第43話 九時
そうやってぼーっとテレビを眺めていると、気づけば時刻は九時を回っていた。使った食器を洗いふうと一息ついたその時、ノアは突如違和感に襲われた。
「……?」
目の前に広がるのは日々を過ごす夢屋の事務所だ。本棚、ソファー、ローテーブル、テレビに電子暖炉…… いつもと違うところはないはずなのに、妙な胸騒ぎがして仕方がない。
「気のせい、か」
空き巣が入ったとしたら真っ先に擬似夢の作成装置やら何やらを盗むはずだ。念のため金庫を調べてみるが中身は無事であった。今夜、出入り口の監視カメラを確かめるべきかと考える。
しかしまずはヴィクターの件が優先だと、ノアは自室に戻った。
デスクに着くと、引き出しから夢屋の書類を取り出した。
まだここが夢屋なんて名前すらなかった頃の手記から、これまで請け負った仕事、レオの潜入調査報告書などなど……
これまで彼らと歩んできた道のりがそこには集約されていた。そこに嘘や偽りがあったなど、やはりノアには信じられなかった。
一人だけ可能性として挙げられる人物がいた。アイザック・ネルソンだ。
パーティーで立花から聞いたアイザックの培養技術、人間の臓器すら複製可能かもしれない独自のテクノロジー。
それを言わなかったのか、隠していたのか。言わなかったとしても、秘密を隠し持っている素振りを微塵も見せなかったのは怪しいともいえる。
事務所での彼は終始ノアのペースに飲まれ、何とかペースを取り戻そうと緊張気味だったように思う。緊張のしすぎで事業の詳細を話しそびれた?
考えたところで答えは出ない。
「全部話せたら楽なのにな」
◇ ◇ ◇
結局、裏切り者の件は誰にも話せずにいた。パーティー当日の二十日は、もう夜も更けており、頭も混乱していたので「無事帰宅、詳細は明日話す」とだけ連絡を入れた。
しかし翌朝早々にIDEOが共感夢について発表したため、エリックは予想される混乱の事前対策会議に追われた。火事場泥棒ならぬ、昼寝泥棒の対策だ。
エマの方も年末に近づき「街の美化活動に協力しろ」と半ば命令に近い仕事が入り、ホームレスやドリームレスの立ち退きに嫌々ながら参加していた。
けれど実際のところ、路地よりも寒さをしのげる、郊外の廃屋の場所をこっそりと教えているのだそうだ。立ち退き活動は夜間に行われるため、こちらも中々時間の都合がつかなかった。
レオはといえば、一番に夢屋に押しかけてきそうなものを「ちょっと急な仕事が入っちゃって~」と言ってそれきりだ。盗聴器でどこまで話を聞いていたかと尋ねてみても「あれね~、ちょっと性能が悪かったみたいで、全然だめだったんだよ」と返された。
裏切り者のくだりを聞かれなかったことに内心でほっとした。一方で、もしレオに聞かれていれば正直に打ち明けられただろうにと悔やんだりもした。
結局会って話すことは叶わず、昨日、二十三日の夜に短いオンライン通話をしたのみとなった。その内容も、共感夢が出来たこととアイザックの事業の新情報の二つに絞った。
アイザックと直接顔を合わせたことがあるのはノア一人だけだったので、これに関してはエマもエリックも「なんとも言えん」という意見だった。レオは「心配ならぼくが再調査してみるよ~」と申し出てくれたが、もしアイザックがIDEO側の人間であれば不用意に近づくべきではないと判断して遠慮した。
アイザックが裏切り者で、ノアの存在をヴィクターにリークしたのだとしたら、ヴィクターの「必死に探した」という発言自体が嘘になる。
けれど動かしようのない事実もある、ヴィクターは父のことを知っていた。ではやはりヴィクターは味方か?
そうしてまた堂々巡りだ。
三人はとにかく無事に帰ってきたことを喜んだ。正直なところ無事でも何でもないのだが、ノアも「そうだな」と返事をするほかなかった。
≪なあノア。お前の言うように共感夢は恐ろしいもんかもしれねぇ。でもまずは、無事を喜ぼうぜ。俺たちにどれだけの時間が残されてるかは分かんねぇけど、終わる前から死にそうな顔すんなよ≫
≪そーそー。今度ちゃんと皆で集まって話そうぜ。お前、ちょっと前のリリーみたいだよ≫
≪え、リリーになんかあったのか?≫
≪へ? あ、やべ。ノア、エリックに話してないのかよ≫
≪おいおい、一体何の話––––≫
≪ノア~! 今すぐぎゅーしてあげられなくてごめんね? ぼくがいなくても大丈夫? もし何だったら等身大ぼくぬいぐるみ––––≫
「あー、もういい。共有事項は以上だ。各自、絶対に共感夢は見ないように。不意に接続することもないように、無料トライアルの時間帯にはスキャナに接続もするなよ。分かったな」
電話の向こう側ではまだ三人がブーブーと喚いている。しかし彼らが少ない時間を必死に縫って今夜集まってきてくれたことも分かっていたので、ノアの方から通話を切るのは憚られた。
≪言われなくても俺はその時間、街の警備だろうからな≫
≪あたしも人が掃けてる間に街を掃除しろってさ。ったく、死体処理と清掃員を一緒くたにしやがって。まあ稼げるからやるけどさ≫
≪ぼくの脳はもうメイド・イン・ノアの擬似夢しか受け付けないから安心して☆≫
「ああ、なら安心だな」
一呼吸おいて、ノアはごく自然を心がけて言った。
「またな」
≪おう!≫
≪あいよ~≫
≪まったね~!≫
◇ ◇ ◇
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