第39話 裏切り者2
「それで貴方は、僕に何を望むんだ」
「IDEOに…… 乗り込んでほしい」
「は? IDEOの内部を知りもしない僕にか?」
「IDEOに入ればすぐに専用スキャナを装着させられる。それは俺も例外じゃない。裏切りがバレた時点で遠隔で悪夢を見させられるんだ。全く、作った本人すら信用しないとか血も涙もないよな。そんなこと最初っから分かり切っちゃいたけどさ、でも––––」
「僕が擬似夢に耐性があると仮定して、それで僕に何が出来るって言うんだ」
もうヴィクターに対する恐怖や警戒はないと言ってよかった。敢えて彼のブツブツを遮ってもヴィクターは嫌な顔一つせず、むしろ二人の間には着実に信頼が構築されつつあった。
「まず第一に、あんたの擬似夢への耐性は他人に付与できるものなのか? そこだけは答えてくれ。それによって計画が大きく左右される」
ノアの口から全てを白状させることは無理だと判断したのか、ヴィクターはその一点に的を絞った。
「……悪いが、無理だ」
「そっかぁ、無理かぁ。お仲間もドリーゼを打ちに来なくなったから、耐性の付与が出来るとばかり…… 俺も悪夢に耐性を持てたんなら楽だったんだけど。まあ、でもこれは想定内。それならあんた一人に頑張ってもらうしかないな」
「だから、僕に何をさせたいって言うんだ」
「まず信者になりすましてIDEOに入ってほしい。それから、電波塔に潜入してくれ」
ノアの右の眉毛がピクリと上がる。ヴィクターはそれを見て嬉しそうに微笑んだ。どうやら彼の仲間に求める基準を満たせたようだ。
電波塔にはIDEOに関する重要な手掛かりがあるという夢屋の見立ては当たっていたらしい。
「電波塔は俺ですら立ち入ることが許されていない。でも、あそこには何かがあるはすだ。俺はギリギリまでセキュリティーをハッキングするから、その間に電波塔に潜入してくれればいい」
「随分簡単に言うな」
「でも、万が一悪夢を流されても、あんたなら平気でしょ?」
ノアは溜め息交じりにこめかみを押さえた。確かにノアなら悪夢を見たところで小一時間は耐えられるだろう。夢から覚醒することも出来るかもしれない。だが、その後は?
ハッキング元を調べればヴィクターの犯行だとすぐに分かるだろうし、一度の潜入では何も掴めない可能性だって高い。脱出経路は? 二度目はどうする?
残念ながらヴィクターにそこまでの計画はないように見えた。今夜ここでノアに出会えたことすら奇跡であったのだろう。まだ構想段階の案を敵かもしれないノアにさらけ出してしまうヴィクターの危機感の無さに不快感さえ抱いていた。
その苛立ちをノアは抑えることが出来なかった。
「どうやら貴方の計画には穴が多いようだ。もう少し細かいところを煮詰めてから––––」
「ま、待ってくれよ。確かに曖昧な部分もあるけど、でも––––」
「でも、じゃだめなんだ。今日まで何年も、人生をかけて取り組んできた。その日々をこんなお粗末な計画に託すなんて出来ないんだよ。これは僕だけの問題じゃない、仲間たちの人生だってかかってるんだ」
ヴィクターは少し狼狽えてから思い出したかのように目を光らせた。舞台上で見せた、あの黒豹の瞳だ。ノアは突然何事かと身構える。彼の計画にケチをつけたことで逆上したのだろうか。
しかしヴィクターはノアに掴みかかるようなこともなかった。ただ二人きりのバルコニーで更に声音を落として言った。まるで見えない誰かが聞き耳を立ててでもいるかのように。
「そのことだけど。俺はこの計画、あんた一人にお願いしたいんだ。あんたが言うお仲間には黙っていてほしい」
「は? 僕がIDEOに入信するっていうのに、何も相談しない訳にいかないだろう」
「そこは上手く誤魔化してよ。ちょっと遠出するとか何とかさ。何で俺がこんなこと言うか、分かんない?」
ヴィクターがゆっくりと近づき、その高い背を屈ませて、ノアの耳元にそっと囁く。
「いるよ、裏切り者が」
高鳴る心臓を落ち着かせようと、意識的に呼吸をする。
動揺を悟られまいと、敢えてヴィクターの瞳を見つめる。しかしその瞳にはノアを混乱させようという狡猾さは感じらなかった。余計に先ほどの発言に真実味が加わってしまい、ノアは堪らず目を背けた。
心に一滴の墨を垂らされた気分だった。交じり合ったそれは、もう濁る前には戻れない。こうなった以上、ノアが取るべき選択は一つしかない。それはつまり、今まで信じてきたものを信じぬくということだった。
「なるほど、悪いが僕は仲間を信じている。貴方が彼らを信用しないと言うのなら、残念だけど僕は貴方を信頼しない。この話は終わりだ」
「えっ」
「もしも貴方が僕ではなく僕らを信用する気になったなら、その時また連絡を下さい。どうせ僕の居場所だって調べはついているんでしょう?」
「……ダメなんだよ、それじゃ。間に合わないんだ」
「間に合わない?」
それはIDEOの何かしらの計画だろうかとノアは身震いしたが、どうやらそうではないらしい。ヴィクターはまた一人ブツブツと俯きながら呟いている。
「あんなにロッドが進行してちゃ、もう、本当に、あの人は……」
「それは大変に気の毒だが、やっぱり今回は––––」
「今じゃなきゃ、間に合わないんだ! 本当に死んじまう! それでもいいのか!?」
ヴィクターは縋るようにノアの腕を掴む。その異様ともいえる焦り振りにノアも半ば困惑する。
「いいも何も……」
「たった一人の、父親だろ!?」
頭を銃で撃ちぬかれたかのような衝撃が走る。一瞬目の前が真っ白になり、思考が溢れすぎて追いつかない。走馬灯のように幼い日々の父との思い出がノアの脳裏を駆けずり回り、そしてその全てが『死んじまう』という言葉に収束された。
電池の切れかかったロボットのように、途切れ途切れに声が漏れる。それを何度か繰り返し、どうにか言葉を紡ぎ出した。
「何を、お前は、何を言って…… 父さんが、ロッド? 死ぬ? お前は……」
その時、遠慮がちにテラスの窓が押し開けられた。
黒服の関係者らしい男がヴィクターを見つけると安堵の表情を見せた。
「ああ、こんなところに。バーンズ様とお話ししたいというお客様がいらっしゃいまして」
「……分かった。すぐに向かう」
先ほどまでの砕けた雰囲気はどこにもなく、そこにはIDEOのヴィクター・バーンズがいた。ヴィクターが動き出す素振りを見せなかったため、黒服の男は気まずそうにそっと窓を閉めた。
「おい、どういうことだ。お前は何を知っている、父さんは––––」
「悪いけど時間切れ。もしもあんたが協力してくれるってんなら、俺が知っている全てを話すよ。これ、連絡先」
ヴィクターが一枚の名刺を差し出す。名前も何もない、ただ連絡先の番号だけが書かれた紙だった。
「この番号が有効なのは今日から五日間、二十五日までね。新しい番号は教えない。だからよく考えて。あの人を救えるのは、あんたしかいないってこと」
「救う、父さんを……」
ヴィクターは最後にじっとノアの顔をのぞき込んだ。生きた人間の吐息が、冬の寒空に露わになる。
「その瞳は、あの人譲りなんだな。綺麗なアッシュグレーの…… あれ、あんたって、オッドアイなのか? 左目だけ––––」
言いかけたその時、またもや窓が開けられた。二度目の催促かと思いきや、入って来たのは酒が回った男女二人組であった。
人気のないテラスで何をしようとしていたのやら、先客がいることに酷く居心地の悪そうな顔をする。
「失礼、私たちは中に入りますので、どうぞごゆっくり」
「ああ、はぁ」
そう言って今度こそヴィクターは会場へ戻ってしまった。ノアの方には見向きもしなかった。
ほんの少し遅れて会場に入ると、ちょうど共感夢を見終えた立花を数メートル先に視認する。彼もノアに気づいた様子で、緊張の表情がみるみる溶けていった。
「ドキドキさせないでくれ。心配したじゃないか、テラスにいたのか?」
「ええ、申しわけありません」
「いや、いいんだ。こっちはもう用も済んだし、そろそろ帰ろうか…… って、どうしたんだその顔は。まるで……」
きっと立花は「死人のようだ」と続けたかったのだろう。事実ノアの顔は血の気が引き、まるで地獄から這い上がってきたかのような絶望の表情を見せていた。
それは寒空の下で長話をしていたからか、それとも。
「帰りましょう。コートを取りに行って参ります」
「……ああ、ありがとう」
ふと視線を舞台付近に移すと、招待客に営業スマイルを振りまくヴィクターがいた。あまり見すぎても怪しいと思い、すぐに前に向き直る。
おぼつかない足取りで、ノアは一人クロークへ向かった。ふと、無意識に先ほどの名刺を握りしめていたことに気づく。くしゃくしゃになったそれを、ノアはただ茫然と見つめた。
それは裏切りの証拠。
だがしかし、それは真実への唯一の切符でもあった。
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