第4話 ネネさんは堕ちていく Part.1

 はじめまして、私は私立星音高校で2年3組の担任を勤めている一橋寧々です。私としては威厳のある先生を目指しているのですが、生徒のみんなには親しみを持ってくれているのか、舐められているのかネネちゃんと呼ばれています……まぁそれはともかくとして、私の持つクラスの皆は個性的でとても私一人では纏めきれないけれど、クラス委員長に率先して立候補してくれた彼女が余り皆と話すことが出来なかったケイくんに話しかけて輪に入れようとしたり、クラスのグループ会話を作ったりして上手く纏めてくれていたから、かなり私は楽をすることが出来ていた。そんな彼女に感謝しつつ過ごしていたある日、私がこのクラスを担任にもってから6ヶ月が過ぎた秋の半ばだった。午後の授業が終わる時間になるともう暗くなり始める時期になり、肌寒く感じる放課後に一人で教室に居残っていた彼女を見つけた。


 最終下校時刻が近づき教室の鍵を閉めようと2年3組の教室へ向かっていると、いつもは既に暗くなっているはずの教室から光が漏れていた。珍しいと思いながらも教室を覗きながら声をかけた。

「もう最終下校時刻ですよ~そろそろ変える準備を──ナツミさん……?大丈夫ですか?」

 そこにいたのは自分の机に俯せて泣いていた委員長だった。ナツミさんは私の声に驚いたのか肩を跳ねさせ、震える声で叫んだ

「──っ!!何でもありません!!……あっ……すみません急に声を荒げたりしてしまって……でも本当に何でもないので心配しないでください」

 そう言って委員長は袖で顔を拭うと、横に掛けた鞄を持って逃げるように教室から去っていった。その苦悩に染まった横顔が心配になり引き留めようと廊下に駆け寄っても階段を駆け降りる音が物悲しく響くだけだった。


 翌日、委員長の様子を不安に思いつつ、出勤しいつものように授業の仕度をしていると学級日誌を受け取りに委員長がやって来た。

「おはようございます。ニ年三組、ナツミです。一橋先生から学級日誌を受け取りに来ました。」

 その声がいつも通りであったことに安心しつつ、日誌を渡しながら念のために昨日の話を聞いてみることにした。

「おはようナツミさん。今日もよろしくね。……ねぇ、昨日はど──」「大丈夫ですので気になさらないでください。それでは私は失礼します」

 私の言葉を遮りつつそう言った委員長は逃げるように職員室から去っていった。やっぱり

 何かある、もし放課後にまた教室に残っていたら今度こそ聞いてみよう。そう思い、一度彼女のことを頭の片隅に置いておき、もうすぐ始まる朝礼に頭を入れ換えた。


 特に何も起こることなく、放課後を迎えた。翌日に使う資料を纏め終わり、他のやるべき事を一通り片付けた私はまだ委員長が教室に残っているかな……そう思いながらいつもより早く教室へ向かった。階段を上がり、夕日の差し込む廊下へ立つと私のクラスだけ今日も灯りが付いていた。よかった、居るみたい。今だったら相談してくれるかしら、そんな期待も込めて教室を覗いた。

「ナツミさん、昨日は──っ!!」

 そこにいたのは委員長ではなく、ナナさんの座席でキスを交わすケイくんとナナさんであった。

 昨日より早いこともあって運動部の音や音楽系の部活が活動していたこともあって聞こえなかったのか二人は私に気付かずキスを続けた。なんだか恥ずかしくなった私はそっと教室の引き戸へと隠れた。すると運動部の声や楽器の音に混じって微かに衣擦れの音が聞こえた。ま、まさか……興味本位で少しだけ顔を覗かせるとYシャツのボタンを外し胸を出して椅子に座ったケイくんに抱きつくナナさんの姿があった。その抱き合う二人の姿に過去の記憶がフラッシュバックする。段々と衣擦れの音が大きくなり、やがて聞こえてきた女の子の甘い声に過去の私を重ねて、誰もいない廊下で誰かが来たらまずいと分かっていながらも右手を服の隙間へと伸ばした。


「ケイちゃん!──っ!」

 女の子の声が切なさで極まると同時に私も頂点へ昇りたった。教室の中から荒くなった息が聞こえる中で私は慌てて手に着いた液体をハンカチで拭ってドアを開けて自分でやっていたことを棚にあげて、今来たかのように装って二人を注意しようと二人に注意しようとした。

「じゃあ帰りましょう?ふふ、今日の夜ご飯は何が良いかしら──って、あら?先生?」

 ドアを開けると私の方を見て不思議そうな顔をする二人がいた。既に乱れていたはずの服は元に戻っていて、少しナナさんの顔が赤らんでいるだけだ違和感は無かった。私のしていたことはバレていないと二人の表情から分かった。なら注意できると二人になるべく怖い顔を作って注意しようとした。

「二人とも、こんなところで──」「先生?」

 しかし、私の言葉をナナさんの声が遮った。その声はとても冷たくて肩が跳び跳ねた。それでも何とか怖い顔を保ちつつ途中で遮ったナナさんに話しかける

「な、何かしらナナさん。先生が話している途中ですよ?」

 その答えに私は凍りついた

「覗き見しながら一人で、とは……ネネさん、先生失格ですね。まぁどうでもいいですが、ではさようなら、また明日。ケーイちゃん、帰ろ?」

 そう言ってケイくんを連れて私の横を通りすぎながら帰る二人に震えながら

「え、えぇさようなら。気を付けて帰りなさいよ」

 としか言えず、私はさっきまでしていた行為がバレていたことを知ったことで遅すぎる後悔と恐怖から私は誰もいなくなった少し甘い香りがする教室で立ち尽くすのだった。


 私はなんてことをしてしまったんだ……いくら、私が過去にあんな日々を送っていたからってアレはやってはいけないことだった。そうは分かっているけれど後悔するには遅すぎる。気付けば最終下校時刻が過ぎているのに気付いて震える手で教室に鍵を掛けて職員室へと戻った。その後は仕事に集中することができずに家に帰ることになった。家に着いても動揺と後悔は収まらず料理している途中に指を切って絆創膏を張り、眠ろうとしても目を閉じればナナさんのあの冷たい声や過去の日々が残した残像が襲いかかってきて寝れずに気が付けば朝になっていた。動揺と寝不足から朝礼前に学級日誌を受け取りに来た委員長にも生返事をしてしまった。授業でも生徒に間違えた答を教えかけてしまったり、授業で読む頁を間違えたりしてしまっていた。そうして動揺と後悔が残ったまま遂に五時間目の予鈴を迎えた。この時間は2年3組の授業であの二人を見ないわけにはいかない。これまでの委員長とのやり取りや、午前中の三つの授業でのミスの多さからあの時の本人たちがいるこの教室では教室に入っただけでも、あの二人を見ただけでも何もできなくなってしまうのではないか……そんな不安から教室に入れずにいた。それでも腕時計を見ると授業が始まる寸前で、心の準備も不十分のまま教室に入った。教室に入っただけであの声が聞こえてくると思っていた私は、教室に入っても何も起きなかったことに油断して教壇に向かいつつ横目でナナさんの様子を窺ってみた。彼女は昨日の事がなかったかのように隣に座るケイくんと話していた。やっぱり何も感じない。そう安心して教壇に道具を下ろそうとしたとき、二人がキスを交わした。その瞬間、あの光景が頭に浮かび、私の頭の中は昨日のことで一杯になってしまっていた。


 授業開始のチャイムが鳴っているにも関わらず二人から目を逸らせない。金縛りにかかっているかのように動くこともできずに、笑顔で「後でね」と言って授業の支度をする二人を見ているだけでただ時間が過ぎていく。どれだけの時間がたったのだろうか「先生、授業は始めないのですか?」教壇の最前列の席に座る委員長が少し後ろめたそうに言ったその言葉でようやく授業の時間が始まっていることに気付いた。はっとして、時計を見てみると既に二分程が経過している事がわかった。慌てて持っていた授業道具を置いてなるべくあの二人を意識しないように授業を始めた。しかし、どうしても狭い教室で教壇に立っている以上二人の姿を目にしないわけにもいかず、授業中に隠れてやり取りをする二人を見るたびに動けなくなる。それでも私の心は知らないと時間はどんどん進み、気が付けば碌に頁も進まないまま授業の時間が終わっていた。私は何も知らない生徒たちの心配そうな顔に申し訳なくって、興味無さげに話続ける二人が怖くて教室から逃げ出した。


 授業をまともにできないなんて先生失格だ……そう落ち込みながら職員室に戻り、自販機で買った温くなってしまったコーヒーを飲んで一度気持ちを落ち着かせようとした。他の空いている先生と雑談をしつつ飲み終わった頃にはさっきまで私を包んでいたナナさんの声や過去の残像は無くなり、少し落ち着いた。これなら集中してできるかな、と今日回収した宿題のプリントの確認を始めた。とは言っても、簡単な問題ばかりだから殆どの答えは合っている。そのため一枚一枚は時間が掛からずに終わる。たまにある間違えているところはチェックして赤ペンでヒントを書き込み、リズム良く終わったプリントを捲っていく。程なくして、ナナさんのプリントの順番になった。ナナさんの名前とその丸い文字を見ただけでまたあの過去が私に纏い付き始める。震える指で未だ少し暖かい缶を手に取り一口だけコーヒーを流し込み、なんとか過去の幻影に完全に包まれる前に振り切る。また過去やナナさんの声が私を包もうとする前に早く終わらせよう、ともう一度もう一度ナナさんのプリントに目を向けて素早く採点して裏返しにしてまだ残るプリントの丸付けを始めた。

「ネネさん、もうすぐ夕礼の時間よ?」

 さっきから心の隅から聴こえる私を苛む声を無視するためにプリントにだけ集中して丸付けを進めていると不意に肩を叩かれた。驚いて肩が跳ねた私をくすくすと笑って、振り向いた私に時計を指差した

「随分と集中してたわね。全く集中していると回りが見えないのは昔から変わらないわね。でもほら、時間を見なさいな」

 指された時計を見てみると六時間目が始まってから三十分も経っていないと思っていたけれど、時間はもう夕礼が始まる二分前だった。

 教えてくれたカナエさんに視線を戻せば既に夕礼で配るプリントなどを手に持っていた。それに比べて私はまだ準備も終わっていない……慌てて荷物をもって教室へと向かった。


 夕礼は遅れそうになり、バタバタしたまま終わってしまった。職員室に戻り、仕事をしていると他の先生に小言を言われたり慰められたりして肩を落として項垂れていた。それでもせめてこれくらいはやらなければと仕事を進めていると気付けば帰る時間になっていた。結局あれから落ち着く暇もなく学校を後にした私は家に着き、一息つく。するとさっきまではそんなことを思い出している暇がなかったが、家に着いて落ち着いてしまったせいか、再び昨日の情景を思い出してしまった。

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