第47話 プレゼント1
ターミナル前の広場までくると、そこはまさしく地獄絵図であった。
奇声を発しながら暴れまわる人々、それから逃げ惑う人々、生きているのかいないのか道に倒れ伏す人々……
女性リポーターが必死に現場の状況を伝えている。ヘンリーに不躾な質問をしていた若い女性ではなく、お堅い報道番組なども担当するベテランのアナウンサーだった。
「皆さん、共感夢にアクセスしないでください。無理にスキャナを外さないでください。外は今たいへん危険です。戸締りを確認してください……」
冷静に、しかし危機感を持った声で呼びかける。
アナウンサーは次に、荒廃しつつある街の様子を映して続けた。
「ご覧ください。彼らは目を開き、声を発し、物を振り回しています。ですが、意識は未だ共感夢の中にあるようです。擬似夢に侵されながらさまよい続ける、まさに夢遊病者です」
夢遊病とは言い得て妙であった。
「おばあさん、大丈夫?」
「おい、危ないぞ、そいつは夢遊病者だ!」
その言葉はすぐに人々に浸透した。
警備隊や警察省の人間が暴れ狂う夢遊病者たちを捕らえていく。後ろ手に手錠をかけられた女性が「やめて、離して! 食べないで!」と叫んでいたので、擬似夢の中で手錠は触手か何かに置き換えられているのかもしれない。
警備隊の青年が拘束に手間取っていると、背後から別の夢遊病者が襲いかかろうとしていた。
「危ない!」
「うおっ!? す、すみません。助かりました」
「いや、こんな時こそ助け合わねばな」
間一髪で青年を助けたのは、他でもないベンソン・モーズリーであった。床にへたり込む青年にベンソンは手を差し伸べ、彼もその手を強く握った。
そこに組織の壁はなかった。
「握ったついでに手を貸してくれないか。向こうで夢遊病者同士の衝突が起きたらしい」
「はい!」
二人は連れ立ってターミナルの方へ走っていった。
冷静に対処しているように見えて、ベンソンも相当焦っているようだった。あの様子を見るに、警察省の人間にもこの計画は知らされていないらしい。
あのアナウンサーの呼びかけもあり、無理にスキャナを外そうとする者も減った。救急車や消防車も集まってくる。
ここは任せて、エリック達との合流を優先しようかとノアが考えていたちょうどその時……
夢遊病者の男性が街灯に気づかずに真正面からぶつかってしまった。「うっ」という鈍い声を発して彼はその場に崩れ落ちる。鼻から垂れた血が、道路に積もった雪を赤く染めた。
それを見て、嫌でも思い出してしまった。
泥に溶けた雪の妖精––––
「……リリー」
ひどい胸騒ぎとともに、気づいた時には走り出していた。
雪は赤く紅く、染まっていった。
◇ ◇ ◇
息も絶え絶えにたどり着いたホワイト家は恐ろしいまでの静寂に包まれていた。明かりもつけず、カーテンは閉め切られており中の様子は伺えない。
「リリー! 僕だ、ノアだよ、開けてくれ!」
呼び鈴を何度鳴らしても返事はない。
塀を乗り越えようかとも思ったが、ノアは一旦裏庭へ回った。不思議なことに、裏口の扉は開いていた。
裏戸から通りへ出るような形で、一人分の雪の足跡がくっきりと残っている。雪は昨晩降って今朝がた止んだ。つまりこれは、ここ数時間の間に出来た足跡ということだ。
普通に考えれば今日来る予定だったヘルパーのものだろう。だがしかし、何故裏口から? きれいな足跡を見るに、大慌てで逃げた様子ではない。共感夢の騒動で混乱して逃げたとは考えにくい。ヘルパーは何故、どこへ行ったのだ?
疑問は尽きなかったが、それを今ここで考えても仕方がなかった。ノアは嫌な予感を振り払うように裏口からホワイト家へと踏み込んだ。
裏口はパントリーに繋がっている。そこからキッチンへ入ると、シンクに使い終わった食器類が置かれているのが目に入った。マーサが洗い物を残して出発するなどありえない。リリーが自分で下げたとも考えにくい。
ヘルパーは確かにここへ来たのだ。
応接室やリビングルームにも人の気配はなかった。マーサのいないホワイト家は息を潜めているかのように静まり返っている。
逸る鼓動をおさえて階段を上る。つい最近もこんなことがあったような気分に襲われた。誰だったかと考えて、エリックから聞いたベンソンの体験だと思い至る。愛する息子を失った、人生最悪の日……
階段を一段上がっては残酷な映像が脳裏をよぎり、もう一段上がる時には、そんなものは妄想だと振り払う。きっとベンソンもノアと同じことをしたに違いない。
大丈夫、大丈夫だ。ノアは心の中で繰り返す。
扉の向こう側には、美しい雪の妖精が穏やかな寝息を立てているに違いない。世界で起きている騒動にも気がつかないで。
そうしてゆっくりと目を覚ますと、可愛らしい笑顔を向けるのだ。
「こんなに早く来るなんて思わなかったわ」
そうやって驚いては白い頬を染めるのだ。
しかし、扉を開けたノアの目に飛び込んできたのは、全く別の光景だった。
赤く染まっているのは柔らかな頬ではなく、純白のベッドシーツであった。
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