いざ、パーティーへ
第33話 懐中時計
いざ出発とノアが扉を開けたところに、それはあった。
手のひらサイズの黒い小箱に真っ赤なリボンが巻かれており、二つ折りのメッセージカードがリボンの間に挟まっている。
多少の警戒心をもってそれを開くと、真っ赤なマフラーを巻いた雪だるまのイラストに、金で箔押しされた“Happy Holidays!”の文字があった。差出人を確かめる間もなく、カードからは聞き慣れた人物の声が再生された。
≪あの…… ノア?≫
「ふっ」
おずおずと様子を伺うようなレオの声。ケンカ翌日のカップルのようなその声音に、ノアも思わず笑ってしまう。
≪変装がダメなら、せめてこれを着けてよ。盗聴器だけど、誰も気づきやしないから、ね?≫
ノアは小箱の蓋を開けた。中に入っていたのはスーツにつけるラペルピンだ。一粒の黒真珠が上品な輝きを纏っている。怪しいところなどもなく、確かにこれが盗聴器だと気づく者はいないだろう。
実は、アイザックとマーガレットの会話を盗み聞きした際のトランシーバー付きカメラも、レオから調達した物だったりする。今回は超小型な分、盗聴機能のみのようだが。
どこからこんな物を調達するのかと聞いたこともあったが、その時は「カメレオンの企業秘密~」とかわされてしまった。
≪じゃあね。ノア、大好きだよ≫
音声メッセージはそこで終わった。直接渡せば良いものを。変装を断ったことをまだ根に持っているのだろうか。
会場の場所は一応全員に知らせてはいるが、近づかないよう釘を刺している。しかし、近くにいなければ音声を傍受出来ないはずだ。異変を感じ取ったら殴り込みにくるつもりだろうか。ノアはやれやれと溜息を吐く。
そんな事態にならぬように願うばかりであった。ノアは黒真珠のラペルピンを襟元にそっと着け、夢屋の事務所を後にした。
◇ ◇ ◇
「緊張していますか?」
「それ以上ですよ。パンク寸前です」
「あはは、クラークさんでも焦ることがあるんですね」
立花は朗らかに笑う。ノアはショーウィンドウに映る己を確認する。
夢の中から飛び出したような漆黒のタキシード。さすがにハットやモノクルはしていないが、現実世界でこの姿になるのは落ち着かない。
真冬だというのに、陶器のような頬に冷や汗がつたう。オールバックにセットしたブロンドをしきりに触ってしまう。
今夜のパーティーはライトなものだ。立花のような比較的新しい支援者ばかりを集めたパーティー、招待状には新製品のお披露目と書かれていた。
中堅のベンソンが警備の指揮にあたるという点からも、IDEOの中核を担う人物が現れるとは考えにくい。
ヘビーなものは噂話程度の情報しかない。IDEOとずぶずぶの支援者たちのためのパーティーで、いつどこで開催されているかも分からない。今夜の規模ならば、相当なヘマをしなければ夢屋の尻尾を捕まれることもないだろう。
「クラークさん、子どもの頃好きだったものってあります?」
「急になんですか」
「いや、緊張が解れたらなあって」
ノアはパーティーのことで頭がいっぱいだった。正直この問答を続ける気はなかったが、確かにこんなしかめ面で赴いては不審人物としてマークされてしまう。
小さく息を吐いてから、ノアは記憶を辿った。思い出すと胸を締めつけられる、あの日々の数々を。
「……僕は、寝つきの悪い子どもだったんです。その度に父が手を握ってくれました。それでも眠れないときは、お気に入りの絵本を読んでくれたんです」
「優しいお父様ですね」
「ええ…… タキシード姿の紳士が町の悪者をやっつけるお話でした。モノクルで悪者を見つけて、ステッキであっという間に倒してしまう。紅茶を飲むと無敵になって、僕はその絵本の紳士に夢中でした」
いつの間にかノアの表情は柔らかくなっていた。けれど長い睫毛からのぞく瞳が微かに揺らいで、立花は聞かずとも感じ取っただろう。優しかった父は今、ノアの傍にいないということを。
「父が大事にしていた懐中時計があったんです。それが紳士の道具にそっくりで、どうしても欲しかった。けれど、誕生日やクリスマスにお願いしても父は譲ってくれなかった。『お前が立派な紳士になった暁にプレゼントしよう』と言われました」
ノアはおもむろにタキシードのポケットから真鍮の懐中時計を取り出した。夢の中では正確に時を刻んでくれるこの時計も、現実世界では止まったままだ。
「直せないんですか?」
「直さないんです。これは、父の引き出しから勝手に取ったものだから。ちゃんと父から譲り受けたわけじゃない。だからこの時計に命を吹き込んではいけないんです」
ノアを置いていったきり二度と戻ってくることはなかった。父の痕跡を一つでも見つけたくて、部屋中をひっくり返したあの日々を思い出す。
カチリとボタンを押し込むと懐中時計の背面の蓋が開いた。
蓋の裏側には文字が彫り込まれていた。
“Hope is a waking dream.”
ノアの肩越しにその刻印をのぞき込み、立花は口を開いた。
「希望とは目覚めている間に抱く夢である、ですか?」
「ええ。大昔の哲学者の言葉だそうです」
「なんだか、皆が擬似夢に縋るこの世の中を予期していたかのようですね」
「そうですね…… 結局どれだけ精巧な擬似夢だって、それは希望のレプリカに過ぎないんです。映画やドラマの中を生きることは出来ない、そんな当たり前のことを、擬似夢となると途端に忘れてしまう。僕は……」
そこまで言って、ノアは口をつぐんだ。擬似夢のない世の中を取り戻したい、そう続けてしまえば、立花の機嫌を損ねてしまうと思ったのだ。
今は協力関係を結んでいるが、そもそも彼もIDEOの出資者だ。今後も出資を続けるべきか、IDEOはそれに値する組織か。それを確かめたいというのが彼の立場である。
ノア達のような、絶対にその闇を暴いてやるといった姿勢ではない。
始めこそ「元通りの日々を」と実験を重ねていた人々も擬似夢の登場とともに姿を消した。汚職の疑いで一線を退いたり、不慮の事故で亡くなった者も多く、ここにもIDEOが絡んでいるのではないかとノア達は睨んでいるのだが。
擬似夢はこの世界になくてはならない存在となった。それを否定するということは、この世界を否定することと同義である。
擬似夢に生かされている立花にとって、いや、もはや夢屋以外の全人類にとって、ノアの思想は看過できるものではないのだ。
俯くノアの代わりに立花が言葉を続けた。
「擬似夢のない世界を作りたい、ですか?」
「っ!? まったく、貴方って人は。そういうこと、人前では絶対に言わないでくださいね」
「はは、勿論ですよ」
いつも想像の斜め上をいく立花に、ノアは堪らないという様子で首を振る。
「そんなクラークさんだからこそ、私は協力したいと思ったんですよ。本当に、貴方に出会えてよかった」
立花は胸ポケットから一通の便箋を取り出すと、それをノアに差し出した。小さなウサギが散りばめられた可愛らしいデザインで、差出人は一目瞭然だった。
ノアは立ち止まると、黄色いガーベラを模ったシールを剥がし二つ折りの手紙を広げた。可愛らしい文字の羅列がノアの瞳に飛び込んでくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます