第49話 昼寝泥棒


 ホワイト家を出ると、ノアは夢屋へと走り出す。

 交通機関は機能していなかった。安全な場所などないと知りながらも、大荷物を抱えた人でごった返している。

 

 裏切り者はだ~れだ?


「クラークさん? クラークさんね! ああよかった、やっと知ってる人に会えたわ!」

「ウッズ嬢! ご無事だったんですね」


 駅の人だかりから少し離れたところにマーガレットとアイザックがいた。アイザックは両手にボストンバッグを提げている。きっと片方はマーガレットのものだろう。


「ここから逃げ出す算段で?」

「その逆ですわ。昨日まで旅行に行っていて、今朝帰って来たんですの。共感夢は荷解きを終えてからゆっくりと考えていたんですけれど、こんなことになるなんて」

「とにかくご無事で何よりです。ネルソンさんもお久しぶりですね」

「……」


 アイザックは少しばかりの警戒心でもってノアを見た。

 ノアも咄嗟のことで普通に話しかけてしまったが、そういえばアイザックには怪しい点があったのだと思い出す。今ここで聞き出すべきだろうか、それで正直に打ち明けてくれるのだろうか、もしもアイザックがIDEO側の人間であれば、運よく共感夢に接続しなかったのも納得がいく。

 そんな考えを巡らせるノアの耳に入ったのは、信じられない言葉であった。


「……すみませんが、どちら様でしょう」

「は?」


 アイザックは申し訳なさそうな顔をする。隣のマーガレットもノアと同じように驚きを隠せていない。


「何を言ってるの? 前にお話ししたじゃない。精巧な夢を作ってくださる方が居るって」

「ああ、言っていたね。あの方か」

「そうよ、ちゃんとお会いしてるじゃないの」

「……いや、会ったことはないよ」

「会ったことがない、だって?」


 ノアの剣幕にアイザックはさらに気まずそうに眉を下げた。一体何が起きているのか、恐ろしい事実の輪郭が浮き彫りになりつつあり、ノアは耳鳴りがしてきた。

 鳴りやまないサイレン、人々の叫び声、ガラスの割れる音……


––––頭が痛い


「ちょっと、こんな時に冗談はよして」

「冗談なもんか! その話をした夜に、君から電話してきたんじゃないか。『急な仕事が入ったみたいで会えなくなったらしい』って」

「私そんな電話してないわ!」

「そんなはずないよ、確かに君の声だった!」

「……チップは?」

「へ?」

「私がお渡ししたチップはどうしたんです?」


 アイザックは何が何だか分からないと言った様子で、もはや半ば苛立って答えた。


「だから、貴方と会ったことなんてないんだ。そのチップってのも、会ったことがないんだからどうするも何もないでしょう?」

「ちょっと、喧嘩はよして。クラークさん、これは一体……」

「……分かりました。すみませんが、先を急ぎますので。失礼します」

「クラークさん!」

「だめだマーガレット、僕らも安全な場所へ行かないと」


 ノアは二人に構わず走り出した。

 アイザックに化けられる変装術、意図して隠された養殖技術。


––––養殖業を学ぶんだから、そりゃあ勿論、沢山食べたい以外にないでしょ~


 馬鹿げた発言で誘導されたIDEOの独立化という思考ロック。

 執拗にIDEOのパーティーに同行したがった真意。初めから全部、の手のひらの上だったのだ。

 裏切り者はだ~れだ?

 

「裏切り者は…… レオだ」


 信じたくなかった。

 しかし、それ以外の答えは、残されていなかった。


  ◇ ◇ ◇


––––頭が痛い


 夢屋の事務所に戻ると、ノアは今朝感じた違和感の正体を突き止めた。

 書棚の配置が微妙に変わっている。リリーのアルバム写真を取り出して最後のページを開く。しかし、本来そこにあるはずのチップはなかった。

 本と本の隙間にキラリと光るものを見つけ、絶望に耐えながら手を伸ばす。それは黒真珠のラペルピンであった。

 少しだけ埃がかぶっている。きっとアイザックに変装した時に忍ばせたのだろう。


「……そうか」


 手の平から滑り落ちたラペルピンを、怒りに任せて踏みつぶす。黒真珠に見立てた盗聴器は真っ二つに割れて部屋の隅に飛び散った。

 ノアはポケットから取り出したくしゃくしゃの名刺を見つめると、そこに記されたナンバーに電話を掛ける。

 三コール目で応答があった。


≪……誰だ?≫

「ノア・クラーク」

≪ノアか!? ああ、良かった、今頃連絡よこしやがって! あんたに限って共感夢を見てるはずないとは思ってたけど、如何せん連絡がないもんだから。無事か? 無事なんだよな? 電話してきたってことは……≫


 電話の向こう側では街と同じような叫び声が響いていた。サイレンのような音も鳴り響いている。IDEOも状況は大差ないようだ。


≪あーもう、こんな時にアイツがいれば。俺一人じゃ……≫


 お馴染みのブツブツでヴィクターの焦り具合も伺えた。ノアは念のため確認をする。


「この事態はお前も予期していなかったんだな?」

≪もち。分かってりゃパーティーの時に伝えてたよ≫

「今からIDEOに行く」

≪は!? あ、まあそのつもりで電話かけてきたんだろうけど、それにしたって今からって。お仲間には伝えたのか?≫

「仲間は何も知らない。だが、今の混乱のうちに乗り込まなきゃ間に合わない。そうだろ?」

≪……分かった。今どこ?≫

「夢屋の事務所と言えば分かるか?」

≪そこからなら本部まで歩きで二十分ってところか。んじゃ三十分後に正面入り口に。分かるような合図を送るから≫

「随分と急だな」

≪こっちも時間がないんでね。悪いけどお仲間と連絡をとってる暇はあげらんない。潜入のチャンスは一回きり。いいか、きっかり三十分後だ≫


 ノアは時間を確認した。ちょうど二時になるところだった。あの地獄から、まだ二時間しか経っていないだなんて。


≪なあ、本当にいいのか?≫


 ヴィクターはこれが最後だと言わんばかりに声を低めて聞いてくる。

 しかし、今更悩むような余裕はどこにもなかった。


「ああ、裏切り者も分かったよ」

≪……そっか≫

「それじゃあ三十分後に」

≪ああ。必ず、助けような。世界を、を≫

 

 返事は敢えてせず、通話を切った。

 時間がない。どうにかして、二人にヴィクターのことを伝えねばならなかった。


 エリック、エマの順に電話を掛けるが繋がらない。忙しいのもあるだろうが、回線が繋がりにくくなっているのだろう。先程のヴィクターの通話時も会話がプツプツと切れ気味であった。

 この場所にメッセージを残しても隠滅される可能性が高い。だからといってここ以外に立ち寄る時間的余裕はない。やはりここにメッセージを……


––––頭が痛い


 その時、激しい爆発音とともに夢屋の事務所に衝撃が走った。急いで窓外の様子を見ると、すぐ近くの建物で火災が発生したらしい。


「逃げろー!」

「火事だ! すぐに燃え移るぞ!」


 周辺の住民がぞろぞろと通りに逃げ出した。焦げ臭いにおいとともに黒い煙が風に乗ってやってくる。ここも遅かれ早かれ巻き込まれると悟った。

 

「ここにメッセージを残しても、火事で燃えつきる…… マーガレットたちはまだ駅にいるだろうか、いや、駅に寄っている時間だってない。どうすれば……」


 ガシャンという大きな音がして、ノアはもう一度窓の外を見る。火事で窓ガラスが割れたのかと思ったが、どうやら擬似夢売り場のショーケースが割られた音らしい。

 ぼろきれを纏ったドリームレスの集団が手当たり次第にスキャナやチップを奪い取っていく。

 昼寝泥棒。いや、この場合は火事場泥棒でいいのか。と、そんなことを呑気に考えてしまう。


「なるほど、その手があったか」


 ノアは急いで自室に向った。


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