第46話 悪夢払い2
◆ ◆ ◆
目を開くと、そこは真っ白な荒野だった。
辺りには腰くらいまでの高さの岩が点在している。空は紫色で、無数のカラスがこちらを監視するかのように飛び交っていた。
身じろぎをすると、足元でじゃりっという音が鳴り響く。砂とも小石とも言えないその感触に目を凝らすと、地面に敷きつめられているものの正体が分かった。
骨だ。
どこまでも続く骨の荒野。
目を凝らしてみれば、点在しているのは頭蓋骨の山であった。その山の一つに隠れるようにして、件のドリームレスの男性がうずくまっていた。
「失礼」
「ひいっ!」
「大丈夫、落ち着いてください。貴方を助けに来たんです」
「もうだめだ、お終いだ、出口なんてどこにもない。ああ、あああああ」
男性は身体を震わせて涙を流す。現実ではそう時間は経っていないのだが、この憔悴ぶりを見るに、随分と長いことこの荒野を彷徨っているらしい。
怪物に襲われるような擬似夢でなくてよかったと安堵する。しかしここからどう目覚めようか。予想はしていたが、ものすごい量のバグで溢れかえっていた。擬似夢として機能する、必要最低限の分しか消していないのだろう。
ノアはまずバグの処理から取り掛かった。おそらくはこのバグのせいで彼は今、擬似夢と現実の区別がつけられない状態にある。ある程度まで減らせなければ彼の錯乱は治らない。
擬似夢の中のノアはタキシード姿だった。右手に持ったステッキを握り直すと、それを敵意と受け取ったバグが威嚇するかのようにジジッとノイズを走らせた。
まるで意思を持つかのような反応にノアも身震いする。そんなことは今まで一度もなかったからだ。悪い予感は的中し、周囲のバグがノアに向って飛びついてきた。
「なんだ、これはっ!」
髑髏の左目が怪しく光り、不気味な笑い声をあげてこちらへ近づいてくる。紫色の空を舞うカラスの羽が槍のように降りそそぐ。地面から生えた骨の腕がノアの足首を掴んで離さない……
ハンカチでふき取るなんて上品なことをしている余裕などなかった。
ノアがステッキを振り上げようとした瞬間、空から降ってきた羽がノアの右手に刺さり、痛みでステッキを投げ飛ばしてしまう。
「ちっ」
ノアは咄嗟に足首を掴んでいた骨の腕を引っこ抜き、それをバット代わりに、カラカラと動き回っていた髑髏を思い切り叩き割った。真っ赤に光る左目が不快な音をあげて潰れる。
引っこ抜いた腕もへし折り、腕と髑髏はそれですっかり動かなくなった。バグを取り去ったのだ。
無数に降り注ぐ槍羽は、ノアの逃げ道を封じるように突き刺さる。空を飛ぶカラスが「あーはははは」と人間の男のような声で嗤った。完全に遊ばれているようだ。
どうすることも出来ずに逃げ続けていると地面から突き出した肋骨に躓き、ノアは地面に突っ伏した。槍羽の雨がノアの頭上に降り注がれる。
その時、躓いた拍子に飛び出した懐中時計の竜頭が引き出され、時計の針が止まってしまった。急いで逃げなければならないのに、擬似夢の中でも時を刻むのをやめてしまった懐中時計に、ノアの心は釘付けになってしまった。
そして気づく。止まったのは時間だけではないことに。
いつまでも痛みが襲ってこないのを不思議に思い顔を上げると、ノアの目と鼻の先まで迫っていた羽が、ピタリと宙で止まっていた。
「……面白い」
判断は一瞬だった。
空中を優雅に飛んでいたカラスが身の危険を感じとるが、それよりも先に、ノアは懐中時計の時間を思い切り巻き戻した。勢いよく空へと巻き戻った槍羽がカラスの身体に容赦なく突き刺さる。「ぐえっ」とこれまた人間のような呻き声を上げて、カラスは地面にぼとりと堕ちた。
「はあ、はあ、はあ……」
服装の乱れと呼吸を整える。全てを処理することは不可能に等しかったが、ノア達の周囲のバグだけはなんとか取り除くことができた。
現実世界ではどれくらいの時間が経っただろうか。こんな所にいては、ノアであってもそう長くは正気を保てない。
周囲のバグが取り除かれたことで、男性はようやっと落ち着きを取り戻せたようだった。
「ここは、どこだ? 俺は、なんでこんなところに……」
「ここは擬似夢の中です。貴方は帰らなければいけません」
「帰るって? でも、出口はどこにもないんだ。……待てよ、考えてみりゃ、出口なんてなくていいんだ。ここは寒くない。蔑みの目を向ける奴もいない。ここが俺の居場所なのかもしれん」
男性は「そうだ、そうに違いない」と自分に言い聞かせるように囁き続ける。遠くの方にあったバグが彼の元にじりじりと近寄ってきた。もう一度彼の脳を侵食しようとしているようだ。
時間がない。ここで彼を救えなければ、完全にバグに取り込まれてしまう。
「そうですね、貴方はドリームレスの家なしだ。現実世界で、貴方の居場所は何処にもない」
「ああそうだ、何もかも奪われちまった。俺には何もねぇ。あるのは暑さ寒さと、空腹と、憎しみだけだ。そんなもん全部忘れて、ここで一からやり直すのさ。その方がよっぽど幸せだ。そうだろう?」
「そうやって、貴方の居場所を作ろうとしてくれた人の存在も忘れてしまうのか」
「何言ってんだ、そんな奴、一人だって……」
そこまで言って彼は口を閉ざした。
擬似夢から目覚めるには三つの方法がある。一つ目はあらかじめ設定した停止時間が来て自然と目覚める方法。二つ目は外部から強制終了させる方法。そして三つ目は、自力で擬似夢から目覚めるという方法だ。
これには少しコツがいる。一つは、ここが擬似夢の中であると認識すること。これは達成した。
そして、もう一つは……
「そうやって貴方は、交わした約束すら忘れて、反故にするんだ」
「約束? ドリームレスの俺に、約束を交わすような奴なんて……」
男性の瞳に淡い光が宿った。近寄ってくるバグの速度が心なしか落ちた気がする。
「彼は今も、貴方の帰りを待っている。折角差し伸べられたその手を、貴方は振り払うんですか?」
「彼…… 彼って……」
「うっ」
ノアはひどい頭痛に悶える。おそらく十分が経過して、スキャナが外されようとしているのだ。擬似夢に耐性のあるノアだからこそ出来る緊急脱出方法だった。
本当に時間がない。ノアは目の眩むような痛みに耐えながら、最後の力を振り絞る。
「似顔絵を贈るんだろう!? 小さな男の子の、大切な誕生日を、悲しみで彩ってどうするんだ!!」
「似顔、絵…… たん、じょうび……」
男性はノアの言葉をブツブツと繰り返すばかりだ。
とうとう意識が薄れて、ノアの身体がふわり宙に浮く。見えない何者かに引っ張られるように後方の空へと連れて行かれる。
擬似夢から切り離される。
己もまた嘘つきの仲間入りをしてしまうのだと、ノアは不甲斐なさに押しつぶされそうだった。悲しみに暮れる少年の顔が脳裏によぎる。
その時、ノアの足首がぐっと掴まれた。骨の腕が逃すまいとしているのかもしれない。薄れゆく意識の中で必死に目を凝らすと、それは骨ではなく、あの男性が両手でしがみ付いていたのだった。
宙に浮く身体がぶらんぶらんと左右に大きく揺れる。何羽ものカラスが襲いかかろうと、彼はその手を離さない。
「そうだ、俺は、約束したんだ…… ヘンリー! 待ってろ、今行くぞお!」
ノアは力なく微笑んだ。
「ええ、帰りましょう」
自力で目覚めるのに必要なもう一つの要素、それは……
◆ ◆ ◆
「……ちゃん ……お兄ちゃん! 目を覚まして!」
「……っ。ヘンリー、彼は?」
「生きてるよ」
ヘンリーとは違う少し掠れたその声に、ノアはほっと息を漏らす。揺れる視界に耐えながら顔を上げると、ドリームレスの彼がノアをじっと見つめ返していた。
「ありがとう。あんたのおかげで助かったよ」
「いえ、お礼は是非ヘンリーに」
「そんな、ぼくが共感夢を見ようなんて言わなきゃ、こんなことにならなかったんだ。ご、ごめんなさい、おじちゃん、ぼく、ぼく……」
「いいんだ、ヘンリー。お前は何も間違ってない」
彼はヘンリーを優しく抱きしめると、その背中を節くれだった手でそっとさすった。ヘンリーは彼の服が薄汚れていることなど気にも留めずに、その腕の中で泣き続けた。
泣き止むまで見守っていたい気持ちもしたが、どうやら騒ぎは収まっていないようだった。というより、先程より悲鳴やサイレンの音が増えている。
ノアは急いで立ち上がり、よろめきながら路地を出た。
「おいあんた、無茶すんなって。ちょっと休んだ方がいい」
「ありがとう。ですが、時間がないんです」
そう時間などどこにもない。
人類に残された時間は、きっとあと僅かなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます