第37話 遭遇
目覚めたノアは隣の立花に目を向けた。
そして、一縷の望みに掛けて尋ねる。
「立花様…… 擬似夢の中で出会ったのは、本当に貴方でしたか?」
「……ああ、そうだよ。驚きだね」
思わずため息が出そうになるのを飲み込んだが、ノアのように放心状態になっている者も少なくはなかった。
パラパラと起きだした招待客に、寝覚めのコーヒーが振舞われる。酸味が強いそれはノアの好みではなかったが、口の中に広がる雑味が現実に引き戻してくれるようであった。
今夜のパーティーはこれで一旦のお開きらしく、ここで帰りたい者は帰るようだった。出口ではスタッフが先ほどの森林と夜空のサンプル共感夢を配っていた。それを宝物のように受け取る彼らを、ノアは遠い目で眺めるしかなかった。
共感夢は他にも用意されているようで、引き続き別のものを楽しみたい参加者は追加の睡眠剤を頼んでいる。
「さて、どうする? トーマス」
「私はもうお腹いっぱいです」
「そうか。なら、もう帰ろ––––」
「立花君! ここにいたか。今から海中の共感夢を試すんだ、君も一緒に見たまえ」
「あ、ベイカー様。その、私は……」
「いってらっしゃいませ、立花様。私はお帰りの準備を進めておりますので」
ノアが断ったので、ベイカー夫人は旦那の背後で残念そうに眉を下げた。秘書に気を遣うのは逆に不自然と考えたのか、立花も「そうか」と軽く頷くだけだ。そうして三人はスタッフの誘導に従って別の席へと移動した。
帰りにサンプルが手に入るのなら、共感夢の方はそれで十分だとノアは考えた。それよりもヴィクター達がどのような手順でもってスキャナを操っているのかが気になった。
食事の続きを楽しんでいる人混みに紛れて、ノアは舞台上のヴィクターを捉えた。奴の手元にはノートパソコンが二台のみ。一台は操作、もう一台はモニターとして使っているらしい。たった二台で数十人のスキャナにアクセス出来るだなんてと、ノアは内心震えていた。
その時、料理に感動してシェフを呼ぶが如く、客の一人がヴィクターを呼びつけた。
スタッフに軽い引継ぎだけして、ヴィクターは笑顔で客のもとへ赴く。引き継ぎを受けたスタッフも、手こずる様子もなく操作を続けている。
不幸にも、共感夢の管理はそれほど複雑ではないらしい。それはIDEO側が用意をしたスキャナに対してだけなのか、全てのスキャナに対しても同様なのか……
どうにかして画面を確認することは出来ないかと、ノアは辺りを見渡す。そして、舞台上に置かれた大きな花瓶に気がついた。真っ白な陶器の花瓶の表面には、ぼんやりとパソコンの画面が反射していた。もう少し近づくことが出来れば……
その時だった。
「失礼」
「はい?」
抑揚のない声に振り向くと、そこには厳格そうな長身の男性が一人。
『陰気さが服着てるって感じだな』
そう言ったのはエリックだったか。まさにその通りじゃないか、なんて、どうでもいいことばかりが頭の中をぐるぐる巡る。
生気のない目でノアを見つめていたのは……
ランドルフ卿であった。
取り繕う暇もなく、ノアは顔を強張らせてしまった。しかし、ランドルフ卿はそんなノアを見ても眉一つ動かさない。
思わず噛みしめてしまった奥歯を緩め、喉の奥からどうにか声を絞り出す。
「おっと、お邪魔でしたね」
「……」
二人は料理が並べられたテーブルの前に立っていた。ノアの前に置いてある料理を取りたいのかもしれないと、サッと右にずれてみる。しかし、ランドルフ卿はピクリとも動かない。
「ああ、気が利かずすみません。私がお取りしましょう。こちらのローストビーフで––––」
「結構」
「……左様ですか」
ランドルフ卿は尚もノアを見つめるばかりだ。
こちらから名乗るべきだろうか、それは自然な流れか、自分は今ちゃんと微笑んでいるのか、ノアは気が気ではなかった。
何故ランドルフ卿は突然話しかけてきた? アイザックからノアの話が漏れたのか、それとも本当に偶然か。ひょっとすると立花を紹介してほしいのかもしれない。こういう時は最悪の想定でもって行動すべきだろう。
それはつまり、ノアの正体がバレているということだ。
酷い耳鳴りがして、心臓が激しく鼓動する。安全な場所から情報を集めるのとはわけが違う。これまでが探偵ごっこに思えてしまう程の緊張感で息が詰まる。ここは正真正銘、敵地のど真ん中なのだと今になって実感した。
こんな時レオならどう対処するのだろう。事前に聞いておくべきだったとノアは強く悔いた。
気まずい沈黙が二人を包む。あまり立花を巻き込みたくはなかったが、ここで黙っているのは逆に不自然だと判断しノアは自ら名乗ることにした。
意を決してランドルフ卿と向き合ったその時…… 湖の底のように暗く冷たい彼の瞳に、明らかな敵意の色が宿った。彼はキッとノアを睨みつけると、唇をわなわなと震わせる。
突然のことでノアは何が何だか分からなかった。
「あ、あの、何か……」
「貴様、どうして––––」
「やあやあランドルフさん。こんな所にいましたか」
それは今、何より聞きたくない声だった。
低く響く声の主は、ヴィクター・バーンズであった。
食事を楽しんでいた一行はデザートを食すべく別のテーブルに移動していた。今ここにいるのは眉を吊り上げたランドルフ卿と、不敵な笑みを浮かべたヴィクター、その二人に挟まれた顔面蒼白のノアだけだ。
ヴィクターが現れるや否や、ランドルフ卿はスンと元通りの表情に戻った。さながら電池の切れたロボットのようだった。
「お客様、うちの者が何か粗相を致しましたか?」
「い、いえ。少し話をしていただけです。お気になさらず」
「ほう、話を、ねえ?」
糸のように細められた目がうっすらと開かれる。スクエア型のレンズ越しに鋭い視線を向けられ、ランドルフ卿の口元がピクリと動いた。
黒豹がまさに獲物の首に飛びかかろうとするイメージが嫌でも脳裏に浮かぶ。しかし何故だろう。獲物はノアではなく、ランドルフ卿のように見える。
「とにかく、ご迷惑をお掛けしていないようで安心しました。それならば彼をお借りしてもよろしいでしょうか? 彼とお話がしたいというお客様がいらっしゃいまして」
「あ、ええ。もちろん」
「ありがとうございます。ということで、お願いできますかランドルフさん。お客様は二番出口前でお待ちです」
「……承知した」
ランドルフ卿は立ち去る際にもう一度ノアを見た。見たというよりも睨みつけたに近いその眼差しの意味をノアは未だに理解出来なかった。
卿が話しかけてきた意味も、いきなり態度を変えた意味も、ヴィクターが手助けしてくれた意味も。
ノアはごくりと生唾を飲み込んだ。隣の男はテーブルに並べられたシャンパングラスを二杯手に取り、低く響く声で耳打ちをした。
「ちょっとお話ししましょうか」
スタスタと歩きだしたヴィクターは真紅のカーテンをくぐり、冬のバルコニーへと消えていく。ノアはチラリと立花を見た。共感夢はまだ終わらないようで、ベイカー夫妻とチェアに身を委ね眠っている。
こんなつもりではなかったのに…… 嘆いたところで仕方がなかった。どれだけ綿密な計画を立てたところで、こんな展開は誰も予想出来なかっただろう。
いつだって現実は、夢のように言うことを聞いてはくれないのだから。
ノアはゆっくりとバルコニーへ続く窓ガラスを押し開けた。
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