第44話 始まり
ここ数日のことを思い返したりノートに頭の中のゴタゴタを書きだしたりしていると、気がつけば時刻はまもなく正午であった。
ヴィクターと連絡を取れるタイムリミットは明日いっぱい。ノアはまだ決断出来ずにいた。
気を紛らわそうとテレビをつける。「昼寝泥棒に注意! 入り口のシャッターを下ろし、陳列棚にもロックを」と注意喚起のニュースが流れていた。そして、画面がスタジオに切り替わると、リクライニングチェアに横たわった数人の出演者とそれを見守るアナウンサーが映し出される。
出演者は小さな寝息を立てており、アナウンサーはそれを羨ましげに見つめていた。
≪皆さんぐっすり眠っていますね。いやあ、私も体験したかった。しかし、この瞬間を皆様にお届けするという大役を光栄に思います≫
画面の右上には正午のカウントダウンが表示されている。ノアも一旦ヴィクターとのことを忘れることにし、目の前の光景に固唾をのんだ。
四、三、二、一……
豪華なファンファーレとともに、アナウンサーが「ついにトライアルが開始されました! 皆さん、楽しんでお過ごしください」と喜ばしげに伝える。
いつまでも静かなスタジオを映し出すのもおかしな話で、画面はこの街の公共センターに切り替わる。中継のリポーターは先ほど少年に不躾な質問を投げかけていた女性だ。
フロアに等間隔に並べられたチェアに老齢の男女が眠っている。リポーター曰く、趣味のバードウォッチング仲間で共感夢を見ているらしい。
≪こちらの皆さんは森林の共感夢を見ているそうです。夢の中でのバードウォッチング、素敵ですね~。あら?≫
その時、一人の男性が起き上がった。カメラがその男性を切り抜く。スキャナのこめかみ部分が赤色に点滅していた。ということはつまり、充電不足である。
≪ああ、ああ……≫
≪あらあら、充電切れですか? せっかくの記念すべき日に残念ですね。あの、よろしければ共感夢のご感想を。本当に皆さんで森の中に––––≫
≪あ、ああ…… ああああああ≫
様子がおかしい。どこか目の焦点が合っておらず、身体を小刻みに震わせている。そういった状態の人間に、ノアは心当たりがあった。
酷い胸騒ぎに、思わずソファーから立ち上がる。
≪え、ええと、まことにお気の毒です。で、でも、トライアルは本日から三日間続きますし。その~、充電、されます? 誰か、充電ケーブルを––––≫
≪ああああああああ! いやだ、いやだああ!! 助けてくれぇ!!≫
映像はそこで強制的にスタジオに戻された。スタジオのアナウンサーが緊張で顔を強張らせながら、チラチラとカンペを確認している。そこに先ほどまでの明るさは見られない。
≪ええ、一部映像が乱れました、誠に申し訳ございません。ええ…… 別の中継、ですかね? あ、え?≫
アナウンサーが次の中継場所に繋げようとしたその時、後ろで眠っていた出演者たちが突然苦しみだした。それは小さなうめき声に始まり、次第に叫び声に変わった。身をよじらせ、目を見開いている者もいるが、けれども覚醒はしていないらしい。
寝言のように不明瞭な言葉をブツブツと唱える者もおり、その様子はまるでIDEOから抜け出した脱獄者そのものだった。
≪ちょ、あの、どうされましたか? あの、起きてますよね? いたっ、ちょ、やめてください! 痛い痛いいたいいたい!!≫
揺すり起そうとした出演者の一人に髪をつかまれ、アナウンサーは悲鳴を上げる。急いでスタッフが助けに入るが、今度はそのスタッフが思い切り腕を噛まれた。
悲鳴とうめき声が混ざり合い、暴れまわる出演者と狼狽するスタッフ陣が映し出されたところで映像はぷつりと切れた。今はただ広大な自然をバックに「しばらくお待ちください」という文言の画面が映し出されている。
時を同じくして、事務所の窓外からは多数の悲鳴が聞こえてきた。急いで窓を開けてみると、スキャナを取り付けたままの人々が転げまわり、叫び、暴れまわっている。
歩道には男性が一人佇んでいた。スキャナはつけておらず、傍らにはキャリーケースがある。おそらく出張で正午に間に合わず、共感夢を見逃したのだろう。
一体全体何が起きているのか理解しきれていない様子で、「何だ? 火事か、テロか? おい何があったんだよ!?」と困惑している。
男性は近くにいた女性の肩を揺すって、何があったと聞いてみる。けれども女性は涎をまき散らしながら叫ぶばかりであり、男性はその異常な様子に呆然とするしかなかった。
「来るな、来るなああぁぁ!」
老人が叫ぶ。しかしそこには何もなく、老人は虚空に向って持っていた杖を振り回し続けている。
「助けてくれぇ!」
叫び声とともに、アパートの三階の窓から男性が一人飛び降りた。窓ガラスの割れる音と、人が道路に叩きつけられる鈍い音が響いた。血を流し倒れるその男性を、スキャナを着けた幼い少女が「ママ、どこ」と言いながら踏みつけた。
「……始まった」
ノア・クラークは呟いた。
世界の終わりが、始まった。
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