第40話 疑惑の根源
◇ ◇ ◇
今夜の雪は止まないようだった。
傘は持ち合わせていなかったが、幸い粉雪だったため、ノアと立花はそのまま歩くことにした。
街は色とりどりの灯りで彩られ、店のウィンドウにはラッピングボックスの山がレイアウトされている。信仰はとうに死んだというのに、人々は未だに形骸化した聖なる夜を待ちわびていた。
『聖なる夜に特別な擬似夢を』
そんな宣伝文句で様々な擬似夢が売り出されている。
擬似夢、擬似夢、擬似夢…… 人々はどこまでも偽りの夢に縋りつく。
「さっき小耳に挟んだんですが、近日中に共感夢を売り出すそうですよ。時期的に大繁盛でしょうね」
「そうなるでしょうね」
「……今夜は冷えますねぇ」
立花はテラスで一体何があったのか、それを聞いてもいいものかといった様子だ。
ノアは事情を明かすわけにはいかなかった。ヴィクターの言う「裏切り者」に立花も含まれるかもしれないからだ。もちろんノア自身そんな疑いは抱いていないが、今のノアに諸々を整理し正しい行動を取るような余裕などどこにもなかった。
誰にこの心の内を話せようか、誰がこの混乱を沈めてくれようか、その相手は正しいのか、そんな人物は存在するのか。
何も分からなかった。
混乱する頭で悩んだ末に、ノアは一つの思いを打ち明けることにした。それは疑惑の根源ともいえた。何故ノアがIDEOを敵とみなすのか、そして何故父親を許せずにいるのか……
「約三十年前、どのようにしてこの世界の均衡が崩れたか、ご存じですか?」
「え? それはまあ、人々が段々と夢を見なくなって、それに伴って脳に影響が出て、ですよね?」
「はい。その広がり方については?」
「ああ、ロッドを病とする説ですね。それは否定されたじゃないですか、同時多発的現象であったと今はされてますよ」
立花は怪談話を否定するかのように言ってのけた。そこにノアを馬鹿にするような態度はなく、むしろノアがこれから話す世にも恐ろしい話から逃れたいがために、必死に現代科学にしがみ付いているかのようだ。
しかし立花の説は半分間違っている。同時多発的、かつ波及的だったのだ。何人かの科学者が地道にロッド患者の進行度合いを確認し突き止めた事実である。
最初期に夢を見なくなったのはどこも過疎化の進んだ貧困地域であり、よく寝付けないなどといった理由で来院する余裕などない地域だった。
折角突き止めたそれらの研究もIDEOの台頭とともに中止され、研究資料も全て破棄されたという。しかしノアは父の研究部屋でその資料の一部を目にすることができた。
そこには先のようなロッドの始まりと言われる地域の情報とともに、こんなことが書かれていた。
『現地住民は既に深刻なロッドに罹っており、意思疎通は不可能。しかし、辛うじて一人の住民の今際の言葉を聞き取ることができた。彼はこう言った––––』
––––全部、電波塔のせいだ
『その電波塔なるものを見つけることは叶わなかった。しかし、町の外れに何かの施設が立っていたような痕跡があった。三年前の衛星写真にはこのような痕跡は見られなかった。電波塔と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、最近幅を利かせている宗教団体であろう。これは偶然か、必然か…… 原因究明のためにも、我々は調査を続けなければならない』
ノアは一度この研究者の元を訪ねたことがあったが、本人を含め職員全員が入信済みであった。それは本人たちの意思なのかそれとも……
「あの、クラークさん?」
「……すみません、ちょっと考え事を。まあ、広がり方についてはいいでしょう。それで、その後はどうなりましたか?」
「ええと、夢を見ないことによる症状がどんどん悪化して、やがてロッドと呼ばれるまでの症状になりました。その後にIDEOが擬似夢を開発。しかし、擬似夢の副作用が判明して、ドリーゼが作られて––––」
「そこですよ」
「え?」
「十五年経っても未だ類似薬を作ることができない、そんな優れた薬をどうして擬似夢の登場から間もなく開発できたんでしょう」
「それは……」
「ロッドの症状もです。始まりは頭痛や倦怠感がつづく程度だったのに、今では立派な死に至る病だ。ロッドに陥る期間だって、昔は何年もかけて徐々に進行したのが、今やほんの数か月でロッドに罹る」
立花は自分の意見を整理するかのように口を閉ざした。そう、人々は救いの手にしがみ付くのに必死で考えることを放棄したのだ。
差し伸べられたその手は、真に清らかなのか?
どうしてちっぽけな宗教団体に擬似夢なんてものが開発できたのか、どうしてその副作用に効く薬をすぐに開発できたのか。そんな出来すぎな展開を疑うことすらしなかった。
「そういえば、ロッドが深刻化したのも、確か十五年ほど前でしたね。僕にはこう思えてならないんです。ドリーゼが完成したから擬似夢を世に解き放った、と」
「でもあれは、昔から使っていた信者用の精神安定剤がたまたま効果があったと」
「……そんなはずはないんですよ」
「え?」
何度も夢に見た小さな研究部屋。何が書かれているか見当もつかない難しい資料の山。その中で唯一読み取れた言葉……
––––この薬が完成すれば、世界中の人を助けることができるんだよ
––––もう名前も決めてあるんだ。親しみやすくて、分かりやすい名前がいいと思ってね
「父です」
「え?」
「ドリーゼを作ったのは、父なんです」
「なっ!?」
「父は、僕が七歳…… 今から十七年前にIDEOに入信しました。でもそれ以前から、父はずっとドリーゼの研究をしていたんです。父が去った二年後に擬似夢が登場し、ロッドが深刻化。ドリーゼの開発により、世界はIDEOの言いなりになった」
「そんな……」
「父は知っていたんです。擬似夢の存在を。でなければ知りもしない機械の特効薬なんて作れるはずがない。初めから全部知っていて、自分の薬を完成させたいがためにIDEOに手を貸した。薬が完成したら、奴らがそれをどう悪用するかなんて考えもせず。父の考えなしの発明のせいで、多くの人々が亡くなった。父は…… 父は人ご––––」
強めの衝撃とともに、視界が揺らいだ。普段つけないウッディな香水の香りがして、立花に抱きしめられているのだと気づいた。
雪は牡丹雪に変わり、道行く人々は傘をさしていた。誰も彼もが下を向き、足早に家路に向かう。
気に留める者などいなくとも、やはりこの状況は居心地が悪い。
「あの、立花さん。離してください」
「……まだ、分からない」
「え?」
「まだそうと決まったわけじゃない。そうでしょう? クラークさんの知らない事情があるのかもしれない、真実は全然違うのかもしれない」
「……」
「貴方だって、その可能性を信じている。だから、だから許したいと思うんだ」
そこまで言うと、やっと立花はノアを解放してくれた。そして本日二度目のハンカチを渡してきた。
「必要ありません」
「そうは見えません」
優しい声音で、けれど引き下がるつもりもないらしい。ノアは半ば苛立った。立花から父の面影を見出そうとしている己の弱さに。彼の優しさに浸かってしまえば、自分の芯が揺らぐ気がした。
十七年前のあの日以来、父に何が起きたのか、その真相を知りたい。自分が思い描いたような出来事は起こっていない、父は何の罪も犯していない。
そう信じたい。
しかし、全ての状況がIDEOの悪行を浮き彫りにし、その陰には父がいる。父を許せないと思う自分を拭いきることは出来なかった。
そこにきてのヴィクターの言葉。裏切り者に、父のロッド…… もうノアには限界だった。
「立花さん、本当に申し訳ありません。でも、今の僕には、これを受け取る権利すらないんです。僕は今……」
誰を信じたらいいのか、そう言いかけてやめた。立花が裏切り者であるはずがないと思う自分と、もし裏切り者であれば疑心を気取られてはいけないと思う自分が拮抗する。
あんなにも堂々とヴィクターの提案を蹴ったくせに、もう裏切り者が居るかもしれないという頭で行動している自分が情けなくて仕方がない。
「権利なんか必要ない。貴方は今、あまりにも多くのことを抱えすぎています。だから、たまには何も考えずに甘えるべきです」
「……そうですね。でも、それは今じゃない」
ノアは立花の手を振りきり、再び歩き出した。
立花はまだ何か言いたそうにノアを見つめていたが、ついには諦めて、目的を果たせなかった哀れなハンカチを胸ポケットに仕舞った。
駅はもうすぐそこだった。駅前には黒の高級車が止まっており、立花専属の運転手がこうもり傘を差して待っていた。
その横を通り過ぎて、ノアは駅の構内へと向かう。
「クラークさん、あの––––」
「立花さん、本日は誠にありがとうございました。また何かありましたらこちらからご連絡しますので、くれぐれもご自身で動かないように」
「……今後の方針が決まったら、必ず私にも連絡をください」
「わかりました」
「必ずですよ」
「はい、必ず」
立花はそれでもなお不安そうな顔をした。しかしその不安を払拭してやる気はなかった。ノアは「それでは、よいお年を」と添えて今度こそ本当に駅へと歩きだした。
もう二度と、立花とは会えないような気がした。
それでも、それが運命であるならば……
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