彼と暮らせるかもしれない。』
たくさんいる中の誰かがそう言った。
『やめろっ!』
久しぶりに聞く彼の怒った声は、小さな頃の喧嘩よりも強くたくましくなっていた。
『勘違いしないでくれよ、俺が死んだのは自分で選んだ上なんだ。俺はあいつに生きてほしくて死んだのに、わざわざ殺すようなこと言わないでくれ。』
死を選んだ?私が生きてほしいから死んだ?訳が分からない。でも彼は、私にとって本当に大切な人でしかない。
「ねぇ!私のために死んだってどういうことなの?私に恩だけ作って、返せないで逃げるなんてずるいよ!」
雑だったのかもしれない、でも、彼に生きてほしいという願いだった。
『身代わりになる形で申し訳ないとは思っているさ。でも許してほしい。俺のことは忘れて、君は君の人生を楽しんでほしい。俺の分まで・・・。』
「やっぱり君はずるいや。そんなこと言われたら忘れられるわけないじゃん。」
船にかけようとした手は、船が消えたことによって空を切った。
「ねぇ、私もどうにかしたらそっちに行けるのかな?」
さっきの人が答えた。
『死んでもここには来れない。方法は探せる。』
「わかった。また、会いに来るから。何十年先になっても会いに行く!絶対に!」
気が付いたら、すべてが消えていた。
景色は赤く、川に反射していた。
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